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春野ひより

ばあちゃん



 だいぶ夜も老けた頃、
 皆が寝てからお風呂に入った。

 二年前まではいわゆる五右衛門風呂と
 言うやつだったが、流石に体力の
 限界だと祖母が祖父に言って、
 最新式の風呂を買ってもらったらしい。
 ご機嫌な祖母の顔は鮮明に覚えている。

 水滴を拭いながら麦茶でも貰おうと
 台所に行くと、電気がついていた。
 話し声もせず、かと言って食器の
 音もしないので、消し忘れかと思って
 敷居を跨いだら祖母が一人で
 湯呑みを前に座っていた。
 気付いた祖母が僕に微笑む。

「あら、こんな時間まで何してたん」

「課題とか、いろいろ」

「頑張り屋さんやねえ。梅酒飲む?」

「僕高校生だけど」

 たははと笑って祖母は湯呑みに
 入った梅酒をガッと飲み干すと、
 僕を椅子に促した。

「大丈夫よ。
ここはあんたの知り合いも
誰もおらへんし、年寄りに仕方なく
付き合うって考えてちょうだい」

 僕の返事も聞かず祖母は戸棚から
 湯呑みを出して梅酒を注いだ。
 僕よりも多く注いだ自分の湯呑みを
 両手で包み、祖母も一息ついた。
 僕の前で微かに音を立てる気泡は
 淡く空中に溶けた。

「夕方、あの人があんたの話してたで」

「じいちゃんが?」

 微笑みながら頷く祖母とは相反して、
 僕は自然と体が強ばるのを感じた。
 僕が何も言えなかったことに対して
 祖父がどんな事を祖母に話したのか、
 聞くのが少し怖かった。
 自分自身に臆病者と思っていたから。

「そないあの人を怖がらんでええよ。
確かに顔は怖いし、言葉に棘もある。
せやけどあの人もあの人なりに
人のこと考えて生きてんねや」

「じいちゃんを怖がってるわけじゃ」

「せやったら、何を怖がってはるの」

「僕は」

 そこで、また言葉が詰まった。
 祖母や祖父がそんな僕をずっと
 待ってくれると分かっていて
 黙り込むんだ。
 僕はずるい。
 膝の上で固く握った拳が震える。

「僕は……拒絶されるのが怖い。
人から拒絶されるのが怖いんだ」

 蚊の鳴くような声で俯きながら
 言った僕に、祖母がどんな表情を
 しているか分からなかった。
 いや、知りたくないだけだ。
 こんな弱い僕を前に嫌悪感を
 抱かない人なんているわけが
 無いのだから。

「あんたなあ」

「分かってる。
こんな年になってまでまだこんな事
言ってて自分で自分をこれ以上ない
くらい馬鹿だと思ってる。
皆僕より努力していて、それでいて
弱音を吐かないし、
自分を持って生活してる。
それに引き換え僕は自分の
意見にすら自信を持てずに、
でも心の中では反論していて、
まるで自分自身を制御出来ていない。
情けなくて恥ずかしいけど、
それでも人から拒絶されるのが怖い」

 祖母の言葉を遮って、今まで胸の内に
 隠されていた思いの丈が溢れ出た。
 吐き出せば吐き出すほど辛くなって、
 再認識させられる。
 こんな事祖母に言って、僕は祖母に
 何て言ってもらいたいんだろう。

 また、格好悪いことをした。
 これじゃまた番谷から遠ざかる。
 もう子供じゃないのに、
 いつまでこんな事してるんだ。
 それでも僕の言葉は止まらなかった。

「自分の努力していることを拒絶されたら、
自分を拒絶されたら、そう考えると
自分を出すのが怖くなってどんどん
闇に嵌っていく。
いつかは変わらなきゃいけないって
分かっているのにそれが出来ない。
結局僕はいつまでも他力本願で
自分の色を出せないままだ」

 それでいて思想だけは一人前。
 なんて最低な人間だろう。
 僕と見た目も中身も瓜二つな
 人間がいたなら、僕はきっと
 そいつとは友達にはなれない。
 夢を見れば見るほど、
 それと掛け離れている情けない
 現実に気付かされて視界を
 閉じてしまいたくなる。
 俯いたままの僕に、湯呑みを置く音が
 静かに響いた。

「よかった」

「え」




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