風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】
不可侵の国境【2】
やや暗めの照明に似合わない活気のある雰囲気。そこかしこから聞こえる騒ぎ声の数々。その活気溢れる言霊達が店の賑わいを象徴している。そんなクレアプールの酒場の一つに二人の少年の姿があった。
とは言え、酒を飲んでいるわけもなく、テーブルに置かれているのはそれぞれの飲み物と軽めのサンドイッチだ。
齢十四ほどの少年達は互いに労を労うように杯を合わせる。その姿は本来は酒場に似つかわしくない少年の背を大人びたものに変えていた。
「色々話したい事はあるんだけど、とりあえずお疲れ様、アレン」
「うん、ありがとうオーグ」
オーグの労いを受け取り、素直に感謝を告げる。また、オーグがサンドイッチに飛びつきたい様だったので、食べていいよ、と許可する。
すると、余程待ちわびていたのか、オーグは残像すら残さない勢いでサンドイッチを手につけた。
「今思えば、僕達も結構歩いて来たね」
「あれから二ヶ月半しか経って無いんだろ? もっと歩いた気がするけどなぁ」
「その割りに君は変わってない気もするけどね」
「……どういう事?」
「自分の胃袋に聞いてみなよ」
「その言葉で大体分かったよっ!」
「あはは。……まあ、大変だったよね」
オーグは自身の傍らに置いてある漆黒の槍を見て、アレンはこれまでの経緯を回顧して呟く。
オーグのそばにある槍はベルナルドの形見だ。父と別離したあの日からオーグは一時もその槍を離したことはない。
そう、あの日から既に二ヶ月半という月日が流れていた。けれど、二人にとってのこの二ヶ月半は濃密で実際の月日以上の期間を過ごした気さえしていた。
家を発った後、二人はオーム山から帝都を避けるように迂回しながら南に下った。
主となる目的もあるにはあるが、帝国の北部には極端に潤っている土地は少なく、二人のような幼い旅人を何も疑わずに歓迎してくれる可能性が低かったからだ。
とは言え、南であれば歓迎してもらえる、というわけでもない。
生活自体は潤っているものの、やはり二人の事情を話さない以上、その怪しさは拭いきれない。
どう足掻こうとここは獣人排外主義のアルバーン帝国。ベルナルドのような人間と大差無い姿であれば問題は無かろうが、オーグのように目に見えて獣人だと分かる場合は話が別だ。
そのため、旅路のほとんどを徒歩で進み、時には大都市を迂回しながら歩いてきたため、相応の時間がかかってしまった。
「まあまあ、今までの事は良いじゃんか。それよりも先の事だろ。ショーも無事に成功したんだしさ」
まあね、とアレンは相槌を打つ。
ショーと言うのも先ほど広場で行われていた奇術の事だ。奇術を成していたのはアレンであり、あれを成せていたのは賢者の力を使っての事だ。
「でも、こんな事に使っていいのかなぁ?」
「こんな事って何だよ。大事だろ、お金の事なんだから」
「君はそういうところは変わったかもね」
オーグの言葉は正しい、がどうにもアレンには腑に落ちない。
そもそもの話、どうしてショーを行っていたのかと言われるとズバリ金の為だ。旅の費用と言えば賢者の力を使うことも納得できる……ような気もするが、仕方無いと割りきることはアレンには不可能だった。
「それにこれも貰えたしさ!」
「訂正、やっぱり変わってない」
アレンが目線を移動させた先にあった物は先ほどショーで使っていた風船。フワフワと浮かぶ二つの風船を紐で椅子に括り付けてある。
この風船はアレン達が自身の金で買ったわけではない。元々はショーに使うことを条件に貸し出す形で受け取っていたのだ。
実は風船はその材質が希少で価値が高い。今だって偶然にも貿易に訪れた商人がいなければ、アレン達はお目にかかる事も無かっただろう。更に言えば見ることが出来たとしても、貸し出して貰う事も無かっただろう。
クレアプールでは交易を盛んにするために町の中であれば、原則何をしてもよい。商売に寛大な領主の元、一定の税を納めさえすれば自由に商売が可能になる。
市場で品物を売り飛ばす者もいれば、街中に屋台を建て始める者もいる。それに目を着けたアレンは港に着く商人に声を掛けて、その商品の宣伝を申し出た。
この町ではアレンのような事をする者も少なくない。特に仕事の無い少年少女は小遣い稼ぎにこうした仕事をすることが多かった。
商人からしても僅かであるとは言え名が売れるのは利益に繋がるので、小遣い程度の金を渡して宣伝をしてもらっていた。
しかし、当然そんなことをしていても大した金は稼げない。旅の費用なんてもっての他だ。
とは言え、それはあくまで普通の少年少女ならの話である。
そこでアレンがとった方法こそ、力を使ったショーだ。
もちろん、素性がバレないように仮面を着けて。人が集まればそれだけで宣伝になる上に、ショーが終わればその場でお捻りが貰える。
加えてその商品が売れれば、商人からは相応の金額が貰えた。風船を貰ったのもその例外では無く、商品が全て売れた商人からのお礼だった。
「まあ、それはいいんだけどさ――」
そう言って、アレンはオーグの両隣に視線を移す。
「……その子達は?」
オーグの両隣には少年と少女の姿があった。
少年は目をキラキラと光らせており、少女はと言うと少年と同様にキラキラしかけてはいるものの、歳上の意地て何とか堪えている。
恐らくはショーをしていたのがアレンだと知って、憧憬の眼差しを送っているのだろう。
「ショーの時に困っているところを助けてくれたの!」
「肩車して貰った!」
元気よく発声する二人にアレンは思わず口元が綻ぶ。挟まれる形で座っているオーグはへへへ、と照れ臭そうにしていた。
確かに自分の親友が二人に手を差し伸べた事は誇らしい。だが、怒るときは怒らなければならない。そう気を引き締めて、アレンは口を開いた。
「うん、良かったね。……オーグ、どうして此処まで連れてきちゃったの?」
「二人がアレンに会いたいって言ってたからさ」
「だとしても、だよ? この子達のお母さんには話してきたの?」
「うっ!?」
図星、だったらしい。ならば、すぐにでも二人は親の元へ帰さなければならないだろう。
下手すれば誘拐とさえ捉えることのできる状況なのだ。ただでさえ帝国反逆罪を負っているにも拘らず、加えて誘拐をしてしまえばどうしようもない。主に、アレンの罪悪感が。
「君達もそろそろ帰ろうか。お母さんが心配しちゃうしね」
少女はある程度物分かりの良い賢い少女のようで、アレンがそう言うと少女は少し落ち込んだ顔をして、うん、と答えた。
「ええっ!? なんで! お姉ちゃん! 僕もっとお話したい!」
「駄目! ママに怒られちゃうよ!」
「嫌だ嫌だ! 僕だけ此処にいるもんっ!」
少女はなんとか弟を宥めようと試みるが、少年は最後には泣き出してしまう。当然鳴き声は店内に響き渡り、視線がアレン達に殺到する。
これは不味い、とアレンは察知した。下手に目立つことは二人としてはどうしても避けたい。
咄嗟にアレンは少年に近づき優しく声を掛ける。
「ねぇ君。これあげるから、我慢できるかな?」
アレンが手渡した物。それは商人から報酬として受け取った風船だ。
それを見て少年は涙を止め、アレンを見つめた。
「いいの?」
「うん。その代わり、お姉ちゃんの言う通りに出来る?」
少年はアレンの問いに頷き、目に溜まった涙を袖でゴシゴシと拭いた。どうやらそれで納得してくれたようで、アレン達もふっと安堵の息を吐いた。
「あの、ありがとう。……えと」
「どうしたの? 困ったことでもあった?」
「えと……その」
釈然としない少女の様子にアレンは一瞬小首を傾げた。だが、少女の視線の先にあるものを見るとすぐに少女の伝えたい事とその躊躇いの理由が分かった。
「オーグ」
「ん? 何、アレン?」
アレンも同様にオーグにアイコンタクトで伝えようと試みる。
が、オーグは全く気が付いていないようで次のサンドイッチに手を伸ばしていた。
更に数度、オーグに合図を送るがオーグには届かない。ここぞという時の勘は良いものの、残念ながらオーグは鈍い。
最終的にアレンは呆れながらコホンと咳ばらいをして、オーグに真意を伝えた。
「風船、あげたら?」
そう、少女が欲しかったのは風船だ。少女は高価な風船を自分から要求することを躊躇い、それでも諦めきれず釈然としない態度を取ってしまったのだろう。
運よく、アレン達の手には風船が二つある。その一つであるアレンの分は既に少女の弟に渡してしまっている。となれば、幼い少女が欲しがってしまうのも道理だ。
「え!? これ、俺のだよ!」
だが、これまた残念なことにオーグも例外なく幼く、そして子どもだった。嫌だよ、と渋るオーグにアレンは止めの一言。
「女の子には優しくするのは当然、じゃなかったっけ?」
アレンはショーの最中にオーグが言っていた言葉をそのまま返す。オーグはその言葉に顔をひきつらせた。正に自分で墓穴を掘った形になったオーグは、渋々少女に風船を手渡した。
すると、少女の表情が瞬く間に笑顔へと変わった。
「ありがとう!!」
「失くしたり、乱暴にしちゃだめだよ?」
「うん!」
ニコッと笑顔を見せた少女を見て、オーグも思わず口元を綻んだ。どうやら幾らオーグといえどもそこまで子どもでも無いようで、アレンは少し嬉しく思った。
しかし、オーグはそんなアレンの気持ちを尻目に、ありありと恨めしさの伝わる眼差しをアレンに向けていた。
「アレン、聞こえてたんだね」
「まあ、木霊使ってたからね。もちろん、小さいって言われてた事も」
あれだけの群衆の歓声の中でオーグの言葉を聞き取ったことは普通は驚愕の事実だが、オーグは不貞腐れただけで別段驚いている様子は無い。それもそのはず、オーグは既にそのアレンの技術を知っていた。
木霊。
そう呼ばれる技術の概要はある指定した人物の声だけを賢者の力を用いて風に乗せて、自身の耳まで運ぶ。
これは風の賢者の力の応用として、この二ヶ月半の中でアレンが会得していた技だ。帝国の動向を調査するために多用していた為に、今ではそう意識しなくても自然に使える程になっている熟練の技だ。
そのため、オーグとしては揚げ足を取られる事が多々あり、悩みの種と化している。
「二人とも、寄り道せずに真っ直ぐ帰るんだよ?」
「うん、分かった!」
欲しかった物を貰えて、オーグの言葉に満足げに二人は頷く。そして、最後に爆弾を落として店から立ち去っていった。
「ありがとう! お兄さん! お姉さん《・・・・》!!」
「――っ!?」
立ち去っていく二人の背を見送りながら、アレンは思わず表情が固まった。
オーグとアレン、どちらが『お姉さん』と言われたかは明白。ふとオーグへと視線を向ければ、オーグが口を抑えて笑いを堪えていた。
「……オーグ?」
「……えっ!? ごめん! ごめんって! だからご飯抜きだけは勘弁して!」
「…………はぁ。まあ、それは良いけど、ちゃんとやることはやって来たんだよね?」
「うん! それはもちろんだよ。旅に関してはアレンより長いんだから、その辺は任せて」
一瞬アレンに脅されかけながらも、胸を張ってそう言い切るオーグ。
やること、と言うのも、アレンがショーで資金を稼いでいる間に、オーグには必要な物資の買い出しや日持ちする食糧の確保を頼んでいたのだ。
着々と旅立ちの準備が進みつつある。それを感じたアレンは自然と微笑んだ。
「やっと、王都に行けるんだね」
「うん。やっと、だね」
クレイジオ王国、王都バルドラム。
それこそが二人が定めた次なる目的地である。そしてこれは、それこそ旅に出ると決めた時から既に決定していた事でもあった。
ベルナルドの死に絶望したあの日、アレンはオーグと当面の旅の目的をベルナルドの故郷を見つけることに定めた。
ベルナルドの故郷を見つけ、そこにしっかりとした墓を作る。それこそが今の二人にできる、最大の恩返しであると思ったのだ。そして、そのためにまずベルナルドの知人を訪ねるために、王都に向かわなければならない。
また、その道中で困っている人々を救っていけば、アレンの目的も果たされる。
二人の旅の目的を重ね合わせた上で、旅の目的地を王都に定めたのだった。
「亡命ルート、あれで本当に大丈夫かな?」
「大丈夫さ。そのために相応の金額は出したし、嘘は吐いてなかった」
「……嘘は吐いてなかった、ねぇ」
アレンの言葉を訝しげな表情で反復し、オーグは目を細める。
「嘘が分かるって、それ本当なのかよ」
「本当だよ。と言っても、ハッキリと分からない時もあるけど。まあ、今回は大丈夫」
二人でオーム山を旅立ってから、アレンはオーグに様々な事を話した。
母親を失った日に風の賢者として選ばれたことに始まり、その他色々な話していなかったアレンの秘密まで。
そんな話の中の一つが、アレンが真実か嘘を聞き分けられるというものであった。
話した時もオーグからはずっと訝しげな視線を注がれていたが、一つ二つ嘘を交えた問答をしてみせると、その場は納得してくれたのだが。
「心配なら、またオーグの秘密を嘘を交えて話してくれてもいいよ? おねしょ以上の弱味を握れるなら、僕はおおいに構わないしね」
「弱味っ!? 弱味って言った!? その言葉アレンが言うとより恐ろしく聞こえるんだけどっ!?」
「気のせいだよ。それより、どうするの? 試してみる?」
「ご遠慮させていただきますっ!」
「よろしい」
間髪入れずに頭を下げるオーグを見て、アレンはクスクスと笑いを堪える。
以前の問答で八歳までおねしょをしていたことがバレたのがよほど精神的に堪えたのか、オーグはそれ以来アレンに対して下手な嘘は吐かなくなったのだった。
それが良いことなのか悪いことなのかは置いといて、ともあれそんなアレンが聞き出したルートならば信憑性は言うまでもない。
と言うことは、ルート、資金、コンディション。旅を次のステップに進めるために必要なものはあらかた揃えたことになる。
要するに、王都へと向かう準備が完了したわけだ。
ならば、もう二人にこの国に未練は無かった。
「いよいよ明日だね、アレン」
「今日のうちからそんなに気合い入れてると、明日ヘトヘトになっちゃうよ?」
「大丈夫! 体力だけは自信があるからっ!」
「はいはい、分かったから」
妙に自身ありげに立ち上がったオーグを宥めるように、アレンはオーグに再度座るように促す。周囲の目に気が付いてオーグが照れたように座り込むのを見て、アレンはオーグにしか聞こえないくらいの声でボソリと呟いた。
「楽観してる場合じゃないよ。王国に行くには、モルト山脈を超えるしかないんだから」
「うん、分かってる」
「なら、いいんだけどね」
二人はそれを期に食事を終えて、酒場の席を立った。
明日はいよいよ亡命当日、少しでも体力を蓄えておく必要がある。
――モルト山脈。
それほどに、幼い二人の少年にはその壁は大きいものだった。
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