幸福論
#2
男の人生はごく平凡で、どちらかと言えばちょっとした幸福に溢れた人生であった。
彼は、当時にしては比較的裕福な家庭に生まれ、小学生の時は学級委員であったし、中学や高校は、親の望むように有名校へと進学した。
そこでは、特に目立つこともなく、成績も平均より少し上くらいのところでそれなりに友人関係にも恵まれていた。
高校を卒業してからは新聞社に就職して、そこで出会った女と結婚し、子供もひとり持った。
男は充分に幸福を感じて生きていた。
しかし彼が47になり、娘が高校へ入学した頃、妻を亡くした。
男の心にはぽっかりと穴が空き
今までに感じてこなかった灰色な感情が彼を襲ったが、ひそひそと肩を震わせて泣き続ける娘を見ながら、亡き妻に、娘の独立までは必ず自分が何不自由なく育てあげると誓ったのだ。
それから7年が経ち、娘は社会人として田舎から東京へ出て、働きはじめた。
この時男は幸せであった。
娘の初任給には、お礼だといっていい値段のするシャツをもらったが、特に着る機会もなくそのまま時が3年と過ぎていった。
男は車を走らせながらそのシャツのことを考えていた。
このまま死ねば、きっとあのシャツも綺麗にハンガーにかけられたままで、そのうち誰かに処分されるのだろう。
呆気なく。
彼の幸せも死ねば呆気なく終わるのだ。
しかし彼は死ぬ。
呆気なく死のうとしている。
ハンドルを握り直す。
道はまだ、真っ直ぐに続いていた。
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