風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】

高瀬暖秋

何よりも幸福なこと【1】

 

 曇りのない青空を背にした太陽がちょうど真上に達した頃、オーグとガーネットはオーム山の山中を朗らかに歩いていた。
 オーグは背中に背負子を背負っており、その中には果実や野菜などが詰め込まれている。一方ガーネットは手ぶらで、その快活さを表しているように元気よく腕を前後に振っている。

 つい昨日アレンにおつかいを頼まれたオーグは、昨日のうちに山を下り、収穫を手伝うついでにウルワ村で一泊していた。
 そして日が登り、つい先ほどようやく帰り道を歩いていたところガーネットと遭遇し、紆余曲折あって二人で家まで帰る途中であった。
 背中に背負う果実や野菜はオーム山に生息する獣の毛皮や干し肉と物々交換したものであり、アレン達の日々の食糧である。また、本来の背負子のサイズから今にもはみ出しそうなその様子から、アレン宅の食糧事情の変遷とアレンの気苦労が伺える。

「そういえば、オーグさんは今おいくつなんですか?」

 他愛のない談笑のテーマとなっていたのは、オーグの昔語り。
 一度も村から出たことのないガーネットには旅をしてきたオーグの話は興味深いらしく、ほのぼのとそんな話をしていると、ふとガーネットはそんな事を聞いてきた。

 思えば、あまり話す機会がなかったかもしれない。誰にでも人当たりのいいガーネットであるから今まで気にしなかったものの、話し相手との年の差が分からないというのは存外やりづらいのはオーグにも分かる。それが年上であれば尚更だろう。

「そういえば言ってなかったっけ。俺は今十四歳だよ」

 わざわざ嘘を吐く理由もなく、オーグは正直にガーネットの質問に答えた。すると、一体どういうわけか、一瞬ガーネットの表情が曇った。

「どうかした? 気分でも悪い?」
「い、いえ! 大丈夫です! 大丈夫ですから!」

 オーグは素直に気分が優れないのかとガーネットの身を案じたが、ガーネットは何事も無かったかのように振舞ってやや足取りを速める。確かにオーグから見ても体調が悪いようには見えないが、それでもやはり明らかに何かがおかしい。足取りを速めたのも何かを感づかれるのを恐れているようにも見える。

「……ねえ、ガーネット。何か、隠してない?」
「――――っ!?」

 図星、だったのだろう。目に見えて、ガーネットの小さな体がビクリと跳ね上がった。
 その様子を見てオーグは確信に至り、更にガーネットを追い詰めていく。

「隠し事は止めてほしいなぁ? 俺、さっき年を教えたんだけど? そのお礼に教えてもらっても良いと思うんだけど?」
「い、いや! これはですね! オーグさんのためにも話すわけにはっ」
「へえ、やっぱり何か隠してるんだ? しかも俺に関係する事? なら尚更聞かないわけにはいかないなぁ」
「なっ!? 騙しましたねっ! この人でなしっ!」
「そ、そこまで言わなくていいだろっ!?」

 結果的に低レベルな口論はオーグに軍配が上がった。大人げなくもガーネットを口で言い負かすと、ガーネットはようやく恐る恐る真実を口にした。

「あ、あのですね。実は私、オーグさんはてっきり十三か十二歳だと思ってたんです」
「ん? なんだ、そんな事? なぁんだ、別に隠すことないよ、そんな事」
「いや、その、違うんです。ちょっと……違うんですオーグさん」

 ガーネットの口から話された真実に拍子抜けしてしまったオーグだったが、それを話した上でガーネットは何か煮え切らないようにモジモジとしている。

 そんなガーネットの様子に首を傾げるオーグ。未だ何かを話し切れていない様子のガーネットを見て、ふと考えた。

 どうして、ガーネットはオーグの歳を十二か十三だと当たりをつけたのか。どうして、ガーネットはそれだけの事を言い渋ったのか。

 オーグはその答えに自分でも驚くほど早く辿り着き、そして自分の名誉を守るべく素早く行動に移した。その言葉をガーネットから発せられる前に。

「実はアレンお姉ちゃんは――むぐっ!?」

 端的に言うと、物理的に口を塞いだ。

「もう、何も言わなくていい。何も……言わなくていいんだ」
「……あ、はい」

 ガーネットがオーグを十二か十三だと当たりをつけたのは、オーグの身近な人物が少なくとも十四才以下だったから。そして、ガーネットがそれを言い渋ったのは、オーグよりも歳下のその人物よりも、オーグの背が低かったから。

 何より、そんな気遣いを幼いガーネットにさせてしまったのがあまりに恥ずかしく、オーグはその後の帰路を下を向いて歩いていった。

 ――そんな当たり前の幸せに、オーグは既に慣れ始めていた。

 オーグがあの日傷だらけになってアレンの家に転がり込んでから、今日でおおよそ一ヶ月。旅をしていた頃もベルナルドの怪我が原因で同じ程度の期間滞在したことも少なくなかったが、今のアレンのようにオーグに寄り添ってくれる存在はほとんどいなかった。

 故に、オーグは僅かに躊躇っていた。本当に、このまま旅を続けることが幸せに繋がるのか、と。

 ベルナルドの怪我は酷いものだったが、アレンの適切な治療と安全な住まいを確保できたことで回復の見込みはおおよそ一ヶ月、つまりもって後数日か、何なら今日のうちにでもベルナルドの傷は回復する。
 つまり、あと数日もすればオーグ達がこの山に滞在する理由は無くなる。

 これまでの旅路を思い返せば、旅の別れとは案外呆気ないもので、用が済んでしまえば未練を残さず次の目的地へと旅立ってきた。
 けれど、今回に関しては少しだけ事情が異なる。端的に言って、アレンの存在がオーグの中であまりにも大きくなりすぎた。

 今までに無いほどの傷をベルナルドが負った事だけでも、オーグにこの先の旅の心配をさせるのには十分であるのに、アレンと別れることの未練が旅立つことへの躊躇いに拍車をかけていた。

「なあ、ガーネット。……もしも俺達がここに残りたいって言ったら、どう思う?」

 今の声は一体どこから発せられたのだろうか。
 そんな風に疑いたくなるほど弱々しい声がオーグから漏れた。
 しかし、そんなオーグとは対照的に、ガーネットは子供らしい明るい声で応えた。

「もちろんっ、大歓迎ですよっ! オーグさんはとってもいい方ですし、これからも遊んでもらえるなら私は嬉しいです!」

 オーグの今の心境などいざ知らず、エヘヘと微笑むガーネットに、オーグもまた毒気を抜かれたように笑った。

 分かっている、分かっているのだ。
 たとえこの地に残りたいと言ったとしても、反対する者など一人としていないことは。
 故に、オーグは考えてしまうのだ。恩人への恩返しなど忘れて、父とアレンとここで暮らせれば、どんな未来が待っているのだろうか、と。

 そうすれば、父はもう怪我をしなくて済む。そうすれば、アレンと離ればなれにならなくて済む。……そうすれば、もう二度と辛い思いをしなくて、済む。

 それはきっと、何よりも幸福なことなのだろう、と。



 □□



 時は間も無くして、オーグ達はアレンの家に到着した。
 そんな時、普段から使っている道を歩いていると、ふとオーグはある事に気が付いた。
 家へと続くその一本道にある足跡が、少し多い気がしたのだ。

 それは明確な異変ではない。何なら、普段からもそうあるのが今日偶然気になっただけかもしれない。
 けれど、オーグは妙な予感を感じ取り、ガーネットをその場に待たせて一人で家の扉の前まで歩いていった。

 ここで生活するようになってから、アレンから耳が痛くなるほどに山賊には気を付けてと言われてきた。幸いにも今までにオーグが山賊に遭遇することはなかったが、オーグは今ようやくその時が来たのだと予感した。

 玄関先に置いてあった手斧を手に、恐る恐るオーグは扉を開いていく。耳や鼻で人の気配を探ったところ、それらしき反応は無く、覚悟を決めて家の中へ飛び込んだ。

 しかし、オーグの覚悟は全くの杞憂に終わり、やはり家の中には誰も居らず、アレンの家は伽藍堂がらんどうと化していた。

 既に山賊に入られた後なのだろうか。
 そんな疑問を抱いてオーグは覚えている限り、何か盗まれた物がないかと家の中を自分の記憶と照合していくが、どういうわけか完全に記憶と一致する。

「……どういうことだ?」

 おかしい、明らかにおかしい。
 確かにオーグは頭は良くはないが、決して勘が悪いわけではない。そして、その勘がオーグに必死に警鐘を鳴らす。早くしないと手遅れになってしまう、と。

 しかし、状況から判断する限り家に山賊が入った痕跡は無い。無論、金目の物が目的では無いとすれば、それをオーグに特定することはできず、痕跡の有無も分からない。
 だが、アレンから話を聞く限り、下手に逆らわなければ金目の物以外を盗られることも無いとのことだった。

 となると、やはりおかしい。
 オーグにはそのとある一点がどうしても気になって仕方がなかった。

 ――そんな時だった。

「きゃああ!?」

 家の中まで聞こえるほど大きなガーネットの悲鳴が、オーグの耳に届いた。

 失念していた。どうして、どうして外にも山賊がいる可能性を考えなかったのか。
 もしも山賊が人をさらうことを目的としていたならば……。

 最悪の状況が瞬間的に頭に過った。自分の不注意でガーネットが危険に晒される、そう考えると心臓の鼓動が跳ね上がったように激しく胸を打ち付けた。

 次の瞬間、オーグはその場を飛び出していた。飛び出した先に待つ自分の未来を考えるよりも先に、苦しんでいるかもしれないガーネットの表情を思い浮かべて。

 ――しかし、扉を開けた先にあった光景は、オーグの想定していたものとはまるで違っていた。

 そこには苦しむガーネットの姿は無く、ガーネットは上を見上げて呆然と尻餅をついていた。その視線の先には山賊など存在せず、ガーネットもオーグも良く知っている人物――アレン・ハーヴィが息を切らせてそこに立っていた。

「……オーグ、ここに居たんだね」

 アレンのその言葉を耳にした瞬間、オーグは自分の想像が全て脆く崩れ去っていくのを感じた。

 山賊など元より居なかった、人さらいなどもっての他だった。ガーネットの悲鳴は単に走ってきたアレンに驚いただけ。元より自分は、何もあるはずの無い伽藍堂の家に怯えていただけ。

「本当にごめん、オーグ。昨日のうちに村に下りてでも、君にはもっと早く伝えておくべきだったかもしれない」

 だが、だとするならば、やはり異変はあった。山賊が家を襲ったのならば無いことも頷けるが、そんな事実が無かったならばあるはずのもの・・があの家には消えていた。

「ベルナルドさんの傷は、昨日のうちに完治してたんだ。昨日のうちに、ベルナルドは動いても全然問題ない状態にあった。僕はそれを喜ぶばかりで、ベルナルドさんが何を考えていたのか気が付かなかった」

 オーグは、あの日に願った当たり前の幸せに、慣れてしまっていた。それ故に、忘れてしまっていた。幸せというものは浸れば浸るほどに、失うのに一瞬すらかからないことを。

「……ベルナルドさんが、居なくなった」

オーグの記憶と照らし合わせたあの家からは、ベルナルドと彼の槍の姿が、無くなってしまっていた。



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