湯谷夜子の活動記録 ~二度目の人生は過ちから〜

ぽた

墓参り、繋がり

「随分と遅くなったな。久しぶり、沙織」

 線香に火を点けて供え、数秒手を合わせた後、俺は墓下で眠る妹の亡骸に声を掛けた。
 骨は分けずに全てここに埋めてあるから、その魂はここだけにあるのだ。

 俊さんから依頼を受けた三日後の今日、予定通りに俺たちは指定の街まで来ていた。
 今いるここは、その外れ、路地を曲がって進んで更に曲がって――と複雑に入り組んだ道の奥にある、沙織のものを含めても数えるくらいしか墓石がない、小さな墓地だ。
 何本供えるのが礼儀か分からない俺は、亡くなったのが十三だからとその本数供えた。
 多すぎたろうか。
 いや、いいか。
 薄っすらとしか覚えてはいないが、確か住職さんが、大事なのは気持ちですとか言っていたっけな。
 なら、これでも別に悪くはなかろう。

 ついでに私もいいかと隣でしゃがみ込む穂坂さんに線香とマッチを手渡して、少しずれて待つ。
 彼女は自分で三本持つと、波場さんにも二本だけ渡した。

 どうして数が違うのか、と俺が問うが早いか、

「これで十八本。一人につき二本供えるっていうのが多いんだけど、三本供える宗派もあるの。私たち全員二本だと十二で、既に越しちゃってるから。だから、十八。宗派違ってたらごめんね」

 少し申し訳なさそうに穂坂さんが言った。
 仕事ついでのただの我儘に吐き合わせただけでなく、わざわざ気まで遣わせてしまうとは。
 そんなつもりはなかったのに。

「いえ。すいません、お気遣い感謝です」
「どういたしまして」

 優しく微笑む顔が眩しい。

 で、いいよね? と波場さんに確認を取って「ええ、確かに」といった反応を受け取ると、小さくガッツポーズをして合掌。
 目を閉じ、静かに祈りを捧げてくれた。

 穂坂さんが終わると、勝手に手渡された線香を持っていた波場さんも、参らないわけにはいかない。
 二人に倣って線香を備え、合掌し、しばしの沈黙。
 随分と以前が最後になってしまうが、それまでここに来る時は、決まって一人だった。
 だからか、身内でもない二人がこうして、その場の流れでも手を合わせてくれていることが嬉しくて、つい妹の顔が浮かんできた。

「ねえ芳樹」

 振り返ったのは穂坂さんだった。

「どうしました?」

 応えると、穂坂さんは少し渋った。
 が、やがてまた顔を上げると、

「言いにくかったら断っていいからね。妹さんのこと、聞いてもいいかな?」
「……それまた、どうして?」
「さっき、お墓に語り掛けてた横顔が、とっても切なく見えちゃって……あの日ね、実は、君が落ちたのは風の所為だって聞いて。目的はその為だったんだろうけど、実は決めあぐねてたんじゃないかって……その理由が、ここにあるのかな――なんて、ごめんね、勝手な妄想」

 夜子さんに聞いたのか。
 全て、見透かされていたわけだ。

 しかし、さっきのあの一言の瞬間にそんなところまで考えていようとは。
 もしかすると、線香の数をメンバーに合わせたのは――そんな思惑もあったからなのだろうか。
 だとすると尚更、自分が情けなくもあり、同時にこの人たちには決して頭が上がらないような予感がある。

「芳樹……ごめん、怒っちゃった?」
「え? あ、いや、考え事を……」

 この人たちになら、話してもいいか。
 何故だか、そんな気がした。

「そうですね。まず、凄く身体が弱かったです。二、三ヶ月に一回は風邪をひいて、毎年冬にはきっちりとインフルエンザにもかかってましたね」
「それ、きっちりって言うの?」
「ははは。まぁそんなこともあって、しょっちゅう病院に通っていました。入院になることもあって、その度、見舞いにと適当な漫画とか小説なんかを買って持って行ってやるんですけど……中には難しいものもあった気がすんですけど、文句なく『ありがとう』なんて笑顔で言って、それに噛り付いていました」
「可愛らしい妹さんじゃありませんか」

 合掌を終えていた波場さんが振り返りざまに言った。
 いつも通り眼鏡を直しながら、口元は緩んでいる。

「よくできた妹でした。よく休むのに学校には友達も多くて、基本憎まれることもなく輪の中心にいるような。とにかくも明るい、月並みですが太陽のような存在でしたね」
「何か……そういうのって、良いね」
「今思えば、そうですね。そういえば、兄妹喧嘩なんて一度もしたことがありません」
「そうなの?」
「ええ。当然と言えば当然なのかも知れませんが――妹の体質上、無理をさせることは極力しなくてですね、どちらかと言えばずっと気にかけていたくらいです」

 運動会で走るとなれば大量の水筒を持たせ、マラソン大会があるとなれば熱さまシートなんかを持たせ、修学旅行には酔い止めと緊急用の金と――振り返れば、親ばかならぬ兄ばかではあったな。
 しかし妹は、それらに対しても嫌を一つも言わず、ありがとうと言って受け取って出かけた。
 救われていたのは、実はこちらなのではないかとも思えてくる。

「永禮さん?」

 気付けば黙っていた俺に、波場さんが声をかける。
 頭の中と反した表情でもしていたのか、その隣では穂坂さんが心配そうな表情でこちらを見ていた。

「すいません、また考え事を」
「ごめん、無理させちゃってる…?」
「い、いえ、そんなことは…! 過去を懐かしんで、色々思い出して、どちらかと言えば喜ばしいことです」
「なら良いんだけど。話を聞く限りだと、何だか『ザ・妹』って感じね。いつでもどこでも気が置けないって言うか」
「ですね。でも、一度だけ俺が何もしなくなった時があったんです」

 え、と二人が口を揃えた。

「紗織――あぁ、妹が…」
「いいよ、呼び方は」
「ありがとうございます。十二の時でした。『がん』が見つかったんですけど、その時既にかなり進行していて――管とか輸液とか機械とか、色々巻かれていた姿がただただ気の毒で、何かしてあげたいけれど俺も子供で無力で……このまま死んでいくのかと思うと怖くて怖くて」

 そう言えば、あの時も『来てくれてありがとう』と言っていた。
 あれは出来得る限りの妹の気遣い――心配させまいと精一杯強がった言葉だったのではないだろうか。

 いつも通り持って行ってやった漫画を、力なくも必死になって頁を捲って読んでいた。俺はそれを『可哀そう』だなんて思ってしまった。
 そうじゃなかったんだな。

 そんなことに気付いてしまうと。

「あれ……?」

 自然と涙が溢れていた。
 あの時、中身がもっと大人だったら良かったのにと、今にまって後悔が押し寄せて返さなない。
 もっと上手くやれたはずだ。もっと優しくできたはずだ。もっといい別れ方も――ともすれば、出来ていた気がする。

 一度死を覚悟しかけてから、俺の心はすっかりと弱くなっていた。

「最期の瞬間も、笑って……あれ、笑ってたのに…」

 そんな俺に手を差し伸べたのは――

「ごめんね…!」

 そう言いながら俺を抱き寄せる、穂坂さんだった。
 三浦さんはまたいつものように眼鏡を直すのだが、しまったという表情は隠しきれていない。

 何故、穂坂さんが謝るのだろうか。
 分かり切っている。
 とても優しい人だ、自分がこんなことを聞いたから、とか思っているに違いない。
 そうじゃないのに。
 俺が弱いだけなのに。

 我儘、気遣いに重ねて、まだ更に迷惑をかけるのが嫌で、俺は咄嗟に、

「本当に九十はありそうだ……」

 なんて、同じく隠し入れずに溢れる涙を抑えられないまま言ってみると、穂坂さんは笑って、抱き寄せる力を強くした。

「存分に堪能しな、それで安心するなら」
「……流石に、冗談には聞こえません」
「こんな身体、冗談くらいで丁度いいわ。どうせ汚れきってる身体だし」

 そして、尚も力を強める。
 豊満で柔らかな感触も、ここまで来ればもはや苦しみに変わってきていた。

 俺が慌ててタップするとようやく解放し、ごめんと一言。
 むしろごちそうさまです、とはふざけても言えなかった。

「でも、私にはどうしても、幸せな話に聞こえてしまいますね」

 波場さんが墓石に目をやりながら、ふとそんなことを言った。

「確かに、その瞬間限りは『逃げた』と自分では思ってしまうものです。ですが、それをただ『放棄』しただけの兄だと捉えるなら、亡くなられる瞬間に笑顔など向けましょうか」
「それは――」
「あるいは最後まで強がったのかも分かりません。はっきりとは断言できませんけどね、それは確認のしようがありませんから。でも、強がりでも、やっぱり思っていたのは『ありがとう』ではないか。そんな気はします」

 あまり話したことのない波場さんもそんなことを言うものだから、もう感情を逃がす場所はなく、また視界が潤んできた。
 思ってくれていただろうか。
 俺が勝手に、痛々しい光景を見たくなかったから飛び出したというのに、沙織はそれを気遣いだと勘違うことなく捉え、それでも尚、ありがとうなんて思っていてくれたのだろうか。

 確認のしようはないけれど、それならどれ程良いか。

「随分と弱くなったものです。いえ、元から弱かったんですけど」
「また胸に飛び込んできても良いのよ?」
「あなたから勝手に抱き寄せたんでしょうが」
「芳樹なら大歓迎。いつだってウェルカムよ」
「それはまたその内。そんな機会が来れば、盛大に抱き着いてやりますから」
「一日ともたないわね。たった今わんわん泣いてた奴の言葉だもの。楽しみにしてるわ」
「流石に、これ以上の無様は晒さないと誓いますよ」

 そんなやり取りをしていると、波場さんが「さて」と声を上げた。
 気付けば、随分と長い間こうして沙織の墓前で語らっていたのだ。

 最期にもう一度だけ拝んでから墓石を撫でて、墓地入り口で作業をしている用務員さんに、礼を言って手桶を返却した。
 すると、それを受け取った用務員さんが俺の顔を見て、

「随分と大きくなったもんだ。昔は制服着てここに通ってたろ?」
「制服って――」

 よく見ればこの人は昔、俺が一人で墓参りに来た折、これをやるといって飴玉をくれたおじさんだ。
 当時に増して歳を取り、髭も伸びていたのですぐには気が付かなかった。

「すっかり大人じゃないか。仕事は何をやってるんだい?」
「えっと――人助け、です」

 嘘ではない。
 物は言いようだ。

「人助けってーと、医療か何かか。へぇ、立派になった」

 そう言ってぽんぽんと肩を叩くのは、当時のままだ。
 しかし、立派になったとは。自殺しかけたんですとか、医療ではないですとか、本来なら言わなければいけない場面なのだろうが、後ろめたさから口は動かない。
 愛想笑いで会話が進む中、おじさんは俺の後ろに控える二人に目を付けた。

「んじゃあ、そっちの別嬪さんは彼女かい?」
「ただの同僚です…!」

 さっきの光景がフラッシュバックして、俺は咄嗟に大声でそう言った。
 穂坂さんは少し膨れて拗ねたように口を尖らせるが、今はそれを弁解している場合ではなかった。

「同僚の、こちら穂坂茜さんと波場安高さん。同僚の!」

 紹介すると、二人に頭を下げてるおじさん。
 何を言い出すのかと思えば、

「妹さんの墓なんだと。当時から不安定だったんだが、まぁ優しそうな仕事場で安心した。俺が言うのは可笑しいが、よろしく頼むな」

 言葉を失った。

「勿論です。彼は大切な仕事仲間ですから。責任をもって」

 そう応えたのは波場さんだった。
 こういう時、一番に声を上げるのは穂坂さんだと思っていたのだが――まだ膨れて、怒っているのだろうか。
 気になって、ちらとそちらに目をやると。

 優しく、柔らかに微笑んでいた。

「それでは。これから仕事ですので、失礼いたします」
「おう。頑張れよー」

 いつの間にか波場さんが場を収めて、墓地を後にした。

 しばらくは、無言の中で三人の足音だけが路面に響いたが、やがて肩に手が置かれる感触があって振り返った。

「死のうなんて、考えるものじゃなかったね。私も、君も」
「そう、ですね――ええ、本当に」

 本当にそうだ。
 死んでしまえば、今のように細く繋がっていた関係も、太く支えてくれていた妹の存在も、気付くことなく、有難みを感じることもなかった。
 人生どこまで行こうとも、命あってなんぼ。
 本当に、その通りだった。

 礼を言ったところで、穂坂さんは「それと!」と正面に回り込んで、見上げるようにして覗いて来た。

「ただの同僚って、ただのって、何であそこをあんなに強調したのかな?」
「えっと――いえ、だって同僚ですし…」
「別に、嘘でも彼女で良かったじゃん」
「それは流石に」
「何、私じゃ物足りないって言うの?」
「むしろ逆…? 俺の手には余り過ぎるんですよ穂坂さんは。冗談でも、俺なんかが彼氏っていうのが納得できなかっただけです」
「別に、芳樹なら全然良いんだけど」

 は? 
 今度は何を言い出すのだろうか。

 それに、貴女の過去を知ってしまっている今、おいそれと「じゃあ付き合いましょう」と言えないことも分かっているだろうに。

「普通のお付き合いって、したことなかったからさ……ちょっとは夢見たって、バチ当たらないと思わない…?」
「それは……正直に言います、貴方の過去を知ってしまった以上、それは出来ません。今は」
「今は、か。うん、前向きに捉えるね」

 穂坂さんはうんうんと頷く。
 笑ってそんな仕草をしているが、茶化している様子はなさそうだ。

「たまに男っぽいこと言うんだから」
「良いでしょう、男なんですから。……危ない男じゃなけりゃ、誰でも良いってことはないですよね?」
「便利な言葉があるものね。一目惚れ」

 何ともなしに、そう言い放った。

「ある程度好きでもなけりゃさ、あんなことするわけないでしょ」
「あんなことって――」

 少し考えて、顔と頭に残った感触を思い出した。
 その瞬間、急に顔が熱くなって、俺は咄嗟に視線を逸らした。

「過去の相手は置いておいてさ、誰にもやったことないよあんなこと。ねぇ、安さん?」

 そう言って波場さんの方を向いた。

 穂坂さんは波場さんのこと、そう呼んでいるのか。
 夜子さんは夜子さん、波場さんは下の名前から安さん、岩山さんは筋肉ゴリラ――酷いな。
 そうなると、あとの二人も気になる。

「ようやく思い出していただけたようで安心ですが――茜さん、公衆の面前で告白とは、随分と大胆になりましたね」
「え――?」

 ふと周りを見ると、そこは路地を出た大通りだった。
 集まる視線に、恥ずかしさからフードを被ってしまう穂坂さん。
 波場さんはそれを見て笑って、では急ぎましょうかと先を歩き始めた。

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