The Little Match Girl 闇の国のアリス【外伝】~孤独な少女の物語~

闇狐

第三話[コイン]

1861年8月30日の昼下がり。
母親が行方を晦ましてから丸二日が経った。
エリカはその間に母親の帰りはまだか、母親は何処(いずこ)へ行ったのかと玄関のドアを開けて街の様子を確認してはドアを閉め、また開けては閉めと、何とも際どい境の淵を行き来していた。

「お母さん‥‥お腹‥‥空いたよぉ‥‥。お母さん‥‥」

この二日間に水しか口に含んでいなかったエリカは、とてつもない飢えと倦怠感に襲われていた。
この時代に『冷蔵庫』という概念はあったものの、その仕組みは何とも粗末なもので、木で組まれた箱状の物の中に二段の仕切りがあり、上段には氷、下段にはそれを冷却する食品を収納するというものであったが、皮肉な事にエリカの家(アパート)にはその様な設備は備わっていなかった。

「お腹‥‥空いた‥‥」

親のいない欠乏感、そして迫り来る飢餓。
エリカはふらふらとした覚束無い足取りでキッチン、リビングを屯する。

「‥‥!これは‥‥」

飢えに苦しみ今にでも倒れそうなエリカの目に映ったものは、食器棚の中にぽつんと置かれた透明な小瓶。
中には少なからず幾分かコインが入っている。

「これ‥‥お母さんの貯金箱‥‥」

震える手で食器棚から小瓶を取り出しリビングの円卓上に徐に置く。
エリカは親から小遣い等を貰っていなかった為、これは大いなる収入源であろう。

「1ピソカ‥‥15ピソカ‥‥800‥‥843ピソカ‥‥!ああ‥‥これだけ有れば‥‥」

ゆっくりと金勘定をするエリカ。
合計843ピソカ。 
親が貯め始めたばかりということで大した量の金は入ってなかったものの、これだけ有れば数週間程生きていける。
そうエリカは悟った。

「あそこのパン屋さんだったら‥‥」

今にでも途切れそうな思考、回らない頭でやっとのこと紡ぎ出した計算。
二日も水以外何も口にしていないのならば妥当の結果であろう。

「昔、お母さんと一緒に行ったパン屋さん‥‥。あそこで貰ったパンの耳を油で揚げて砂糖を塗したおやつ‥‥美味しかったなぁ‥‥」

ダイニングの椅子にふらっと腰掛けながら感傷に浸るエリカ。
彼女の脳裏には幼少期のあの幸福に満ち溢れていた頃の情景が古ぼけた映写機を通してじりじりと映されていた。

グゥ~‥‥

「あははっ、またお腹鳴っちゃった。」

思わず苦笑いを浮かべるエリカ。
然しながらもそのひもじい感情は刻一刻と彼女の腹の具合を蝕んでいく。

「‥‥もう、良いよね。我慢出来ないもん‥‥」

はてさて、彼女を一体何が駆り立てた事やら、エリカはふらつきながらもそのか細い腕で玄関のノブに手を掛け、喧騒漂うメルスケルクの繁華街へとゆっくりと足を踏み入れていった。

石畳の上を行き交う人々、群衆。恰幅が良く、全体的に肥えた印象を受ける紳士、皮と骨だけの様な息を吹き掛ければ今にでも倒れてしまいそうなホームレスの男、如何にも犯罪者の様な目が吊り上がっている細身のフードを被った男、等沢山の顔触れを目にすることが出来た。

その中をふらつきながら細々と歩くエリカ。
あのパン屋はメルスケルク中央通りの中に有る。
しかしながら、ふらふらと街中を歩く彼女の中にも障害となるものは多々あった。

「お母さん、何かあの人臭いよ」

たれ(誰)かがエリカに向けて冷ややかな目線を送った。
無論、エリカはこの二日間風呂にすら入っていない。
というのも、西洋の風呂は主に銭湯の様な家そのものに設けられたものではなく、しっかりと金銭を払って入らなくてはならないもので、エリカはそれを支払う金すら懐に無かった。

「お母さん‥‥うう‥‥」

何気無い少年の一言がエリカの心身を共に傷付けた。
頭を抱えながら中央通りの入口に差し掛かるエリカ。
通行人のシニカルな目線がどうも気になって仕様が無い。

「何あの子。一人で街中何か歩いたりして。孤児かしら」

「まあ可哀想に‥‥親はいないのかしら」

「皮肉なもんだな」

根拠の無い罵声がエリカの脳内に降り注ぐ。

「やめて‥‥やめて‥‥!」

頭を抱えたその場から走って逃げ出すエリカ。
本来は誰もその様な罵倒等はしてはいなかった。
母を失ったストレスにより、どうやら『※統合失調症』の様な症状が見受けられる。

必死に走って人集りを避けるエリカ。その先には虚ろげにパン屋の立て看板が映り込んでいた。

「有った‥‥。あの時お母さんと行ったパン屋さん‥‥」

[「エリカ‥‥。今日は私とエリカが初めてこのパン屋さんに来た日。だから、今日は好きな物を取って良いわよ」]

[「えっ!?ほんとお母さん!!それじゃあ‥‥あのパンの耳が良い!」]

[「えっ!?そんなもので良いのエリカ!?」]

[「だって、お母さんにそんな負担掛けられないもん!」]

[「うふふ。エリカももうお姉さんね。分かったわ。じゃあ、あのパンの耳を使っておやつでも作りましょうか!」]

[「ほんと!?やったー!お母さん大好き!!」]

「‥‥」

パン屋の玄関の前でぽつんと立ち尽くすエリカ。
どうやら『あの頃』の記憶を思い出してしまったようだ。

「お母さん‥‥。ううん、でも私、もう立派なお姉さんだもん!もっとしっかりしなくちゃ駄目だよね!」

何とか気を取り直したエリカ。
ゆっくりとパン屋の玄関ドアへ手を掛ける。

ガチャッ‥‥チャリンチャリ―ン♪

ドアを開くと同時に、ドアの先端に取り付けられたカウベルが軽やかなメロディーを奏でる。

「いらっしゃいませー!」

店員達の挨拶と共に服の袖を引っ張られるかの如くパン屋の中へと引き摺り込まれる。

パンの焼けた甘くて香ばしい匂いがエリカを夢の世界へ誘い込む。

店内は非常に整理整頓され、とても清潔や印象を受ける。
それと共にウッドの柱がナチュラルでノスタルジックな良い雰囲気を醸し出している。

「えっと、確か‥‥」

エリカは過去の記憶を頼りにパンの耳の在り処を探し出す。
ぼんやりとした店内の裸電球がエリカの頬を淡いオレンジ色に照らし出す。

店のカウンターに目を遣るエリカ。
しかし、そこにパンの耳は置いていない。

「あの、すいません。此処(店)にパンの耳って置いてますか‥‥?」

御年配の女性店員が答えた。

「ええ、ありますとも。本来は廃棄処分する予定のもの何ですけどね」

「そ、それでも良いんです!私に売って下さい!」

エリカは目を強ばらせながら女性店員に訴えた。

「分かりました。はい、一袋で良いですか?」

「良いです!」

「御会計、26ピソカになります」

「は、はい」

エリカは服のポケットから親の貯金箱から抜き取った金を出すと、にこやかな優しい微笑みを浮かべ、パンの耳が入った紙袋を受け取った。

「有り難うございました。また来て下さいね」

「は、はい!私、明日も来ますから!」

そう言うと、エリカはパン屋を飛び出し、駆け足で自宅の方へ向かった。
二日ぶりの食料だ。
少し大袈裟かもしれないが、そこまで満悦するのもおかしくはあるまい。

然しながら神は彼女に対して些か辛辣だった。
彼女に対して慈悲も容赦も必要ないと判断したのだ。

彼女はこの事に対して全く知る由もなかったのであった。

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【統合失調症とは】


①幻覚、妄想②感情表出の乏しさ③適切な思考や判断の欠如

①幻覚、妄想本来は見えたり聞こえないものが見えたり聞こえたりなどする幻覚や幻聴が起きることがしばしばあります。また、自分が監視されたりあとをつけられているように感じるとか、食事に毒を入れているのではないか、大切なものを盗まれたのではないかなど様々な被害妄想に駆られたりすることもあります。

 

妄想はその他にも自分をものすごい人だと過大評価する誇大妄想などに陥ることもあります。

 

②感情表出の乏しさ喜怒哀楽といった感情表出があまり表れず、無表情の印象を受けることがよくあります。また、表情だけではなく、意欲が低下して無気力になったり、興味や関心が薄れているように見受けられたりします。

 

③適切な思考や判断の欠如日常生活におけるごくカンタンで当たり前のことでも適切に考え判断し、対処していくことができなくなります。特に、柔軟な考え方ができずに物事に固執したり、些細なことに非常にこだわって敏感になったりします。

【蛇足】

私も統合失調症に酷似した症状を発症した事があります。
幻聴が日常的に聞こえて本当に辛かったです( ˊᵕˋ )

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