風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】

高瀬暖秋

悪の象徴【2】

 

 地上に人間という種が存在しなかった時代、更には生物と呼べるものが何一つ無かった太古。その世界は完全な“無”に包まれていた。
 日の光りは無い、海洋も無い、地殻も大気も無く、遂には闇すらも存在していない。もはや世界と呼べるのかも怪しい空間が、そこにはあった。

 当然の如く、そんな環境では生物は生きられない。神々などといった偶像の部類はまた別だろうが、少なくとも現世を生きているような明確な質量を持った生物は、適応以前に生まれること自体があり得ない世界だった。

 けれど、その状態が何億何万という時を経て、ようやく世界に一筋の光明が差し込んだ。世界に、生まれるはずのない命が誕生したのだ。

 曰く、それは水を掻き分ける巨大な水掻きを持っていた。
 曰く、それは大地を踏みしめる強靭な足を持っていた。
 曰く、それは天空を駆ける優雅な翼を持っていた。
 曰く、それは地を這う大蛇のようであり、天を舞う大鷲のようであり、知を統べる人のようであった。

 過酷な環境で生を受けたそれは現世に存在するあらゆる生物の特徴を持ち、あらゆる環境に適応する力を有していた。

 しかも、その生命の有する神秘はその在り方だけに留まらない。むしろ、その容貌や生命力はただの飾りと言っても過言ではない。何故なら、その生命――環境を創り出す力を宿していたのだから。

 その咆哮は火を生み出し世界を尽きることのない灼熱へと変え、世界に火の恩恵をもたらした。

 その涙は水を生み出し世界を乾きのない潤いへと変え、世界に水の恩恵をもたらした。

 その吐息は風を生み出し世界を絶えることのない大気とへ変え、世界に風の恩恵をもたらした。

 その牙は土を生み出し世界を果てることのない大地へと変え、世界に土の恩恵をもたらした。

 全能とも呼べるほどの力を有していたその生物は、何も無かった世界に様々な物を創り出した。熱、海洋、大気、大陸、現世に存在する環境と呼べるものは全てがその生物によって生み出されたものだった。

 そうして環境が整うと、次いで様々な命が芽吹き始めた。無の世界では生まれることさえ出来なかった命達はたちまち新世界に適応し、己の力で世界を整えていった。

 そしてまた何万にもなる年月を経て、世界は現世の環境を手に入れた。幾度にも及ぶ生存競争によって失われた種も少なくなかったが、長い年月を経て命の全体数も増加の一途を辿った。

 そんな中で、力こそ欠けているが一際知恵のある生物が誕生した。その者達は法則を理解し、自然を利用し、そして言語を操る。そう、人族と獣族である。
 他の種よりも知恵を持っていた彼らは世界の仕組みとその偉大さを読み解き、世界を創造した存在を尊い者と崇め、その存在を“竜”と呼称した。
 以降、彼らは竜を崇拝して生活を営み、世界に、自然に、創造主である竜に敬愛を抱いて世界に繁栄をもたらした。

 ところが、彼らはやがて自身らが崇めていた創造主が誤ったものであると気が付く。

 始まりは異様なまでの海洋の上昇だった。次いで豊かであった土壌が汚染され、穏やかに生物達を撫ぜていた風は命を脅かす嵐へと姿を変えた。
 海面の上昇により生存範囲を狭められ、土壌の汚染により生きるための作物を失い、嵐によって命さえも奪われる。そして遂には地上のあらゆる場所から溶岩が噴き出し、圧倒的な熱量で生物を焼き切っていく。
 それはまさに、地獄絵図と呼ぶに相応しい惨劇であった。

 そうして、豊かであった頃から一転して崩壊の一途を辿る世界。竜のような環境を生み出す力など無い生物達にそれを拒む術は無く、刻一刻と破滅の時は迫っていた。

 しかし、絶望を目前にしても諦めず、その知恵を振り絞り立ち上がった者達がいた。充満する死の空気の中で、尚も輝く強い意志があった。
 だが、言わずもがな彼らにも力は無い。故に、彼らが出した答えは、世界の創造主にもう一度世界を創り直してもらうことだった。
 彼らは創造主と崇める竜の元へ足を運び、最大限の敬意をもって懇願した。『どうか、世界を救ってくれ』と。

 ――けれど、結果として竜は彼らの懇願を拒否した。

 いや、拒否などと優しいものではない。何故なら、そうして懇願した彼らを見下ろした竜は、そんな彼らの願いを嘲笑って聞いていたのだから。

 そうして、その時彼らは初めて自分達の過ちに気が付いた。慈しむために世界を創造したのだと思っていた竜の行いは、全てこの瞬間の愉悦のために積み重ねてきたものなのだ、と。

 竜は彼らの言葉を用いて言い放った。世界を生み出したのは破壊するため、命を生み出したのはこの叫声を聞くためなのだ、と。

 彼らは絶望した。最期には必ず自分達を救ってくれると信じて疑わなかった存在が、他ならぬ破壊の体現者であったことに。

 打開策を奪われ、生きる術を奪われ、精神的主柱を奪われ、彼らは心身ともにみるみる疲弊していった。過ぎていく時間は自分の死へのカウントダウンと同義。いっそのこと時間など早く過ぎ去ってくれと願ってしまうほど、彼らに希望は無かった。

 ――しかし、光を見失い足掻くことさえも出来ない絶望の中で、それでも彼らに奇跡は起きた。

 世界が再び闇に包まれようとした寸前、天より四つの光明が彼らの元に落とされた。天は彼らの中から特に秀でた四人に、竜の持つ恩恵の力に匹敵する権能を授けたのだ。

 天より選ばれし四人はその権能を用いて竜と対峙した。その咆哮を火の権能で、その涙を水の権能で、その吐息を風の権能で、その牙を土の権能で無力化し、その命を賭して竜の猛威を食い止めた。

 だが、両者には生物としてのそもそもの質量の差がありすぎた。いくらその恩恵を無力化したところで、純粋に質量から生まれる力の差は埋められなかった。

 故に権能を託されし四人は竜を滅することを諦め、持てる限りの力で竜に封印を施した。無論、代償としてその命をもってして。

 そうして、世界は再び平穏を取り戻した。自然は元の姿を取り戻し、生物達も再び種を繁栄させていった。

 世界の救世主となった四人は後に“賢者”と呼ばれて崇められ、一方で竜は邪悪の象徴として後世に語り継がれていった。



 ◇



「――って言う話があってね。竜は世界を滅ぼそうとした悪の象徴として世界の共通認識になってるんだよ」
「へ、へえ……そう、なんだ」

 オーグが竜という言葉に反応を見せるや否や何故かスイッチが入り語りだしたアレン。アレンが博識なのはアレンの家の蔵書の量を見れば分かったが、ここまで詳しくかつ流れるように語られるとは思わず、珍しくオーグはアレンに圧されるようにしてたじろいでいた。

 と言うか、正直頭が追い付いていない。普段から饒舌なアレンがオーグの知らない内容について恐るべきスピードで語っていくのだから、オーグの頭がそれを捌けるはずもなく。

 しかし、このままサッパリ分かりませんでしたと言えば、アレンから冷ややかな眼差しを受けることは間違い無く、寝食(主に食)の管理をアレンに任せているオーグにとって、それは御免こうむりたい。
 そのため、開き直ってやっぱりもう一度教えてなどとは言えるはずも無く、オーグは頼り無い自分の頭を頼りに物語を整理しようと試みる。

「えっと、要するに、竜は世界を滅ぼそうとした悪い奴で、賢者って呼ばれる人達がそれを封印した。……あっ、そっか――」

 思い出される朧気な記憶を口に出してくオーグ。そうしているとふと、ストンとオーグの中で腑に落ちることがあった。

「だからこの前、アイツは竜って言葉を出したのか」

 アレンの物語と共に思い出されるのは、オーグがアレンと出会った日の晩、ベルナルドを襲った騎士がアレンに言っていた言葉。

(聡明な君が、竜に魅入られざらんことを)

 アレンの言う通り竜が悪の象徴であるならば、その言葉も意味が理解出来る。竜が悪魔のような存在であるとすれば、則ち悪に染まらないことを祈る、または不幸な事が起きないことを祈るとも解釈出来る。

 つまり、『神の御加護があらんことを』という言葉の対を成す言葉として、それは扱われていた訳だ。

「さっき話したのは古くから伝わる創世神話。今となってはその全容を知ってる人は少ないけど、“竜は悪”だと言う認識は今でも引き継がれてるんだ」

 納得したように頷くオーグに、それにねと言葉を繋ぎ、アレンは話を続ける。

「地方によっては解釈も違っていて、この地域では賢者に力を与えたのは神様って話になってる。だから儀礼において、“神”と“竜”は対を成す存在として扱われるんだよ」

 その後もアレンは様々な事をオーグに語った。
 地域によって、賢者は実は一人だけであったとか、賢者に選定されたのは人間だけで、獣人は選ばれなかっただとか。細かい解釈は多岐に渡り、それをそれぞれ比較することが如何に楽しいかなどと、数十分に渡って熱弁された。

 流石の熱量に気圧されるオーグは、きっかけが自分なだけにもう十分だとは言い出せず、どうにか話を切るきっかけを探す。そうして再度物語について咀嚼していると、ふと疑問に思うことを見つけた。

「そう言えば、竜が悪の象徴なんだったら、どうしてこの村では竜が信仰の対象になってるんだ? 話を聞いた限り、竜を信仰する理由は無さそうだけど?」

 アレンは確かに言った。この村で信仰されているのは神様ではなく、竜であると。しかし、口を開いて出てきたのは竜の汚点ばかりで、忌避こそすれ崇拝する理由が見当たらないのだ。

 いくら学の無いオーグでも、信仰の対象に悪神が選ばれることはまず無いことくらいは分かる。そもそも、人々に恩恵を授けない神など崇拝される理由が無いのだから。
 この村には破壊を重んじる酔狂な文化でもあるのかとも考えたが、オーグの知る限りそんな様子も無い。いよいよオーグには見当が付かず、首を傾げる他無かった。

 そんなオーグに答えを出したのは、先程から傍らに立っていたドナだった。

「それも解釈の違いじゃな。儂らが継承してきた伝説にはまだ続きがある。それに、恐らくお主が考えている竜と儂らが崇めておる竜は別物じゃよ」
「続き? 別物?」
「オーグや。竜は世界を創造したが、ただそれだけではない。最終的に破壊するため、奴は自らが創った世界を維持する必要があったのじゃ。そして、世界を維持するためには竜の力が必要不可欠。……ならば、竜を封印した後の世界はどうやって維持されたと思う?」

 ドナの言葉に、言われてみればとオーグは目を丸くする。

 そもそも何も無い世界に環境を生み出したのは竜という存在。故に、その環境を維持するためにも竜の力が必要なのは道理だ。賢者が生きていればその権能で補えたかもしれないが、賢者は全員封印のために命を落としている。
 ならば、どうして竜の封印後に世界は滅ばなかったのか。

「でもさ、本当は維持するのに竜の力なんて必要じゃなくて、封印してみたら案外何事もなく解決した、みたいな事もあり得るんじゃないの?」
「そうじゃな、完全に否定は出来ん。所詮は伝説じゃからの、そもそも伽話の延長のようなモノじゃ。幾ら理屈を語ろうと、都合の良い辻褄合わせなぞあって当然。伝説なんぞ都合の良いように幾らでも捻じ曲げることは出来る。故に、お主の言う言葉にも一理ある。……が、儂らはそうは考えん。儂らは、現世に伝わる伝説こそが捻じ曲げられたものだと考えとる」
「……捻じ曲げるって、そんな事をして意味があるの?」
「――あるさ、オーグ」

 複雑になっていく会話に思わず眉をひそめるオーグ。ドナに次いで、そんなオーグに答えたのはアレンだった。

「当時の人々にとって竜は悪の象徴であり、賢者は正義の象徴だった。だからこそ、賢者は完全に・・・竜の存在を地上から消さなければならなかった」

 そうじゃ、と大きく頷き、ドナはアレンの言葉を続けた。

「賢者は確かに竜を封印したが、その後になって世界を維持するために竜の力が必要だと気付いた。そこで残された者達は禁忌とされし竜の力を利用することで、世界を存続させたのじゃよ。表向きは滅ぼしたことにしておいて、その実完全には滅ぼさずに利用した訳じゃな。故に儂らは竜こそが世界を維持している者と崇め、崇拝の対象としておる。……これが、儂らの神話の解釈じゃよ」

 神話上で悪とされている力を用いて世界を維持した過去の偉人達。あくまでも世界に平穏をもたらすために、竜は滅亡したことにした・・・・・。そして秘密裏に竜の力を利用していた。
 そう語ったドナとアレン。それを受けて、流石のオーグも話に理解が及ぶ。

 確かに、筋の通った解釈ではある。竜が生み出した世界を維持するためにはそれと同等以上の力が必要であるし、圧倒的な悪として仕立て上げるためには竜の力をおおっぴらに利用する訳にもいかない。
 世界の維持に竜の力が必要という仮定が正しいのであれば、正に理想とも言える筋書きである。

 が、しかしやはりオーグは、喉に小骨を引っかけたような違和感を覚えずにはいられなかった。

「……それでも、やっぱり竜が世界を滅ぼそうとしたことに変わりはないだろ? なら、たとえ世界を維持しているからだとしても、竜を崇拝する理由になるとは思えないんだけど?」

 竜を崇拝するのは、竜が世界を維持するために必要である存在だから。しかし、同時に竜は世界を滅ぼそうとしていた存在でもある。
 それを踏まえれば、たとえ今現在竜のおかげで世界が存続しているのだとしても、竜を崇める理由には何か今一つ足りていないのではないのか。

 そんなオーグの疑問を聞いて、アレンは何故かクスクスと堪えられなくなった笑いを溢し始めた。

「……なんでそこで笑うんだよ。俺、結構真剣に聞いてるんだけど」
「ゴメンゴメン。でも、嬉しかったから」
「……嬉しい?」

 そうだよ、と肯定し、アレンは言葉を続けた。

「今まで、こんな事を話せる人っていなかったから。だから、今はオーグと話せてとっても嬉しいんだ」
「そ、そっか」

 嬉しさを表すように花のように笑顔を咲かせるアレン。その姿はオーグに可憐な少女を幻視させ、思わずオーグはどもって目を逸らしてしまった。

「お姉ちゃーん、オーグさーん、お婆ちゃーん。手が空いてるならこっちを手伝ってー」

 と、その瞬間に突然三人に声がかかる。声の方へと振り向くと、そこには祭りの準備をしているらしいガーネットの姿があった。

「先伸ばしにするようで悪いけど、この話はまた今度にしようか。祭りの夜に見せたい物もあるし、その時に話すよ」
「……うん、楽しみにしとくよ!」

 若干の名残惜しさはあるが仕方が無い。そう納得して、オーグは大きく頷いた。アレンの口にした見せたい物、それが何なのか想像を膨らませながら、オーグはガーネットの元へ駆けていった。

 そして数日。着々と祭りの準備は進み、オーグは祭りの当日を迎えた。


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