勇者が救世主って誰が決めた

えう

04_湖の孤島と始の住処

 ―――半年間。

 最初は文字通り手探り状態だった生活も、それだけの期間を過ごせば慣れてくるものだ。

 水と食糧と寝床さえあれば、意外とどんな環境でも生存できる。………と言いきるのは少々軽率かもしれないが、便利な拾得物と魔王からの贈り物この身体のお陰もあって悲観していたほどの難易度ではなかった。



 半年前に目覚めた場所は……対岸がかろうじて見える程に巨大な湖に浮かぶ、孤島。


 遠い昔、―――千七百十四年と少し前には『魔王城』と呼ばれていた場所だった。


 半径十数キロに渡るであろう、広く、巨大な湖。
 穏やかな水面に顔を出す、鬱蒼とした樹林に覆われた細長い島。
 そのほぼ中央にうずたかくそびえ立つ、ところどころ緑に覆われた、これまた巨大な建造物。


 余程激しい戦火に晒されたのか、表層のほぼ全てが焼け爛れ、溶け、あるいは炭化し、傍から見たら、黒鉄色の山のようにしか見えない。
 ……これが元魔王城だと知っているのは、恐らく自分くらいだろう。



 元魔王城の一角。

 入口―――外壁に幾つか口を開けた、なにやら破壊孔のようなもの―――から足を踏み入れ……いくつかの扉―――だった、拉げて大穴を開けられた隔壁―――をくぐると……とある一室に辿り着く。

 長年の劣化か戦火によるものか壁の一部に孔が開き、外から流れ込んだ湖水に半ば浸食された……元は何かの備蓄庫だったと思しき部屋。
 部屋の一部には乾燥させ、細断された焚き木。
 片隅には繊維状に裂いた木を纏め、勇者の外套を掛けて作った寝床。
 ここ数ヶ月寝起きしている、くつろぎの住み処に到着した。

 両手にぶら下げて来た獲物を下ろすと、まだ活きている獲物は隅の水場に投げ入れ、早速火を起こしに掛かる。
 部屋のおよそ三分の一を占めている水場は飲用として用いられるほか、取水部分を樹の繊維で組んだ篭で仕切ってからは、生簀としても有用であった。
 上水として使用する以上……さすがに身体を洗ったり用を足したりは部屋の外を使わざるを得なかったが、安全性・快適性・居住性、どれを取っても申し分ない居住空間となっていた。

 

 ここまで快適な生活環境を整えられたのは、『勇者の基本セット』によるところが大きいと、自分でも思っている。

 千数百年という長い年月を経てなお劣化の見られない、陶器か大理石を思わせる滑らかな光沢を放つ『勇者の剣』。
 それは旧魔王城の周囲に林立する木々を切り払い、またそれらを柱や棒、紐状などといった様々な形状に加工するのに、非常に役立っていた。
 生簀を形作る篭も、魚を焼くための串も、愛用している寝床の床材も、それによって生み出されたものである。

 また同様に、いったいどういう紡織加工が成されているのか……白一色の生地には未だに汚れやほつれの見られない『勇者の外套』。
 見た目は綺麗だが、どう見ても厚手の布にしか見えないそれは、勇者の剣以外の如何なる手段を以ってしても破ることが出来なかった。
 ひとたび身に纏えば鮮やかに翻り決して汚れないそれは、今は快適な寝床の敷布として安眠を支えている。

 太古の昔に魔王城であったとはいえ、今はただの未開の樹林である。人の手の全く入っていないこの環境でここまでスムーズに開拓生活を送ってこれたのは、この剣と外套あってのことだろう。
 元勇者はこの生活を送りにあたり、かつて自分が勇者と呼ばれていたこと、旅支度としてこれらの支給を受けたことに……生まれて初めて感謝していた。



 滴り落ちた脂の焦げる音とともに、香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
 そろそろ食べごろか、と形のいい鼻をひくつかせ、にじり寄るように近づいて行った。
 拾い集めた手ごろな瓦礫を積んで作った簡素なかまど。その上では串打ちされた魚がこんがりと、良い色に仕上がっていた。

 火傷しないように、おっかなびっくり様子を窺いつつ手を伸ばす。 
 魔法で生み出された火種とはいえ……これは今薪を燃やして炎を、魚を焼く熱エネルギーを生じさせている。
 魔法ではない、単純な物理現象――燃焼による炎に対しては、この柔い皮膚は何の備えも持たない。はぜた火の粉が触れれば魔法耐性など意味を為さず、ただの幼子と同じように……ひりひりと続く痛みに苦しめられることだろう。
 傷の治りも比較的早いとはいえ、痛みは防げないのだ。用心するに越したことはない。



 火種を生み出せるようになるまで、魔法を使えるようになるまでには、少なくない時間を要した。

 いくら魔法適性がデタラメに高いとはいえ、活かす知識が無ければ宝の持ち腐れである。
 勇者自身が使いこなせるのは『身体強化』『知覚強化』などといった、内部作用系統に分類される魔法に限られていた。これは要求される魔力の操作が自分の体内のみで完結されるため、比較的修得がし易い部類の魔法である。
 そもそも現在の人族において、種類問わず『魔法』を使いこなせる人材は、極めて希少であった。内部作用系統はもとより、『火を放つ』『風を纏う』『流水を喚ぶ』などといった外界作用系統魔法の適性を持つ者は更に少なく、そうした人材は国や有力者が抱え込もうとするのが常であった。


 適切な指導の下で鍛錬を積めば瞬く間に前人未踏、戦略級の使い手と成り得る資質でも、この無人島で素人の独学とあっては……形となっただけでも奇跡であった。

 魔法の行使には、結果を強くイメージする『想像力』が大きく関わってくる。
 元勇者がこの局面において、火種程度とはいえ『火を放つ』ことに成功したのも、豊富な魔力燃料もさることながら、ただひとえに『肉や魚をこんがりと焼いておいしく食べたい』という『想いの力』あってこそであった。
 細かな過程や最適化された手順、安定させるための様々な手法を一切無視し、完成形を強くイメージし、そこに暴力的な魔力を流し込み、そうして無理やり小さな火種を生み出すという、極めて非効率的な魔法の行使である。
 もしこの手順を正しい魔法知識のある者が目撃したら、色々な点で意識が遠くなるだろう。


 しかしながらそれでも『火』という文明の力を手に入れたことによって、生活は快適そのものへと変わっていった。
 食材に火を加えて食べられるようになったのは当然として、冷え込む夜間に身体を温めたり、視界を確保するための照明としても役に立った。
 水に入れば当然体温は下がるし、眠っている間にも身体は冷える。ましてや身に纏うものが何も無ければ、尚更である。起き抜けに寝ぼけた頭で用を足しに行く際にも、薄っすらとはいえ足元が見えるのと見えないのとでは、安心感に雲泥の差があった。



 また懸念していた食糧の確保に至っては、思いもよらない幸運に見舞われた。
 この界隈、旧魔王城周囲の湖底に長らく居を構えていた知的生命体……水竜の協力が得られたのである。 

 目覚めてから食糧調達と身体の慣らしを兼ね、この孤島を駆け回っているうちに、『一定以上の知能を持つ魔物には、ある程度の意思の疎通が図れる』ということに気づいた。
 これも魔王の権能の一つであったのか、少なくとも島内の魔物―――明らかに脅威度の高そうな魔物たちから敵意を持たれることは、幸いにして無かった。

 言われてみれば確かに、魔物はかつて魔族の尖兵とも囁かれていた者たちである。であるならば、魔族の長である魔王に服従していたとしても何らおかしい話ではなかった。
 しかしながら長年の月日で権能が薄れているのか、魔王の認識が忘却されているのか、はたまた自分が出来損ないの魔王モドキであるからか。正確な理由は定かではないが、『彼らを意のままに操る』ようなことは到底不可能のようだ。個人差もあるが、せいぜい『頭ごなしに襲い掛かってくることはない』程度の支配レベルらしい。

 それでも、並の人間であれば遭遇した瞬間に死が確定するような……魔王城の周囲に跋扈しているような高レベル理不尽生命体相手に怯えなくて済むのは、本当にありがたいことだった。
 逆に知能の低い、力の差をいまいち認識できていない小物に至ってはこの限りではないようで、そういった小型低級三下雑魚の魔物は遠慮なく返り討ちにし、糧としてきた。生存競争は過酷なのだ。


 先述の水竜たちも、『話のわかる』ほうだった。
 彼らは人族にも及ぶであろう高い知識と、さらに幸いなことに……魔王への忠誠心をも併せ持っていた。
 長年に渡り島の周囲を縄張りとしていた彼らは、ある日突然自分の縄張りに現れた……どこか懐かしい気配のする人影に反応したのか、彼らから姿を現したのだった。

 まだこの身体にも慣れ切っておらず、動きにぎこちなさが残っていた頃。『魚でも摑み取り出来ないかなー』などと軽率に岸辺へと赴いた際、何の前触れもなく目の前に水竜の群れが現れたときの恐怖といったら。
 これでも勇者だった頃は魔物を相手取ることも少なくなかったため、水竜の脅威や厄介さ、群れた彼らに対する恐怖は身に染みていた。

 そのとき脚の付け根が生暖かさを感じたのは、断じてこの身体に不慣れであり、生理現象の管理がまだ不完全だったためである。

 襲い掛かってくる様子の見られない彼らを観察することしばし、ふいに頭に直接、声のようなものが響いた気がした。それらはとても断片的で、言葉とは到底言い表せないような単語の羅列ではあったが、そこから彼らの意図を察するには充分であった。
 同様に、こちらが頭の中で強く念じたことがなんとなく伝わるらしく……彼らが孤独な生活における貴重なコミュニケーション要員となるまで、そう時間は掛からなかった。
 また彼らにとって水中の狩りなど容易いものであり、ましてやヒトの小さな身体を飢えさせない程度であれば、大した手間でも無いらしい。
 水産物の供出の申し出を、心底ありがたく頂戴したのであった。

 ちなみに彼らに初めて送った思念メッセージは『食べないでください』だった。
 予想外も予想外、必死だったのだ。恐怖のあまり失禁するなど、後にも先にもこれっきりであってほしい。
 このときばかりは、ここに暮らす人間が自分一人だけで良かったと……心の底から思った。



 そういった紆余曲折を経て、当初の懸念をことごとく解消できたこともあり、衣・食・住のうち二点に関しては、目を見張るほどの向上を見せていた。
 なお向上の気配が見られなかったその他一点は、言うまでもないだろう。相変わらず初期レベルであった。

 勇者だった……男性だった頃は、肌を曝すことにに対し、別段抵抗があったわけではなかった。さすがに街や集落に顔を出すときは弁えるが、立場上着衣がボロボロになることも少なくは無かったため、やがて開き直るようになっていた。
 そのんな経緯から、千数百年ぶりに目覚めてからも特に気にしていなかったのだが……身体の保護という観点で見ると確かに、何かしら纏った方が良いのかもしれない。

 人の手の入っていない木々の間を駆け回っていたせいで、手や足には細かな傷が多く残っている。
 身体強化があり、更にある程度の自然治癒も備えているとはいえ、強化魔法の掛かっていないときの身体は、まさに幼い少女のそれであった。
 白く透き通るような、なめらかな肌に出来てしまった生傷は、見ていてどこか痛々しいが、最終的には傷跡ひとつ残さない程の治癒力がこの身体に備わっているのは、以前確認してある。

 この身体の自然治癒力は高めの部類であるが、命の危機にかかわる程の重大な怪我でもなければ、治るのにはそれなりに時間が掛かるようだ。
 大量に出血するような大怪我では、傷口自体はしばらくすると塞がるものの、そこからの治癒速度は目に見えて落ちていった。深刻な被害は早急に治すが、死ぬほどではない規模のものはそこまで急がない、といったところか。
 最終的に綺麗さっぱり治るとはいえ、痛みが一瞬で引くわけじゃない。こんなことなら治癒魔法を最優先で教わっておくべきだった。………いや、教わっても効果がないのか。

 しかし、傷を気にして慎重な行動を取るというのは、当たり前のことだが、とても人間らしい。そう考えると、嫌な気はしなかった。
 自らの負傷さえも気にせず、ただただ狂気のまま敵に喰らいつくなど、まるで獣だ。

 焦る必要はないのだ。人間らしく、慎重に、おっかなびっくり進んでいけば良い。


 たのしいたのしい冒険は、まだ始まったばかりなのだから。

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