オタとツン属性を併せ持つ妹に、なぜか連夜催眠術を施されることに

北河原 黒観

第3話

 ファーストコンタクトから二日後、今日は学校終わりに莉里那《りりな》の部屋に集合する日である。

 午後の四時。
 急いで自宅に戻ったわけだけど、まだ莉里那は帰って来ていなかった。
 親父は単身赴任中だし、涼子さんは夕方6時を過ぎないと仕事から戻って来ない。

 よし、莉里那ももう帰って来るだろうし、今のうちに朝の分の食器を洗っておくとするか。
 私の家事の持ち回りは食器洗いとゴミ出しで、莉里那は取り込んだ洗濯物を畳むのと風呂掃除が仕事だ。
 因みに朝はみんなバタバタして出かけるため、朝の食器はだいたいつけ置きだけしている。ただ帰宅が遅いと朝飯と晩飯の分を纏めて洗うことになるのだが、そうなるとシンクが一杯一杯になって洗い辛くなってしまうため効率がガタリと落ちてしまう。

 出来る時にやっておく、と言うわけで朝の分の食器を洗い、食洗機に入れて乾燥をスタートさせた所で、玄関の鍵穴にガチャガチャと鍵が入れられカチリと回す音が聞こえた。
 そしてドタドタ足音が聞こえて来る。
 私が使用したエプロンを元あった場所に引っ掛けていると、莉里那が勢いよくリビングに突入して来た。

「ニィーニ待ちました!? ごめんなさい! 突然担任の長林が、親切な少年にあった時の感動話とか言う、意味不明な事をホームルームで話し始めちゃいまして、もうホントあの担任最低です! 長林じゃなくて、長話です! 」
「あぁ長林先生、時々めちゃくちゃ話が長くなることがあるよね。懐かしいなー」

 息を切らしながら捲したてるようにして謝ってきた莉里那は、スクールバックをソファーに放り投げると、セーラー服姿のまま私の手首を掴む。

「今日は色々と実験をする予定だったのです! とにかく早くリリィの部屋に行きましょう! 」

 そうして私は、なぜか莉里那の学習机の椅子に座らせられている。
 目の前で鼻息荒く右往左往している莉里那はセーラー服姿のままのため、着替えずに何かをやるようだ。
 そして準備が終わったのか、私の前に腕を突き出す。

「これがなにか分かりますか? 」
「……五円玉、だよね? 」

 そう、莉里那の人差し指と親指に挟まれて私の目の前に差し出されているのは、ただの五円玉である。

「はい、この五円玉にこうやって糸を通して、こう動かしますと? 」

 五円玉を吊るして振り子のようにして左右に揺らし始める。

「もしかして、催眠術? 」
「その通りです! 今からニィーニに催眠術をかけるのです! 」
「……一応、なんの為に催眠術をかけるのかを、聞いても良いかな? 」

 すると莉里那が腰に手を当て胸を張る。

「よくぞ聞いてくれました。リリィとニィーニは転生者ですよね? 」
「あ、あぁ」
「それでですね、ニィーニをトランス状態にして、前世の記憶について色々質問するのです」
「なるほど、異世界へ旅立つための情報を得るためか」
「そうです、手がかりが掴めるかも知れないですし、もしかしたらそのままゲートが開いて転移出来るかも知れないのです」

 これはどうしたことか。
 催眠術にかかるフリをするには、私も設定を決めないといけなくなる。それは事前準備が無い現状では難度は高い。
 ……今回はかからない方向でなんとか凌いで、催眠は次回かかるフリをする。
 うん、それが良いだろう。

 とそこで莉里那は付け加える。

「それと催眠術にかからなくても気落ちしないで下さいね、奥の手も用意してますから」

 そしてまさにその時であった。
 私は視界に何か違和感を感じる。そして視線を彷徨わせると、すぐにそれを見つけた。
 莉里那のベットの上、布団に埋もれるようにしてチラリと見えているのは、ネットなどで見たことがある、どっからどう見てもスタンガンであった。

 つまりアレか!?
 私が催眠状態にならなかったら、あれで気絶させて、ほんと意味が分からないが強制トランス状態にするって事なのでは!?
 いや、まさかそこまではしないだろう。
 あれは莉里那がいざという時に自身の身を守るために使う防犯グッツが、たまたま今はあそこに置かれているだけなのだ。
 それに仮に使用を考えていたとしても、初手から奥の手を使うわけがない。
 そうだ、決して今から使用するためではない!

 そこで莉里那は五円玉を机に置く。

「それでは先に催眠誘導を始めますから、目を閉じて下さい」
「わかった」
「……そうそうニィーニ」
「どうかしたかい? 」
「リリィの事を好きになって下さい」
「……えっ? 」

 ビックリして閉じていた瞳を開いて莉里那の顔を見ると、、彼女の顔がボンッと音が出るぐらい一気に赤みを帯びていた。

「ちっ、違います! 催眠術がかかりやすくなるためには、受ける側が誘導する方を信頼していないとダメなのです。なので、恋は盲目って言われるじゃないですか? それでニィーニがリリィのことを好きなら、今からの催眠術がかかりやすくなると言うわけなのです! 」

 なぜ信頼イコール恋人になるのか意味不明だが——。
 そこで布団のスタンガンが目に入る。
 取り敢えずここは相槌をしておこう。

「なるほど」
「そうそうそれとですね、催眠術って催眠にかかりたくないと思っている人には催眠がかかりませんけど、逆にニィーニは動けないって言われたら、嘘でもいいから動けないフリをしてみて下さい。嘘でもやってると、暗示がかかりやすくなるそうです」
「わかった」
「そしたらまた目を閉じて下さい」

 それから暫くすると、私の耳が莉里那の呼吸音を鮮明に拾い上げ始める。
 そして私の肩に小さな手が置かれたところで、それは始まった。

「言葉の力を信じて下さい。いきますよ? 」

 耳元での囁き、それは全身がゾクゾク震えるほどの何かを私に与える。
 もしかして、これからずっと耳元で囁き続けるのでは!?

「力を抜いて、ゆっくりリリィの声を聞いて下さいね。
 リラ〜クス、リラ〜くす、りら〜くす、りら〜くす。
 ニィーニは呼吸に意識を向ける。ゆっく〜り吸って〜、ゆっく〜り吐いて〜」

 なんだろう、ただ目を閉じて深呼吸をしているだけなのに、とても心地よくて本当にリラックスしてきている。
 ゾクゾクは相変わらずだが、その声はとても甘く、脳みそが蕩けそうになってしまう心地良さもある。

「ニィーニはリリィの言葉に身を任せて、……リリィの言う通りにします。
 さっ、そのまま続けますよ。ゆっく〜り吸って〜、ゆっく〜り吐いて〜。
 ニィーニはこうやってリリィの言葉に従うだけで、抵抗する力が弱まっていきます。力が弱まるってことは、考える力も弱まって、心がぼーとしてきます。
 頭がトロトロに蕩けていき、リリィの言葉以外はどうでもよくなってきます。
 考えるのが面倒になって、両腕はだらーんと力が抜けていき、両脚もだらーんと力が抜けていきます。
 顔の力も抜けていき、瞼が重くて目が開かなくなっていきます。
 ……両腕がだらーんと重くなり、両脚もだらーんと重くなります。手脚に引かれて全身がずーんと重くなり、椅子に沈み込んでいき、かと思ったら次の瞬間には身体が軽くなり、体重が無くなっていき、いつの間にかプカプカと海に浮かんでいます。
 ここは心の中に広がる記憶の世界、ニィーニは記憶の海をゆったりと浮かんでいます」

 莉里那の声を聞いているだけなのに、本当に身体が重くなったり軽くなったりしている錯覚に陥っている。
 そう言えば、ヒトって冷たい物を熱いと思い込んで触ると、火傷をしてしまうって聞いた事がある。
 それだけ思い込みは凄いと言うことなのだろうが。

「ニィーニ、いいですか?
 これからの催眠が上手く行くように、今回は前世の記憶にはまだ触れずに、ニィーニがリリィの事を好きになる暗示を重点的にしていきます。
 それで今からカウントダウンをしますけど、数字が減れば減るほどニィーニはリリィの事が好きになっていきますのでお願いします。
 それでは行きます!
 じゅう、きゅう、はち、ニィーニはリリィの声が好きになる、なな、ろく、ご、リリィと一緒に居たくてたまらなくなる、よん、さん、に、リリィを見ると胸がドキドキする、いち、ニィーニはリリィの事が、だ〜い好きになる、ぜろ。
 目を開けていいですよ」

 言われて瞳を開けると、間近に顔を寄せていた莉里那が小首を傾げながら口を開く。

「莉里那を見て、どう思います? 」

 いや、なにか分からないけどドキドキはした。そして今もドキドキしている。
 でも本人を前にドキドキしていると言うのは恥ずかしくて言えない。
 だから——

「どうだろ? 」
「……えっ? えっ、あっ、あれれ——」

 すると妹が俯向くことで顔に影が差す。
 蛇口が壊れた水道のように、口から『失敗』や『失敗しました』の言葉を垂れ流し始める。
 そしてフラリとよろけた莉里那がベットにお尻から着地すると、震える手がそばにあったスタンガンをあろうことか握り締めた。

「莉里那。 ……莉里那! 」
「——えっ? なんですか? 」

 莉里那はほんの間だけ無意識でいたようで、私の呼びかけで意識が覚醒、ハッとした表情で私の顔を見ている。
 そこで私は立ち上がり莉里那の目の前に跪くと、彼女の手を両手で握りながら真っ直ぐにその大きな瞳を見つめる。

「すまない、もう一回だけやってくれないかい? 実はあと少しでかかりそうな気がしているんだ! 」
「ほっ、本当ですか!? 」
「あぁ、本当だ。お願いしたい! 」
「もぉー、本当はこれをするのとっても恥ずかしいんですからね。二回もするのは今日だけだからですね」
「あぁ、すまない」

 そしてどさくさに紛れてスタンガンの奪取に成功した私は、それを後ろ手に持ちながら椅子に座る。

 そして再度催眠誘導が始まる。莉里那の息遣い、衣擦れ、そして甘い囁きを耳朶が拾い上げていく。
 なんだろう?
 凄く心地よい。
 ずっと聞いていたい欲求が湧き上がる中、催眠誘導は進み、カウントダウンもあっという間に終わってしまった。

「どうですか? 」
「凄く、ドキドキする」

 とそこで莉里那が下唇を噛み締めながら、やけに色っぽい、恍惚な表情を浮かべる。
 その仕草、表情に、私の心臓は更に高鳴ってしまう。

 しかし言霊と言うのは本当にあるのかも知れない。
 実際にドキドキしたわけだが、それを口にしてみると、更にドキドキが増している気がする。
 これはもしかして、莉里那の術中にはまってしまっているのではないだろうか?

 とにかく落ち着け、落ち着くんだ。
 相手は妹、莉里那だぞ!

「催眠はですね、すればするほどかかりやすくなるそうなんです」

 しかしそんな私の状態を知ってか知らでか、セーラー服姿の莉里那はまたやけに近い距離で前屈みになると顔を近付けてくる。

「そうなんだな」

 私はそんな莉里那を直視出来ずに、視線を明後日の方向に逸らしてしまった。

「だからですね、今のは毎回しないとダメなんです! 」

 とそこで莉里那がチラリと壁掛け時計に目をやる。

「もう少ししたらお母さんが帰ってきますから、さっそく次にいきます! この五円玉を見てみて下さい」

 莉里那は紐を垂らし五円玉を吊るすと、私の目線から少し下の辺りに五円玉を持ってくる。

「動かしますから、ちゃんと五円玉の動きを目で追って下さいね。それと今回はオーソドックスに眠くなる暗示にしますけど、ニィーニも五円玉を目で追えば眠くなるってちゃんと思って下さいね」

 ふー、次はまともな催眠のようだ。

「わかった」
「あなたはだんだん眠くなる〜、あなたはだんだん眠くなる〜」

 実は私も急いで帰って来ていたため、少し疲れてたりする。また先ほどの催眠の前半は、本当にリラックスをしていたので、この五円玉を目で追うのは、次第に億劫になってきて、……眠けが、……だんだ——。

 ……。

 …………。

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