勇者が救世主って誰が決めた

えう

57_少女と見る目と有言実行

 自分の身は自分で守ることが大前提のこの時世。勝手知ったる武器を手放すことは、少なからず不安要素となる筈だ。
 だというのにノートは……そんなことなど微塵も気にした様子もなく……串焼き肉にかぶりついていた。

 身を守ることなどよりも、食い気。小さな口まわりを脂で汚しながら、目尻の垂れ下がった……いつも通りの幸せそうな、弛緩しきった表情で舌鼓を打つ幼女。



 「あーこらこらお嬢ついてる。お口汚れちゃってるから」
 「ん……? んんー!」


 花が咲くように綻んだかわいらしい顔をこちらに向け、なされるがまま口まわりを拭われている彼女。
 ………うん、マジ可愛い。至福。

 決して長くはない……それどころか短いとすら言える付き合いではあるが、彼女のためなら多少の手間も苦労もなんのその。シアとノート……可愛い愛し子らのためなら、たとえ国王だろうと勇者だろうと相手取ブン殴れる。

 それほどまでに、ネリーは入れ込んでいた。


 ……それほどまでに、筋金入り手遅れだった。




 「でもさ、お嬢……良かったのか? 見ず知らずの他人に大事な剣を…」
 「ん、んん…? にず、みあずも…?」
 「ああごめん。えっと……ライア、知らない人。……剣、大丈夫?」
 「んん。んい」


 幼い言動に反して、非情に聞き分けの良い子であるノート。文字通り『いい子』でいてくれるのは望ましいのだが、この子は非常に……危機感が乏しい。
 もし自分ならば仮に知人の薦めとはいえ……会ったばかりの怪しい人物に愛用の私物…ましてや武器を、そう簡単に預けようなどとは思わない。


 今でこそ多少は慣れたものの……あの商会頭取ライアがぱっと見非常に胡散臭いということは、自分でもよく知っている。


 「だいじょぶ。んいい。らいあ、わるい、ちがうひと」
 「…すげぇな……そんなん解るのか?」
 「んい……め、を、みて? なんと、なく?」



 驚いたが、しかし俄かには信じがたい。
 だがもしそれが本当だというのなら…彼女の危機感の無さも頷ける気がする。

 ……彼女が気を許したということは、そいつは悪人ではないのだろう。


 「でもなお嬢……服はちゃんと着ような? でなきゃ、その………いや、とにかく着よう…な? ……襲われるぞ」
 「んい……? ねりー、なら……いいよ?」
 「ばッ……!?!?? …………ッぶねぇ……またヤられるとこだった…」
 「?? ……んんー?」


 言外に『善い人』との評価を得たことを嬉しく思う反面……日に日に破壊力を増していくこの子に対し、いつまた理性を消し飛ばされるかと不安を隠せない。

 「……いいから。服、着ような」
 「んい……?」


 ……やはり彼女には……少しだけ慎みをもって貰わなければ。





 ………………


 「来たか、お疲れ様。思ってたより早かったな」
 「私の人徳ってやつだ。そちらもご苦労さん」


 商談を終え、道すがらこっそり買い食いを済ませた二人は、宿屋にてヴァルター達と合流を果たした。
 ここカリアパカは多くの旅人で賑わう町…観光都市なだけあって、特に眺望豊かなこの界隈には、多くの宿屋が競い合うように軒を連ねている。

 そんな中ヴァルターが選んだのは……漆喰の白壁が特徴的な、湖が一望できると人気の宿。
 白やウッドカラーを基調としつつも、ところどころに鮮やかな赤の差し色が映える……いかにも『観光地』といった感じのお洒落な客室だった。


 「へえ…いい部屋じゃねーか。見直したぞ」
 「それはどうも。…そっちの首尾は?」
 「上々だ。お嬢のオシャレも注文済みよ。仕上がったら遣いの者を寄越してくれるらしい。宿泊場所伝えに、明日もう一回出向くことになった」
 「了解だ。じゃあ時間もあるし……先に卵を片付けるか」
 「あ。」




 ……あ。



 室内に響いた可愛らしい声に、一同の視線が……声の出所へと集中する。
 先程まで部屋の内装に感極まってはしゃぎ回り、シアと共に寝台の上をごろごろ転がっていたはずの少女が……完全に動きを止めていた。


 「…………」
 「………………」
 「…………ノート…?」
 「………………んい」


 ぎぎぎぎ、と……軋む音が聞こえてきそうなほどにぎこちない動きで………彼女は顔を上げた。
 その表情は明らかに異様。無理やり取って付けたかのような、強引に作られた無表情。

 ……白い幼女が、何かを誤魔化そうとするときによく使う…お馴染みの顔だった。




 「…………」
 「………………お嬢」
 「んひ」
 「怒んないから、言ってみ?」
 「…………え、えあ……」

 見ているこちらが可哀想に思えるくらい、その表情は悲壮さを帯び始める。大きく見開いた瞳はうっすらと涙が浮かび、固く引き絞られた唇は波打ち始める。
 視線は落ち着かなさそうにあちこちを飛び回り、顔には徐々に冷や汗が浮かび始める。


 ……何かあったのは、明白だった。



 「………剣」
 「んひぃっ………!」


 ぼそっと呟いたネリーの声。『剣』という単語ただそれだけで、過剰な反応を示したノート。
 思い起こされるのはこの町についてからの行動と……先程の狼狽。


 ……………何があったのかは……明白だった。




 「……なぁ、お嬢。……水竜探すのに能動探知ソナー使うって言ってたよな?」
 「………えあ、……えああ………」
 「私はよく知らないんだが……お嬢達の能動探知ソナーってさ………どうやって使うんだっけ?」
 「え、…えあ…………」


 自らを捉えた周囲の視線に射竦められ、ついにはぷるぷると小刻みに震えだしたノート。ここまで明らかに動揺してしまっては、もはや隠せるものも隠せないだろう。……早々に認めてしまえば良いのに、変なところで意固地になる癖があるようだ。

 ……まあ、そこがまた可愛いんだが。




 「なあ、ノート。俺達は誰も怒ってないから。…だから、正直に言うんだ。……な?」

 ヴァルターが諭すように、幼子を宥めるように声を掛ける。それはもはや追求ではなく……ただの確認である。

 「……つまり、あれだろ? ノートは商会に剣を預けてしまったから能動探知ソナーが使えず、水竜の捜索が出来ない……ってことなんだろ?」
 「しね!!!」
 「は…? ちょ……! いきなりしねは酷くないか!?」
 「やだ!! あるたーばーか! しね!!」

 言うが早いか、小気味の良い音を立てて扉を開け放ち、
 ノートは……走り去ってしまった。


 「ちょ、お嬢! 戻ってこいって! あーもーヴァルのバーカ!! 死ね!!」
 「だからなんで俺が!?」



 勢いよく部屋を飛び出していったノートを追って、ネリーは急ぎ駆け出す。廊下を走るのは気が引けるが、今このときばかりは悠長なことを言ってられない。傷心のノートに一刻も早く追い付き、抱き締め慰めてあわよくば揉んでやらなければならない。下心などない。
 自己弁護とともにロビーを抜け、表通りへと飛び出すと……幸いにもすぐ目の前、湖に突き出た道端のデッキテラスに、彼女は佇んでいた。



 分厚い板張りのデッキの端……欄干から身を乗り出すようにして――といっても欄干は彼女の肩ほどまであるのだが――、湖をじっ……と見つめるノート。……どうやらこれ以上逃げる様子はなさそうだ。
 後ろからゆっくりと近づき、彼女の横顔を伺うと……


 「んいいいいいい」

 眉間に可愛らしく皺を寄せ、しかめっ面で低く低く、唸り声を上げていた。


 「お嬢……気にすんなって。どうせ時間はいっぱいあるんだ、鞘袋が出来て、剣が戻ってきてから水竜探しすれば良いって」
 「ち……ちがう、から! わたし、けん、いないとき……さがせる……だい、じょ…ぶ……………んいいい……」

 振り返りざま、小さな口から勢いよく飛び出た意気込みは、しかしながら次第に尻すぼみとなっていき……ついには唸り声に代わってしまった。
 今やノートの顔は羞恥からか真っ赤に染まり、目尻は涙で彩られている。


 「大丈夫だからさ、戻っておいで。ごはんまで時間あるから、おやつ食べに行こう。な?」
 「んいい………ち、ちがう、……さが、せる………」

 泣きそうな顔でありながら、なおも強がりを見せる彼女。その必死さ溢れるいじらしさに、思わず頬が綻ぶ。


 しかしながら……あまり問答が長引くのは非生産的だ。
 幸いにもこのデッキにはベンチと木のテーブルが設えてあった。眺めの良い休憩エリアとしても用いられているのだろう。
 ……周囲をぐるりと見回し、ネリーはそう結論づけた


 ならば彼女の気を引くためにも、ここでお茶にしてしまおうか。しかめっ面のノートも可愛いことに変わりはないが、やはり彼女には笑っていてほしい。
 おいしいものを食べたときの、あの蕩けきった笑顔で……微笑みかけてもらいたい。
 あわよくば……おいしいお菓子で釣って、それに夢中になっているところを後ろからこっそり揉


 ……などと考えていたせいか、気づくのが遅れた。





 突如として宿屋の入り口から、ヴァルターが真っ青な顔で飛び出して来た。彼の右手には白剣が握られており、それどころか既に抜剣されている。
 そこまで認識したところで、違和感に気づいた。ヴァルターは剣を構えるでもなく……口をぽかんと開けた表情で湖の方向を凝視している。



 その視線を追ってネリーが振り向くや否や、突如として大きな水音が響き渡る。
 そしてそれに釣られるように……周囲の人たちが一斉に悲鳴を上げ、我先にと逃げ始めた。



 突如としてカリアパカを襲った混乱の元凶。

 ………爬虫類的な外観特徴を色濃く残す、全体的に流線型を帯びた首の長い魔物……水竜。

 多くの人々で賑わう観光都市に突如として現れた、危険指定の魔物。本来ならば絶望的な状況であるが……今回は少々事情が異なるようだ。


 何故ならば……その危険指定の魔物が、
 魔法すら操る、龍の眷族にして水中の覇者…水竜が、

 年端もいかぬ少女に顔を擦り寄せ……喉を鳴らしているのである。




 ヴァルターとネリーは、度肝を抜かれた。二人ともノートの言うことを……『剣による能動探知ソナーを使わなくとも水竜の発見は可能』との主張を、全くもって信じていなかったのである。
 どうせいつものことだろうと、意地を張って自分の失敗を認めようとしないだけだろうと、高を括っていたのだ。


 ところが実際は……ノートの言っていたことは嘘などではなく、それどころか水竜を手懐けてすらいる様子。
 さすがの二人も、これは全く予想外だった。


 あちこち常識外れだとは思っていたが……まさかこれ程とは。
 一体彼女は何者なのだろうか。

 驚きと感心……そして少々の畏怖を含んだ視線で、水竜を従えるノートを見る、ヴァルターとネリー。
 動きの止まった彼らに、ノートが振り返る。




 その表情は得意気なもの………ではなく。



 「ノー、ト……?」
 「……あえ……あるた………」

 言った通りだろ、水竜見つけてやったぜざまぁみろ……といった顔では、無い。
 これは……彼女のよく見せる表情だ。


 「……あるたー………どうし、よう…」


 半泣きで……すがるようにヴァルターを見上げる彼女。
 その表情はどう見ても……


 混乱と、困惑。…そして悲壮感に染まっていた。

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