性欲戦線 -30歳・童貞・魔法使い-

ノベルバユーザー186244

第一話 誕生日、空き巣、妖精

 部屋の片隅に置かれたデジタル時計が一番小さい数となり、カレンダーは一番左の赤色を指す。
 部屋は無人、明かりはなく、閉ざされた暗闇をデジタル時計の淡い赤光のみが照らし続ける。部屋に動きはない。
 しかし唐突に、弱弱しく風が流れ出す。部屋の中央に設置された小さな机を中心に風は渦を巻き、掃除されずうっすらと積もった部屋中の埃が舞い散った。徐々に強まっていく風が小物を揺らし、部屋中が荒れ狂いだせば物が揺れカタカタと音を立て、まさにポルターガイストと言えよう。
 風が物を倒し出し薄型テレビが揺れ始めた時、ガチャリと鍵の音と共に勢いよく窓が開いた。
 その瞬間、強まりつつも静かに巻いていたつむじ風が濁流のように勢いよく外へ解き放たれた。カーテンがバタバタと大きく音をたて、風の勢いに巻き込まれた部屋の小物は吹き飛ばされ、おおよそが倒れ落とされる。
 風は直ぐにおさまりまた静寂がかえってくるが、部屋の有り様は空き巣に入られたように悲惨だ。そしてもうひとつ、先程までと変わっている点があった。

「……におうねぇ」

 机の上に小さな物体が鎮座していた。

X    X    X    X    X

 のそりのそりと足取り重く、私はマンションの階段を上る。
 外を覗くと辺りは闇、鈍い蛍光灯の光の周りをふらつく羽虫を見ていると、さらに落ち込んでいく。
 左手を少し上げ、スーツの袖をずらして腕時計を見ると既に夜中の一時を過ぎていた。なぜ土曜もこんなに遅くまで働かなければならないのか、という意見はゆとり教育が抜けていないからなのだろうか。そんな愚痴を心のなかで呟くと、さらに気分は沈む。
 こんな日、いつもであれば風呂にも入れずベッドに倒れこんだだろう。だがしかし、今日の私は違った。何故なら今日は私の誕生日なのだから!
 ついに30という大台に到着したのだ。祝杯を上げるためにビールと300円ちょっとのケーキをコンビニで買ったのだ。一人で細々とやるのもまた一興、左手のこの重みは幸せの重みなのだとそんなことを考えると心が不思議と弾み、意気揚々と進んでいく。
 ……30歳まで、童貞だったなぁ。
 不意に表れた思考に一気に興ざめ歩みも止まり、感情の起伏は一気に谷底へ落ちた。
 思えば人生、何もなかった。恋愛という分野においては縁がない。
 セックスは勿論、キスもない。それどころか交際経験さえない。女子と手を繋いだことなどあっただろうか。ああ、哀しい。思えばなぜ今日まで性風俗へ足を運ばなかったのか。忙しくて行けなかった? そんな暇なかった? いや、違う。相手に何もできず筆おろしされるのが恥ずかしかったからだ。素人童貞という称号が恥ずかしかったからだ。うじうじしていたら、もうこの年だ。早く行っておけばよかった。
 解き放たれた負の感情は止めどなく溢れてくる。
 この年で童貞というのも恥ずかしいが、平社員というのも嫌だ。私が勤める会社は営業系の中小企業である。中小企業は大企業と比べて昇進も早いなんて話も聞くが、嘘っぱちだ。別に評価良さそうじゃないし、何時まで経っても昇進が来ないかもしれない。会社、辞めるべきだろうか。でも今から就活しても、こんな三十路のおっさんを雇用してくれるような企業が見つかるとは思えない。
 うつむいた状態で暫く立ち止まって頭を巡らせていたが、これじゃあいけないとまた一歩踏み出していき、すぐ自分の部屋の前についた。
「よし、祝杯だ。よって忘れて寝よう」
 ガチャガチャと無駄に鍵を動かしてドアノブを引き、誰もいないが寂しさを紛らわせるために薄く笑みを浮かべながらただいま、と言いながら入ろうとするが。
「ただい__」
 ま。最後の一文字が声にならなかった。窓が全開、暗がりの中少しだけ見える部屋の雰囲気がおかしい。
 半開きのカーテンが揺らめく。手からレジ袋が離れたが、そんなことは気にならなかった。革靴を急いで脱ぎちらかして中へ走り、壁にある照明のスイッチを殴るように付ける。数瞬遅れでついた光にさらされるのは、ものは倒れ転がりと荒れたこの惨状。私の体は凍りつき、思考は停止した。

 は? 空き巣?

 徐々に怒り、上回るように悲しみが、そしてそれを越えて虚無感がやってくる。

 頭の中はからっぽで、感情が消えうせた。しいていうなら気だるさだけは手元にあった。
 私はベッドに倒れこみ、仰向けになって天井をぼうっと見つめる。
 何が誕生日だ。こんな日に限って空き巣なんかに。思えば昔からそうだ。運が悪く、だれかに幸運を吸い取られてるとしか思えないほどに嫌なことばかり起こる。家にも友にも才能にも恵まれず、この年になって友と呼べる相手はいただろうか。
 趣味もない。読書する暇はないし、運動する気にならない。ドライブは面白味を感じないし、映画鑑賞は疲れで眠くなるだけだから無駄だ。マンガやアニメは好きだけど、今では毎週追うことも難しいから少し見るだけ。
 私の人生、楽しいか?
 自分の不憫さややるせなさに視界が滲む。もっと若いときから熱中するようなもの見つけておけばよかった。サッカーとかじゃなくて良い。読書やお絵描き、ゲームで良かった、なにか好きなものがあれば。
 いや、ある。趣味もあった。オナニーだ。
 最初にセックスを知ったのは小四のころ、友達の兄貴から教えてもらった。そこからは早かった。ネットでどんどん知識を溜めこみ、よく画像や動画を見るようになった。オナニーは小六の夏に初めてした。その時に精子はでたので、精通はそれよりも前にあったらしい。
 それからだった。オナニーが好きになり毎日毎日アホのようにオナニーをする。あの頃は本能のままにオナニーをする、ただのオナ猿だ。性欲が昔から強く、精力は衰えるどころか成長し、やろうとすれば毎日三連発だって簡単に出来る。そのため精力増強剤などは飲んだことがない。まあ、オナニーするために増強剤など飲むならそれはもう末期である。
「……でも、オナる気にもならねえよ」
 ハハハ、乾いた笑いがこぼれる。いくら趣味でも、空き巣に入られてまでやるきになる奴なんていな__
「おめぇアホだろ?」
「うわぁあっ!?」
 視界の上方から突如現れた生物に驚ろきベッドからずり落ち、痛みに悶える暇なくドタバタと四つん這いで部屋の反対側に逃げ込む。部屋の角で謎の生物を見上げると、それはふわふわと飛びながら近づいてい来る。
「よく見ろよ、物が落ちて部屋は荒れてるように見えるけどタンスとか引き出しは何も開いてないだろ? 転がってるやつは全部出てたやつしかないんだよ」
「え? あ……」
 メッシュの入った赤髪を掻き上げたヘアースタイルで、目つきと相まってヤンキーのような雰囲気を醸し出す三十センチほどのそれは、文字通り見下しながら解説して私は混乱しながら周囲を見渡す。言われれば倒れているものは棚の上などに置いてあったもので、どこかに入れておいたものは一つもない。通帳やハンコなど大切なものをしまっておいた引き出しへ駆け寄り慌てて中を確認すると、何一つ変化なく全部収納されていた。他の引き出しも見てみるが盗られたものはなさそうだった。
「はぁぁぁぁ、よかったあッ……!」
 安心した私は、力が抜けてしまいベッドへ再度座り込み額の冷や汗を拭う。が、直ぐに別の問題に気づいて顔を上げる。
「いや、おっ、お前はなんだよ!?」
 空中であぐらをかいてこちらをずっと眺めてたそれを指差し、睨み付ける。敵意剥き出しというか、不信感や警戒の仕方にそいつは「フッ」と私を鼻で笑い、やれやれといった雰囲気で足を解き腕をくんで仁王立ちの状態で話し出す。
「私はアグネット。妖精だ」
「よ、妖精?」
 今この状況が本当に現実なのかが怪しく思えてきた。ゆっくり机の中心に降り立つアグネットと名乗る妖精から目を放さずに立ち上がり、距離をとる。
「そう警戒しないでくれよ。別に取って喰おうって訳じゃないんだからさ。って、食べられそうなのは私か」
 一人で愉しそうにしているアグネットに私はついていくことはできず、まだ理解しようと努力するのに精一杯だ。
「無理言うなよ、本当にお前は妖精なのか」
「そう言ってるだろ。喋って飛んで、頭を使う、こんなもの作り物だと思うか? それよりも妖精が実在してると思ったほうが愉しいぞ?」
 確かに、疑うならば妖精かどうかを疑うよりも存在自体を疑ったほうがいい。だが実在している。信じられないが、まだ私は現実を生きているらしい。しかし哀しいことに、その事実に私は喜びを感じない。
「まあまあ落ち着いて話そうや? お前、今日は誕生日なんだろ?」
 私は振り向き、玄関に落としたレジ袋を取りに行く。持ち上げて中を確認すると、ビールは缶が凹んで、ケーキは逆さまだが容器にベッチャリとクリームが付いただけ、まだまだ食べられそうだ。
「空き巣じゃなかったから、祝杯あげろよ。食べながら色々話してやるから」
「そうだ、お前は何のためにここに来た!?」
 机の上で今度は寝転がっているアグネットに私は問い、アグネットは瞼を閉じ、面倒そうに答える。
「におったからさ」
「え?」
 目を開けたアグネットは、三頭身で寝転がっているくせにとても凛々しくかっこいい表情で言い放つ。
「亀降統世、再度自己紹介してやるよ。私はアグネット、オナホールの妖精だ。三十才まで童貞で精力も強い君には魔法使いになってもらうよ!」
 しかし、その中身と顔は驚くほどにミスマッチであった。

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