勇者が救世主って誰が決めた

えう

30_蟲魔と願いと地中の牢獄

 上下左右を岩肌に囲まれた、とある薄暗い空間。
 ごつごつした壁や床、洞窟や洞穴といった様相の空間。壁際に置かれた申し訳程度の明かり以外に光源が無く、明らかに居住空間としての体を成していない。

 そこには現在、なんとも形容しがたい空気に満ちていた。



 「………んっ、 ………んぃ……んんぅっ」

 光も、動くものも殆どないその空間に、声が響いた。
 …いや、そのを声と呼ぶべきか。


 「………ふ…ぅっ、 ……ふー……っ、 …んぃぃ、……くふっ」

 幽かに響く音の正体は…呼気。
 熱病にうなされるような、苦痛を紛らわせるかのような、長く…深い呼吸の音だった。


 「………んぃぃぃ、 ………やぁ…… やぁぁ……」

 高い熱をもった呼吸の音に、時折混じる……涙混じりの弱弱しい悲鳴。


 それらの音の発生源は、壁際に位置した、ある一点。
 不規則に明滅する仄かな明かりに照らされたそれは、人のようだった。


 きめの細かい肌は満遍なくじっとりと湿りを帯び、拍者の掛かった血の巡りは、白い肌を朱に染めている。
 手足は華奢で頼りなく、腰のくびれも緩やかなその身体は、未だ未発達の少女のもの。控えめに膨らんだ胸と桜色の突起は、呼吸に合わせてゆっくりと上下している。

 周囲の土岩から発せられる地熱によるものか、はたまたそれ以外の要因によるものか。
 何も隠すもののない肢体にびっしりと、玉のような汗を浮かべ、脚の間にはそれとは異なる雫が伝い落ちる。時折思い出したかのようにぴくり、ぴくりと小さく跳ねるその身体は、しかしながら身じろぎひとつ取ることが出来ない。


 顔中身体中に帯びるのは、自らの身体からにじみ出た、さまざまな水気。それらは長い時間を掛けて身体を伝い……足元の地面に、黒々と染みを作るに至ったている。
 眼尻に涙を浮かべ熱に喘ぐ、一糸まとわぬその身体は、今や壁に固定されていた。



 髪の毛ほどの太さもない白い糸が幾重にも折り重なり、
 白く輝く髪をもった少女を、完全に岩壁へと縫い付けていた。



 「………ふぅーっ、 ………ふぅ……っ」


 代り映えのしない景色と、身動きすら封じられた身体。深い、深い呼吸を繰り返し、ただただ耐えることしか出来ない。
 一切の身ぐるみを剥がれ、びくともしない蜘蛛糸で身体全体を拘束され、身を焦がす媚毒を打たれ、拷問ともいえる苦痛に歯を食い縛って耐え続け……そろそろ丸二日が経とうとしていた。

 自らの身体の芯から溢れる、ない熱。
 いつまで続くとも知れない苦痛は、急激にノートの精神を擦り減らしていく。




 話は、ノートが蟲の巣窟……
 ボーラ廃坑へと連行されてきた、二日前に遡る。




 ――――――――――――



 「……えああ………? んん……わか、らない。 ……もう、いっかい」

 伝えられた言葉に、聞き取った言葉に、ノートは戸惑いを隠し切れなかった。目の前の彼女・・が何を言っているのか、理解出来ない。
 言葉はわかる。魔物相手なので思念も伝わる。
 だが……何を・・言って・・・いるのか・・・・理解・・出来ない・・・・


 [わか、った。 もう、一度。 最初、から。 説明。 します、ね]
 「………んいい……おめない、します」






 三騎のヒトガタに担ぎ上げられ気絶している間に、なにやら洞窟のようなところへと連れて来られたノート。どこにあるのかもわからない、周囲を岩肌に囲まれた空間へと連れて来られ、その場で着衣を全て取り除かれていた。
 口の中に垂らされた……不思議と身体の疲労が消える蜜の、爽やかな甘さに目を覚ますと、
 すぐ目の前に彼女・・が立っていた。

 腰のくびれも胸の凹凸も殆ど無く、病気のように青白い小さな身体を隠そうともせず、静かにこちらを見下ろし・・・・ている彼女。


 未だ幼い少女といった外見の彼女は見上げる・・・・程に・・背が高く・・・・
 現在ノートの目の前には、微かに膨らんだ……自分のものより若干豊かなボリュームをもつ、二つのかわいらしい胸の膨らみ。
 腰の下…性器の位置する辺りより下は不釣り合いに大きく、肥え太り、漆黒の甲殻で覆われ……

 八本の脚・・・・を持っていた。



 [きき。 我々、主、眠りに、落ちる。 眠り、います。 長い、眠り。 います]

 人蜘蛛アルケニーの少女(?)は、ノート以上にたどたどしく…ぎこちない言葉で、先程と同じ説明を繰り返す。


 [我々、主。 眠り。 長い、非常に。 静か、安らか、眠り。 います]

 可愛らしく丸みを帯びた小さな顔にあってひときわ目を引く、ぱっちりとした大きな目。
 その瞳はヒトで言うところの白目…強膜部分が存在しておらず、ひときわ異彩を放つ黒一色であった。
 …もしこれが明所でよく観察出来ていれば、それは無数の小さな視覚組織が密集して形成された、複眼であることが分かっただろう。


 [きき。 必要、あります。 起きる。 目覚める、主、起きる。 き、必要。 あります]

 色素の薄い、殆ど地肌の色のみの、小さな唇。
 それを懸命に動かし、慣れない言葉を…発音を続ける。


 [ききき、身体。 無い、頑丈、無い。 主、頑丈、ありません。 身体、頑丈、必要]

 人のような姿を持つ彼女は、しかしながら表情を一切動かすことは無い。
 それどころかまばたきすらせずに口のみを動かし、ただただ懸命に言葉を続ける。
 恐らくは…その可愛らしい顔の内には、表情筋が存在しない。目を保護する瞼くらいは備えているだろうが、あるのは視覚器官と発声器官。あくまで姿かたちを人のものへと近づけ、人との意思疎通を図ることだけを目的とした…狩りを行うには全く不必要なはずの造形。


 [我々、目覚めた、先に。 主、身体、生産。 必要、きき。 長い、長い、長い、必要]

 他者を害するためではない、明確な別の目的のために生まれた彼女は、その役目を全うするためにも…目的を果たすためにも、必死に説明を続ける。


 …そしてそのたどたどしい説明は、問題の場所へと差し掛かった。



 [手伝い、欲しい。 あなた、です。 魔力、近い、感じる、主。 身体、生産。 手伝い、欲しい、です]



 拙い説明を整理すると、

 彼女たち…蟲の『主』は、長い長い期間眠り続けており。
 とある事情で目覚めなければならないものの、長い時間で『主』の身体は頑丈さを失っており。
 そのために『主』の新しい頑丈な身体を、彼女たちの手で作る必要があり。
 しかしながら彼女たちだけでは、非常に長い時間が掛かってしまう。
 そこで『主』に近い魔力を秘めていると思われるノートに、手伝いを求めてきた。


 以上が、彼女より伝えられた依頼である。
 加えて先程一回目の説明を聞いた際に、更に細かい部分は確認していた。


 『主』が目覚めても、蟲たちが積極的に人を襲うことは、引き続き禁ずる。
 ノートの身体を傷つけたり、食べたり、飲み込んだりすることはない。
 手伝いの内容は、魔力を殆ど喪失している現状でも可能。
 魔力が無いどころか、ノートのような細腕でも問題なく行えるほど、簡単。
 『主』の身体が完成した暁には、当然ノートは開放される。


 これだけの懸念事項を、確認した。相変わらず彼女は嘘を言った様子もない。
 人蜘蛛アルケニーの少女の切々とした訴えと、こちらに対する害意を持たない様子。加えて見た目の可愛らしさ、そして不都合の少ないように思えた質疑応答に騙され……



 先程、ここで頷いてしまった。

 その結果生じた事態は、想像の遥か上だった。


 相変わらず無表情の彼女は、
 それでありながら微かに嬉しそうな様子を見せたかと思うと、


 あれよあれよと言う間に、ノートの身体を岩壁にがっちりと縫い付けてしまった。

 さすがに取り乱し、抵抗するも、何重にも織られた糸はびくともしない。
 あまりにもな事態に抗議の声を上げるノートに、人蜘蛛アルケニーの彼女が伝えた言葉。





 先程の、ノートが全くもって理解出来なかった、思わず聞き返した言葉。

 …『主』の身体を作る、細腕でも行える、簡単な作業の内容。




 [きき、あなた、産む、貰う。 お願い、します。 繁殖。 産む、あなた、です]
 「………んいい………?」



 耳にするのは二回目だが、それでも戸惑いは微塵も消えなかった。

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