風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】
惑わしの山脈【2】
扉から顔を覗かせた女性の温和そうな顔立ちから、二人はひとまず警戒心を解いた。
いくら穏やかそうとは言え、族の類いである可能性は捨てきれないが、半分ほど開けられた扉から中を覗いた限り、家の中に武器の類いは無く、その女性も両手に何も持っていない。
で、あれば、ひとまず警戒を解くのが礼儀であるだろう。
最悪、それすらも罠であって二人を捕らえようものなら、手足を縛られていたとしても関係無くアレンは賢者の力を振るえる。
一騒ぎ起こしているうちに逃走することは、そう難しくもないだろう。
「初めまして。僕はアレン・ハーヴィ、彼はオーグ・ヴィングルートと申します。実は道に迷ってしまっていて……、二三個ほど伺いたいことがあるんですが、よろしいですか?」
手始めに、礼儀作法を心得ているアレンが前に出て一礼し、女性に名を名乗った。
それは今までに見慣れているはずのオーグでさえ見とれてしまうほどで、アレンという少年のスペックの高さを思い知らされる。
それは女性の方も同様だったらしく、アレンの作法を見て驚いた顔を浮かべると、すぐに穏やかに微笑んだ。
「あら、これはご丁寧にありがとう。私はクレシアよ。私に答えられる事なら何でも答えるけど、良かったら中に入らない?」
「……良いんでしょうか? まだ名前しか名乗っていないですし、僕達自分達でも相当怪しいと思うんですが……」
「本当に悪意のある人はそんな事自分で言わないわ。それに、貴方達見たところ旅人さんでしょう? 旅をしていて迷いこんだのなら、助け合わなきゃね」
そう言って扉を開け放ち、家の中に入るよう促す女性――クレシア。彼女は怪しいはずのオーグ達を疑う様子は無く、更には旅人であることまで看破した。
そんなクレシアに再度警戒を強めるオーグだったが、そんなオーグを尻目にアレンは家の中に入ろうと進み出る。
「大丈夫だよ、オーグ。クレシアさんは信用してもいい」
オーグの心を読んだようにそう耳打ちして中へ入っていくアレン。心を見透かされたようで僅かに驚きながらも、オーグもアレンの背を追って中へと入った。
家の中は実に殺風景なものだった。
外観からも分かっていた通り、やはり敷地面積はアレンの家よりも小さく、部屋も少ない。
パッと見て分かる範囲では居間と簡単な調理器具が揃えられた台所がある程度で、基本的には物も少ない。居間あるのはクレシアが使っているであろうベッドとそのそばにある小柄な棚、あとは木製の机と椅子が三脚だけ。
独りで暮らすには十分であろうが、オーグにはいささか生活感が薄いような気がした。
そんな中、唯一オーグの目にとまったものは、ベッドのそばの棚に置いてある花瓶と、そこに挿してある一輪の白い花。
赤や黄であれば華やかだろう美しい花弁は、程よく主張する程度の純白。けれど、たったの数秒間、オーグはその花から目が離せなかった。
二人はそのまま促されるままに、ちょうど人数分あった椅子に腰かける。ただの木製の椅子であり、クッションも何も無い。僅かに尻が痛いが、文句は言えまい。
そして、クレシアも座った事を確認して、アレンが口を開いた。
「見たところクレシアさんは独りで生活しているようですが、ここに住まわれるようになってから長いんでしょうか?」
「そうね。もう、十一……いや、十二年になるかしら。思えば、随分長いことここに住んでるわね」
「なら、ここがどこなのかもご存知ですか? 先ほども言いましたが、僕達はここがどこだか分からなくて……」
長年ここで暮らすクレシアになら、ここがどこなのか分かるはずだ。
そんな思惑から言った質問に、クレシアは快く頷き答えてくれた。
「ここは――モルト山脈よ。詳しい場所は説明できないけど、それは間違いないわ」
クレシアは何の躊躇いも、間も空けず、そう断言した。
ここは、この場所は、間違いなく二人の元居たモルト山脈であると。
「……そうなると、やっぱりおかしいんだよな。ただ雪が止んだだけにしては、地形まで変わるのはありえないし」
「だね。でも、ここがやっぱりモルト山脈ってことは、案外特別な事は起こってないのかもしれないよ? 例えば、この山脈も実は竜で、僕らが寝ている間に地形を変えちゃったとか」
「竜……。そっか、可能性はあるよね。アレンの話だと、賢者と一緒で竜は四体いるらしいし。ウルワ村で見た竜が『水の竜』なら、これは『土の竜』ってところかな?」
「あくまで推測だけど、ね」
オーグが思い出したのは、アレンが旅の道中でしてくれて話の中にあった、現代の竜の話。
ドナが教えを説いていた創世神話には、二種類の竜が登場する。
いわゆる世界の悪意の象徴とも言える、世界を滅ぼすために世界を生み出した、『太古の竜』。
それと対を成すものがいわゆる賢者であるわけだが、ドナの解釈では賢者は世界の維持のために竜の力を四つに分けて封印した。
その四つの竜の断片が、いわゆる『現世の竜』なのである。
アレンの話によると、竜の力は賢者の力と同様に火と水、風と土に分けられており、各々が世界の環境や生命の維持に役立っているのだとか。
その話が本当であれば、存外アレンの意見も無視できない。
しかし、その話題がそれ以上広がるよりも早く、クレシアがその可能性を否定する。
「ごめんなさい、言葉が足らなかったみたい。育っている植物や生き物を見てもここはモルト山脈の一部であることは間違いないと思うけど、この十二年間でここがどこなのか、私にもまだ分かっていないのよ」
「……それは、どういう事でしょうか?」
「もったいぶった言い方でごめんなさいね。……できれば、あまり貴方達を悲観させないように、と思って。でも、大丈夫そうね」
自分でも言っている通り、クレシアの言葉にはどこか思わせぶりな言い回しが目立つ。とは言え、そんな真意をオーグが読み取れるはずもなく、単に首を傾げる他ない。
けれど、ふと横目で見たアレンの顔は、何かに気が付いたように真剣なものへと変わっていた。
しかし、そんなオーグを尻目に、クレシアは核心を二人の前に晒すのだった。
「この山からは、出られないのよ。私も何度も山を下ろうとしたけど、一度も麓に辿り着いたことは無いわ」
「……つまり、僕達はここに閉じ込められてしまった、と?」
クレシアは、真剣な面持ちで頷いた。
「十二年経った今でも、私はこの山を知り尽くしていると言える自信は無いわ。分かった事は、どの方向に進んだって山を抜けられない事と、一度道に迷ってしまえば元の場所には戻れないという事だけ」
「――――」
「信じられないとは思うけど、本当の事よ。貴方達の目で確かめてきてもいいわ。ただ、帰り道は必ず覚えていて。そうでないと、もう二度とここには帰ってこれないわ」
クレシアから告げられた真実を耳にして、ゴクリと唾を飲み込む音がオーグの頭に響いた。
今までのやり取りで、クレシアが悪い人間で無いことはおおよそ分かっているし、クレシアが出会ったばかりの二人に対して嘘を話す理由も分からない。
それを踏まえた上でクレシアの言葉を信じるとすれば、オーグ達の旅の展望は絶望的なものへと変わる。
そもそも、旅を続ける以前にここから出ることすら叶わないと言われているのだから。
何より、それが真実であることを、嘘を見破れるはずのアレンが黙って聞いている事が証明していた。
「え、と。……そうだ! クレシアさんと俺達以外にここに迷いこんできた人は居なかったの?」
「もちろん居たわ。でも、私の言葉を信じてくれなくてどこかに行ってしまったの。そしてそれ以来、ここに帰ってくることはなかったわ」
「な、ならっ! 煙を上げるとかっ、山の外からでも分かるような合図を出したりっ!」
「……それももうやったわ。それに、その方法だと他の誰かが迷いこんでしまうだけで、多分何の解決にもならないと思うの」
「あ……そっか」
考えうる限りの解決策を提示するオーグだったが、その全てをクレシアによって否定されてしまう。
当たり前だろう、オーグの思いつきだけで解決してしまうような事態なら、十二年間もこの場所に居続けたりするわけがない。
そうして希望の潰えたオーグを見て、クレシアは落ち着いた口調で二人に問いかけた。
「貴方達は、帝国側と王国側のどちらから登ってきたのかしら?」
「……帝国側です」
「そう……辛い思いをしてきたのでしょうね」
帝国から王国へと亡命する。それも、幼い少年二人だけで。
その状況が指し示す経緯を大まかに把握して、そしてオーグの頭部の耳を見て、クレシアは目を細めた。
その表情は母親を知らないオーグにもその存在を感じさせ、直感的にそこに偽りは無いのだと感じさせた。 
「私は王国から帝国へ逃げようと、この山を登ったの。その時はまだ、娘も一緒だったわ。けれど、ここに迷いこんだばかりで余裕の無かった私は、娘を失ってしまったの」
「…………」
「だから……そうね。軽々しい言葉は言えないけれど、貴方達の辛さは分かってあげられると思うの」
そう言って、クレシアは目尻から頬に涙を伝わせた。
それはオーグ達を憐れんで流した涙が、それとも娘を失った過去を追想して流した涙か。
どちらにせよ、美しいものに変わらないだろうとオーグは素直に感じた。
「貴方達さえよければ、ここで一緒に暮らさないかしら? 幸いにも、ここには水も食糧も十分なだけあるわ。出られるかどうかも分からないのに山を歩き続けるより、そう悪い話じゃないはずよ?」
クレシアの提案は、よく筋の通った魅力的な提案だった。
脱出する方法は分からず、それを探すにしても手がかりの無い状態からの完全な手さぐり。その上、道に迷ってアレンとはぐれれば二度と再会することはできないときた。
状況は絶望的。ならば、何もかもを諦めてここで暮らすのも一つの選択肢。
恐らく、それが賢い選択なのだろう。
無駄な意地を張ってアレンさえも失ってしまうより、ここで三人で暮らす未来の方が魅力的なのは明らかだ。
――けれど、
「ごめんなさい、クレシアさん」
オーグは、クレシアの提案に頷かなかった。
ずっと真剣な顔をしていたアレンが、ハッとしたようにオーグを見て、微笑んだ。
「俺達は、どうしてもここから出ないといけないんだ。ここから出て、父さんのお墓を作ってあげないといけないんだ。……だから、クレシアさんとは暮らせない」
「……そうだね、オーグの言う通りだ」
ハッキリと、雄弁に、自分達の目的を語ったオーグ。
それに心を動かされたのか、隣に座っているアレンも頷いて同調した。
そして、それを目の当たりにしたクレシアは、一時驚いた顔を浮かべて、その後微笑んだ。
「そのお父さんの事、大好きだったのね」
「うん!」
「そう。……なら、お墓は作ってあげないと。グッスリ、眠れないものね」
そう二人に告げると、おもむろにクレシアは立ち上がった。
続けて気合いを入れるように自身の頬を叩いて二人を驚かせると、今までになく穏やかに笑ったのだった。
「なら、私も協力するわ。どちらにせよ眠るところは必要でしょう? 貴方達が解決策を見つけるまで、ここが貴方達の家よ」
「……クレシアさん。――ありがとう!」
「ただし、諦めちゃダメよ? 男の子なんだから、自分の言葉には責任を持ちなさい」
「はいっ!」
そこがどこなのかも分からない山の中に、そんな快活なオーグの返事が響いた。隣で見ていたアレンも、思わず相好を崩した。
それほどに、今の言葉はオーグらしさに溢れた言葉だった。
そんなオーグを見て、机の向かい側でクレシアは微かに笑っていた。
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