風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】

高瀬暖秋

醜悪なその手【5】

 

 オーグに与えられた恩恵エーラはオーグ自身の感情の昂り、中でも強い怒りに反応して発現する。それはオーグが生きてきた十四年間で学んでおり、オーグ自身も理解している。

 初めて恩恵エーラが発現したのは、オーグの物心がついてすぐだった。
 いや、それ以前にも無意識に発現したことはあったのかもしれないが、少なくとも、発現したことによってオーグが自分の恩恵エーラに恐怖を覚えたのは、その頃だった。

 ベルナルドとの旅の途中で立ち寄った村で、周りの子供達に虐められていた少女を助けるべく怒ったその時、それは唐突に発現した。
 そして、再び意識が戻った時には、背中に大きな爪痕を残し倒れている、正に自分が救わんとしていた少女の、傷付いた姿があった。

 もう、わけが分からなかった。見慣れない視界に見慣れた光景が広がり、自然と歩き出そうとすれば足よりも先に手が前へ出る。その手は、まるで亜獣のようで。

 記憶の空白。
 眼前の惨状。
 そして親の仇でも見ているかのような非難の視線。

 それらは幼いオーグにはあまりに痛すぎた。胸が焼けつくような罪悪感に、全身を刺す人々の感情。その場から一目散に逃げ出したい衝動に駆られて、ベルナルドを見た。その銀色の瞳に映ったベルナルドは――、

 オーグを見ず、申し訳なさそうに人々に頭を下げていた。
 申し訳無い、すみません、これは事故で、傷つけるつもりではなかったのだ、と。

 その時の父親の背中はあまりに小さく、幼いオーグはその姿に怒りすら覚えた。

 どうして自分の事を見てくれないんだ、どうして頭を下げているばかりなんだ。
 そんな怒りを胸に、その時オーグはベルナルドの腕に噛みついた。

 以来、オーグは自分が異端であることを理解し、他人を遠ざけるように生きた。自分がまた暴走して誰かを傷付ける事を怖れて、深く関わりを持つことを怖れた。

 旅先で訪れた村の数は数えきれずとも、そこで結んだ友情の数は一すらも無かった。オーグは心に、ベルナルドは腕に傷を負い、今日まで生きてきたのだった。



 ◇



 すう、はあ、と何度も繰り返される吐息。穏やかな水の流れが奏でる音色。静謐の中でようやく姿を現すそれらの音は、己が今独りであることを実感させる。

 気の赴くままに目蓋を開けば、澄んだ水面に浮かんでいる月が水流に煽られて揺らいでいた。それはまるで、今の自分の姿を見せられているようで、また目を瞑った。

 ウルワ村から飛び出して数刻、オーグの姿はオーム山の山中を流れる小川の畔にあった。
 動揺のあまり方向感覚を失い、ただ遠くを目指して走り続けた結果、案の定自分の現在地が分からなくなった。とは言え、半ば自暴自棄になった結末であるので、迷子であることにそれほど焦りは覚えなかった。
 何より、迷子である以上に重要な問題があったから。

「……まただ。また、俺は……」

 感情の昂りによる恩恵エーラの発現。それも、あろうことかガーネットを襲おうとしてしまった。その上に、あの亜獣が自分であることを気付かれてしまっている。
 しかも、オーグは逃げ出した。謝罪も、弁解もすることなく、その場の衝動に任せて一番楽な手段を選んだ。

 我ながら、呆れる。
 普段は父のように強くあろうと振る舞うことを心掛けているのに、いざ自分が追い込まれてしまえば逃げを選択する。

 今日も先日も、いや、今までの人生の危機のどれもがそうだった。
 本当は誰よりも弱く、怯えているのだ。何よりも、自分が傷付くのが恐ろしい。そう、それは、自分に襲われた少女が傷付くことよりも。

 そして、また逃げる。自分がここに居ては皆が危険だからと薄っぺらの言葉を並べ、あたかも周りを守っているかのように自分を守る。

 今回も、そうしてしまえば楽なのだ。何かと言い訳を付けてウルワ村から立ち去り、また都合よく非難の眼差しから逃げ延びる。それが今までの生き方であり、最善の選択。……なのだが、

「……アレン」

 ふと、オーグの口から零れた言葉は、自分を認め、自分を許し、あまつさえ家族になりたいなどと申し出た、かの少年の名前。
 ふと口にしたその名前に、今のオーグの想いの全てがあった。

 オーグ・ヴィングルートという少年には、おおよそ友達と呼べる人物はいない。ベルナルドとともに旅をしている以上、一定の場所に長居することがなく、深い関係になることがないこともその大きな要因ではあるが、それ以上に根本的な問題として、オーグ自身が誰かとそうある事を望んでいないのだ。

 かつてにも、オーグと距離を縮めようとした者達はいた。いつかは別れると知りながらも、オーグと手を繋ごうとした者達はいた。

 異端であるオーグとて、子供である。特に幼い頃は、オーグからも距離を縮めることを望んだこともあった。差し出された手を握ろうとしたこともあった。
 だが、その全ては自身の内に潜む獣によって切り裂かれた。誰かを強く想うほどに、その誰かを救わんと願う度に、自身の獣は姿を現した。

 友情とは、脆く、儚い。
 表面上は清く美しいものであるように思えるけれど、その実薄っぺらく、いとも容易く恐怖に塗り潰されてしまう。

 程なくして、流石のオーグも悟った。自分には、友達など作ることはできない。何故なら、差し出された手を握ろうとした自身の手は、醜悪な爪を生やす獣のものだったのだから。

 それこそが、獣にも人間にもなれない何よりの証拠。誰かと繋ぐための人間の手を、オーグは持っていない。
 故に、自分は永遠に独りなのだ。人間にも、獣にも拒絶されて、誰かに寄り添うことなくこの生涯を終えるのだ。
 そんな事すら考えてしまうほどに、オーグの行く手には闇がかかっていた。

 けれど、そんな時だった。

(――僕は、君の味方だ)

 奇しくも、オーグの心が壊れそうになっていた時。
 唯一の理解者である父親が致命傷を負い、命からがら逃げ延びた先で少年と出会い、彼なら友達になってくれるかもしれないと淡い希望を抱き、その希望が自身の呪いのせいで見事に打ち砕かれた、その時。

 手を、握ってくれる者がいた。
 大丈夫だと、安心させてくれる者がいた。
 自分は獣ではないと、肯定してくれる者がいた。

 その言葉が、その手の温もりが、どれほど温かかったことか。
 あらゆる者を拒絶してきた獣の手が、瞬く間に人間の手に変わっていったことが、どれほど嬉しかったことか。

 あの日、オーグには掛け替えのないものが一つ増えた。ベルナルドと同じく大切に想う、家族が増えた。
 そして今、他ならぬアレンという楔が、オーグをこの地に引き留めていた。

「……アレン。今、どこに居るんだよ。……会いたい」

 沈む気持ちとは対照的に迫り上げてくる弱音を吐き出し、オーグは傍らに転がる石ころを川の水面に放り投げる。
 ピシャッ、と音を立て、石は水面に波紋を浮かべた。だが、水流に煽られてその波紋はすぐに消え失せてしまう。

 ゆっくりと沈んでいく石。やがて底に到達するそれを、オーグはぼんやりと眺めていて――ふと、オーグの視界は完全な闇に包まれた。

 同時に感じ取ったのは、急激に目元が冷やされる感覚。泣き出す寸前だったために火照っていたので、オーグを混乱させるのにそれは十分だった。

 しかし、何よりもオーグを驚かせたのは、

「だーれだ?」

 今、最もその声を聞きたいと思っていた、彼のおどけた声だった。



 □□



 暗転する視界、目元を襲う冷気、耳元で囁かれた言葉。その全てに驚いて背筋を粟立たせ、オーグは脱兎の如くその場から飛び退いた。

「あはは、オーグって結構臆病だよね」
「だっ、誰が――」

 誰が臆病だよ、そう続けられる言葉を、すんでのところでオーグは飲み込む。

 否定など、できるだろうか。非難されることを怖れてガーネットの前から逃げ出した自分に、否定などできるだろうか。
 そんな僅かなオーグの逡巡を、アレンは見逃さなかった。

「臆病だよ、君は。周りの目を怖がって、逃げ出して、よりにもよってここに逃げてきた。君は臆病で、卑怯だ」
「――――っ!?」

 てっきり、優しい言葉をかけられると思っていた。オーグは人間なのだと、肯定的な言葉をかけてくれると思っていた。
 だが、思いもよらずアレンの口から出てきたのは、責めるような否定の言葉だった。

「大体の事はお婆ちゃんとベルナルドさんから聞いたよ。聞いた上で、僕はここ・・に来たんだ」

 二人が今立っているのは、オーム山から流れる川の流域。中でも人の目につきやすい、麓近くの川原だった。

 ドナは言っていた、川の流域にも捜索の手は回っているはずだ、と。

 無我夢中で走っていたから、うっかりここへ来てしまった。危険を安全と聞き間違えて、逃げ延びるつもりでここへ来た。ベルナルドへの捜索の目を引き付けるために、囮になるつもりでわざとここへ来た。

 それらはどれも、否である。

 オーグは全てを理解した上で、覚悟した上で、この場所に来た。あわよくばそういう結末になることを望んで、自身の意志でここへ来たのだ。

「ねえ、オーグ。君は我武者羅に走って、走り続けて、運悪く・・・ここに来た。……そうだよね?」
「…………」

 何も、言えなかった。
 誰かに見つかることを怖れ、自分の行いを認めることを怖れ、死を免罪符にして一人逃げ延びようとした挙げ句、それすらも見透かされて。
 しかも、よりにもよってアレンにそんな醜態を見られて。

 肯定したところで、どうなると言うのだ。罪の上に嘘を塗り重ねて、これ以上自分を偽ってまで、ここで嘘を吐く意味があるのだろうか。
 否、あるはずがない。自分にはもはや、弁解する意味すら無いのだから。

「……っ、どうして、答えてくれないの? そうだって、たった一言聞ければ、僕はそれで……いいんだ。なのに――」
「違うよ、アレン。俺は……俺の意志でここに居るんだ。もう騎士達に見つかってもいいと思って、ここに来たんだ」
「――――っ」

 目に見えて、アレンの表情が歪んだ。真実を語ったオーグに、アレンは悲痛に歪んだ悲しげな表情を浮かべた。

 ああ、見ていられない。とてもじゃないが、そんな悲しい顔をしたアレンなど、見ていたくはない。まして、それが自分のせいであるのならば。

 そんなオーグの願いを汲んだのか、分厚い雲が夜空に浮かぶ月を覆い隠した。天と地との境界に、大きな隔たりを生み出した。

 これで、オーグからはアレンの表情は見えない。唯一天色の瞳だけが闇夜でも燦然と輝いているが、少しだけオーグは救われたような気がした。

「……少し、座ろう。君と、話がしたい」

 あくまで落ち着いた声色のアレンの声に、オーグは頷いてその場に腰を下ろした。ふと、小川に視線を移せば、自分の表情さえも闇夜に隠されているのが分かった。

「オーグは、もう僕とは一緒に居たくない?」
「…………」
「ベルナルドさんとも、ガーネットととも、ドナお婆ちゃんとも、誰とも一緒に居たくない?」
「……当たり、前だろ」

 オーグの答えに、アレンは変わらず沈んだ声色で、そっか、と返した。

「じゃあ、オーグは僕の事が怖いんだ?」
「……怖いよ。怖いに決まってる。今もできるならすぐに逃げ出したいよ」

 きっと、アレンも否定するのだから。自分の内に潜む獣を怖れて、あの冷たい目をするのだから。

 だから、怖い。何よりも、オーグの中でアレンは特別な存在になってしまっているから、失うことが怖かった。

 けれど、いくら拒絶しようとアレンはここから立ち去ろうとしない。月の光が無い今ではその表情を見ることは叶わないが、決して微笑んではいないのだろうと、オーグにも予想できた。

「だから、もうあっちに行ってくれ。俺は騎士に捕まって、父さんはその間に遠くへ逃げて、村からは獣人は居なくなって。そうすれば、父さんも村の人達も幸せになれるだろ? だから……もう放っておいてくれよ」

 これは、最後の拒絶だ。これでアレンが動かなければ、次はオーグ自身が動く。アレンを押し倒し、もう一度あの醜い獣の姿を見せてやればいい。

 それだけで、きっとアレンはオーグを見捨てるはずだから。

 ふと、オーグは夜空を見上げた。そこには、雲の隙間からまた姿を現す、美しい月があった。

「――オーグは、やっぱり卑怯だ。卑怯で、嘘つきだ」

 雲の切れ間から射し込む月光。徐々に視界の闇が晴れていき、隠されていたもの全てが夜空の元に明らかになる。

 そんな中、オーグの隣に座っていた少年は――その頬に涙を伝わせていた。

「……どうして、僕の名前を呼んだんだよ」
「…………」
「……どうして、会いたいだなんて言ったんだよ」
「…………」
「僕の事が、ベルナルドさんの事が、皆の事が、どうでもいいって言うのなら――」

 雲の切れ間から漏れた月光が、オーグを包み込む。月がオーグの存在を証明するかのように、眩く、そして温かく。

 それは、月夜に照らされた自分の表情は、異様にハッキリと水面に映り込んでいた。

「――どうして、そんな辛そうな顔をしてるんだよ」
「……え?」

 ほろり、と自分の頬に何か熱いものが伝った。あまりに小さく、あまりに儚い。けれど、灼けつくように心を燃やす、何かが頬を伝ってオーグの手に落ちた。
 水面に映り込んでいた自分の表情は、酷く歪んでいた。

「君は自分の事を人間じゃないと思ってるかもしれないけど、僕はそうは思わない。人間の中には獣人を『知恵を手に入れられなかった人間の成り損ない』や『野性を捨てきれなかった亜獣の成り損ない』だなんて言う人もいるけど、僕はそうは思わない」

 一片の迷いすら見せず、アレンは断言する。

「獣人は成り損ないなんかじゃない。君達は、誰かに自分の想いを伝える術を持ってる。感謝したときは『ありがとう』を、謝りたいときは『ごめんなさい』を。ちゃんと伝えることができる、れっきとした人の仲間だよ」
「――――」

 思わず、言葉を失った。何かが、胸の奥から込み上げてくるような気がした。

 熱い、熱い、熱い。
 胸を焼くような感情が、自分すらも知らない場所から溢れてくる。

 けれど、溢れてくる何かを抑え込み、オーグは大きく首を横に振った。

「――でもっ、俺は、皆を傷付けた! この手でっ、獣の姿でっ! そんな俺がっ! ……人間だなんて、思えるかよ」

 そうだ、自分の本質は獣だ。この手は、誰かと繋ぐためにあるのではない。

 自分にそう言い聞かせて、否定の言葉を必死になって紡ぐ。
 自分は醜いのだと、誰かを傷付けることを望んでいる獣であるのだと、アレンに、特別な存在に、見放されるためだけに。

 けれど、それでも彼は――見放してくれなかった。

「オーグ」

 そっとオーグに身を寄せ、アレンはその手を地面に放り出していたオーグの手に重ねる。すっかり冷えてしまっていたオーグの手に、アレンの手の温もりが伝播していく。

「君が亜獣の姿になる時って、どんな時だと思う?」
「……怒った時だ。心の底から許せない奴がいて、ソイツを本気で倒したいと思った時だ」

 初めて恩恵エーラが発現した時も、今日も、恩恵エーラが発現した時はいつだって、自分は怒っていた。その怒りを抑えることなく、殺意へと変えて激情に身を任せた。

 その挙げ句の果てが、これだ。皆に非難され、父親に憐れまれ、あまつさえ自分自身に見放された、醜悪な獣の姿。

 だからこそ、オーグは許せなかった。この恩恵は何故かオーグの意に反して発現する。自分が誰かを守りたいと思った時に限って暴走し、決まって深い傷痕を残す。
 何よりも、そんな自分が許せなかった。

 だが、そんな自己嫌悪すらも、アレンは否定する。

「それはきっと違うよ、オーグ」
「……何が、違うって言うんだ?」
「君が獣の姿になる時は、君が誰かを守りたいと思った時だ」
「――なっ」

 聞きたくはなかった言葉を告げられて、ハッとオーグはアレンの手を払った。

「違う、違う違う違う! 俺が獣になると必ず誰かが傷付いてっ、誰一人守れてなんかいないんだっ!」
「違うよ。君は誰かを守るために獣になった。結果はどうであれ、それは間違ってないはずだ」
「違うって言ってるだろ! 本当にそうだとしたら、俺はっ、俺はっ!!」

 俺は、何のためにそんな恩恵を受けたのか。誰かを守りたいという願いを誰かへの憎しみに変えるための力を、どうして俺は与えられたのか。

 そんなオーグの叫びを遮り、アレンはもう一度オーグの手を握る。

「――君が獣の姿になった時、その背中には必ず誰かが居た」
「……え?」
「ここに来る前に、ベルナルドさんから聞いたんだ。君は誰かを守るために獣になった。誰よりも君のそばに居たベルナルドさんが、そう言ってたんだよ」
「……父、さんが?」

 オーグは、父親は自分を憐れんでいるのだと思っていた。異常とも言える恩恵を与えられ、異端と呼ばれる生き方をしなければならない自分を憐れんでいるのだと思っていた。
 けれど、違っていた。

「ベルナルドさん、誇らしげだったよ。村の人一人一人に説明しに回りながら、私の息子はまた誰かを守ったんだって。今は息子自慢よりも捜索が先じゃろうって、お婆ちゃんに怒られてたけどね」

 父は、誇っていた。
 誰かを守らんがために獣になったオーグを、誇っていた。

「で、でもっ! だとしてもっ、俺はこの手で傷付けたんだっ!守りたいと思った人を、傷付けたんだ! どんな言い訳しても、それは絶対悪いことのはずだろ!?」

 オーグは忘れることができずにいた。あの日、初めて恩恵エーラを発現した日に、守ろうとしていた少女を傷付けてしまったことを。
 それが何より、オーグの中で獣の姿と恐怖を結び付けていた。

 しかし、それすらもアレンは肯定してみせるのだった。

「それもベルナルドさんが言ってた。あれは君の意志でやったんじゃなくて、君が傷付けようとした子供を、その子が庇って負った傷なんだって。……確かに、だから君は悪くないって言うのは虫のいい話かもしれないけど、少なくとも君はその子傷付けようとしたわけじゃない。君の中の獣は、君の意志を否定したわけじゃないよ」
「それでもっ! 俺はっ!」
「オーグ。いい加減、君は君を許してもいいんだ。だって、その結果は少しだけ思い描いた結果とは違っていたかもしれないけど――」

 アレンはその指で、女の子のようにか細い、けれど確かに熱の孕んだ指で、オーグの涙の痕を拭った。

「――誰かを守りたいと思った君の想いは、間違いであるはずがないんだから」

 雲で覆われていた夜空が、晴れ渡っていく。切れ間から顔を覗かせていただけの月は完全にその姿を現し、地上を照らす。
 その眩さは小川の畔に佇む二人の少年を、祝福しているようでもあった。

 認められた。
 誰かを守りたいと思った、自分の願いを。

 肯定された。
 醜いと卑下し続けてきた、自分の秘密を。

 手を、繋いでもらえた。
 今、最も愛しいと思えた、少年の意志で。

 ――それだけで、十分だった。

「ありがとう……アレン」

 短く告げられた、端的な感謝の言葉。それを受けてアレンは、ただ微笑むだけだった。
 それでも、きっと伝わっているのだろう。その一言に籠められた、膨大な想いの丈は。
 だから、答えを待つなんて野暮なことはしない。

「帰ろうか、オーグ。ちゃんと向き合って、ちゃんと謝ろう。もう逃げたりしちゃ、駄目だからね?」
「――うん」

 人は誰かに想いを伝えるために言葉を紡ぐ。
 けれど、たとえ言葉にしなくとも、伝わることはあるのだから。


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