あと30日です。

日々谷紺

 自殺宣言の女は生きていた。SNSによれば、風邪をひいたらしい。おとなしく部屋で療養でもしていたのだろう。と、死ぬのに療養とはこれいかに。単に具合が悪くて動けないだけなのかもしれない。

 つまらないと思っていた女の呟きだったが、気が付けば一字一句残さず目を通していた。私はどうやら、勝手な思い込みをしていたようだ。

 まともに働きまともに生きる日々を「何もない日」とするか。
 本当に何もなくただ徘徊する日々を「何もない日」とするか。

 それは、私へ向けて問いかける言葉のように思えた。彼女と私の日常は、同じように「何もない日」でありながら、全くの別物だったのだ。彼女にとって、私が受け流している「何もない日」を過ごすためには相当の努力が必要なのだろう。私にとっても、彼女が捨てようとしている「何もない日」を過ごすためには相当の努力が必要だろう。毎朝同じ車両に乗り合わせるからといって、自分と似たような生活を送っているわけではないらしい。



ツッチーニ @kaeru 9月12日
今日は体調がいいので下見に行こうと思いまーす。

ツッチーニ @kaeru 9月12日
身体に栄養なさすぎて風邪菌が先に死んだんかな。


 翌日、何食わぬ顔をして自殺宣言の女は私の目前でSNSに呟きを投稿していた。心なしか青白い顔をしているような気もするし、いつもとなんら変わりないようにもみえる。この地味でおとなしい優等生顔が、一連のぼやきを発信していると思うと笑える。


ツッチーニ @kaeru 5分
人の出入りのない野外というのは案外見つけにくい。
当たり前だ。見つけにくくないと意味が無いのだから。

 日比野 @o_in 1分
 @kaeru 北の方でしたら良いスポット知ってますよ。


 彼女への返信は基本的に無視されている。自身の投稿を見てほしい割に、反応をくれた人にはまともに返事を返さない。たまに返したとしても「うるせえ」だの「お前も死ね」といったニュアンスの暴言だのしか言わないのに、わざわざ彼女にコメントするのはかなりのモノ好きだろう。今も目の前でスマートフォンの画面をねめつけている彼女のSNSに、今しがた送られたコメントを彼女はきっと確認しているはずなのだが、全く表情を変えぬままスマートフォンを鞄にしまいこんでしまった。それから俯いて、眠るように動かなくなった。

 つまらない。

 無反応をつまらないと感じるということは、私は面白がっているのか。ふと気付いてしまって、罪悪感に襲われる。人が死に向かっていく様を面白がって見ているなんて、まともな人間ではない。ましてSNS上の呟きからしか人物像を計れないならば、幾分虚構の感があって気楽なもんだが、そうではない。今、目前に存在を認めている人物の自殺。自ら命を絶とうとするものが目前にいれば、それを止めるのが人情ってものだ。

 彼女とほのかに関わる方法を思案してみる。例えば、今私が操作しているスマートフォンを、彼女の上に落としてみよう。

「すみません。」
「いえ。」
「……」
「……」
「怪我はありませんか?」

 怪我などあるはずがない。なんとまぬけな会話を想像してしまったことか。こんな軽量の携帯端末を落としてしまったところで、誰だって大して気には止めないものだ。

 それならば、落としたスマートフォンの画面に、彼女の興味を引きそうなものを表示しておいてはどうだ。彼女は一体何に興味を持つのか。かわいい猫の画像などはどうか。猫は、かわいい。だからどうしたというのだ。自身のあまりの発想の乏しさに苦笑する。この作戦は忘れよう。

 別案として、具合が悪いふりをして目の前でよろけてみせる。否、よろけるだけでは気がつかない可能性もあるので、思い切って倒れてみせよう。そうすればきっと大丈夫ですかと声をかけられ、駅員を呼ばれ、下車させられ、忙しい通勤の便が遅れて多大なる迷惑をかけ、駅員に適当な言い訳をし、仕事には遅れ、彼女はどこへいった。非常に面倒臭いばかりじゃないか。

 下手くそな一連の妄想なんぞは置いておくにせよ、何かしら会話に成功したところで残り二十日足らずの内に地下鉄で乗り合わせるだけの他人と親しくなるなど非現実的だし、ましてそこから「自殺」というデリケートな話題に持っていくなど不可能だろう。

 そんなことを考える内に、降車駅に着いてしまった。
 残念無念、また明日。

 結局、私は本気で彼女の自殺を止めようなどとは思っていないのだ。どうせ「彼女の自殺宣言を知って面白がっている私」を知っているのは世界にたった一人、私だけ。罪悪感なんぞ私が私を防衛するための薄っぺらい感情である。

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