湯谷夜子の活動記録 ~二度目の人生は過ちから〜

ぽた

二度目の人生は自殺から

 人生の終わり、と言えば、生を全うしたのだろうと勘違いされてしまうが、それに至る方法が『自殺』ならどうだろう。
 親、ないし兄弟といった身内に迷惑をかけて、全ての責任を丸投げして、とバッシングを受けてしまうことまず間違いない。
 しかし、周囲にそんな存在すらいないなら。
 自ら全てを投げ打つ自殺も、あるいは正当化できるのではないだろうか。

 といった議論も、死んでしまえば意味はない。
 後に残った者たちが何を言い、何を思い、何をしようが、死んだ当人には何の関与も出来ないどころか、それを知ることすら出来ない。いや、、この世に魂だけでも存在しているという保証すらない以上、知る知らないといった討論もまるで必要ない。

 何が言いたいか。
 責任逃れには、自殺が何より効果的だということだ。



 廃ビルの屋上、柵を越えた壇上に立ち、空を見上げる。
 鳥にでもなれたら、あるいは命をも持たない雲にでもなれたら。
 今更になって、叶いもしない空想に思いを馳せる。
 二十歳から二年間頑張って勤め上げた仕事先からリストラされ、次の就職口もなく、夢も諦め、紆余曲折を経た三年後。
 ついぞ自殺の決心をして、俺は今ここに立っている。
 親は二人とも、とっくに向こうで待っていて、引き取った親戚も俺を疎んでいるようだから、迷惑をかける相手なんて誰もいない。
 だから、踏みとどまることなく実行できる。

 思い残しと言えば一つだけあった。

「最後にもう一回くらい、墓参りに行っておけばよかったかな」

 十三で命を落とした妹の墓が、ここから遠く離れた地元にある。
 最後に参りに行ったのは、もう二年も前だ。移動に使う金すらも惜しい程に貧窮していて、ずっと行けていない。

「まあ、いいか」

 向こうに行けば会えるんだし。
 無理矢理にそう飲み込んで、深呼吸。
 こうやって時間を稼ぐ辺り、まだ少し躊躇しているようだ。

「紗織――」

 最愛の妹の名を口にした瞬間だった。
 不意に吹いた強い風が、緩んでいた俺の身体を横から殴ってきたのだ。
 俺は踏みとどまることが出来ずに体勢を崩し、ついに右足を踏み外してしまった。

「しまった――!」

 そう漏らした時、本当はどこかで死にたくなかったのだと悟った。

 死にたくない。
 生きていたい。
 死にたくない。
 生きていたい。

 死を間近に感じた刹那、頭の中で繰り返されるのはその二つだけだった。
 生きる為の方法はいくらでもあって、死ねない理由もまだあって。
 ああ、本当に。

 どうしてこんなことをしてしまったんだろう。

 熱い何かが込み上げてきて、嗚咽すら感じ始めた時。

 重力に逆らうことなく落下を始めていた俺の身体に、唐突に反重力が働いていた。
 しかしそれは瞬間で、再び重力に従って身体は重くなる。
 それでも落下を再開しない俺の身体は、やけに痛む右腕に働く力によって支えられて――否、釣られて揺られているのだと分かった。

「おわ、あっぶね…! 説得する前に落ちやがって…!」

 ふと、野蛮な口調で男の声が聞こえた。
 耳を打つその声は、どうやら上の方から響いているらしい。
 口ぶりから、おそらく俺を引っ張って支えている誰か。

「引き上げるぞ、壁に足つけて踏ん張れ…!」
「え…!? ちょ、ちょっと待って…!」
「いいか、行くぞ! せーの…!」

 決して軽くはない男である俺の身体が、勢いよく引っ張られる。
 咄嗟にじたばたともがいてみるが、足は壁に触れることなく空を蹴り続け、結局その人の力だけで俺は引き上げられた。

「はぁ、はぁ、はぁ……お、お前、踏ん張れって言ったろ…!」

 よく鍛えられた肉体の男は、肩で息をしながら俺を睨む。

「し、仕方ないじゃないですか…! 俺だって何が何だか――」
「アホ言え、自殺志願者が。はぁ…お前がそんなこと考えなけりゃ、こんなことにはならなかったんだ」

 悔いて恥じろ、と男は叫んだ。

 そこで、顔を上げた俺は、更に後ろに控えている一人の女性と目が合った。
 年の頃は二十台後半辺り。俺の二回り程小さい身体。黒の長髪が良く似合う目鼻立ちがはっきりした顔には、こちらもよく似合う黒の眼鏡。
 清楚、という言葉が適切な見た目だ。

 目が合った瞬間、その女性は俺に微笑んだ。
 今まさに死のうとしていた俺にだ。
 そして、こんなことを言った。

「私と一緒に来なさい」
「は……?」
「見た所、自殺志願者ではあるようですが、今の落下は事故だったようですね。加えて今すぐにでも二度目のダイブを試みない辺り、死にたくないとお考えなのではありませんか?」
「……………………」

 俺は答えられなかった。
 心を見透かされたからではない。
 なぜ、全て知ったように涼しい顔で二人がこんな所にいるのかが単純な疑問としてあったのだ。

「お前たち、何なんだ?」
「貴方が『生きる』と一言いえば、如何なる質問にも答えましょう」

 人が悪い美人だ。
 自分で言うのも何だがこんな緊迫した状況下で、自らにメリットのある条件を提示してくるとは。

「生きるって……仕事なんてないんだぞ」
「それは私が与えます。働きに応じて給金も出しますし、何なら寮だって食事だって与えましょう。それでも不満が?」
「大ありだ。俺にメリットがない」
「メリットしかない、の間違いですよ」

 彼女は首を横に振る。

「今し方、貴方は思った筈です。やり直し、生きる、そんな単語を」
「どうして分かる?」
「分かってしまうから、としか今は言えません。先ほど申し上げました通り、貴方が答えを得たいのなら、一言『生きる』と叫ぶしかありません」
「待て、叫ぶことはないだろう」

 俺がそう指摘した瞬間、その女は不敵に微笑んだ。
 そう。俺は今、生きると掲げるに等しい返しをしたのだ。
 まんまと誘導されたというわけだ。

「さあ、せーの」

 女は楽しそうに拍手でもってリズムを取る。
 別に、話に合わせることなく無視を決め込めば良かったものを。

 何を血迷ったか。

 少し遅れて、

「い――生きたい……です」

 俺はそう口にしてしまっていた。

 それを受けた瞬間、女の存在感に圧倒されて早くも少し忘れかけていた男が、背後から俺の首をロックした。
 ぐえと情けない声で苦しむ俺にかけられるのは、しかし温かく優しい言葉だった。

「そうか良かった! もう死のうなんて思わないわけだな! いやあ良かった良かった!」
「ちょ……ぐるし…!」
「まずはこの古くてぼろっちい服を変えにゃあな。お嬢、早速買い出しと行こうぜ」
「ぐる、し……」

 流れの中ではあったがせっかく再び生を歩む道を選んだというのに、危うく失神を越えて殺されそうになっていた俺をロックする男を、女が慌てて止める。

「ちょっと紘輝こうきさん…!」
「ん? ああ、いけねえ。悪い悪い」

 ようやく解放された俺は、咳込みながら全力で空気を吸い込む。
 そこで、まだ生きているのだと実感した。

 呼吸が整った所で、女が俺の方へと近づいて来た。
 そして、右手を差し出す。

湯谷ゆたに夜子よること申します。これから、よろしくお願いしますね」

 吸い込むように視線を掴まれた俺は、どうにも逃げ切れそうになくて、観念してその手を取った。

「よろしく、と言っていいのだろうか」
「構わねえ構わねえ、これからは言わば、同僚になるんだからな!」

 男は強く俺の背中を叩く。

「岩山紘輝だ。とりあえず、街まで買い物に行こうや」

 明るく手を握ってにてブンブンと振り回されたかと思うと、ぱっと離して踵を返した。
 ぽかんと口を開けて返答せずにいられない俺に、女改め夜子さんが声を掛ける。

「すいません、あの方はああいうタイプなので」
「随分とパワフル――いえいえそうじゃなくて、一体これって……」
「積もる話はまた後で。先ずは紘輝さんの提案通り、服を揃えませんと」
「俺は生きると言ったぞ?」
「私は『直ぐ』とも言ってませんが」

 また、はめられた。
 随分と上手い事言葉を選ぶ人だ。

 夜子さんに促さるまま歩いて廃ビルを後にし、モールへ。
 そこで真新しい服とズボンを買ってもらい、モールも後に。「悪いが貸しだ」と言った紘輝さんの言葉を胸に留め、訳も分からず再び歩き出した。

 路地を奥へ、曲がり、曲がり、更に奥へ行ったところで、一つの家の前で足を止めた。
 そして、古ぼけた扉を夜子さんが開ける。

「ただいま」

 瞬間、中からガタンという音が聞こえてきて、次いで三人の男女が出て来た。

「お帰りなさいお嬢!」
「お嬢、今回も無事にいったようですね!」
「おかえり夜子さん。ところでそちらの方が?」

 一人だけ違う語尾で括ったのは、男二人女一人の内の女だった。
 控えめな茶髪にピアスを付けた、一見ギャルのようで化粧は大人っぽい人物。

 夜子さんは「ええ」と頷くと俺を前に出し、

「待望の五人目、えっと――」

 何かを言いかけて、夜子さんは俺の目を見る。

「え? あ、えっと、永禮ながれ芳樹よしき。何か成り行きで……」
「そう、永禮くんです」

 そのやり取りを経て、茶髪の女性は呆れて首を振った。

「まーた説明してないんですね、全く。飲み込もうにも、材料がないと不可能じゃないですか」
「ごめんなさい、皆を紹介する方が早いと思ったの」
「まあいいじゃないですか。思い切りの良さも、お嬢の美徳なんですから」

 言ったのは男二人の内の一人、眼鏡をかけたいかにもな人物だ。
 眼鏡をくいと直しながら、どやっと言い放つ。

「それでそれで、その人の能力は何なんですか!」

 ん?
 聞き慣れない単語が耳に残った。

「そうだお嬢。俺もまだ聞いてねえよ、こいつの能力」

 能力?

「そうですね。早いと言うなら、まずはそれを教えて貰わないことには始まりません」

 ちょっと待て。何の話だ?

「分かってます、そう焦らないでください」

 夜子さんは一拍置いて、

「永禮芳樹さん、『未能力者』です」
「「「「は……?」」」」

 俺が一番言いたい台詞を横取られた、新しい初日だった。

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