勇者が救世主って誰が決めた

えう

60_少女と悪夢と望まぬ奉仕

 ヴァルターは唐突に、何の前触れもなく目が覚めた。
 いつもの自然な目覚めではない、明らかに異質な気配を察知し、反射的に飛び起き体勢を整えようとする。


 ………が、動けなかった。


 まるで身体が別の生物に取って代わられたかのように、微塵も言うことを聞こうとしない。
 目は開く。口も開く。呼吸も出来る。…たが、それだけ。
 枷を嵌められたわけでも、雁字絡めに縛られたわけでもないのに……身体が動かない。

 疑うまでもない明確な異常事態、危機的状況に…背筋が凍る。
 鉛のような身体とは裏腹に、明瞭な感覚とともに周囲の情報をもたらす聴覚は……最悪な結果を彼に報せることとなった。





 「んぎぃぃいいぃい……………!!!」



 突如として響き渡った……甲高い、絞り出すような………悲痛な鳴き声。
 まさか、と予感してしまった結末の訪れを知り、ヴァルターの頭の中が真っ白になる。



 「っあ゛っ………! いあ……っ、んい゛ぃぃ………っ!」


 耳から押し入ってくる………決して現実とは認めたくないが、唯一まともに働いていた頭を嘲笑うように掻き乱していく。
 何かを執拗に叩き付けるような音が連続して鳴り響き、そこへ粘着質な水音が加わり……信じ難い現実味を添加していく。

 緩急を付けながらも一定のペースで打ち鳴らされ続ける、手をを叩くような耳障りな音。
 そして見知らぬ男共の囃し立てるような声と…………見知った少女の聞くに耐えない……悲鳴。



 それらの意味することは……

 考えうる限り……最悪の結果だった。



 「や……あ゛、い゛やっ! ぃぃ……っ、 んん゛ぃ、んぎぃ………っ!」
 「うっわ、苦しそー。これもう喘ぎ声っつうか呻き声じゃん…」
 「オイオイ嬢ちゃん大丈夫か? 早々に壊すんじゃねぇぞ? 勿体無ぇ」
 「母親がこんな上玉だろ。十月後が楽しみだ」
 「でもよ……こんなガキだぞ? ちゃんとデキんのか?」


 下卑た笑い声とともに紡がれる下劣極まりない…吐き気を催す言葉に、身体中の血流が沸騰するほどの怒気が沸き上がるのを感じる。しかしながらそこまで行っても……ヴァルターの体は指一本動かせない。
 浅黒く見苦しい物体が上下運動を続け、弱々しく痙攣する白い小さな物体を圧し潰しているのが……微動だにしない視界の隅にぼんやりと映るのみ。


 視界の隅の男が一人、こちらに気がついたらしい。
 仲間共に何か耳打ちすると……奴等は揃って嫌らしい笑みを浮かべた。

 そしてほぼ当時。白い小柄な体躯を圧し潰していた人影が醜く痙攣し……硬直する。
 耳障りなほど響いていた音が消え去り、ふいに静寂が訪れる。浅く繰り返される痛々しい呼吸音が妙に耳に届く。
 彼女が今何をされたのか。何を出されたのか。容易に想像できてしまった暴挙の内容に……絶望感と喪失感が加速していく。



 「やっばよ? 種も良いモン使えば良い収穫がデキると思うわけよ」


 にやにやと嫌らしい笑みを浮かべた顔が、少女の手を引き近づいてくる。
 おぼつかない足取りで……引き摺られるように歩みを強いられる小さな身体は………目を背けたくなるような酷い有様だった。


 滑らかで美しい、珠のような肌は……蚯蚓の這い回ったような粘液で汚され、
 澄んだ白銀の輝きを湛えた、常に眠たそうだった瞳は………力なく伏せられ目線は虚ろ…その輝きも消えかけている。
 儚げな少女には過ぎた狼藉を目の前にし……意識が遠退きそうになる。

 怒声を上げようにも、懇願しようにも、固まりきった喉は声を紡がない。
 痛々しく嬲られた小さな身体が跨がるのを、止めることが出来ない。



 「…………ぇぁ…、あう゛……た…ぁ…………」


 周囲の畜生共に囃し立てられ、導かれるまま……紅潮した顔と虚ろな瞳で腰を落とそうとする彼女を……止めることが出来ない。





 ………………………


 ネリーは唐突に、何の前触れもなく目が覚めた。
 異変をすぐさま察知し、気配を張り巡らせるも……敏捷性には少なからず自信があった筈の身体が、ピクリとも動かない。
 首から下はおろか、首から上さえも……舌や視線さえも動かせない。
 嫌な予感が……最悪の予感が脳裏を過る。差し迫る嫌な予感に背を汗で濡らしつつ、必死に思考を巡らせようとする。



 自分達は水竜に導かれ、湖に面した崖に口を開けた洞窟遺跡へと足を運んだ筈だ。
 湖賊のアジトと思しきその洞窟は雑多に入り組み……確かに少なくない人の気配があった。

 もちろん警戒はしていた。注意は怠らなかった筈だった。
 だが気が付けば……先頭を進んでいたヴァルターが何の抵抗も出来に崩れ落ち、次いでノートが倒れ伏し……駆け寄ろうとしたところで意識が途切れた。


 そこまでの記憶は確かに残っている。だがそれより先は、全く不明。自分の身に何が起こったのか。またこれから何が起こるのか。
 そして……大切な同行者たちは無事なのか。



 そこまで思い至り、思考に割いていた意識が現実に戻るとほぼ同時。


 最も聞きたかった者の……最も聞きたくなかった声が、
 無慈悲に脳を揺さぶった。


 「やあ゛っ……! ぇあ゛っ、んい゛っ、 んい゛ぃぃ、っ!」
 「やめ……ろ! ノート……止めろ……っ!」
 「ある、た……っ、 あう゛っ、……っやあ゛あ゛…っっっ!!」
 「っぐぅぅぅ……………!!」




 思わず、耳を疑った。

 身じろぎひとつ出来ない現状、そしてこの体勢では視界に収めることは出来ないが、それは紛れもなくノートと……ヴァルターの声。
 しかしながら彼ら彼女らの発する声は……いつもの平静とは程遠い。きわめて異質なものだった。

 しかも絞り出すような声と吐息に合わさるように響く異音と……周囲一体に立ち込める臭気。上ずった……悲鳴のようなノートの声といい、これではまるで………まる、で…………




 滲み出す絶望に心を塗り潰されそうなネリーの視界に、畳み掛けるように、あってはならない光景が映り込んだ。

 いつのまにか目の前で、力なく床に横たわるのは……自らの髪と系統を同じくする、この場にはあり得ない空の色。
 仄暗い空間によく映える、鮮やかな青緑寄りの水色シアンに染まった羽毛に包まれた………ひときわ小柄な、人のような形。





 そしてそれを取り囲む、大柄で無骨な人族の……牡。
 奴等は浅黒い肌色を余すところなく大気に曝しており、その戦闘体勢は万全の様子。

 つまるところ……それが示すものとは………




 やめろ!! やめてくれ!! 頼む!!!


 動かせない身体を狂ったように戦慄かせ、ネリーが暴れ……ようとする。
 しかしながら必死に声を張り上げようにも、愛し子の傍に駆け寄ろうにも、あの子を取り囲むゲス共を葬り去ろうにも……長い付き合いである筈の体は裏切ったかのように、一向に命令を聞こうとしない。


 人鳥ハルピュイアの繁殖は、他種族の牡個体を襲って行われることが多い。……とはいえあの子はまだ幼く、身体もまた小さい。当然受け容れられるモノの許容量も大きくは無い。少なくとも今目の前に居るようなモノは収まる筈がなく、華奢なあの子は耐えきれないかもしれない。
 いやそもそも……そうでなくても………自分にとって大切なあの子が得体の知れない牡に食われるなんて……考えたくもない。


 やめろ! やめろ!! やめろ!!!


 目の前では、決して受け入れたくもない悪夢が。



 「い゛ぅ……っ、ある、た……っ! あう゛た……っ!! ながっ、……な、あ゛……っ! ……っう゛ぅぅぅ……!!」


 視界の外では……とても受け入れがたい悪夢が。



 こんなことが……現実である筈がない。

 決して認め難い、理不尽極まりない悪夢は……ネリーの心を着実に砕いていった。









 ………………………




 …………………………………






 「…………という……夢…………だった…………です」
 「……えええ」


 窓が無い、暗い部屋と……鉄格子。
 どう見ても牢獄であるその空間には……なんともいいがたい光景が広がっていた。



 まずは、鉄格子のこちらがわ。牢の内側。
 かわいい顔にびっしりと汗を浮かべ、苦悶の表情を浮かべているネリーと……なんか隅っこのほうで荒い息を吐いて…………あまり言いたくないところが硬くなっているヴァルター。

 二人が二人とも苦しそうな顔で……意識はない。


 そして鉄格子の向こう側は……もっと言いたくない光景だった。




 あまり小綺麗とは言いがたい……節くれだった大柄の男がそれなりの数………すっぱだかで全員倒れ込んで呻き声を上げているのだ。
 しかも捕らえた年若い牝……しかもかわいい、エルフの女の子に、つまりはそういうことをしようとしていたのだろう。
 彼ら……いや、奴らは揃いも揃って、当然のようにあまり口にしたくない部位が硬直して起立しており……直視に耐えない様相を呈していた。……いくら昔は見慣れていたモノとはいえ……さすがにちょっと、引く。

 あまり長時間視界に入れたくないので、強引に目を背け……鉄格子の向こう側の唯一の清涼剤に、顔を向ける。
 そこに立ち、こちらを見つめる姿と……おそらく目が合う。



 「………? えっ…と……魔王…さま……?」
 「……んいいい……まおう、わたし、ちがう」


 鉄格子の向こう側で首をかしげる、小さな影。
 小柄な体躯と華奢な手足。群青色の癖っ毛は両目を覆わんばかりに伸び……首には緻密な紋様が刻まれた、鈍く光る鉄輪が嵌められている。

 …首輪あれのことは、知ってる。……まだあったのか。


 「わたし、まおう、ちがう。……のーと。わたし、のーと」
 「……………ノー、ト………様……?」
 「……さま、……なんか………や。やめて」


 蚊の鳴くような、弱々しい声で紡がれる言葉。
 その声質からして……まだ幼い子ども。

 場所的にも、そして外見的特徴から見ても、奴隷。……たぶんだけど、湖賊どもの所有物なのだろう。
 待遇が過酷なのか、ごはんを貰えていないのか……見た目も言動も弱々しい、小さな身体。


 見るからに無害そうな……危険性など皆目見られない外見ではあるが……その力は凶悪だった。

 わたしの周囲の、この惨状……悪夢にうなされるネリーとヴァルターロリコン、見苦しく下半身を隆起させている下品な集団を作り出した張本人。


 「……でも……あなたは、…………あなた…の……気配は……」
 「でも、だめ。……いまは、わたし、のーと。……まおう、やだ。……いい?」
 「………わ……わかり、……ました」


 魔王の気配に……権能に反応した者。
 しかしながら見た感じ……その気配はとても弱々しい。恐らくだが、遠い祖先に魔王の眷族を持つ程度。

 わたしが起きる、ずっと前にも……こういう子はいた。
 そして……そうした忌み子の辿り着く先は………大抵決まったようなものだった。


 「……わたし、のーと。んい……あなた、なまえ」
 「……………なま、え…………メア、と……呼ばれて………います」


 夢魔メア。夢を操る、眠りに誘う、悪夢を喚び起こす等といった……生物の三大欲求のひとつ、睡眠を自在に操ることに特化した魔法を直感的に操るといわれる………魔族。
 本来は頭部に捻れた角を備えるらしいが、この子の見た目は人族に近く……そういった特徴は見られない。

 しかしながら、メア――あくまで種族名であり、この子を示す名前ではないのだろうが――この子の力は、長い年月で薄まりきった血とは思えない程に強力なものだった。


 ……先祖返り。
 人の身でありながら……魔族には及ばぬものの、魔族の力を振るえる者。
 薄まりきった魔族の血が、偶然にもたまたま強い力を持って生まれてきた子なのだろう。



 詳しくは解らないが、どうやらこの子メアはわたしを助けてくれたようだった。



 「……んいい………めあ、わたし、たすけた? なんで?」
 「………………そんな……だって………魔王様」
 「んん?」
 「……………ノート……様……?」
 「……まあ、いいや……」


 控えめで、弱々しいメアの言葉は……辛抱強く聞いてあげる必要がある。もっとはきはきしゃべれればいいのに。

 しかしながらメアの懸命な説明を聞き疑問もいくらかは解消された。
 今までのわたしの記憶と合わせ……情報を整理する。



 あのとき……得体の知れない魔力の流れを感じたのとほぼ同時。ヴァルターのからだから力が抜け……崩れるように倒れた。
 うわぁ顔からいったよ痛そう…などと考えながら、恐らくは敵による妨害魔法だろうとアタリをつけ……わたしはヴァルターに倣って脱力したふり・・をした。

 続いてネリーも気を失い、自分の体内魔力を掻き乱されるような気持ち悪さを感じながら……先程の仮定が正解であると、わたしたちを狙った何者かによる昏睡魔法の類いだろうと確信した。


 敵についての情報が少ない今、おとなしく捕まって敵の懐へと飛び込むのも……ひとつの立派な策である。
 もちろん単独ででも脱出できることが大前提ではあるが、わたしには何の問題もない。これでも大昔は勇者を勤めていたこともあるのだ。その手の策はお手のものだった。



 そこからは……今そのへんで下半身を露出して気絶している汚い連中に手際よく運ばれ、この牢屋へと押し込まれた。……ちなみに運ばれるる途中で奴らの何人かがネリーのおっぱい揉んでたのは覚えてる。そいつらは後でころす。
 わたしの嫁に手を出した罪は思い。男の象徴を引きちぎってやる。


 そして汚い連中がおもむろに服を脱ぎ出し、恐らくはネリーに狼藉を働くつもりだろうという様子を前にし……どうしたものか、処刑を開始しようかと薄目を開けたら…………
 わたしをじっと見つめているこの子、メアと目が合ったのだった。



 そこからはすごかった。
 メアからさっきの……得体の知れない魔力の奔流が迸るとともに、汚い連中がばたばたと倒れていった。もちろん脱いだまま。正直とても汚い。

 そして呆気にとられているわたしに、ヴァルターとネリーがどうなってしまったのか。どんな悪夢を見せられているのか。そして命に別状は無いことを教えられ………しかしながらその悪夢のあんまりにもあんまりな内容に唖然となり…………今に至る。
 ヴァルター最低だな。おっぱい好きの癖にその上ろりこんかよ。しね。


 ……だが、問題はそこではない。むっつり変態ロリコン乳狂い勇者は今はどうでもいい。
 メアは何故いきなり奴等に逆らったのか。湖賊の所有物であり、今までの従順に従っていた幼い奴隷が、何故掌を返したのか。

 その理由は、この上なく単純。
 聞いたときは、思わず耳を疑った。



 わたし(の身体)が………魔王だから。
 わたし(の身体)に危害が及びそうだったから。

 ……たった、それだけだった。



 わたしが、居た。ただそれだけで……

 従順だったこの子は、主人に牙を剥いたのだった。

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