勇者が救世主って誰が決めた
23_別れと分かれと解るとき
なんの変哲もない、いつも通りの朝。
……そのはずだったのだが。
アイナリーの街の一画で、悲壮な声が上がっていた。
「やだっ……! やだぁ……!! わたし、もぉ!」
「だーから無理だって……!嬢ちゃんまだ治りきってねーんだから!」
「わたし、も!いく!!わたしもぉ!」
「ほ、ほらっ!お姫ちゃんごはん食べ行きましょうごはん!もうすぐできるから!」
「やぁーー! ねりー!りかるのーー!!」
叫び声の主は、医務室の住人……ノート。
予定では彼女が目覚める前に出発する筈だったのだが……昨晩寝床を共にした者が起き出したのに釣られ、普段は到底目覚めぬ筈の時間に起こしてしまったのが、運の尽きであった。
そんな戦犯とも言える失態を犯した、ノートを起こしてしまった張本人であるネリーであったが、泣きじゃくりながら自分の名を何度も呼ぶノートを目にして、こちらもボロボロと貰い泣きしてしまっており…………さすがに糾弾されるには至っていなかった。
「……父上……懐かれましたな……」
「…………ここまでとはな」
「ほ、ほらお姫ちゃん、リカルド隊長とネリー様と勇者様にほら、ばいばいって」
「ゆうしゃはべつにいい」
「ぐ……」
ここは、アイナリーの兵員詰所前。そこには荷物を積み込まれた馬車と馬が並び、物々しい雰囲気を醸し出していた。
オーテルへと向けて発つ準備も整い、あとは出発を待つばかりなのだが……本人にしてみれば突如として訪れた別れである。しかもひときわ懐いていた中隊長リカルドと、同じく仲睦まじく過ごしていたネリー。彼らと引き離されることを察したときの、彼女の表情といったら……筆舌に尽くしがたいものであった。
「………隊長…そろそろ……」
「……………ああ」
そんな空気の中……とても言い出しづらそうに、兵士が声を掛ける。
「わた、し……わたしも、いく……いっ、しょに」
「……ノート…」
溢れる涙を拭おうともせず、まっすぐに見上げてくる視線に……思わず意思が揺らぎそうになる。
「ノート、大丈夫だ。すぐに戻ってくる。……ケリィとギルバートの言うことを聞いて、良い子にしてるんだ」
「……なぁ俺は?ギム隊長は?」
「約束だノート。良い子で待っていてくれ。……なるべく早く戻るから」
「……やく、そく…………だい、じょ……ぶ?」
「……ああ。大丈夫だ」
「………うううう」
暫しの間……リカルドの胸元に顔をうずめ…ずびずびとすすっていたノート。震える小さな肩が、長い時間を掛けて次第に落ち着きを取り戻し…
渋々、といった様子で……とうとう引き下がった。
「やく、そく。……りかるの、ねりー、しあ……いっしょ」
「……わかった。…勇者様もな」
「ゆうしゃはべつにいい」
「………」
かくして、皆一様に後ろ髪を引かれる思いで……勇者と兵士達一行は、オーテルへ向けて出発した。
リカルド一行を見送った後。
今後の方針がどうとかで会議室へと入っていく面々を陰鬱な顔で見送り…ノートはそのまま医務室へと戻り……寝台に倒れ込んだ。
文字通り塞ぎ込んでしまったノートは、誰とも顔を会わせず部屋に閉じ籠って………いようとしたもののやはり空腹には耐えられず、人の少なくなった時間を見計らい、のそのそと食堂へと赴いた。
「あら……天使ちゃん、大丈夫?どこか痛いの?」
「ん、……んん? えあ………だい、じょぶ」
「本当?無理しちゃダメよ?何か困ったことあったら言ってね?おばちゃん助けになるから」
「えあ……えああ…………だいじょ、……あり、がとう」
調理係のおばちゃんに曖昧な笑みで返し、念願のごはんを受け取った。
人気の少ない、閑散とした食堂の一角。
非常にゆっくりとした動作で、食事を口に運ぶノートの姿があった。
(おいしい、のに………おいしくない)
ここ最近…といっても数日だが、ケリィをはじめネリーと勇者…たまにリカルドと一緒に、食事を摂ることが多かった。
(………にぎやか、じゃ……ない)
そのケリィも、今は会議にいってしまった。
自分一人だけ群れからはぐれてしまったかのようで、近頃すっかり忘れていた感情……心細さに押し潰されそうだった。
(…………おばちゃん、しんぱい、させた)
一瞬で見抜かれた。そんなにひどい顔をしていただろうか。
リカルドと…ネリーと会えないのは、正直かなしい。それでも他の人に迷惑を掛けるのは……心配させるのは、やっぱり良くない。
「……つよく、なる」
強く、ならなければ。
ちからはもとより、心も強くならないと。……でないと、ずっと足手まといのまま。ずっと、一緒に連れていってもらえないまま。
「………それは、やだ」
もう置いていかれるのは、いやだ。
一緒に行きたい。そのためには、強くならないと。
……そして、言葉を。知識を身に付けないと。
「ぎるまーと。おしえて、くれる」
それらを教えてくれる人を、リカルドはちゃんと教えてくれた。
せっかくここまでお膳立てしてくれたのだ。彼の好意を無駄にするわけにはいかない。
「がんばろう」
ごはんをたべて、気合の入ったノート。
今の彼女はこれまでになく、やる気に満ちあふれていた。
「ぎるまーと。おしえて。……おしえて、たのみ、ます」
「……わかった、任せてくれ」
「………おねがい、します」
なにやら難しい顔を付き合わせている会議室へと乗り込み、ギルバートの所在を聞き出す。幸いにして館内に居たようで、すぐに捕まえることが出来た。
リカルドを少し若くしたような彼の顔は、見ていると少しだけ落ち着く。むすこ。そう言っていた。血族なのだろう。
その袖をつかみ、ぐいぐいと引っ張っていく。ギルバートはそれを咎めるでもなく、なされるがままであった。
周りのみんなは彼のことを何やら疑って見ているようだが、こうして付き合ってくれているのを見る限り、なんだかんだで頼りになる人物なのだと思う。
ノートによるギルバートの評価は、決して低くはなかった。
ノートの私室、……医務室へと戻ってきた二人。
小さなサイドテーブルを引っ張りだし、向かい合わせに座る。
「とりあえずは、単語をなるべく覚えよう。ものの名前が伝われば、意図は聞き手側が組み立ててくれる。」
「? ………え、えあ……?」
「………まぁ、やるだけやってみよう」
言うが早いか、ギルバートは紙の束…冊子のようなものを取りだし、ノートへと差し出した。
ぱらぱらと捲って中を見てみると、その中身は様々なスケッチにそれぞれ文字が添えられた……図鑑のようなつくりとなっていた。
……これは、子ども用の教材なのだろうか。この世界に印刷技術はそんなに普及しているのだろうか。まさかとは思うが、自作では無かろうか。……だとしたら多才にすぎる。有能などという次元ではない。
……そんな偉人が、自分のために時間を割いてくれているのだ。この時間を無駄にはできない。
密かに気合いを入れ直し、次の動きを待った。
「……君は言葉がわからないだけで、恐らく知識は豊富にあるのだろうな。判断力も記憶力も良い。ならば身近な単語さえ解れば、どんどん話せるようになるだろう」
「……んい」
いまいちよくわかっていない顔で、ノートは頷く。
これ以上の前置きは不要か。そもそも伝わってないのでは意味がないか。
ギルバートは一人苦笑し………
与えられた仕事へと、取り組み始めた。
その後はしばらく、ギルバートが図を指し示すと共にその名を告げ、ノートがそれを復唱する……といった、非常に穏やかな教鞭が続いた。
ノートの興味と学習意欲は、意外なことに非常に高かった。冊子以外のものの名前も積極的に求め、彼女の周囲の品々……『ベッド』や『ドア』、『食堂』『窓』などといった単語を早々と吸収していった。
……元々物覚えが良かったというのもあるのだろうが、知的好奇心の範疇では収まらない、なにやら鬼気迫る勢いでの吸収に……ギルバートは一抹の不安を感じざるを得なかった。
詰め込みを初めてから、どれくらい時間が経っただろうか。
最初は小石か何かが壁に当たったのかと思っていた。
こつん、こつんと硬いものがぶつかる、小さな音が立て続けに響き、疑問に思ったギルバートは目線を上げ……
「うわああああ!!?」
それと目が合い、悲鳴を上げた。
彼の視線の先……医務室の窓の外では、
翼持つ人喰いの魔獣、人鳥が、窓越しにこちらを窺っていたのだった。
……そのはずだったのだが。
アイナリーの街の一画で、悲壮な声が上がっていた。
「やだっ……! やだぁ……!! わたし、もぉ!」
「だーから無理だって……!嬢ちゃんまだ治りきってねーんだから!」
「わたし、も!いく!!わたしもぉ!」
「ほ、ほらっ!お姫ちゃんごはん食べ行きましょうごはん!もうすぐできるから!」
「やぁーー! ねりー!りかるのーー!!」
叫び声の主は、医務室の住人……ノート。
予定では彼女が目覚める前に出発する筈だったのだが……昨晩寝床を共にした者が起き出したのに釣られ、普段は到底目覚めぬ筈の時間に起こしてしまったのが、運の尽きであった。
そんな戦犯とも言える失態を犯した、ノートを起こしてしまった張本人であるネリーであったが、泣きじゃくりながら自分の名を何度も呼ぶノートを目にして、こちらもボロボロと貰い泣きしてしまっており…………さすがに糾弾されるには至っていなかった。
「……父上……懐かれましたな……」
「…………ここまでとはな」
「ほ、ほらお姫ちゃん、リカルド隊長とネリー様と勇者様にほら、ばいばいって」
「ゆうしゃはべつにいい」
「ぐ……」
ここは、アイナリーの兵員詰所前。そこには荷物を積み込まれた馬車と馬が並び、物々しい雰囲気を醸し出していた。
オーテルへと向けて発つ準備も整い、あとは出発を待つばかりなのだが……本人にしてみれば突如として訪れた別れである。しかもひときわ懐いていた中隊長リカルドと、同じく仲睦まじく過ごしていたネリー。彼らと引き離されることを察したときの、彼女の表情といったら……筆舌に尽くしがたいものであった。
「………隊長…そろそろ……」
「……………ああ」
そんな空気の中……とても言い出しづらそうに、兵士が声を掛ける。
「わた、し……わたしも、いく……いっ、しょに」
「……ノート…」
溢れる涙を拭おうともせず、まっすぐに見上げてくる視線に……思わず意思が揺らぎそうになる。
「ノート、大丈夫だ。すぐに戻ってくる。……ケリィとギルバートの言うことを聞いて、良い子にしてるんだ」
「……なぁ俺は?ギム隊長は?」
「約束だノート。良い子で待っていてくれ。……なるべく早く戻るから」
「……やく、そく…………だい、じょ……ぶ?」
「……ああ。大丈夫だ」
「………うううう」
暫しの間……リカルドの胸元に顔をうずめ…ずびずびとすすっていたノート。震える小さな肩が、長い時間を掛けて次第に落ち着きを取り戻し…
渋々、といった様子で……とうとう引き下がった。
「やく、そく。……りかるの、ねりー、しあ……いっしょ」
「……わかった。…勇者様もな」
「ゆうしゃはべつにいい」
「………」
かくして、皆一様に後ろ髪を引かれる思いで……勇者と兵士達一行は、オーテルへ向けて出発した。
リカルド一行を見送った後。
今後の方針がどうとかで会議室へと入っていく面々を陰鬱な顔で見送り…ノートはそのまま医務室へと戻り……寝台に倒れ込んだ。
文字通り塞ぎ込んでしまったノートは、誰とも顔を会わせず部屋に閉じ籠って………いようとしたもののやはり空腹には耐えられず、人の少なくなった時間を見計らい、のそのそと食堂へと赴いた。
「あら……天使ちゃん、大丈夫?どこか痛いの?」
「ん、……んん? えあ………だい、じょぶ」
「本当?無理しちゃダメよ?何か困ったことあったら言ってね?おばちゃん助けになるから」
「えあ……えああ…………だいじょ、……あり、がとう」
調理係のおばちゃんに曖昧な笑みで返し、念願のごはんを受け取った。
人気の少ない、閑散とした食堂の一角。
非常にゆっくりとした動作で、食事を口に運ぶノートの姿があった。
(おいしい、のに………おいしくない)
ここ最近…といっても数日だが、ケリィをはじめネリーと勇者…たまにリカルドと一緒に、食事を摂ることが多かった。
(………にぎやか、じゃ……ない)
そのケリィも、今は会議にいってしまった。
自分一人だけ群れからはぐれてしまったかのようで、近頃すっかり忘れていた感情……心細さに押し潰されそうだった。
(…………おばちゃん、しんぱい、させた)
一瞬で見抜かれた。そんなにひどい顔をしていただろうか。
リカルドと…ネリーと会えないのは、正直かなしい。それでも他の人に迷惑を掛けるのは……心配させるのは、やっぱり良くない。
「……つよく、なる」
強く、ならなければ。
ちからはもとより、心も強くならないと。……でないと、ずっと足手まといのまま。ずっと、一緒に連れていってもらえないまま。
「………それは、やだ」
もう置いていかれるのは、いやだ。
一緒に行きたい。そのためには、強くならないと。
……そして、言葉を。知識を身に付けないと。
「ぎるまーと。おしえて、くれる」
それらを教えてくれる人を、リカルドはちゃんと教えてくれた。
せっかくここまでお膳立てしてくれたのだ。彼の好意を無駄にするわけにはいかない。
「がんばろう」
ごはんをたべて、気合の入ったノート。
今の彼女はこれまでになく、やる気に満ちあふれていた。
「ぎるまーと。おしえて。……おしえて、たのみ、ます」
「……わかった、任せてくれ」
「………おねがい、します」
なにやら難しい顔を付き合わせている会議室へと乗り込み、ギルバートの所在を聞き出す。幸いにして館内に居たようで、すぐに捕まえることが出来た。
リカルドを少し若くしたような彼の顔は、見ていると少しだけ落ち着く。むすこ。そう言っていた。血族なのだろう。
その袖をつかみ、ぐいぐいと引っ張っていく。ギルバートはそれを咎めるでもなく、なされるがままであった。
周りのみんなは彼のことを何やら疑って見ているようだが、こうして付き合ってくれているのを見る限り、なんだかんだで頼りになる人物なのだと思う。
ノートによるギルバートの評価は、決して低くはなかった。
ノートの私室、……医務室へと戻ってきた二人。
小さなサイドテーブルを引っ張りだし、向かい合わせに座る。
「とりあえずは、単語をなるべく覚えよう。ものの名前が伝われば、意図は聞き手側が組み立ててくれる。」
「? ………え、えあ……?」
「………まぁ、やるだけやってみよう」
言うが早いか、ギルバートは紙の束…冊子のようなものを取りだし、ノートへと差し出した。
ぱらぱらと捲って中を見てみると、その中身は様々なスケッチにそれぞれ文字が添えられた……図鑑のようなつくりとなっていた。
……これは、子ども用の教材なのだろうか。この世界に印刷技術はそんなに普及しているのだろうか。まさかとは思うが、自作では無かろうか。……だとしたら多才にすぎる。有能などという次元ではない。
……そんな偉人が、自分のために時間を割いてくれているのだ。この時間を無駄にはできない。
密かに気合いを入れ直し、次の動きを待った。
「……君は言葉がわからないだけで、恐らく知識は豊富にあるのだろうな。判断力も記憶力も良い。ならば身近な単語さえ解れば、どんどん話せるようになるだろう」
「……んい」
いまいちよくわかっていない顔で、ノートは頷く。
これ以上の前置きは不要か。そもそも伝わってないのでは意味がないか。
ギルバートは一人苦笑し………
与えられた仕事へと、取り組み始めた。
その後はしばらく、ギルバートが図を指し示すと共にその名を告げ、ノートがそれを復唱する……といった、非常に穏やかな教鞭が続いた。
ノートの興味と学習意欲は、意外なことに非常に高かった。冊子以外のものの名前も積極的に求め、彼女の周囲の品々……『ベッド』や『ドア』、『食堂』『窓』などといった単語を早々と吸収していった。
……元々物覚えが良かったというのもあるのだろうが、知的好奇心の範疇では収まらない、なにやら鬼気迫る勢いでの吸収に……ギルバートは一抹の不安を感じざるを得なかった。
詰め込みを初めてから、どれくらい時間が経っただろうか。
最初は小石か何かが壁に当たったのかと思っていた。
こつん、こつんと硬いものがぶつかる、小さな音が立て続けに響き、疑問に思ったギルバートは目線を上げ……
「うわああああ!!?」
それと目が合い、悲鳴を上げた。
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