ノーヘブン

暇人001

#1 終わりと始まり

 俺の名前は、西園寺さいおんじみかどこの春に高校を無事卒業し4月1日から社会人になる者だ。
 周りの友達は大学進学や夢を叶えるために専門学校に通うようだが俺は働く。ただひたすらに。

 高校は私立の学校に特待生として入学し、授業料も何割か免除され、更に卒業時には最優秀生徒として表彰もされた。だが進学をせず働く。なぜなら俺の家には金が無いからだ。付け加えるのであれば両親もいない。

 俺は中学2年生の時に両親を交通事故で亡くしてしまい、今日まで俺を育て上げてくれたのはお爺ちゃんだった。お爺ちゃんは空手の道場を開いており、地域の小学生や運動不足解消がてら空手を始めた年寄り達と組手などをしているおかげか御歳80歳にも関わらずなんの病気にもかからず健康に日々の生活を送っている。

 しかし、お爺ちゃんの健康の源である道場も経営困難になり俺が高校二年生の時に閉じ、今はその土地を売り払ったお金とお爺ちゃんの貯金を崩しながらなんとか生活を繋いでいるという感じだ。
 そして今日、ここまで必死に育ててくれたお爺ちゃんに漸く恩返しする事が出来るようになるのだ。


 朝7時30分、小鳥の囀り共にガラガラガタッガラガラと古民家らしい立て付けの悪い引き戸の音を立てて祖父に元気よく『行ってきます』と言う。するとお爺ちゃんは狭い玄関口からこちらを見て手を振り見送りの挨拶を口にする。

「気をつけて行ってくるのじゃよ」

 しわくちゃの顔には似合わない筋骨隆々な肉体と白髪に白いひげを生やしたまるで仙人のような風貌で俺を見送ってくれた。

 いつも見ている俺は驚く事など全く無いのだが初めて見た人は皆驚いていた。特に道場破りをしにきた不良高校生なんて酷いもんだった。お爺ちゃんの姿を見た途端顔色を変えて逃げ出してしまったのだ。

 まぁその気持ちは分からなくもない。何故なら祖父は戦闘時には武人といっても全く差し支えないどころかそれ以上の言葉で表現したいほどに目つきが変わるのだ。あの時のお爺ちゃんだけはいつ見ても慣れない。

「6時には家に帰って来れると思うよ」

 帰宅時間を祖父に告げて会社へと向かう。

♢♢♢♢♢

 新しい生活と仕事と言う名の新しい課題に少しの不安と大きな期待を募らせ会社へと足を運ぶ。
 人通りの多い交差点を2つ越えて右手にある大手ジャンクフードチェーン マクド◯ルドを左に行った先に俺の通う会社はあり、家から徒歩で15分もかからない程近い。
 そして今俺は人通りの多い交差点を1つ越えて2つ目に差し掛かろうとしているところだ。

「キャァァァアアアッー!!」

 無数の人が行き交う交差点の中央で刃物を持った男性が細身の女性の手首を左手で掴み、右手に持っている刃物を突き刺そうとしている。

「やめろっ!!!」

 男性からかなり離れた場所からではあるがその状況を確認した俺は注意を促した。当然そんな注意を聞くはずもなく男性の行動は更にエスカレートする。

「うるせぇぇっ!!お前ら全員死ねばいいんだっ!!」

 男性は女性の手首を掴んだまま他の通行人を追いかけ回して2人ほど刃物で切りつけた。
 その光景を見た途端、祖父の言葉を不意に思い出す。

『いいか帝、武術とは人を攻撃するためではなく守るためにあるのだ』

 その言葉がフラッシュバックし終わった時にはもう既に暴れ狂う男性から捕らえられていた女性を抱え救出していた。
自分でも何が起こったのか分からないが俺を取り囲む周囲の目はどこか英雄の姿を見ているようだった。

「テメェッッ!!死ねっ!死ねっ!シネェェ!!」

 男性は刃物を振り回しながら俺の方に全速力で近づいてくる。

 俺は咄嗟に女性を庇いながら距離を取る。しかし男性は攻撃の手を休める事なく、見る見るうちに距離が詰められていく。ほぼゼロ距離になった瞬間、パトカーのサイレンがけたたましく鳴り響き完全に野次馬とかしていた周囲の人たちを安全な場所へと誘導する。

 その間も男性の刃物は振り回され続ける。そしてゼロ距離の状態で2、3度男性の猛攻を防ぎ終え距離を取ろうと思ったその時男性の目にさらなる狂気が宿ったかのように鋭い目つきになり俺の背後にいた女性目掛けて刃物を突き刺す。その瞬間肉が抉り割かれる音が俺の脳内を掻き回した。

「グワっっ……!! スゥ…… くっ……」

 俺の腹部からは赤い血がダラダラと足を伝って地面に広がって行く。

「くっ……はぁ……はぁ…… なんとか間に合った……今のうちに安全な場所へ逃げてください!」

 涙ぐみながらこちらを見ている女性に向けて喝を入れると女性は涙を拭った後、腰を抜かしながら警察の元へと避難し無事保護された。

「クソっ!クソっ!くそッ!!!!俺の人生はあの女の親父に壊されたんだっ!!! クソっ!クソつ!」

「うっ…!ぐっ……グハッ… ………」

 俺の腹部は男性が『クソ』と言うたびに1つまた1つと風穴が開けられていく。
 だんだんと痛みが無くなって行く不思議な感覚に陥ると共に急激な眠気が俺を襲う。

 そしてだんだんと意識が遠のいて完全に意識が潰える間際、再び祖父の言葉を思い返す。

『男なら散る時は堂々とそして誰かの役に立って散って行け。それができてこそ男だ』

 その言葉を走馬灯のように思い出した瞬間ほんの刹那意識がはっきりとし男性の両肩をガッチリと左右の手で掴み精一杯の力で握りこんだ。その瞬間男性の悲鳴と骨が砕けて肉に刺さる音が天高く上がり、それと同時に俺の意識は潰えた。
 




「はッ!!」

 俺が目を開けるとそこには白い雲と蒼く澄んだ空が永遠に広がって居た。

「素晴らしい……ぐっ……まだ、こんなにも素晴らしい人間が居たんだな……」

 俺の右側から三十路くらいの少し渋みを帯び始めた感じの声が聞こえてくる。
 ゆっくりと体を起こしてみると今自分がいかに異様な所に居るのかを理解した。

 辺りは白い雲と蒼く澄んだ空そして俺が今いる場所だけ畳が宙に5畳ほど敷かれており、右隣には涙ぐんでいる黒髪でちょいちょいヒゲを生やした日系のおじさんが白い衣服を纏い、あぐらをかいて座っている。

「あ、あのぉ……」

 恐る恐るおじさんに声をかけてみる。

「いやー、すまない。本当に感動したよ!」

「あの、ここはどこですか?」

 取り敢えず状況把握をしよう。明らかにおかしな場所にいるということは察しているが……

「ここは天界だ、今から言うことをしっかりと聞いてくれ」

 やはり、俺はあの時死んだのか?

「わかりました」

 おじさんの声に耳を傾ける。

「君はあの交差点で見ず知らずの女性を救い、刃物を持った男性に腹部を複数箇所突き刺され出血多量で死亡した」

 やっぱり俺はあの時死んだのか。この時俺は自らの死に対して吐き気などの症状が全くない事に内心驚いていたが、今はこの男の人の話に耳を傾ける方が優先だと思いそのまま耳を傾け続けた。

「それで、君を蘇らせてあげたいのは山々なんだけど規定上できないんだ。だからこれからどうするか選ばせてあげよう。まず1つ目は全ての記憶を失って裕福な家庭に産まれる。2つ目は天国へ行く。そして3つ目これが最後の選択肢だ、剣と魔法の世界、君たちがよく使う言葉で例えるなら異世界に今の記憶と肉体で転生する。さぁどれがいい?」

「天国でお願いします」

「うん。わかった異世界だな、それじゃあ特別に……ん?今なんて言った?」

「天国で」

 俺は迷うことなくそう言う。

「な、なんで!?今の子達って異世界に憧れているんじゃないの!?」

「異世界って最近小説とかで書かれているやつですよね?」

「そうだよ?え、読んだんでしょ?なのに天国なの?」

 友達から何冊か借りて読んで見たがあまり熱狂できる様な内容ではなかったため特に憧れを抱くこともなく、小説を返却したのを今でも鮮明に覚えている。

「はい、お願いできますか?」

「ま、まぁ君がそれで良いって言うなら別に構わないけど……」

「じゃあ、天国でお願いします」

 座りながら目の前のおじさんに頭を下げる。

「わ、わかった。あ、そういやまだ名前を聞いていなかったな」

「俺の名前は、園寺 帝です」

「ミカド君か……俺の名前はエーシェルだ天国だったら今後も会うと思うからよろしくな」

「エーシェルさんは神様か何かなんですか?」

「まぁ一応そうだけど、俺も元は人間で天国で徳を積んで神様に昇格したんだ。ミカド君は生前の行いから察するにすぐにでも神になれると思うよ!」

 神なんだ……まぁこんな場所に居るんだ、よく考えれば当たり前か。

「エーシェルさん1つお願いがあるんですけどいいですか?」

「ん?なんだ?なんでも言ってくれ!蘇生以外で俺の出来ることならなんでもするぞ!」

西園寺さいおんじ たけるという名前の人が居るんですけど、その人は俺のお爺ちゃんで、俺のことを育ててくれた大切な人なんです。それで……」

 俺の言葉を遮るようにエーシェルさんが口を開く。

「心配する必要は無いと思うぞ?」

「どういうことですか?」

「ミカド君が助けた女性は大企業の娘さんなんだよ。ちょうど今頃娘さんと一緒にお詫びとお礼をしてたとこだよ」

「と、言いますと?」

「ミカド君って意外と物分かり悪いんだね……お爺ちゃんは凄い大金と住みやすい家を貰ったと説明したらわかるか?」

「本当ですか!?良かったです……これで何も思い残すことなく天国に行ける」

「ミカド君は本当にお爺ちゃんの事が好きなんだな」

「厳しい人でしたけどそれと同時に優しい人でもありましたので……」

「そうか……まぁまた天国で会うと思うからその時に、話聞かせてくれよ」

「エーシェルさんこれからもよろしくお願いします」

「おうよ! ほんじゃ、天国でまた会おう!」

「はい!」

 そう返事した瞬間俺の視界は真っ白に覆われる。

「あっ!? やべぇっ!ちょ、ちょっと待って!あっ……」

 エーシェルさんの慌てる声だけが聞こえる。何かあったのだろうか?
 そしてその声も次第に消えてしまい俺に意識が戻った頃には全てが終わり全てが始まろうとしていた。





 目の前には日本の空、いや日本の空よりも遥かに蒼く澄んだ天空が俺の視界に飛び込み、心地いい風が肌を撫で、ふかふかの原っぱが俺を包み込む。

「やっぱり、天国って名ばかりじゃ無かったんだな」

 一日十数時間勉強をして、それからお爺ちゃんに空手の稽古をつけてもらっていた日々と比べれば本当に天国と言える場所だ。

 ヒュンッ!

 鋭利な鉄のやじりが俺の頭のすぐ近くにの地面につ突き刺さる。

「はっ!?」

 天国って矢が飛んでくるのが当たり前なのか……?いやそんなわけ無い。
 俺は慌てて起き上がる。上半身が起き上がったのと同時に両足で地面を踏みしめ立ち上がる。

「え……?」

 立ち上がり周りを見渡すとそこには原っぱがひたすらに広がっていた。

 ヒュンッー!スパッ。

 右腕の上腕三頭筋辺りからじんわりと生暖かい血が指先の方へと向かって流れ落ちていくのが感じ取れた。

「なん…… ッッ!!」

 目視した時に漸く、自分の肩がどうなっているのかを把握しそれと同時にズキズキと刺すような痛みが肩を中心に右半身に伝わる。

「キェッ!キェッ!」

 その、奇声のような鳴き声がする方へと身体を180°回転させる。
 そこには、全身緑色で垂れ耳で身の丈は俺の腰辺りまでしか無い人型の動物……いや、モンスターと言った方が正しいだろうか。

 ギリギリギリッ……
 モンスターの左手には弓が構えられ右手で矢を引いてこちらを向いている。

「まずいッ……!」

 ヒュンッ。

 俺は咄嗟に身体を伏せて、射線から外れ間一髪矢を躱す。その間も肩からは止まることなく血が出続けている。しきりに鼓動が早くなり、鼓動の度に肩の出血も溢れ出す水のように勢いを強めて流れ落ちる。

「くっ、このままじゃ大量出血で死ぬぞ……」

「キェッ!キェッ!」

 モンスターが再び弓を引く。
 ギリギリと、音を立ててゆっくりと引かれる弓。

 現在俺とモンスターの距離はおよそ30m前後、そして伏せて矢を躱した際に矢の動きを目で追ったが、プロ野球選手のストレートと同等かそれ以上の速度が出ていると目測ではあるが判断できる。大凡150kmの矢が30mという短い距離を颯爽と駆け抜け俺を射抜く。明確な死、ただそれだけが俺の心拍数を更に上昇させる。

「ふぅ…… 破ッ!!」

 覚悟を決め、闘う事を決意し伏せていた状態から一気に立ち上がり足で地面をしっかりと捉え踏み込み勢いよくそして一直線にモンスターとの距離を詰める。

 シュンッ!!

 3mほど距離を詰めた所で矢が放たれる音がした。

 その音が俺の鼓膜を震わせた瞬間。周りの全てのモノの動きが鈍速に感じられた。今の俺の目には、プロ野球選手のストレートと同等かそれ以上の速さの矢でさえも前方から赤子が這いずって近づいてきている程に、ゆっくりに感じられた。

「なん……だコ…レ……矢が遅く……」

 極限状態に陥っているためか、思うように言葉を発することができない。だがそんな口元とは裏腹に体は勝手に生き延びるための行動を瞬時にとる。

 モンスターの放った矢は一直線に俺の眉間に放たれているのが、見て取れた。そう感じるや否や矢の射線から外れるように体が自然に動く。そして完全に射線から外れるがまだ矢はゆっくりと俺の眉間があった場所へとピンポイントで放たれている。

 矢の行方を2、3秒ほど見つめただろうか、この時俺は頭の何処かで『生き残った』と無意識のうちに認識したのだろう。その瞬間に、矢の動く速度ば徐々に早くなり2秒もかからずに元のスピードに戻り、矢は空を射ながら勢いが無くなるまでひたすら飛び続けた。

「ここッッ!!!破ッ!!!」

 モンスターが慌てて弓に矢を添えて力一杯に引く。そして今モンスターと俺の距離はわずがに5m程。モンスターが弓を目一杯まで引き矢を放つ。矢が放たれる僅か数瞬間前にスライディングの様にモンスターの足元へと滑り込んだ。モンスターが放った矢はまたも空を射る。

「キェッ!?」

 モンスターの悲鳴が上がった瞬間俺の腕はモンスターの首元を絡め締め上げていた。

「キェッ……ギュルゥ、ギェァ……」

 モンスターは静かな断末魔を上げて息を引き取った。

「はぁ……はぁ……何とか勝てたか……」

 安堵のあまり、両手両足を地面につけ今生きている事の有り難みを深く噛みしめる。そして、その安堵が身を包み込んだのと同時にある疑問が俺の脳を支配する。

「ここって……天国なんだよな……?」

 俺の脳内一杯に、疑念が駆け回る。しかし、その答えを導き出すのはそれ程難しい事では無い、難しいのはその答えを受け止める事なのだ。

「異世界……なのか?」

 俺は何処までも広がる高原で右腕から血を垂れ流しながら呆然と立ちつくすだけだった。




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