勇者が救世主って誰が決めた
41_勇者が救世主って誰が決めた?
………何も、出来なかった。
確かに行動はした。行動には移した。
だが、それだけだ。行動しただけ。動いただけ。
俺には………………何も、出来なかった。
……………………
女王が倒れ、巨大な繭が仄かに発していた光も少しずつ弱まり、そう遠くないうちに闇に染まろうとしている……巨大な地下空間。
先程までの、耳を覆わんばかりの騒音が嘘のように、そこは静まり返っていた。
この場において動きが見られるのは……二つの人影だけ。
自分と………ノートだけだった。
………………
「勇者。霊薬寄越せ。……隠しても無駄だ。余計な抵抗はするな」
「………え?」
ノートによる支援を得て、女王を下した直後。
近寄ったノート……いや、ノートの身を借りた何者かに、そう切り出された。
「持っているだろう? 霊薬だよ。あの珍妙な味のする回復薬。魔力が回復するやつだ」
「あ………ああ……」
自分の腹ほどまでしかない小さな背丈でこちらを見上げ…手を差し出し、物をねだる姿。
仄かに口角を上げ、不適な笑みを浮かべるその表情。……可愛らしくはあるものの、その言動はいつもの彼女とは似ても似つかない。
……この子は、誰だ。
ベルトから小さな小瓶を取りだし、彼女に手渡す。
国王陛下からの餞別として受け取った、市販のものよりも圧倒的に高品質な……平民がひと月は暮らせるほどに高価の霊薬を、彼女の小さな手が受け取る。
貰ったはいいが……今まで使う機会が全く訪れなかったそれを、彼女へと譲る。
仄かに光る銀色の瞳で、それをしげしげと眺める……謎多き彼女。
「……ほお。なかなか良さそうだ。感謝しよう、あとで礼を取らせねばな。……何が良いか。この子の下着でも見せてやろうか」
「は!? ……いや、別に……」
「なんだ詰まらん。それでも健全な男子か」
「…いや………」
………パンツどころじゃないものが…見えちゃってるし。
などと返事をする間もなく、一糸纏わぬ彼女は…踵を返し歩いていった。
………と思ったら戻ってきた。
「ゆうじゃ。……勇者。水を寄越せ。……なんだごの味。腐っているのではあるまいな?」
若干の涙目で、詰問するように詰め寄る彼女。
言われるがままに自分の荷袋へ……大広間の入口に放置していた荷物へと走り、水筒を取ってくる。それなりに距離はあったのだが支援魔法の恩恵もあり、ものの数秒で取ってくることが出来た。
お使いの素早さが項を奏したのか、彼女の機嫌は良さそうだ。差し出された水筒を満足げに受け取ると……飲み口に直接口をつけ、おいしそうに水を飲む彼女。
霊薬の味がひどいのは割と周知の事実なのだが……しかもこの品は高価なだけあって(比較的)飲みやすい品でもあるのだが…………まるで霊薬そのものを飲んだことがないような口振りである。
「……そうなのか。……難儀なものだな、勇者は…」
こちらの心を読んだかのような、唐突な言葉に心臓が跳ね上がる。
しかし…彼女の視線はこちらを見ていない。……恐らくは自分の中の、もう一人の自分に返答したのだろう。
目を細め、白い喉を鳴らし、おいしそうに水を流し込み続ける彼女。
……間違いなく、ノートの中には別のものが入っている。
言うなれば謎の人格に、彼女を人質に取られたようなものだ。
下手に刺激せず、従うしかない。
「……っぷぁっ、……ふぃー。………返そう。感謝する」
すっかり中身の空っぽになった水筒を突き返し、ご機嫌な笑みで……ノートの中の何者かは礼を告げた。
ノートではない彼女がいったい何者なのか。……疑問は尽きないし、心配であることも変わらないが。
自らを悪い存在だと、声高に述べていた彼女だが。
……そんなに悪いものとは、なぜか思えなかった。
「……そうさな。急がねば」
霊薬で幾らか魔力が回復したのだろうか。ノート(仮)が動いた。
重力を感じさせない、軽々とした足取りで向かった先は……倒れ伏す人蜘蛛の下。
……そうだ。女王を倒しても、まだこいつが残っていた。
対処しようと歩み出た足が……小さな手に阻まれる。
こちらを見据える無言の圧力に嫌な汗が流れ、思わず後ずさる。
「……良い子だ」
身を引いた俺の様子に満足したのだろうか。
それだけ告げると彼女は目線を外し……人蜘蛛に手を翳し、なにかを呟き始める。
「…………何を……しているんだ?」
「何、って。ただの後始末だよ。……そんなに気になるかい?」
思わず零れた……独り言のような疑問に、彼女が乗ってきた。
「……そりゃ…気になるさ。そいつは蟲たちの一味だろう。……なら片付けておかないと」
「我々に仕返しに来る、かね? ……五点だな」
「……十点満点?」
「まさか。百点中の五点だよ」
さすがに予想だにしなかった程の、圧倒的低評価だった。
「良いかね?今まで魔殻蟲どもはこの子ら……蟲魔によって舵取りされていたわけだ。基本的な行動ルーチンは野性的なものだが、それでも蟲魔の意思の下に行動している。……ここまでは良いね?」
やや気圧されながらも、頷く。
……しかしながら、違う者だとわかっていても……彼女が饒舌に喋っているのを見ると……違和感が物凄い。
「何か言いたげだが……あえて無視するよ。ではここで彼女……残る最後の蟲魔を殺したとしよう。するとどうなる。魔殻蟲どもは制御のタガが外れ、本能のままに行動し出す。なんの歯止めも効かず、ただただ本能に従って。……生命の根本的な本能。それは何だと思う?」
「…………食事?」
「サンカクだな。……食事は正解だが、もう一点。………繁殖だ。無論、今までも繁殖はして来ただろうな。なればこその個体数だ。……しかしそれでも、これまでは蟲魔の制御下にあったからこそ、ヒトの住まう地を侵略することは無かった。……命令が下されていたからだよ。『ヒトを不必要に害すな』、とね」
こちらの疑問に適切に答え、饒舌に喋り続けつつも……その視線と指先は止まらない。周囲には仄かに光を発する魔方陣が幾つも浮かび上がり、絶えず何かの作業をしているようだが……自分には全く理解ができない。
見るからに複雑な作業をしていながらも、ちゃんとこちらの受け答えしてくれている。
……なんて器用な真似を。
だがここで、疑問が浮かんだ。
今の説明と昨今の情勢を照らし合わせ……腑に落ちない点が一つある。
「し、しかし……アイナリーは魔殻蟲に襲われたと聞いた。今の話を聞く限り、奴らはヒトを襲わないよう命令されていたのでは……」
「それこそ簡単なことだ。撤回されたのだよ、命令が」
……撤回されていた。ヒトを襲うなという命令が。
突如として活発化した魔殻蟲。その原因が、その命令の変更だという。
「なん……で………」
「……推測の域を出ないのだがね」
指の動きを止め、彼女は続けた。
「君も聞いたかね? 『魔王の目醒め』などという…趣味の悪い呼称の魔力反応。…………恐らくだが……アレに反応したんだろうね。……奴等にとっても懐かしい匂いだったろう。ついつい匂いのする方へ誘われ……縄張りを広げたくなったんだろうさ」
彼女は……ノートの中の誰かは、……もう動くことのない、女王へと目を向けた。
……心なしか、悲しそうな目で。
「……話がズレたね。だからこその……ヒトが襲われなくなるようにするための、後始末だよ。簡単な話だ、もう一度命令させればいい。『ヒトを襲うな』とね。……そのために、彼女を説得しなければならないのさ」
「な……そんなことが…出来るのか!?」
「解らんよ。そのための霊薬だ。……だがそれでも間に合うかは解らん。どこかの勇者がウジウジしてたお陰で…女王と無駄に一戦交えることになったからね。……もう質問は良いかね? なら少々集中させてくれたまえ」
そうして……何者かは再び作業に没頭し始めた。
周囲で目まぐるしく動き回る魔方陣と、彼女の唇から流れる、詩のような謎の言葉。
魔法の知識を全く持たない自分には、全く理解できない言葉。
……だがもしこれが仮に、自分に掛けられたもののような強化魔法だとしたら。
今しがたの説明は全てブラフで…
実は自分達を害するための……
いや、人を滅ぼすための布石だとしたら。
そんな考えが、脳裏を過ぎる。
過ぎる、が……
懸念が浮かんだところで、どうしようもない。
彼女がその気になれば……自分なんか一瞬で殺されるだろう。
女王との闘いで、嫌というほど実感した。
ノートの手助けが無ければ、自分は女王に手も足も出なかった。
それどころか……騎士型にすら勝てなかった。
ノートを助けるため、幼い少女を救い出すためと勇んで来てみたものの。
リカルド達の……人々の期待を一身に背負い、勇者としての務めを果たそうと……覚悟を決めて乗り込んできたものの。
……結局自分には、何も出来なかった。
それどころかその後のことも、何も考えてなかった。
ただ漠然と『蟲を全部倒せば、ノートを救出できる』程度にしか、考えてなかった。
結果的にトドメを刺したのは、確かに自分だろう。しかしながらそれは……彼女たちがお膳立てを整えてくれたからに他ならない。その気になれば、彼女たちだけで女王を片付けることすら可能だったはずだ。
住民たちに聞いた限りだが、ノートはたった数日前……アイナリーを滅亡の危機から救ったという。
おびただしい数の魔殻蟲の群れにたった一人立ち向かい、生死の境を彷徨いながらも……見事に街ひとつ救って見せたのだ。
未だに出自がはっきりしない、得体の知れない彼女。
だがそれでも…彼女の行ってきたことは、確実に多くの人々を救っている。
まだまだ小さな、幼い少女でしかない、彼女。
しかしながら彼女は……アイナリーの住民にとって、紛れもなく『救世主』であった。
……自分は、どうだ。
今まで自分の行ったことと言えば……道中の住民の依頼を仰々しく聞き、鼻歌交じりに片づけられるような、圧倒的に楽勝な魔物を退治した程度。
その程度の依頼を達成した程度で…自惚れていた。
さすがは勇者だ、救世主だと崇め奉られ、自分でもその気になっていた。
自分は人々に期待されている、待望の勇者なのだと。救世主なのだと。
傲慢にも、付け上がっていたのだ。
『勇者』。……その肩書を拝命したときは、確かに嬉しかった。
期待に応えねばと思っていたし、誇らしかった。
だが……自分は本当に相応しいのだろうか。
今だって彼女の助けが無ければ……間違いなく負けていた。…いや、死んでいた。
自分なんかよりも彼女の方が、『救世主』に相応しいのではないか。
自分が……『勇者』が救世主だなんて、誰が決めたというのだ。
俺は……自分は…………無力だ。
…………………………
「ゆうしゃ。……おまえは、よわい」
……どれくらいの時間、俯いていたのだろうか。
気が付くと……目の前にノートが立っていた。
恐らく……ノートだろう。先ほどの饒舌な語り口ではなく、たどたどしい口調で。笑みでも、憤りでも、嘆きでもない……素の表情で。
白い小さな少女は……こちらを見上げていた。
………弱い。
全くもって、その通りだ。恐らくは彼女にすら勝てない。
やはり自分は、救世主たりえない。
「あるたー。……おまえは、なんだ」
「………俺…?」
なんなんだ。この子は何を伝えようとしているのだ。
俺は……俺は、ヴァルター・アーラース。……それだけだ。
「おまえは、………ゆうしゃだ。ひとの、ゆうしゃ」
『勇者』。確かにそう任ぜられた。
そうあるべきだと育てられてきた。…そう信じてきた。
……だが。実際はどうだ。
「……俺、は……」
「んい……んいい…………けん、わたしの。ちょうだい」
煮え切らないようなこちらの表情に業を煮やしたのか。
彼女は手を伸ばし、こちらの腰に提げられた……元は彼女の物であった剣を抜く。
「んいい……んいー………!」
…なにやらこちらを睨みつけ、歯を剥き出し、……唸るような声を上げる彼女。
『ゆうしゃは、ひとの……みんなの、きぼう、だから』
頭に響く、彼女の声。先程までよりは心なしか饒舌になったものの、たどたどしい…どこか舌足らずな口調。
それは……紛れもなくノートの声。
……半目でこちらを睨み付けるような視線はそのままに、彼女は続ける。
『おまえは、ただしい、ゆうしゃ。……まがいものじゃ、ない。つくりものじゃない。ただしい、ゆうしゃ』
紛いもの。造りもの。
……何を言っているのか解らないが、口ぶりからするに…良いものではないのだろう。
『ひとびとの、いたみがわかる。ひとのために、かなしめる。……おまえは、ただしい。 …………わたしは、しってる』
こちらを咎めるような、鋭い(?)視線は相変わらずだが、
……どうやら励まそうとしてくれているのだろうか。
『おまえは……ただしい、ゆうしゃ。ひとの、きぼう。 ……だから』
彼女の視線が、まっすぐこちらを見据える。
下から睨み付けるような目線ではなく、まっすぐに見上げてくる。
透き通った……白銀色の瞳に、自分の顔が映る。
「つよく、なって。 ……きぼうに、なって」
希望に。……人々の希望となる、正しい勇者に。
………そうだ。
たとえ今は弱くとも。未熟者でも。…………強くなる。
それが、彼女の願い。
下僕である自分の……主人の、願い。
「……了解だ。ご主人様」
『は? ちょうしのんな。ぶちころすぞ』
「………」
わざわざ饒舌な脳内会話で、罵声を浴びせてきた彼女……ご主人様。
その言葉と、目線とは裏腹に………見下ろす程しかないその体躯は、やはり可愛らしい少女でしかない。
強く、ならねば。
彼女の……か弱い少女の期待に応えられないようでは……『勇者』ではない。
『勇者』の名に相応しい者に。彼女のような、本当の『救世主』に。
今はまだ弱くとも、……いつか。
人界の勇者、ヴァルター・アーラースは……その日決意した。
確かに行動はした。行動には移した。
だが、それだけだ。行動しただけ。動いただけ。
俺には………………何も、出来なかった。
……………………
女王が倒れ、巨大な繭が仄かに発していた光も少しずつ弱まり、そう遠くないうちに闇に染まろうとしている……巨大な地下空間。
先程までの、耳を覆わんばかりの騒音が嘘のように、そこは静まり返っていた。
この場において動きが見られるのは……二つの人影だけ。
自分と………ノートだけだった。
………………
「勇者。霊薬寄越せ。……隠しても無駄だ。余計な抵抗はするな」
「………え?」
ノートによる支援を得て、女王を下した直後。
近寄ったノート……いや、ノートの身を借りた何者かに、そう切り出された。
「持っているだろう? 霊薬だよ。あの珍妙な味のする回復薬。魔力が回復するやつだ」
「あ………ああ……」
自分の腹ほどまでしかない小さな背丈でこちらを見上げ…手を差し出し、物をねだる姿。
仄かに口角を上げ、不適な笑みを浮かべるその表情。……可愛らしくはあるものの、その言動はいつもの彼女とは似ても似つかない。
……この子は、誰だ。
ベルトから小さな小瓶を取りだし、彼女に手渡す。
国王陛下からの餞別として受け取った、市販のものよりも圧倒的に高品質な……平民がひと月は暮らせるほどに高価の霊薬を、彼女の小さな手が受け取る。
貰ったはいいが……今まで使う機会が全く訪れなかったそれを、彼女へと譲る。
仄かに光る銀色の瞳で、それをしげしげと眺める……謎多き彼女。
「……ほお。なかなか良さそうだ。感謝しよう、あとで礼を取らせねばな。……何が良いか。この子の下着でも見せてやろうか」
「は!? ……いや、別に……」
「なんだ詰まらん。それでも健全な男子か」
「…いや………」
………パンツどころじゃないものが…見えちゃってるし。
などと返事をする間もなく、一糸纏わぬ彼女は…踵を返し歩いていった。
………と思ったら戻ってきた。
「ゆうじゃ。……勇者。水を寄越せ。……なんだごの味。腐っているのではあるまいな?」
若干の涙目で、詰問するように詰め寄る彼女。
言われるがままに自分の荷袋へ……大広間の入口に放置していた荷物へと走り、水筒を取ってくる。それなりに距離はあったのだが支援魔法の恩恵もあり、ものの数秒で取ってくることが出来た。
お使いの素早さが項を奏したのか、彼女の機嫌は良さそうだ。差し出された水筒を満足げに受け取ると……飲み口に直接口をつけ、おいしそうに水を飲む彼女。
霊薬の味がひどいのは割と周知の事実なのだが……しかもこの品は高価なだけあって(比較的)飲みやすい品でもあるのだが…………まるで霊薬そのものを飲んだことがないような口振りである。
「……そうなのか。……難儀なものだな、勇者は…」
こちらの心を読んだかのような、唐突な言葉に心臓が跳ね上がる。
しかし…彼女の視線はこちらを見ていない。……恐らくは自分の中の、もう一人の自分に返答したのだろう。
目を細め、白い喉を鳴らし、おいしそうに水を流し込み続ける彼女。
……間違いなく、ノートの中には別のものが入っている。
言うなれば謎の人格に、彼女を人質に取られたようなものだ。
下手に刺激せず、従うしかない。
「……っぷぁっ、……ふぃー。………返そう。感謝する」
すっかり中身の空っぽになった水筒を突き返し、ご機嫌な笑みで……ノートの中の何者かは礼を告げた。
ノートではない彼女がいったい何者なのか。……疑問は尽きないし、心配であることも変わらないが。
自らを悪い存在だと、声高に述べていた彼女だが。
……そんなに悪いものとは、なぜか思えなかった。
「……そうさな。急がねば」
霊薬で幾らか魔力が回復したのだろうか。ノート(仮)が動いた。
重力を感じさせない、軽々とした足取りで向かった先は……倒れ伏す人蜘蛛の下。
……そうだ。女王を倒しても、まだこいつが残っていた。
対処しようと歩み出た足が……小さな手に阻まれる。
こちらを見据える無言の圧力に嫌な汗が流れ、思わず後ずさる。
「……良い子だ」
身を引いた俺の様子に満足したのだろうか。
それだけ告げると彼女は目線を外し……人蜘蛛に手を翳し、なにかを呟き始める。
「…………何を……しているんだ?」
「何、って。ただの後始末だよ。……そんなに気になるかい?」
思わず零れた……独り言のような疑問に、彼女が乗ってきた。
「……そりゃ…気になるさ。そいつは蟲たちの一味だろう。……なら片付けておかないと」
「我々に仕返しに来る、かね? ……五点だな」
「……十点満点?」
「まさか。百点中の五点だよ」
さすがに予想だにしなかった程の、圧倒的低評価だった。
「良いかね?今まで魔殻蟲どもはこの子ら……蟲魔によって舵取りされていたわけだ。基本的な行動ルーチンは野性的なものだが、それでも蟲魔の意思の下に行動している。……ここまでは良いね?」
やや気圧されながらも、頷く。
……しかしながら、違う者だとわかっていても……彼女が饒舌に喋っているのを見ると……違和感が物凄い。
「何か言いたげだが……あえて無視するよ。ではここで彼女……残る最後の蟲魔を殺したとしよう。するとどうなる。魔殻蟲どもは制御のタガが外れ、本能のままに行動し出す。なんの歯止めも効かず、ただただ本能に従って。……生命の根本的な本能。それは何だと思う?」
「…………食事?」
「サンカクだな。……食事は正解だが、もう一点。………繁殖だ。無論、今までも繁殖はして来ただろうな。なればこその個体数だ。……しかしそれでも、これまでは蟲魔の制御下にあったからこそ、ヒトの住まう地を侵略することは無かった。……命令が下されていたからだよ。『ヒトを不必要に害すな』、とね」
こちらの疑問に適切に答え、饒舌に喋り続けつつも……その視線と指先は止まらない。周囲には仄かに光を発する魔方陣が幾つも浮かび上がり、絶えず何かの作業をしているようだが……自分には全く理解ができない。
見るからに複雑な作業をしていながらも、ちゃんとこちらの受け答えしてくれている。
……なんて器用な真似を。
だがここで、疑問が浮かんだ。
今の説明と昨今の情勢を照らし合わせ……腑に落ちない点が一つある。
「し、しかし……アイナリーは魔殻蟲に襲われたと聞いた。今の話を聞く限り、奴らはヒトを襲わないよう命令されていたのでは……」
「それこそ簡単なことだ。撤回されたのだよ、命令が」
……撤回されていた。ヒトを襲うなという命令が。
突如として活発化した魔殻蟲。その原因が、その命令の変更だという。
「なん……で………」
「……推測の域を出ないのだがね」
指の動きを止め、彼女は続けた。
「君も聞いたかね? 『魔王の目醒め』などという…趣味の悪い呼称の魔力反応。…………恐らくだが……アレに反応したんだろうね。……奴等にとっても懐かしい匂いだったろう。ついつい匂いのする方へ誘われ……縄張りを広げたくなったんだろうさ」
彼女は……ノートの中の誰かは、……もう動くことのない、女王へと目を向けた。
……心なしか、悲しそうな目で。
「……話がズレたね。だからこその……ヒトが襲われなくなるようにするための、後始末だよ。簡単な話だ、もう一度命令させればいい。『ヒトを襲うな』とね。……そのために、彼女を説得しなければならないのさ」
「な……そんなことが…出来るのか!?」
「解らんよ。そのための霊薬だ。……だがそれでも間に合うかは解らん。どこかの勇者がウジウジしてたお陰で…女王と無駄に一戦交えることになったからね。……もう質問は良いかね? なら少々集中させてくれたまえ」
そうして……何者かは再び作業に没頭し始めた。
周囲で目まぐるしく動き回る魔方陣と、彼女の唇から流れる、詩のような謎の言葉。
魔法の知識を全く持たない自分には、全く理解できない言葉。
……だがもしこれが仮に、自分に掛けられたもののような強化魔法だとしたら。
今しがたの説明は全てブラフで…
実は自分達を害するための……
いや、人を滅ぼすための布石だとしたら。
そんな考えが、脳裏を過ぎる。
過ぎる、が……
懸念が浮かんだところで、どうしようもない。
彼女がその気になれば……自分なんか一瞬で殺されるだろう。
女王との闘いで、嫌というほど実感した。
ノートの手助けが無ければ、自分は女王に手も足も出なかった。
それどころか……騎士型にすら勝てなかった。
ノートを助けるため、幼い少女を救い出すためと勇んで来てみたものの。
リカルド達の……人々の期待を一身に背負い、勇者としての務めを果たそうと……覚悟を決めて乗り込んできたものの。
……結局自分には、何も出来なかった。
それどころかその後のことも、何も考えてなかった。
ただ漠然と『蟲を全部倒せば、ノートを救出できる』程度にしか、考えてなかった。
結果的にトドメを刺したのは、確かに自分だろう。しかしながらそれは……彼女たちがお膳立てを整えてくれたからに他ならない。その気になれば、彼女たちだけで女王を片付けることすら可能だったはずだ。
住民たちに聞いた限りだが、ノートはたった数日前……アイナリーを滅亡の危機から救ったという。
おびただしい数の魔殻蟲の群れにたった一人立ち向かい、生死の境を彷徨いながらも……見事に街ひとつ救って見せたのだ。
未だに出自がはっきりしない、得体の知れない彼女。
だがそれでも…彼女の行ってきたことは、確実に多くの人々を救っている。
まだまだ小さな、幼い少女でしかない、彼女。
しかしながら彼女は……アイナリーの住民にとって、紛れもなく『救世主』であった。
……自分は、どうだ。
今まで自分の行ったことと言えば……道中の住民の依頼を仰々しく聞き、鼻歌交じりに片づけられるような、圧倒的に楽勝な魔物を退治した程度。
その程度の依頼を達成した程度で…自惚れていた。
さすがは勇者だ、救世主だと崇め奉られ、自分でもその気になっていた。
自分は人々に期待されている、待望の勇者なのだと。救世主なのだと。
傲慢にも、付け上がっていたのだ。
『勇者』。……その肩書を拝命したときは、確かに嬉しかった。
期待に応えねばと思っていたし、誇らしかった。
だが……自分は本当に相応しいのだろうか。
今だって彼女の助けが無ければ……間違いなく負けていた。…いや、死んでいた。
自分なんかよりも彼女の方が、『救世主』に相応しいのではないか。
自分が……『勇者』が救世主だなんて、誰が決めたというのだ。
俺は……自分は…………無力だ。
…………………………
「ゆうしゃ。……おまえは、よわい」
……どれくらいの時間、俯いていたのだろうか。
気が付くと……目の前にノートが立っていた。
恐らく……ノートだろう。先ほどの饒舌な語り口ではなく、たどたどしい口調で。笑みでも、憤りでも、嘆きでもない……素の表情で。
白い小さな少女は……こちらを見上げていた。
………弱い。
全くもって、その通りだ。恐らくは彼女にすら勝てない。
やはり自分は、救世主たりえない。
「あるたー。……おまえは、なんだ」
「………俺…?」
なんなんだ。この子は何を伝えようとしているのだ。
俺は……俺は、ヴァルター・アーラース。……それだけだ。
「おまえは、………ゆうしゃだ。ひとの、ゆうしゃ」
『勇者』。確かにそう任ぜられた。
そうあるべきだと育てられてきた。…そう信じてきた。
……だが。実際はどうだ。
「……俺、は……」
「んい……んいい…………けん、わたしの。ちょうだい」
煮え切らないようなこちらの表情に業を煮やしたのか。
彼女は手を伸ばし、こちらの腰に提げられた……元は彼女の物であった剣を抜く。
「んいい……んいー………!」
…なにやらこちらを睨みつけ、歯を剥き出し、……唸るような声を上げる彼女。
『ゆうしゃは、ひとの……みんなの、きぼう、だから』
頭に響く、彼女の声。先程までよりは心なしか饒舌になったものの、たどたどしい…どこか舌足らずな口調。
それは……紛れもなくノートの声。
……半目でこちらを睨み付けるような視線はそのままに、彼女は続ける。
『おまえは、ただしい、ゆうしゃ。……まがいものじゃ、ない。つくりものじゃない。ただしい、ゆうしゃ』
紛いもの。造りもの。
……何を言っているのか解らないが、口ぶりからするに…良いものではないのだろう。
『ひとびとの、いたみがわかる。ひとのために、かなしめる。……おまえは、ただしい。 …………わたしは、しってる』
こちらを咎めるような、鋭い(?)視線は相変わらずだが、
……どうやら励まそうとしてくれているのだろうか。
『おまえは……ただしい、ゆうしゃ。ひとの、きぼう。 ……だから』
彼女の視線が、まっすぐこちらを見据える。
下から睨み付けるような目線ではなく、まっすぐに見上げてくる。
透き通った……白銀色の瞳に、自分の顔が映る。
「つよく、なって。 ……きぼうに、なって」
希望に。……人々の希望となる、正しい勇者に。
………そうだ。
たとえ今は弱くとも。未熟者でも。…………強くなる。
それが、彼女の願い。
下僕である自分の……主人の、願い。
「……了解だ。ご主人様」
『は? ちょうしのんな。ぶちころすぞ』
「………」
わざわざ饒舌な脳内会話で、罵声を浴びせてきた彼女……ご主人様。
その言葉と、目線とは裏腹に………見下ろす程しかないその体躯は、やはり可愛らしい少女でしかない。
強く、ならねば。
彼女の……か弱い少女の期待に応えられないようでは……『勇者』ではない。
『勇者』の名に相応しい者に。彼女のような、本当の『救世主』に。
今はまだ弱くとも、……いつか。
人界の勇者、ヴァルター・アーラースは……その日決意した。
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