風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】
空想の存在【1】
そこは酷く暗い世界だった。
深く深く、分厚い闇。
全方向の間隔が掴めず、前後不覚の感覚へと墜ちていく。いや、実際に深く分厚いのかは当然の如く分かるはずもない。
実は手を伸ばせば闇から抜ける、なんて拍子抜けな結果もあるかも知れないし、結局抜けることができないなんて結果かも知れない。
しかし確かなのは、闇の中にいる少年の存在も等しく闇だったということ。その自身の存在こそが比喩的で無く闇を深く分厚いものにしていたということ。
周囲を見渡せど、何もない。
いや、やはり何かはあるのだろうが、それは闇に呑まれ視覚では捉える事が出来ない。ただ純粋な闇だけが広がっている。
少年は僅かに怯えた。
暗闇の中に唯一の存在である自分すら、その存在を確かにするものが無く自身の存在が曖昧なものになっているようで、自然と恐怖した。
しかし、それは少年にとってあるいは幸いと言えたのかも知れない。
もしも他の何かが存在でもしていれば、自分の存在が曖昧になってしまう可能性こそ無くなるが、その何者か――否、何物かと正面から向かい合わなければならなくなる。
たとえ、それが闇そのものであれ悪そのものであれ、それと向かっていく他道が無い。
それはきっとおぞましい事なのだ、と少年は戦慄を覚えた。そして何より、少年の無意識がそれを理解していた。
そうして今の状況に安堵した少年に対し、闇は新たな存在を生み出した。姿を現したのは、少年の父親。かつてのように微笑みかけて、少年へと手を伸ばしていた。
杞憂だった。
向かい合った存在は闇でも悪でもなく、間違い無く少年にとっての灯りだった。
闇を照らす灯り。
悪を打ち消す灯り。
少年の心を浄化する灯り。
曖昧になってしまっていた少年の存在を証明する、暖かな灯り。
この灯りこそ、少年の最も求めていた物に他なら無かった。
少年も灯りに応じて、手を伸ばす。
ゆっくりとその肌と肌が触れ、温もりが伝わる。伝播する温度は改めて少年に自分というものを教えてくれた。同時にかけがえのないその灯りが、自分は独りでは無いと教えてくれていた。もう二度と離したくは無い、とさえ思える程に。その灯りは少年を支えた確かな灯火だった。
だが、灯火はいつかは消える。
風に吹かれてか、燃料が尽きてか、はたまた人為的な行動によってかは分からない。ただ灯火が、その灯りが無限に存在する事は無い。それは確固たる道理だ。
そして、それは此度も同様の事だった。
灯りは少年の手を掴んだまま、淡く脆く儚く消えていく。
これは先述の三択であれば、最後者である人為的な行動によっての消滅にあたる。
そしてそれは人為的であるが故に、あまりに残酷で冷酷な最期。灯りは見るも無惨に、闇の中で一際存在感を放つ紅の闇に呑まれ、その輝きを失った。
呆気なく消滅した灯りに、少年は悲愴を覚えた。
再び自分が曖昧な存在に戻ってしまう事を怖れて――否、単純に灯りの温もりが消えていく事が寂しくて。
そうして、この空間に残されたのは再び少年一人となった。
いや、少年以外にも存在を示す事が出来る存在が居たと言えば居たのだ。言わずもがな、愛しい灯りを消滅へと導いた、紅の闇である。
だがしかし、少年は紅を存在だとは認めない。
認めてしまえば、それこそ冒頭の心配が杞憂では終わらない事態になってしまう。則ち、最も憎いこの紅と、嫌でも向き合わなければならない状況が生まれてしまうのだ。
それを少年は怖れた。
恐怖し、畏怖し、絶望した。
その紅の強大な力に。抑えることのできない自身の憎悪から沸き上がる衝動に。
しかし、そんな自身の心情に反して、少年はその紅へと手を伸ばしていた。
それは紅を呪ってか、灯りの仇を討つためか、はたまた自らの命を散らすためか。既に霧散した灯りを追って。
しかしその手は他ならぬ紅にはね除けられる。まだ此方には来るな、と。完全に拒絶した。そして――
(父親に救ってもらった命だ、無駄にするな)
少年はまだまだ届かないのか、と悲嘆するしか無かった。
◇
「――っあ」
夢から目覚めると、思わず小さな声が漏れた。
それは呆れの声か、衝撃のあまり出てしまった声か。否、声を発した少年、オーグ・ブラウンは知っている。この声が何なのか。一体何を思って自身の内から漏れ出た声だったのか。
悲鳴だった。
それは間違い無く、悲鳴だった。嘆き、泣き、喚き、手を伸ばし続けた少年の、声を枯らし続けた少年の、精一杯の叫びだった。悲鳴ならぬ悲命を負った少年の決意の叫びだった。
「……夢、か」
自分の見ていたものが、夢だと知って安堵する。いや、憤怒だったのかも知れない。どちらにせよ、オーグは灯りという存在に出会えた事で少なからず満足していた。
これは、オーグにとってそう珍しい事でも無い。
この夢は『あの日』から今日までずっと見続けていた夢だった。それこそ、夜中に小さな悲鳴を上げて目覚めた事で、帝国の接近に気が付き上手く逃走できたこともある程に。
怪我の功名と言うべきか。いや、その場合オーグが負った怪我が余りに甚大過ぎる。
それはさておき、この夢がオーグにとって拒絶し難いものであるという事が、事実としてあった。
本来なら、むざむざと自身の父親の死を見せつけられる夢を快く思う者などはいる筈がない。それどころか、それを毎日目にしていれば発狂してしまうことすらあり得る。
しかしそんな苦痛を忍んででも、何度でも触れたいと想える温もりが、その幻想がその夢にはあった。だから、オーグはその夢を見ることを拒むことは無かった。
オーグは自身に掛けてあった毛布から抜け出し、眠気眼のままで立ち上がって、のっそりと外へと繋がる扉を開いた。
扉を開けば風が部屋の中に通り、オーグの銀色の髪が揺れる。夜になり冷えていた風はオーグの意識の覚醒を手伝った。
「帰って、これたんだよな」
扉を開いた先にあった見慣れた景色を見て、オーグは改めて安堵した。
少女と別れた後、クレシアの家に戻る方法に当てがなかったオーグは、少女の言葉を信じて白い花を追っていった結果、無事クレシアの家へと帰ることができた。
無闇に行動せずに少女の家に泊めてもらうことも考慮したが、話を終えても少女の警戒心が解けることはなかった為に諦めるしかなかったのだ。
とは言え、こうして無事に戻ることができたのであれば、結果オーライである。
少女と出会うことがなければ、こうしてこの場所に戻ることはできなかったのだから。もっとも、少女を追いかけなければ道に迷うこと自体がなかったが。
「アレン、心配してくれてたんだな」
家に着いてみれば、既に帰宅していたアレンとクレシアが出迎えてくれた。
オーグとしてはてっきりアレンが心配しているとばかり思っていたのだが、実際は良かったね、と一言オーグに告げただけであった。少し機嫌の悪そうな様子に小首を傾げていると、クレシアがその理由を教えてくれた。
(うふふ。さっきまでね、オロオロして心配していたのよ? オーグが、オーグが、って。あの子大人びていると思っていたけど、本当はまだ可愛い子供なのね。あなた、優しい彼女《・・》がいて良かったわね)
その言葉にオーグが嬉しさと同時に焦りを感じたのは言うまでもない。もちろん、今の言葉はアレンに伝えないように、とクレシアに釘を刺しておいた。
何はともあれ、アレンが心配していてくれた、その事にオーグは感謝を抱いた。そしてすぐに謝らなければならないと思い、アレンに頭を下げた。
すると、初めは納得がいかないような表情を浮かべていたものの、最終的には次は無いからね、と許してくれた。
「もう少し困らせても良かったかも」
滅多に見られない年相応のアレンの一面を思い出し、へへ、とオーグは小さく笑う。
そんな時、オーグは自分の影が前に大きく伸びている事に気が付いた。
「こんな時間にどうしたの、オーグ? 明日も山に出るから、ちゃんと休まないと」
オーグの背後、家の中からランタンを持ったアレンが声をかけてきていた。
その手には二人分の毛布が抱えられており、アレンに気が付いたオーグは「ありがと」と短く感謝を告げて、その毛布を受け取った。
「ちょっと、目が覚めちゃってさ。眠たくなるまで、付き合ってくれない?」
「こんな夜遅くに? 明日じゃダメなの?」
「うん、ダメ。明日は多分グッスリ眠れるから、できれば今日、今が良いな。……いいだろ?」
「……良いよ。僕もちょっと、風に当たりたかったから」
オーグのわがままにも穏やかに微笑みかけ、アレンは家の扉を閉めて、そこから少し離れた所にあった程よい大きさの切り株の上に腰掛けた。
オーグもその背中を追い、同じ切り株に腰掛ける。子供二人分にしてはやや小さかったが、アレンとであればそこまで気にならなかった。
「それで? 何か話したいことでもあるの?」
互いに切り株に腰掛け、足に毛布を掛け、語らいの準備ができたのを確認して、アレンが話を切り出した。
けれど、付き合ってほしいとは言ったものの、実を言うとオーグにはこれと言って話したいことはなかった。話すべきことはきっとあるのだろうが、かの少女との話はだれこれ構わず話していいものではないように思えた。
「アレンはさ、後悔してない?」
「後悔って、何を?」
「旅に出たこと。お母さんと暮らした家を捨ててまで、俺とここまで来たこと」
何を話すべきなのか。
そんな風に考えた末に口から出た言葉は、何気なく出た言葉でもあり、オーグの心からの問いかけでもあった。
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