勇者が救世主って誰が決めた

えう

03_遠い約束と白の産声

 ―――これは、夢だ。

 目を開けてわずか数秒。は瞬時にそう認識出来た。


 あり得ない風景。ありえない光景。
 これが夢でなく現実だと言うには、どう考えても無理があった。

 床も、壁も、天井も、見渡す限りが一面の『白』。
 むしろ……床や壁や天井といったものがあるのかさえ、疑問に感じる。


 ―――まあいいや。そんなことはどうでもいい・・・・・・。とりあえず寝直そう。
 どうせ夢の中だ。細かいことは気にせず、再び瞼を閉じる。




 『折角目覚めたっていうのに、随分と連れないじゃないか』


 唐突に聞こえた、……いや、頭に響いた声。

 驚き、思わず目を開ける。
 目の前の空間が何の前触れもなく滲んだかと思うと……
 カメラのピントを合わせるように……そこに突然、人影が姿を現した。



 ぱっちりとした気の強そうな目元と、整った顔立ち。
 腰ほどまである髪と、強い意志を湛えた瞳は……血のように赤く。深く。
 額と側頭から突き出た、捻れた三本の角は…暗く鈍い光を放っている。

 異形の少女が、そこには居た。


 『お早う、親愛なる我が友よ。目覚めの気分はどうだい?』


 ―――誰だこいつ。

 自慢じゃないが、僕には知人が少ない。
 会話らしい会話をする関係にあったのは先生と、チビ共と、あとは守衛のオジさんくらい。
 ただでさえ少ない知人の中でも心の許せる、……それこそ『友』と呼べるような、ましてやこんな一目見たら忘れそうにない知人なんて……



 …………そう、か。『できた』んだっけ。



 『………え、待って。マジで? 本当に解らない? ……うっそヤッバ………記憶復元失敗した? どっか欠けてた…? 呼び込み元間違ってた? なんでだろ……パスちゃんと確認したハズなのに……』

 「いや、大丈夫。思い出したよ、……『魔王様』」

 『…………あーー……めっちゃビックリした……この作業ほんっと久しぶりだったからなぁ…』

 僕の答えに安堵したのか、明らかにほっとした顔が僕を見下ろして、ほほ笑んだ。



 ―――見下ろして?

 朧げな記憶を辿ると、目の前の少女は自分よりも背がやや低かった筈。
 彼女が宙に浮いているわけでもなければ、
 背丈が並ぶことはあっても、見下ろされることなんて、


 ……………ちょっと待って。


 「なに………これ……?」

 脳裏に浮かんだ違和感は、口に出してみたことで、
 ……果たして明確な答えとなって、耳から入ってきた。

 『うん。うん。気づいたようだね。我ながらよく整っているじゃないか』

 眼前の赤い少女、『魔王様』が軽く手を翳すと……透き通った大きな一枚鏡が音もなく現れた。
 そこに映っていた人物は、少女と呼ぶにもまだ小さい。


 頭の先から足先まで、透き通るように白い、
 ―――幼女だった。


 かわいいかわいい、と連呼する魔王を意識の外に置きつつ、
 混乱する意識を落ち着けるかのように……じっっと観察を行う。


 背丈の程は、眼前の赤い少女……魔王を見上げねばならぬ程。
 一般的な「少女」と呼ばれる年齢層の背丈よりも、おそらくは小さい。……非常に大雑把ではあるが、100はあると思う。おそらく110か、120前後ではなかろうか。

 目覚めたばかり故か、眼尻の少し下がった、やや眠たそうな瞳は……淡く煌めく銀色。それは薄暗闇であろうとも微かな光を湛えるかのように透き通り、見ようによっては仄かに青みがかったかのよな……神秘的な輝きを秘めている。
 白一色の空間の中にありながら尚存在感を放つ、肩ほどまでの長さの、まっすぐな白銀の髪。すっと延びた絹糸のようにきめ細かく、頭の動きによってふわふわと揺れるそれらは……心なしか淡い燐光を放ち、まるで自ら光を発しているかのようだ。
 白磁のごとく滑らかな肌は、艶やかな白色。低めの背丈相応に、胸や腰つきも幼げである。女性というには未だ未成熟のそれらは…発展途上でありながらもある種の完成形ともいえるような、絶妙なバランスで成り立っている。
 その未発達ながらも形よく整った、皿を伏せた程度の小さな胸は、頂のみが僅かに色づいた以外は透けるように真っ白で、その存在感と可憐さを際立たせている。

 顔を傾げると、鏡の中の幼女も同様に、顔を傾げる。
 淡く煌く滑らかな髪が、さらさらと流れる。

 何かの間違いではないかと、よく確認しようと目を見開けば、鏡像の目もまん丸に見開かれる。
 ばち、ぱち、と瞬きをすると、目の前の少女も同じ動きをとる。純白の少女の硝子球のような、神秘的な透明感を湛えた瞳と、目が合う。


 言われてみれば、………いや、言われるまでもないだろう。

 ―――『僕』の身体は、……恥ずかしながら、確かに可愛らしかった。



 『君のその身体は、直近数世代の魔王たちが使っていた身体、……その原型、雛型だ。見ての通り真っ白、『白紙』というやつだ。……そしてそれは、私の身体の複製鋳造品クローンでもある』

 「どういう……こと…?」

 今なにやら、サラッと聞き捨てならないことを聞いた気がする。


 『そうだね……君は、歴代の魔王の姿を知っているかい? 長く長ーく遡った彼らは当て嵌まらないんだがね……少なくとも末代の魔王と、遡ること六代ほど……七人の魔王達は、誰も彼も似たような顔つきなんだ』

 「……彼らが皆、血族である、…と?」
 『いや違う。彼らは出自も権能も性別も年齢もバラバラだ。
 それなのに、不思議と顔つきは似ているんだよ。………どういうことだと思う?』

 ―――末代の魔王。
 それはつまり、眼前の彼女だろう。
 彼女と、彼女の前代の魔王と、そのさらに前代の魔王と………六代前の魔王まで、
 七人の魔王がみな同じ顔。……しかしし血族ではない。


 ―――そして先程の、『この作業』『久しぶり』、さらには『原型』『雛型』という発言。



 『さて、解ったかな?』

 俄には信じがたい仮説が……脳裏に浮かぶ。
 半ば独りごちるように、その仮説を述べてみる。


 「……六人の魔王たちは、みな同じ身体を使っていた……?」
 『うーん、まあほぼ正解。………より正確に言うと、同じ素体を各々に合わせて改造した身体を使っていたんだけどね。まあ手を加える前の素材が皆同じなんだから、そりゃあ完成品も似たような形になるってことさ』


 ―――何気に物凄い秘密を聞いた気がする。
 人族こちら側の人間で知っている者は恐らく居なかったであろう、秘密。


 『まあ素材っていうか、さっきも言ったように、大元はこの私の身体なんだけどね。私の生前の身体を複製、培養したものを、魔王となる者それぞれに合わせて調整。完成した『器』に、その代の魔王の『中身』を丁寧に慎重に移し替えて、ハイ完成!……ってわけだ』

 ―――魔王って、随分と工業的なんだな……
 まあ尤も、他人の事をとやかく言える立場でも無かったのだが。

 「どうして、そんな回りくどいことを…?」
 『うん、まあそう思うよね。…………まぁもう良いか。戦争終わっちゃったわけだし。』
 一人で何か納得したように頷く、魔王。



 『要はね、弱かったんだよ、彼ら。』

 ―――いきなり爆弾発言かましましたね…この魔王ひと


 『私は言っちゃなんだけど、滅茶苦茶強かった。でも訳あって戦えなくなってね。だから私の、全盛期の身体を複製したものを使えば……弱い彼らでも強くなれる、って。そう考えたんだ。私も一応、魔族のために戦ってたこともあるし。出来ることなら死なせたくなかった。実現可能で、なおかつ最も効率の良さそうな方法。当時それを突き詰め、結果として導き出された最高の結論が…………それ・・だった』




 自分の身体。見た目も性能も自分に限りなく違いそれ・・いじり、ろうし、もてあそび、更には赤の他人の身体として兵器に仕立て上げる。
 明らかに、異常・・であった。

 だが……僕はそれを『間違っている』などと言えない。
 当時の戦況としては、その壮絶な計画ですら納得せざるを得ない。
 ……それ程までに、ただひたすらに、泥沼だった。





 『まあ、それは別にどうでもいいんだ。要は君のその身体なんだけどね。』

 沈み始めた流れを断ち切るかのように、魔王はこちらを向き直り、切り出した。

 『話の流れからお察しだと思うんだけど、要はソレがソレなわけだよ。魔王たちによって色々調整される前の、白紙の状態。これから様々な色に染められる予定だった、文字通りの白紙。それが、その身体。……まあ色々思うところはあるだろう。それは解る。理解してる。…………でもね、君の元の身体。あれはダメだったよ。もう滅茶苦茶。……私が言えた義理じゃないけど……なんでヒトって、………あんな酷いことが出来るのさ……』



 ―――ようやく、理解出来た。


 彼女は、覚えていてくれたのだ。

 何もかもに絶望し、何も感じず、死ぬことさえ出来ず、
 ただただ苦痛でしかない道を無理やり歩むことしか許されなかった僕の、


 僕の、最後の願いを。



 この身体に僕を移したのは、そうしなければ願いを果たすことが出来ないから。
 それほどまでに、本来の僕の、……『勇者』の身体が、滅茶苦茶に壊れていたから。


 「……………………ありがとう」

 口から零れた声は、やはり自分のものとは思えない。
 高く、幼く、柔らかく、以前とは似ても似つかない。

 ……それでも、これは自分の声。自分の、言葉だ。


 それだけで、聡い彼女には通じたらしい。

 『いいってこと。こっちも色々と手伝ってもらったしね。まあ、利害の一致ってやつだよ』

 わずかに頬を朱に染めて、彼女は笑った。






 『……さて、ひと仕事終えたところだし……私ものんびりしたいんだけどね。生憎とそんなに時間がないんだ。多少強引だけど、早速チュートリアルホームルームを始めよう。…良いね?』


 ―――唐突に。
 彼女は唐突に、そう切り出した。


 『何度も言ったように、君のその身体は若かりし頃の私の身体。魔法適性は群を抜いているし、魔力生成量も貯蔵量も魔法耐性も反則レベルだ。だって魔王の身体だもの。仕方ないね?』

 黙って頷いた。
 最後に相対した魔王の暴れっぷりを思い出し、軽く血の気が引いた。
 ……さすがにあれほどは使いこなせないだろうが。


 『ただここで注意だ。魔法の耐性というのは文字通り、魔法に対する耐久、いわゆる抵抗力。君のその身体には、外部からの魔法はほとんど通用しない。そしてそれは、攻撃魔法だけにとどまらない。…………意味は、解るね?』
 「回復、治療、補助系統も弾かれる、ってことか」
 『よくできました。ハナマルをあげよう。ただ案ずるなかれ、あくまで『外部からの魔法干渉を拒絶する』だけだ。薬剤での治療は有効だし、自分自身の身体の中から補助する分には弾かれはしない。』


 ―――それを聞いて安心した。

 勇者だった頃は、身体強化魔法を始めとする自己強化を常用していたのだ。
 息を吸うように染みついた『それ』が無くなっていたら、さすがに悲嘆せずにはいられなかっただろう。

 『ちなみにその身体。良くも悪くも強化調整前だ。強度は見た目相応にしか無いからね。……間違っても、強化魔法抜きで殴り合いなんてしないように。』

 ……………身体強化が使えて、本当に良かった。


 『それと………培養筒から出てしばらくは、君の中身と器との調整期間だ。まだ調整が効くうちに、しっかりと動かして、よーく身体を慣らしておくことだ。そうだね。………半年。六ツ月としようか。その間は、身体のトレーニングを怠らないこと。一度変に馴染んでしまうと、その癖を取り除くのは結構大変だよ。覚えておくといい。』

 ―――要は、充分に慣熟運転しなさい、ってことか。
 身体が思うように動かせないというのは、想像を絶するストレスだろう。
 しばらくは運動基礎に励むことになりそうだ。



 『あとは……まあ、うん。興味があるかは解らないが一応言っておこうか。培養筒から初めて外界に出るわけだから、当然ソッチも『未使用』だ。老婆心から言うが、………安売りはやめたまえよ?その身体の様子だとまだ準備は整ってないみたいだけど、油断はしないように。避妊はしっかりすること。また家族計画は入念に立てること。あとサイズもちゃんと確認するように。今の君の身体だと……下手すると裂けるよ?』


 いきなり何を言い出すこの魔王!


 「おま…………!? 仮にも自分の身体………の複製…だろ!? もっとこう……………『大事にしろ』、とか……『するなよ』、とか………」
 『はっはっは何を今更。同じ出自が六人居たと言っただろう? ……慣れとは恐ろしいものでね、自分と同じ顔の身体が壊される様をそれだけ見れば、』
 「…ごめん。軽率だった」
 『おっと、そうかい。いや、こちらこそすまなかった。……まあ、私は気にしていないよ。それは誇張でも優しい嘘でも何でもないさ。同じ顔をしていようと、君も含め、あくまで他人だ。』



 達観している、というよりも、ある種の諦観の念を感じた。

 ……自分と同じく、いや自分以上に、
 彼女もまた、想像を絶する絶望を味わっていたのだ。


 なおのこと……彼女の望みが『そんなこと』だというのが、心底不憫でならない。


 『……なんとなくだが、君が何を考えているのか想像ができるよ。そういうのは嫌いだと言っただろう? あまり先生を悲しませないでくれたまえ』

 「……………ごめん……なさい」

 『………全く。仕方のない生徒だ』





 ―――彼女の望み。

 想像を絶する長きに渡り、魔族の興亡を見守り続けた『最初の、また最後の魔王』。
 彼女の、おそらく…………生涯最後の願い。

 それに比べると、僕の願いの、なんと矮小なことか。



 『……うむ。残念ながら終業の時間のようだ。ちょっと無駄話が過ぎたようだね。……………ああもう、全く。そんな顔をするものではないよ。何度も言っているだろうに。

 君のお陰で、私の願いは果たされるのだ、と』




 ―――彼女の、願い。

 それは、『教え子の門出を祝福すること』。


 ありきたりな筈の、しかし彼女が生涯得ることのできなかったもの。
 希望のない死地へ赴くのではなく、希望に満ちた船出へと、愛する教え子を導くこと。

 たった、それだけだった。





 『まだまだ伝えたいことはあったのだがね、仕方ない。まあ、長かった教員生活だ。最後ぐらい詰めが甘くても赦されるだろう。

 ………さあ、そろそろ頃合いだ。 長い長い微睡みは終わり。

 お目覚めの時間だ、我が友。………………そして、我が愛しい教え子よ』



 ―――その言葉を合図とするかのように、白で染められた世界に色が戻った。






 目に入ったのは、僅かな光の灯った天井。どうやら仰向けになっていたようだ。自分の身体が納められていたのは、どうやら硝子で出来た筒のようなもの……らしい。
 その天面部分は跳ね上がり、微かに湿っぽい空気を肌で感じた。

 身体を起こし、手を、足を動かす。
 ……言われたように、微かに違和感というか、齟齬のようなものを感じる。
 そして首を回し、右を見、左を見、


 ……………『それ』を見つけた。


 硝子の筒の底から伸びる幾条かの管に繋がれた、
 いつ果てたのかも判らないほど風化した、骸。

 思わず出そうになった悲鳴をすんでのところで押し留め、


 『随分とご挨拶な反応だね?』
 「ぅあひあああ!?!??」

 突如脳裏に響いた声に、今度は押し留められなかった。


 『すまないが、ちょっと喋るのは疲れるのでね。こんな形で失礼するよ。………うん、見た感じ問題なさそうだ。動かないところは無いかい?強化魔法はちゃんと使える?』

 喋るのが疲れるとかそういう次元じゃないだろ……という突っ込みを飲み込み、恐る恐る……硝子の棺から足を下す。
 硬質な、ひんやりとした床を足先に感じながら…慣れ親しんだ身体強化魔法を使用する。


 (う、わ…………なんだ、この容量………)

 強化魔法の発動とともに、袋から何かが漏れ出るようなイメージが脳裏をよぎる。ただ以前と大きく異なっていたのは……その袋がそれこそ桁違いの大きさだったことだ。
 一日中、片時も休まず使用し続けても、到底枯渇しないであろう程に。

 『魔法の行使も問題ないようだね。出力も上がっているはずだから、あとで試してみるといい。ああ、くれぐれも最初は広い場所でね。慣れないうちは屋内で使ってはいけないよ』

 慌てて魔力量を落とす。
 治癒魔法も使えないので、下手に怪我するわけにはいかない。
 以前の身体はそんなことを気に留める必要などなかっただけに、こちらも感覚を慣らすまでは苦労しそうだ。

 『それと、培養筒の反対側。そっちに元勇者が置いてあるから。幼女の身体だけだと何かと酷だろう。ぱっと見た感じ、……剣と外套くらいはまだ使えそうだね。元々君の持ち物だ。持っていくがいい』

 言われた通り、こちらもだいぶ風化が進んでいる骸から剣と外套とを引き剥がす。
 棺にもたれかかることで、かろうじてバランスを留めていた遺骸はあっけなく崩れ……風化した骨の破片と、衣類であったと思しき破片、細々とした金属の破片へと成り果てた。

 『おお……やはりというか、まあ……呆気ないものだね。恐らく私の身体も同様だろう。角だけは別だがね。……知っていたかい?魔王の角だけは、死んでも溶けずに残るんだ。魔法を効果的に操るにあたり、他に例を見ない独特な組織構成に至った結果なわけだが、………まあ長くなるから省こう。弾避けのお守りくらいにはなるだろう。気が向いたらそれも持って行きたまえ。』



 魔族の角は、極めて優秀な魔力触媒とされることが多い。
 ましてや魔族の長、魔王のものとなればどれ程の価値があるか計り知れない。

 ……たが価値のあるなしに関わらず、他者の手に渡すなんて考えられない。

 ……絶対に。





 『……さて、そろそろ時間のようだ。…いいかい。』

 ―――唐突に改まったような声が、脳裏に響いた。

 『君は私が生きていた中で、最も手の掛かる教え子だった。なにせ、卒業するまで千七百十四年と三か月も掛かっていたのだからね。文字通り前代未聞だよ。……まあ正直なところ、施設の動力が軒並み死んでたからなんだがね。

 …………だが、ダメな子ほど可愛いとはよく言ったものだ。
 今は君という存在が、ただただ愛おしい。』


 ―――千七百十四年。
 予想だにしていなかった歳月に、思わず絶句する。
 それを気にも留めず、脳裏に響く声は続ける。

 『ともあれ、これで君の願いも果たされるわけだ。私に出来る授業ことはここまで。ここから先は君自身の手で生きていかなければならない。…………一応、この時代にも人間らしきものは生存しているようだけど、それ以外は私も知らない。何があるのか解らない。何をするのかも定まらない。そんな不安だらけの世界を、手探りで生きていく。

 ……そのために、全てを投げ捨てた。世界さえ一度は壊した。もう後戻りは出来ない。

 …………後悔は、無いね。』


 無論だ。引き返せる筈も無い。

 僕は自分の望みのために、世界を滅ぼした。
 それは当然、許されることではないのだろう。

 だが、そんなことは知ったことではない。
 あの地獄のような世界に未練など無いし、滅んで当然。ざまぁみろとすら思っている。

 後悔もしていない。ならば進むだけだ。


 『……では最後に、餞別がわりに一つだけ。君にでも、すぐにでも使える魔法を教えてあげよう。……本当は一つと言わず、それこそもう一度世界を焼けるレベルのものまで、色々と教えてあげたかったがね………なにせこの身体だ』

 軽く頬を引きつらせつつも頷く。
 ……一つとはいえ、教えてもらえるのはありがたい。


 『君にしか使えない。君だから使える。君になら使いこなせる。簡単なことだが、効果の程は保証しよう。他者を幸せにするとっておきの魔法を。

 拙くてもいい。ぎこちなくてもいい。無理やりにでもいい。――――笑いたまえ。
 …………その顔に、そんな表情は似合わない。』


 指摘されるまで、気がつかなかった。

 自分の目許からとめどなく溢れる……生命の熱をもった、雫に。



 精神と身体との齟齬だとか、世界を滅ぼした興奮からだとか、
 説得力はともかくとして、言い訳は出来ただろう。


 ―――するものか。

 この熱は。この想いは。この涙は。
 勇者という名の亡者だった僕の、ただ一人の理解者にして、友にして、恩人にして、……恩師。
 『魔王』その人に対して、捧ぐべきものだ。


 『………………本当に、最後の最後まで……手の掛かる子だよ、君は』


 ごめんなさい、…違う。いやだ、…違う。さようなら、…違う。

 心は、知っていた。こういうときに言うべき言葉は――――――




 「……あり、がとう……魔王せんせい

 溢れる涙を止めることを諦め、ぐしゃぐしゃの顔で、無理やりに精いっぱい、不慣れな笑みを形作る。

 ―――――拙くても。ぎこちなくても。無理やりにでも。

 ―――――笑いたまえ。



 『………ほら。やっぱりだ。……はは、素晴らしい………効果じゃ…ないか』

 ――――――ああ……私は今…………『幸せ』だ





 ―――彼女の恩師にして友、世界を滅ぼした魔王だったもの・・・・・は、
 その身を保持していた魔力がついに力尽きると、瞬く間に塵と化し……宙に溶けていった。

 消える寸前、動く筈のない骸の顔がほんの一瞬、
 満足気に微笑んだかに見えたのは、……決して、きっと、見間違いでは無いと思う。

 ……数舜前に魔王が居た筈の場所には、遺された黒く艶やかな角が、三つ。
 そこに、確かに魔王の骸が存在していたということを……静かに示していた。



 魔力の供給が途絶え、僅かな明かりすらも落ちた殺風景な小部屋。
 暗闇に染まり彼女以外動くものの無いその部屋に、不意に甲高い、引きつるような声が響いた。


 それは数度と繰り返し、



 そして、それが留まることのない奔流へと変わるまで……さして時間は掛からなかった。



 聞く者の心を掻き毟るかのような、叫びのような少女の声。

 それを聴いた者は…………ついに誰もいなかった。

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