風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】
選ばれた者【1】
村から少し歩いた村外れの平野に、アレンは一人立っていた。
当然村の灯りなど届かず、唯一辺りを照らすのは月明かりのみ。星々が浮かぶ夜空に輝く月は殆ど満ちており、明日には満月へと姿を変えるだろう。アレン以外には獣や人影はなく、ただ吹き抜けた風に揺られた木々だけが音を奏でていた。
オーグがベルナルドを追いかける意志をドナに伝え、ドナからベルナルドが帝国に自らの命を捧げに言ったと聞かされて、はや三日の時が流れていた。
一般的に帝都アルティシアで獣人が裁かれると決定された際、帝国はあらかじめ都内に裁きを行うとのお触れを出してから、断首台にて処刑が執行される。
その際、お触れを確実に人々の耳に届けるために、処刑はお触れを出してから三日後と定められている。
話し合いの結果、ベルナルドを助けるのはベルナルドが姿を現す処刑当日が妥当という話になり、それまでの三日間でアレン達は可能な限りの準備を行い、今日に至っていた。
風がアレンの首筋を通り抜け、長い髪を撫でて火照った体を冷やしていく。季節は既に春。オーグと出会った頃には体を抱えたくなるほど冷たかった風も、今や気持ちが良い。風が髪を撫でる感触が心地好くて、アレンはいつも髪を纏めている髪紐を解いて、宙へとなげうった。
「……どうしたの、オーグ?」
アレンはユラユラとほどけていく髪を指を櫛がわりにして整えながら振り返り、どこからか近づいてきていたオーグに声をかけた。
てっきり気付かれていないと思っていたのか、オーグはハッと驚いたように目を開くと、小さくため息を吐いてアレンの隣に並んだ。
「ちえっ、見つかったか。ちょっと驚かせてやろうと思ったのにな」
「あはは、それは無理じゃない? だってオーグ、この前ガーネットにもかくれんぼで負けてたじゃない」
「あれはだって、アレンがこっそり耳打ちしてたからだろ? あれが無かったら最後まで見つかってなかったよ」
「かもね」
まだ純粋に幸せを噛み締めていた頃の思い出を語り、二人は互いにクスリと笑い合った。
「それで? ここに来たのはそれだけじゃないでしょ? 君も眠れなくて風に当たりに来た? それとも僕に話があるの?」
「んー、どっちも……かな。眠れなかったのはホントだし、一人で起きてるのも退屈だから散歩でもしようかと思ってたら、アレンが居たから」
そっか、と安易な相槌を打ち、アレンは両手を組んで一つ大きく伸びをした。 
そんなアレンの様子を見て、オーグは小さく首を傾げた。
「そういえば、なんだけどさ。アレンってどうして髪を伸ばしてるの? 正直、俺からしたら長い髪なんて邪魔なだけだと思うんだけど」
オーグの疑問は実にもっともなもので、アレンは男であるにも拘わらず、意識的に髪を伸ばしている傾向がある。
オーグがアレンと出会ってから一ヶ月が経過しようとしているが、この一ヶ月の間にも髪は伸びているはずなのに、アレンは髪を切ったような様子もない。
そんなオーグの質問に、その当の本人はというと、何故か自分でも不思議なような顔をして考え込んでいた。
「えっと、……何だっけ。いちいち切るのが面倒だとか、何か理由があったと思うんだけど……」
「……え、忘れたの? 忘れてるのに今も伸ばしてるの?」
「もういつの間にか当たり前になってたからねぇ。…………あ、そっかそっか、思い出した」
数秒間顎に手を当てて考え込んでいると、ふと幼い頃の記憶が蘇ってきた。
あの頃はまだ悲しみを知らなかった、母親と二人で父親の帰りを待っていた日常のある日の事だった。
「昔、お母さんに髪が綺麗だって褒められたんだ。それが嬉しくて、髪を伸ばすようになったんだった」
「……そっか。なら、切れないね」
「いや、邪魔になったら切るけどね。このくらいの長さなら平気かな」
「あ……うん。だよね、アレンってそういうところあるよね」
「…………? 何のこと?」
「なんでもない」
合理的というか現実主義というか、良い具合いにサッパリとしているアレンにやや苦笑いを浮かべたオーグ。当のアレンは当然苦笑いの理由には気付かず、腑に落ちないまま会話は続けられた。
そうして、なんでもない会話が二人の間で交わされ、夜は刻刻と更けていく。
夜が明けて明日になれば、明日の夜にはベルナルドと共に完全に満ちた月を眺めて話をしている。そんな想像に心を傾けながら、二人は夢中になって話をした。
そんな中で、オーグは一度も明日の事について触れることはなかった。
実のところ、明日の作戦は全てアレンに一任されている。必要な準備は伝え、万全を期してはいるが、アレンはまだどのようにしてベルナルドを取り戻すかをオーグには話していなかった。
無論、アレンがオーグに詳細を話さない事には理由がある。ただ、それを踏まえた上でオーグが聞いてきたのならば、オーグにだけは話しても良いと思っていた。
ところが、オーグは今この時だけではなく、この三日間に至るまで一度もアレンに聞いてくることはなかった。
他力本願、などでは無い。
そんな疑いは、オーグの目を見れば誰でも理解できる。
信頼、されているのだ。だからわざわざ確認するようなことはせず、全幅の信頼を持ってオーグは自分の為すべき事を為している。
ならば、とアレンは密かに拳を握った。
最も親しい友が自分を信頼してくれているのだ、これ以上何を望もうというのか。
「……ねぇ、オーグ」
ふとした話の切れ間に、アレンはオーグに問いかける。
「ベルナルドさんを助けるには、小細工無しに正面から取り返す必要がある。そして、それをすればきっと、君とベルナルドさんはここには居られなくなる」
「…………だろうね」
「君は、何よりも幸せな事を考えて、ベルナルドさんを追いかけるって言ったけど、それは本当に幸せな事なの? ベルナルドさんが大切なのは分かるけど、安全な暮らしも、村の皆も……僕も捨ててまで手に入れたそれを、君は幸せだと思ってるの?」
「…………」
オーグは少しの間、何も答えずに黙り込んでいた。
当然だろう。アレンはそれほどに意地の悪いことを言ったし、アレン自身にその自覚もあった。
しかし、そうしてオーグを苦しめたとしても、聞いておきたい事であることもまた事実だった。
これを聞いておかなければ、いつかのタイミングで自分自身がブレてしまうと思ったから。ベルナルドが助からないかもしれない状況に置かれたとき、ベルナルドを捨ててまで自分やオーグを守ってしまうかもしれないから。
そしてそれは、きっとオーグの本心とはまるで違っているはずだから。
長い沈黙の末、オーグが出した答えはそんなアレンの思惑を汲んだような答えだった。
「ズルいな、アレン。俺を試すにしても、もう少し優しい聞き方は無いのかよ」
「……ごめんね」
「いいよ、ちゃんと答えるから。ハッキリ言うよ、俺はアレンやウルワ村の皆を捨ててでも、父さんを助けてみせる。今の俺に父さんよりも大切なものは無い」
「……そっか」
「――でも、アレン達との繋がりも簡単に捨てるつもりはないよ」
オーグの言葉に、心と共に俯きかけていた顔を、アレンはハッと上げた。
「当たり前だろ? と言うか、前に言っただろ? 俺はバカだから、我慢とか妥協が分からないって。だから、いつかまた俺はここに帰ってくるよ。それで、アレンのご飯を腹いっぱい食べるんだ!」
顔を上げた先にあったオーグの顔は、現状の絶望や悲愴を感じさせないほど、明るい笑みを浮かべていた。
そしてアレンはオーグの不思議な魅力に釣られて、口元が緩んでいくのを感じた。
「……何それ。それじゃあ僕はいつ君が帰ってきてもいいように、食料庫をパンパンにしておかないといけないじゃない」
「ああ、うん、そうだね。できればお肉がいっぱいあると嬉しいかな」
「もう、要求多すぎ」
「頼んだよ、アレン」
「任されたよ、オーグ」
二人は軽口を叩きあって、またあははと笑い声を上げた。
いつか二人が初めて出会った、あの日の月下の語らい。
奇しくも今宵の月もあの日に似た未完成の月。けれど、あの日はまだ歪だった二人の関係は、きっと今や満月のように美しいものになっているのだろう。
そして遂に、二人は作戦決行の日を迎えた。
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