風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】
何よりも幸福なこと【2】
ベルナルドの傷がすっかり治っている事。昨日のうちに荷をまとめていた様子は無く、今朝ベルナルドがまだ帰ってきていない事を確認するまで、アレンもリハビリがてら散歩にでも行っているものだと思っていた事。そして、本格的に最悪の可能性を疑い出した時に、書斎から数枚の書き置きが見つかった事。
また、その書き置きにはオーグに宛てた手紙とオーグを置いて旅立つ事を伝える旨が書かれていた事。
それら全てをアレンから聞いたオーグは、ベルナルドの手紙を読むよりも先にオーム山一帯を走り回った。
今ならまだ、ベルナルドがこの周辺にいるかもしれない。そんな淡い希望をもって、オーグはアレン達と共に父親の背中を探し回った。
しかし、結論から言えばオーグ達はベルナルドの姿はもちろん痕跡さえ見つけることができなかった。
アレンの話を信じるに、ベルナルドは昨日から今日にかけて夜を越している。ならば、山中に焚き木の跡くらい残っていてもおかしくはない。
にも拘わらず、それすらも見つからなかったということは、ベルナルドが既に山を下ったことを意味している。
それが分かった時点で、ならば自分もと山を下ろうとしたオーグだったが、それはアレンによって遮られた。
(山を下りて探すにしても、探す方角くらい当てをつけないと間に合わないよ。今はとりあえず、一度ウルワ村に行ってドナさんに聞いてみよう)
あの律儀なベルナルドの事だ、旅立つ前にドナに挨拶をしていてもおかしくはない。
そうしたアレンの冷静な提案に頷き、オーグ達はウルワ村へと向かったのであった。
村に着くと二人はガーネットを家に帰し、真っ先にドナの家に向かった。
「ああ、確かに来たよ。何せあの生真面目な男の事だ、来ないわけがない」
扉を開け、出迎えてくれたドナに事情を話すと、僅かに表情を険しくしてドナはそう答えた。
その言葉を聞いた途端、自分でも分かるほどに表情がパッと明るくなった。
完全に手探りで探して見つからず、捜索範囲だけが延々と広がり続け、半ば絶望すらしていた矢先の事だ、嬉しくないはずがなかった。
「ドナさん、その話を聞かせてもらえますか?」
「構わんよ。口止めはされたが、お前さんが居る以上嘘は意味をなさん。お前さんの嘘を見抜く力を知らなかったあやつの落度じゃて」
そう言って、ドナはオーグ達を家の中へと招き入れた。
一刻の猶予も惜しいというのがオーグの本音であったが、そんなオーグの本心に気が付いたのか、アレンはそんなオーグの心をなだめるように優しく背を二度叩いた。
しかし、オーグに心の余裕があればそれで冷静になることができただろうが、今のオーグの心中は焦りがほとんどを占めていた。故に、家の中へ足を踏み入れると間髪入れず、オーグはドナへと迫った。
「ドナ婆ちゃん、早く教えて。俺は今すぐにでも、父さんを探しに行きたいんだ」
強い眼をして、そうドナに迫るオーグ。そんな礼節を弁えていない言い方に、アレンはオーグを肩を掴んで制するが、オーグは気持ちの昂りを抑えられずに、その場を引こうとはしなかった。
そんなオーグの様子を見て、ドナは一つ深いため息をついた。
「さっきも言ったように、あやつの行き先について話すのは大いに構わん。じゃがのオーグ、儂はお主に聞いて置かなければならぬ事がある。これはベルナルドからの言伝じゃ。この筋だけは、如何なる理由があろうと通させてもらう」
ドナの口から出た、ベルナルドからの言伝という言葉の響きに、オーグは静かに息を飲んだ。それがベルナルドにとって、オーグにとってどんな意味を持つ言葉なのか、オーグはそんなことを考えずにはいられなかった。
覚悟を決めて、オーグは頷く。その姿を確認して、ドナはベルナルドの言伝を口にした。
「オーグや、お主だけは旅を止めて、ここで儂らと暮らさんかという話じゃ」
「――――っ!?」
そう告げられたドナの言葉に、オーグは全身を雷で貫かれたような衝撃を感じた。まるで、喉元にナイフを突き付けられているような、少しでも足を滑らせば奈落の底に落とされてしまうような、そんな死に直面した感覚に近いものだった。
そして、その衝撃の理由を、オーグは動揺していながらも理解していた。
それはきっと、ドナから差し出された提案を自分はどこかで心地よいものと感じてしまったから。父親を助けること以外に気を向けてはいけないこの状況で、自分自身の保身を考えてしまったから。
きっとそんな自分がいる事を、他ならぬ自分が驚愕したのだ。
「ベルナルドは言っておった。自分は旅を続けることでしか生きられないと。そして、この先も今回のような危険はたくさんあるのじゃと。じゃから、自分についてくるよりもこの村に残るほうがオーグには幸せなんじゃと。……正直、それには儂も賛成じゃった。じゃから、儂はあやつを引き止めんかった」
「…………」
「考えてみてくれんか? ここにはお主を避ける者はおらん。多少の不自由はあるじゃろうが、悪い話じゃなかろう?」
落ち着いた口調で、まるで癇癪を起した子供をなだめるように、ドナは一つ一つオーグに言い聞かせた。
そんなに自分は愚かなことをしようとしているのだろうか、誰からも理解されないことをしようとしているのだろうか。
ドナの物言いにそんな反感を少なからず感じたが、同時に徐々に頭の血が引いていくのをオーグは感じていた。
ふと、アレンを見た。先ほどから口を閉ざしていたアレンは、ドナの話を聞いたことで何かを理解したようで、オーグとは目も合わせず俯いていた。
そんなアレンを見て、不思議と理解した。きっとアレンとドナの間には何かしらの共通理解があって、それはあのアレンが俯きたくなるほど凄惨な事実であるのだと。
おそらく、その共通理解というのは例のドナの言う『嘘』というものなのだろう。ベルナルドがオーグのためを思って吐いた、優しい嘘なのだろう。
そんな周囲の状況を察して、オーグは不思議と冴えていく頭で考える。ちょうど今朝考えていた、何よりも幸せな事の続きを。
「……分かってるよ」
「……オーグ?」
「分かってるんだよ、父さんの願い通りここで暮らすのが俺にとっての幸せなんだって」
「……なら――」
「――でも、ダメなんだ。俺バカだから、我慢とか妥協とか全然分からなくて、考えちゃうんだ、何が俺にとって幸せなんだろうって。そしたら……いっぱい幸せな想像が浮かんでくるんだ」
何度も、何度も、色んな状況にある、色んな場所にいる、幸せな自分自身を思い描く。
時にアレンのそばに居て、ウルワ村でガーネットと遊んでいて、ドナに説教されていて、そこに何故かアレンも叱る側として参加してきて。
そんな他愛のない幸せな日常が、あの日望んでいたはずの当たり前の幸せが、今はどうしてかハッキリと、色まで付いて瞼の裏に浮かぶ。きっとそれは、他ならぬ自分がそれを望んでいるから。
「……でも、ダメなんだ。だって――」
しかし、オーグはそれらの空想を振り払うように首を振る。そして、想いをまっすぐに口にした。
「その幸せそうな俺の横には、絶対父さんが居たから」
何ものにも、替えがたいもの。一度手を離してしまえば、二度と掴めないもの。
それが今まさに、離れようとしている。
それを、黙って見過ごせるわけがない。それができれば、オーグはベルナルドを『父さん』などと呼んではいないのだから。
「俺には、父さんが必要なんだ。もちろんアレンもガーネットもこの村も大好きだ。……でも、それは父さんがいての幸せなんだ」
「……オーグ」
「だから、ごめんなさい。父さんの言伝に従うつもりはない。……ドナ婆ちゃん、父さんがどこにいるのか教えて」
とりとめのない言葉でありながらも、一つ一つ確かな想いで、自分の気持ちを伝えたオーグ。そんなオーグの眼差しを見たドナはオーグを説得することを諦め、またも深いため息を吐いて答えた。
「まったく、親子揃っておんなじ目をしよって。……そんな目をされたら、儂にはもう止められんじゃろうて」
「――――っ!! ならっ!」
「ああ、教えるとも。じゃが、覚悟するんじゃぞ? 今の状況はお主が考えているよりもずっと、絶望的じゃ。それでも、お主は本当にベルナルドの元へ行くと言うのじゃな?」
それに答えるのに、時間はいらなかった。
悩みも、不安も、諦念も、絶望も、何を支払ったとしても、かけがえの無いモノを迎えに行くために。
オーグは知っていたから。
「絶望は、嫌だ。辛いときを見計らって俺に近付いてきて、大切なモノを奪われる辛さを押し付けてくる。でも、俺は知ってるから」
大切な者を失いそうになる辛さは、一月前に既に知っている。最善を尽くそうともしないで逃げ出した後の後悔の味も、嫌というほど味わった。
あの日から身体的にも技術的にも何も進歩してなかろうと、絶望というものから目を背けた先にある末路は、この骨身に染み込んでいる。
「絶望を切り抜けた後でみんなで食べるアレンのご飯は、何よりも美味しいんだって!」
希望を体現するような美しい銀の双眸を開かせ、澄み渡るような声色で、オーグはそう言った。
今までの前置きからはまるで考えられない、如何にもオーグらしい最後の一言。言わずもがな、アレンとドナは驚いたように互いを見合って、そして笑った。
「……呆れた。ベルナルドさんがどこにいるのかも聞いていないのに、君って人はもうご飯の事を考えてるの?」
「まったくじゃよ。さっき儂の提案を断った時には大した奴じゃと思うたが、話を聞いてみればただの腹ペコ小僧だったとはの」
「え、ええっ!? 俺、そんなに変な事言ってた? ……ご飯は一人よりも二人、二人よりも三人で食べた方が美味しいと思うんだけどなぁ」
言葉尻を弱め、先ほどの勢いがみるみるうちに減速していくオーグ。その感情の起伏を体現するように、オーグの耳も分かりやすく落ち込むようにへたりこむ。
そんな様子をまたもアレンは笑いながら、不意にオーグの手を握った。
「間違えてなんかいないよ。確かに君は考えることが得意じゃないかもしれないけど、僕はそれこそが君の美点だと思う。君の言葉には、何にも勝る君の想いが詰まってる」
「……アレン」
「一緒に行こう。そして、ベルナルドさんと一緒にご飯を食べよう。きっと、忘れられない味になるよ」
「――うんっ!」
気が付けば、いつの間にかアレンの表情も晴れやかなものへと変わっていた。既にそこには、絶望を知ってしまったあの表情は姿を消していた。
きっと、それがオーグの想いが伝播したからだということを、オーグは気が付かない。そして、その想いが『勇気』という名で呼ばれることも、気が付いていないのだ。
「ドナ婆ちゃん。教えて、父さんはどこに行ったの?」
強い意思をその小さな身体に宿して、オーグは立ち向かう。
心強い友と、ありあまる食欲を胸に、父親の待つ場所へ。
「……山を下って南に進んだところにある都――アルバーン帝国のお膝元、帝都アルティシア。奴は自分を犠牲にしてお主を助けるために、自らの命を断ちに行った」
父親の死が待つ、絶望の元へと。
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