風の調べと、竜の誓い【旧:男の娘だけど~】

高瀬暖秋

月下の出会い【4】

 

 少年は聞き覚えのあるその声に正常な思考能力を取り戻す。
 囮になるなんて発想は一瞬で霧散し、今一度その場から顔を出し、二人の騎士とその声の主の様子を窺った。
 言わずもがな、その声の主はあの家の家主に相違無かった。

 突如現れた少女の姿に、二人の男は少なからず動揺を見せた。

「……こんな所に子供? 迷子ですかね、団長」
「さあな。だが、少なくとも迷子ではないだろう。ただの迷子なら、こんな山の中で平然としていられる訳が無い。そうだろう、君」

 団長と呼ばれた壮年の男は家主に問いかける。
 それに対して家主は僅かに微笑み、深く一礼した。

「ええ、その通りです。では、改めてご挨拶を。初めてお目にかかります、騎士様。私の名はアレン、姓はハーヴィ。ノーブル伯爵様の命を受け、数年前からこの山の管理を任せられています。どうか、お見知りおきを」

 その姿勢は少年の素人目から見ても美しく、思わず状況を忘れるほどに少年は見入ってしまう。
 家主と対面する騎士達もそれは同じだったらしく、騎士達は目を見開いて感嘆の声を上げた。

「ほう、この山の管理人か。しかし、ノーブル伯の……君、それは本当か?」
「ええ、勿論です。この私、騎士様を欺ける程肝が座っていませんので」
「……そうか、疑ってすまなかった。ノーブル伯は中々のやり手と聞いていたものでな、君のような子供に山一つを任せる方なのか、勘繰ってしまった」

 そう言って、騎士は顎をなぞりながら家主を見る。その視線には明らかに疑惑の念が込められており、言葉とは裏腹に家主を信用していないのが見てとれる。

 無論、仕方の無い話だろう。小規模であるとはいえ、帝国の近郊領。その領地の山一つを、まだ幼い子供一人に任せていると言うのだ。
 しかも、日が落ちた後に山の中で出会った素性も知れない子供だ、そんな話を鵜呑みにする者はいない。
 更には山賊の一員であることを疑う必要もある。

 だが、そんな明らかな疑いの眼差しを向けられて、家主は依然として堂々とした美しい姿勢で、騎士に相対していく。

「いえ、そう思われるのは当然です。見ての通り、私はまだ十数年しか歳を取っていませんから」
「……そうか、十余歳か。しかし、そのわりに目上の者への態度を教え込まれていると見える。もしや、ノーブル伯の庶子であったりするのだろうか?」
「いえ、そうではありません。ですが、子のように接して頂いた恩は、確かにこの身に。親を失った私を、伯爵様は我が子のように育て上げてくれました」
「……その歳で親を、そうか」

 アレンの言葉を受けて、騎士はアレンから目を逸らして押し黙る。

 目に見えて、騎士達のアレンを見る目が変わった。
 憐れみに近いものであるとはいえ、その目から感じていた疑念は確かに薄れた。

 そして、その機を見計らっていたように、家主は言葉を切り出した。

「騎士様。失礼ながら、お言葉よろしいでしょうか?」

 そう言って、家主――アレンは今一度壮年の男と目を合わせる。

 これは、謂わば宣戦布告。
 もっとも、これは口頭で行われる戦に過ぎない。が、伯爵から信用を得ているとはいえ、たかだかいち使いであるアレンが帝国直属の騎士に対して意見する。それは本来考えられない事態であり、騎士という立場を振りかざして不敬罪として斬られてもおかしくはない。

 しかし、アレンからは物怖じしている様子など一切感じられない。むしろ、あたかもアレンの方が優位に立っているかのように、その面に浮かぶ笑みは自然なもの。
 そんなアレンに少年は少なくない恐怖を覚えずにはいられなかった。

 しかし、そんな少年の恐怖を尻目に、アレンは男から目を背けず、それどころか男達へと一歩踏み出す。

「一歩前、十歩右、五歩後ろ右手の木」
「……うん?」

 ふと呟かれたアレンの言葉に、壮年の男は首を傾げる。
 その様子を見たアレンは僅かに口角を上げ、言葉を続けた。

「騎士様から一歩前には木の根が張っています。そんなに大きいものではありませんが、この暗闇の中で躓けば大きな被害にも繋がりかねません。また、十歩程右には生き物の寝床、五歩後ろの右手の木にはカラスの巣が。もしもそれに触れてしまったとしても騎士様達に影響は無いでしょうが、生き物達に影響があるかもしれません」
「……ほう、何が言いたい?」
「私はこの山の事なら大抵知っています。日の出ている時ののどかさ・・・・も、闇に包まれている時の恐ろしさも。……ですので、今日の所は退くことをお勧めします。何か目的あっての訪問でしょうが、この暗さでは騎士様の身が危ぶまれます。どうか、賢明な判断を」

 その言葉を耳にして、少年はようやくアレンのしようとしている事が理解出来た。

 初めは何を長々と話しているのかと疑問にさえ思っていた。もしかして、少年の知らない伝達手段で少年とその父親がいることを知らせようとしているのではないか、とも考えていた。
 けれど、そんな様子はアレンからは感じ取れない。故に、計りあぐねていた。アレンは本当に自分の味方なのかと。

 しかし、そんな事を考えていた矢先にその言葉が聞こえてきた。そして、少年は理解した。
 アレンがあの二人の騎士を少年の父親から遠ざけようとしている事を。すなわち、アレンが本当に自分の味方である事を。
 そうして生まれる安堵。そして、とある淡い願望もまた少年の心に生まれる。

 それがなんなのか、ハッキリと少年が理解する前に事態は再度動き始めた。

「なるほど。どうやら、知らぬ間に私達は君の琴線に触れていたらしい」
「察して頂き、ありがとうございます」
「いや、感謝の言葉を言わなければならないのはこちらだ。君の言う通り、あまり山に心得の無い私達だけでは大怪我に繋がっていたかもしれない。非礼を詫びよう」
「私には勿体無い言葉です」

 アレンは壮年の男の世辞を受け、また深々と一礼する。
 その堂々とした姿に、少年は思わず目を見開いた。
 自分とそう歳の変わらないアレンが、一国家直属の騎士に対して物怖じせず、あまつさえ評価されている。そんな光景は少年にとって余りにも非現実的で、悔しいとすら思わせてくれない程に少年とアレンとの差を突きつけていた。

 しかし、これでもまだ事態は終結しない。それは少年にも分かっている。いくら男達に評価され信頼を得ようと、彼らは未だその本題に触れてすらいないのだから。

「……ところで、君はこの山の事を熟知しているらしい。そこで、一つ聞きたい事があるんだが」

 壮年の男が発した音は先程とは明らかに異なる、今までに無く重圧を孕んだ言葉。

 瞬間、少年は自身の心臓が強く脈打つのを感じる。
 分かっている。焦っているのだ。もしも、アレンがこの重圧に負けて父親を売ってしまうのではないかと。
 分かっている。期待しているのだ。アレンならば、そんな重圧に負けず父親を守ってくれるのではないかと。

 焦燥と期待。疑念と信頼。それらが複雑多岐に散らばり、収束し、入り交じり、脈を打つ。すっかり少年の胸中を支配した恐怖、それが更に鼓動を響かせる。

「この山に、大柄の男と子供が入った形跡は無かったかい? 実は、私達は二人を追ってここまで来たんだが」

 そう言って、男は初めて笑みを見せた。

 明らかな重圧。
 今まで接してきた彼のイメージが一瞬にして書き換えられる。
 恐怖、恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖。
 この笑顔に、嘘など吐けるはずがない。嘘を吐くことなど、許されるはずがない。そう直感する程に、それは少年に恐怖を与えた。

 分かっている。それ程に、男達は本気なのだ。それが自身の使命であると、天より授けられた天命であると言うように、その任務に身を投じているのだ。
 その姿に、少年はかつての彼らの姿を想起した。数時間前に、父親を傷付けた彼らの姿を思い出した。
 自分達を殺めようとする、本当の彼らの姿がそこにはあった。

 思わず、少年は男と相対するアレンの姿に目をやる。この重圧に真っ向から晒されているアレンのその身を案じて。
 しかし、そんな心配は不要だった。
 アレンへと向けられた少年の視線、その先にいたアレンは、

 ――笑っていた。

 他ならぬ、少年へ向けて笑っていた。自分は大丈夫だと、そう告げるようにあの可憐な笑みを向けていた。

「力になれなくて申し訳無いのですが、ここ最近山の中で私以外の人影は見ていません。今日も一日外に出ていましたが、そういった痕跡はありませんでした」
「本当か? 確かに、私達は男達がこの方向に向かうのを確認したんだが……」
「ですが、騎士様に追われていたということは既に手負いだったのでしょう? ならば、怪我を負っている状態で山に入るでしょうか? 確かに、人目につかないために山に避難する可能性は考えられます。ですが、山の危険を熟知している者ならば、山に入るよりむしろ民家に押し入って自分達の世話を強要させるのではないでしょうか?」
「……なるほど。確かに一理ある」
「この山の麓にあるウルワ村は訪ねましたか? あそこは人が少なく、規模もそう大きくありません。逃亡者が身を隠すには絶好の場所です」

 アレンの言葉に、壮年の男は数秒程黙り込む。
 そして、若い男と数回言葉を交わした後、再度アレンへ向き直った。

「貴重な情報をありがとう。今日はもう日が落ちてしまった。君の進言通り、一度山を下りてその村に向かってみるとしよう。すまなかったね、君の大切な山を荒らしてしまって」
「いえ、大した力になれなくて残念です。どうか、騎士様に神の御加護があらんことを」
「聡明な君が竜に魅入られざらんことを」

 そう言って、二人は互いに深々と頭を下げる。
 その後、男はアレンと握手して、若い男とともにその場を去っていった。


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