風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】
惑わしの山脈【3】
山において迷わない為にはどんな作法を取ればいいのか。オーグがそんな事を問いかけた時、アレンはキッパリとこう答えた。
『道に迷った事に気が付かなければいいんだよ』
山で迷わない為の対策として、まず真っ先に挙げられるのが準備の有無である。
至極単純な話、山へ潜るのにコンパスが無いと言うのではそもそも話にならない。方向感覚を失いやすい山中では自身の居位置の正確さというものが重要となる。
それを確かなものにする為にも山中ではコンパスが欠かせない。このように、山において準備を怠ることは最悪の場合死に直結する。
加えて、次に挙げられるのが山中の経路の確認だろう。
そもそもただでさえ似たような風景が広がる山中だ。行き当たりばったりで進もうものならば、ものの数分で左も右も分からない状況に陥る。
コンパスを持っていたとしても、目的地までの経路が見えていなければ意味がない。その為にも山に潜る事において予習というものは不可欠なものとなる。
つまり何が言いたいのかと言えば、山に潜る事において事前知識は欠かせない物だと言うことだ。逆に、予め明確な情報と準備、自身の進む道の確認さえしていれば、道を見失い迷ってしまうという事はそうあることではない。
それだけ、未知の道を進むには相応の用心が必要だということだ。
が、それでも山で迷ってしまう事はあるにはあるのだ。山に確実は無い。迷ってしまう要因はその他にも多く存在している。
ならばそのような不測の事態にはどのような対処をすれば、大事無く山を抜けることが出来るのだろうか。
アレンの答えは正にこの不測の事態に対しての答えだった。
迷った事に気が付かなければいい。
これを初めてオーグが聞いたとき、如何にも馬鹿馬鹿しい、というような印象を受けたが、同時にそれは真理のようにも思えた。
対処というよりも心構えとして。謂わば、心理の真理として。
例えばの話、山中で道に迷ってしまえば当然そこには相応の不安がその人間を襲う。そして、その不安はその人間の心理を大きく揺さぶる原因となる。更には心理を揺さぶられた人間は正常な思考能力を失う。
目に見えて分かる、最悪の場合の想定だ。こうなってしまえば、生存の可能性は著しく低下する。
そこで肝心となってくる事こそ、心構えだ。
極端に言うならば、心構え次第で生死すらも左右されかねない。芯の入った心で進めば確実な一歩を進める事ができ、揺らいだ心のままで進めば何も無い所で足を滑らせる。つまる話、極限状態において生死の境に立つ道標はその者の精神状態に直結してくるのである。
それを踏まえた上でアレンの答えを咀嚼《そしゃく》してみれば、なるほど、道理と言えるだろう。
迷った事に気が付いていない限りそれは迷った事にならず、そこに不安は存在しない。不安が存在していなければ、少なくとも死に対して一方通行というわけでは無くなるのだから。
勿論、そもそもの話として自分が迷っている事に気が付かないような状況があればの話であるが。
◇
迂闊にも山で眠った結果突如見覚えの無い場所で目覚め、不幸中の幸いにしてクレシアの家に辿り着き安堵したのも束の間、二人の前に新たな課題が立ちはだかった。
生還者ゼロと言われるモルト山脈からの脱出。二人の前に立ちはだかったその壁は、幼い二人にとって余りに高く険しい。いくら賢者の力を持つアレンであってもその事実は変わらない。
しかし、そんな絶望的な状況に置かれて、二人の気持ちが沈んでいく事は無い。歳はまだ数える程ではあるけれど、胸に秘めた想いは大きなものだった。
そうして、そのような状況を理解した上でハッキリと脱出の意を表した二人であったが、その二人が今何をしているのかと言うと――、
「ねぇねぇアレン! これっ、美味しそうじゃない!?」
「へぇ、凄く綺麗なキノコだね。見たことないキノコだけど、食べられるのかな?」
山で、山菜を採っていた。
「どうなんだろ? クレシアさんに聞いてみよっか!」
オーグが見つけたキノコは笠が赤く、その中心から笠の縁へと数本の白い筋が伸びている。柄と比べて笠は随分大きく、その存在を主張しているように様々な植物の中でも群を抜いて目立っている。
長年山で過ごしてきたアレンも知らないのであれば、オーグが知っているわけも無く、二人は素直にクレシアへと聞きに行った。
二人が山菜を採っている間、クレシアは二人が視界に入る位置で、微笑みながらその様子を見守っていた。
「あら、モルトアカガサダケじゃない」
「知ってるの? これ、食べれるかな?」
「いや、これは食べられないのよ。実は毒があってね」
「毒があるんじゃ仕方ないね、オーグ。別の物を探しに行こう」
「そうね。どんな猛獣でも即死させるほどの猛毒だから、今すぐ手を離した方が良いわね」
「それを真っ先に言ってよ!?」
悪意の有無が分からないクレシアの言葉に、名残惜しそうにまじまじとキノコを眺めていたオーグが慌てて飛び上がる。
当然、そのキノコはどこか遠くへと放り投げ、その手のひら返しのあまりの早さにクレシアとアレンはクスリと笑った。
「し、仕方ないだろっ!? 毒があるだなんて思わなかったんだから!」
「別に? 僕は何も言ってないけど?」
「私も何も言ってないわね」
「なっ、なっ!? じゃ、じゃあ何で笑ったんだよ!?」
躍起になって問い詰めてくるオーグに、アレンは瞬間的に思考を回転させる。
正直に言ってしまえば、オーグがバカみたいだったから、と単純明快な答えを突きつけることになるわけだが、そう口にすればオーグが更に反論してくるのは目に見えている。
本題を無視して続ける会話にしてはあまりに程度が低く、何ならオーグ以外はどうでもいい話である。故に、ここで話を長引かせるのは如何にもバカらしい。
故に、アレンはオーグが反応に困るような事を考えた末、こう言った。
「ほら、オーグが可愛かったから」
可愛いという言葉は、ことアレン・ハーヴィにとってはもっとも反応に困る言葉である。
性別が男である以上、可愛いと言われても嬉しくはないし、けれども強く否定するとアレンを褒めてくれた相手方を否定するようで若干気が引ける。
故にアレンは、可愛いと言われてもただ苦笑いを浮かべる事が多いのだが、現状のオーグはと言うと、
「…………?」
苦笑いを浮かべるでもなく、もはや何が言いたいのか分からない、と言うように首を傾げていた。
その時点で言葉の選択を誤ったことに気が付いたアレンだったが、時既に遅し、アレンにとって思わぬ言葉がオーグの口から吐き出される。
「その言葉、アレンに言われると嫌みにしか聞こえないんだね」
別に可愛いと言われたことを否定する事すらせず、明らかに冗談だと受け止めた上で、オーグはただ分析するようにフムフムと頷く。
その言葉と仕草が見事にアレンの胸を抉り、少しオーグを小バカにしようとした反動としてはあまりにダメージが大きかった。 
「もうっ、オーグの事なんて知らないからね!」
結果、アレンはこれ以上オーグをからかうのは諦め、唐突にオーグを突き放してから、山菜の採取を再開し始めた。
オーグは数秒アレンが怒った理由を考えるも結局答えに辿り着くことはできず、一拍遅れてアレンの背中を追いかけた。
そんな一幕を挟みながら山菜を採っていること数時間。まだ日が登り始めた頃から始めた山菜採りだったが、既に日は真上まで昇ってきている。
その事に二人が気付いたのは、定期的に空腹を知らせるオーグの腹の虫が山に鳴り響いた直後だった。
「お腹減ったぁ、そろそろ背負子も一杯だし、一回帰ろうよ」
「賛成。でも、さっきからクレシアさんが帰ってこないんだよね。さっき、お昼を取りに行ってくるって家に戻ったんだけど……」
腹を擦って空腹をアピールするオーグに賛同し、アレンも山菜を採る手を休める。腹の虫は鳴らずとも、アレンにも空腹が迫ってきている。
だが、帰路を確保している肝心のクレシアが居なければ、アレン達も下手には動けない。
故に、こうしてかれこれ二十分ほどクレシアを待っているのだが、一向にクレシアが現れる気配が無いのだ。
とは言え、山菜の採取している場所はクレシアの家からそう離れておらず、長年ここで暮らすクレシアが道に迷うとも考えにくい。
もしかすると急に容態が悪くなるようなことでもあったのか、と二人がクレシアを案じていたところ、何事も無かったかのようにフラッとクレシアが現れ、二人の心配は杞憂に終わった。
しかし、昼食を取りに戻ると言ったクレシアの手には何も無く、それを目の当たりにしたオーグの腹が二度目の鳴き声を上げる。
クレシアはそんなオーグの様子を見てまた微笑み、ゆっくりとこちらに歩いてきてアレンへと声をかけた。
「ごめんなさい、オーグ君。お弁当作ったんだけど、思いのほか大きくなっちゃって。私だけじゃ運べなくてね、悪いけどアレン君に手伝ってほしいの」
「僕は構いませんが、力仕事ならオーグの方が向いてますよ?」
もっとも、重いと言ってもたかが知れてるだろうが、と内心思いながらアレンがそう答えると、オーグには聞かれないようにクレシアはアレンに耳打ちしてきた。
「今のオーグ君を見たら、運ぶよりも先に食べちゃいそうと思って、ね?」
「……なるほど」
その理由にアレンは深く共感し、快くクレシアの頼みを承諾した。
「じゃあオーグ、僕はクレシアの手伝いをしてくるから、ここで待っててね」
「…………ウン」
空腹のせいか、オーグの返事は微妙にぎこちない。目の焦点も恐らくアレンには合っておらず、どこか遠くを見つめている。
腹が減っただけで人はこうもみっともなくなってしまうのかと呆れるアレンだったが、空腹に関しては今のアレンも他人事でもなく、仕方ないのかと強引に納得した。
そうしてオーグに対して背を向けて、クレシアと共に家へと数歩歩いたところで、アレンは改めて不安に襲われる。
今のオーグは、確実にいつものオーグよりも頭が悪い。バカな脳内のままでフラフラと散歩などし始めてしまえば、はぐれてしまうのは必至である。
話を全く聞いていないなんて事はないと思うが、念を押しておくに越したことはない。
と、そんな頭の悪い駄犬とその飼い主のような思考がアレンの頭を過る。
そして、念を押すためにアレンが踵を返すと、
「――オーグ?」
そこに、既にオーグ・ヴィングルートの姿は、無かった。
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