少年と武士と、気になるあの子。

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恋花の咲き開く時(一)


 十月――もう半袖の服でいるには肌寒い季節。クラスはもちろん、学校全体が俄に活気づいていた。それもそのはずで、今は明後日に行われる学園祭の準備のため、各々がそれに向けての準備に追われていたからだった。
 もちろん、僕も僕でクラスで行われる催し物の準備に取り掛かっている。催し物の案は二学期の始めにアンケートで喫茶店をやるということに決まっていた。なので、準備とは言っても僕はほとんど雑用みたいなものだったのけれど。
 模擬店が喫茶店に決定した時は、あまりにベタだなと思ったものだけど、ベタが故にやるべきことも大まかに見えてくることもあるので、その点は楽だった。なんせ準備するものはほとんど定番と言っても良いくらいなので、後はどんなものが良いかなど、アイディアを求められることに対しての方がよほど時間を使ったくらいだ。
 とはいっても僕自身は、何かを提案するわけでもなかった。ただいつものように、お祭り男とお祭り女たちがあれよこれよと言う間に進行させていき、僕はそれに従っただけに過ぎなかった。
「竹之内くん、これ持ってきてくんない?」
「ん、分かった」
 そういって準備に追われていた高倉が、必要な物が書かれたメモを手渡した。僕はそれを確認しつつ教室を出る。高倉とは例の肝試しをきっかけに、たまに話すことがある間柄になっていた。それに伴い、いつの間にか彼女と仲良しの桜庭澪とも多少なりとも話をする仲になっていた。……もっとも、彼女はえらく顔見知りする質らしく、未だに二人きりで話すようなことはなかったのだけど。
 けれど仕方ない。口下手な上に感情表現が苦手そうな彼女に対し、突っ込んだことを聞くのも偲ばれるし、またそうする理由もない。だから、高倉を通して話す程度で十分だった。
 そういう意味ではあの合宿は、あらゆる点において、僕を取り巻く環境を大きく変化させたとも言えるだろう。それ以前は、男女問わず、挨拶すらまともにしなかったようなクラスメイトや、その他のクラスの同級生らと話す機会に恵まれたのだ。
 それは極端に仲の良い友人とも言えないかもしれないけれど、少なくとも全くの赤の他人というには忍ばれるような間柄だ。それはあの子――瀬名川についても同様だ。絶対に喋ることなんて無いと思っていた彼女とは、最近はどういうわけか学校外ではあるけれど話すことが多くなっていたのだから。そして何よりも――。
『ヨシタカよ』
「はい?」
『”文化祭”とはなんだ』
「あっと……文化祭っていうのは、僕ら生徒が色々なテーマに沿った出し物をする行事、って言えば良いのかなぁ」
『ほう。例えばどんな出し物だ』
「例えば僕らは喫茶店ですし、演劇部なら演劇とか……美術部なら自分で作った作品を展示したり、とかですかね」
『”喫茶店”というのは例の茶処のことだな』
 早速食いついてきた。多分、先生は演劇とか芸術方面よりも、喫茶店や食べ物の出店辺りの方がよほど興味が引かれるのだろう。もっとも、その辺は僕も似たようなものなので人のことは言えないのだけれど……。
 あの合宿での事故で、一番大きな変化があったとすれば、僕の中の同居人以上のものはないだろう。彼と出会ってからと言うもの、とにかく全てが変化したと言っても過言じゃない。
 僕の中の同居人というとなんだかおかしな表現かもしれない。自分の中に、生まれた時代も年齢も何もかもが違う人物が住み着いているのだ。自分の体をその人物とシェアするという奇妙な環境にも随分慣れてきたが、やはりおかしいと言えば間違いなくおかしな環境といえる。
 しかし、その彼のおかげでこれまでなんの興味もなかった武芸というものに興味が出てきたり、体育の時間には人目を引くようなプレイをするので、随分と周囲からの評価はもちろん、自身の自己評価も変わったように思う。
 まぁ、実際には自分と体を入れ違いにして、それぞれの得意分野で勝負しているといいうだけの話なのだが、こうした奇妙な同居も時が経ち慣れてくると、中々に悪いものではないのかなと思えるようにもなった。……慣れるべきものでないといえばそれまでだけれど。
 ともかく、こうした事情から、僕自身なんだか性格も前向きになっているような気がしないでもない。以前は積極的な行動を控えていたのに、なぜだか近頃はもう少し頑張ってみようとか、柄にもなく考えることも増えてきたからだ。
『つまり”文化祭”にはそういう出店が多く出るというわけか』
 興味深そうに、先生はそう言った。僕はそれに呼応するように小さく呟く。
「まぁ一応」
 先生は、ふむ、と言うだけで後は黙り込む。恐らく、当日は自分が出て色んな物を食べたいとでも考えているんだろう。数ヶ月の間一緒に生活してみて思ったのは、彼は食というものに非常に大きな関心を寄せているようなのだ。本人にとって、数少ない楽しみに違いないのだ。
 そんなやり取りをしているうちに、僕は高倉に頼まれたものを見繕って教室に戻ってくると、入れ違いに瀬名川と目が合った。互いにしっかりと眼と眼を合わせ、どちらからともなくその視線を外していった。
 彼女と話をしたいという気持ちに囚われながらも、僕らは相変わらず教室では互いに話しかけるようなことはなかった。学校では僕には僕の、彼女には彼女の領分というものがある。お互いに、その領分の中で築いてきたものがある。それを今になって破るというわけにいかない。
 それは彼女も分かっているのか、学校ではほとんどといって僕に話しかけることはなかった。たった今、入れ違い樣に互いの視線を交わしあったにも関わらず、瀬名川はいつものように仲の良いグループの方に行き、すぐに視界から見えなくなった。
「ありがとね」
 そう言って高倉は取ってきた物を受け取ると、すぐにそれを準備のために使い始める。その様子を見つめながら、僕は自然と消えていった彼女のいた教室の出入り口の方に視線が向いていた。
「竹之内くんってさぁ」
「うん?」
 準備のために下を向いたまま高倉が言った。
「最近、瀬名川さんと何かあった?」
「えっ? いや、特にないと思うけど……」
 高倉は口が固そうだし、あの合宿の時のことを喋っても良いかもしれない。けれど、かと言ってそれを言いふらして良いような間柄でもない。なので、僕は彼女からの質問を否定した。
「そうなの?」
 作業のために下を向いていた高倉はその手を止め、こちらを見上げた。何やら至って真剣な表情だった。
「……のはすだけど。なんで?」
「うーん、いやさ、最近君、良く瀬名川さんのこと気にしてるみたいだなって」
「僕が?」
「そう。たまにぼうっとしてる時、瀬名川さんの方見てるから」
「いや、そんなはずは……」
 そんなはずはない。そう否定したいところなのだけど、全く気にならないかと言えばそうでもない。いや、むしろ気になると言った方が正直なところだ。こちらを見つめる高倉のその顔には、こちらのことを見透かしたような薄い笑みが浮かんだ。
「そんなはずはない、だけど?」
「う……いや、そんなはずはない、はずなんだけどね」
 なんだかこの人といると自分の中全てを見透かされたような感じがして、僕は思わずじりじりと後ずさりしてしまいそうだった。情けないかもしれないけれど、普段こういう突っ込まれるようなことに慣れていない僕は、どうもこうした質問が苦手らしい。
「まぁ、気持ちは分かるけどね」
「え?」
「こんなこと言うとなんだけど、君ってどちらかと言えばオタクじゃん? そんな君が瀬名川さんを気にしてるって言うもんなら、とんだ笑い話になっちゃうかもしれないしね」
 ……この人は、こっちが気にしてることを何の遠慮も無しに言ってくるな。まぁ、かといって図星である以上、それを否定する言い分があるわけでもないのだけれど。僕は、観念したようにため息をつきながら言った。
「正直言うと、気にしてるかどうかと言えば間違いなくそうだよ。だけど、それは多分、高倉さんが思ってるようなこととは違うと思う」
「え? そうなの? それはそれで何だか意外」
「……どっちに転んでも意外なんだね。まぁいいけどさ。とにかく何ていうか……僕と瀬名川は」
「よしき氏ー」
 皆まで言う間もなく、僕は裕二に呼びかけられてそちらの方を振り向いた。どうやら、大きな看板や食器類などをまとめたダンボールが届いたようで、男手が欲しいとのことだった。裕二に招集されて、僕は高倉との会話を打ち切り、そちらに向かうことにした。
「ごめん、ちょっと行ってくるよ」
「ああ、うん。良いよ別に。私が勝手にそう思っただけだから気にしないで。ただ……ああ、いや、まぁいいか。それじゃいってらっしゃい」
 高倉は含みのある言葉を投げかけようとしてそれを止めて立ち上がると、すぐに別の作業のためにその場を離れていった。その言葉の先が気になった僕は聞こうとしたが、再び裕二に呼ばれて聞くタイミングを逃してしまった。
 けれど向こうは向こうで、言葉の通り、それ以上僕と瀬名川のことを詮索する気持ちはないのか、離れていった先で作業に取り掛かっている。仕方なく僕は裕二に連れられて教室を出ていった。
 文化祭を目前にして学校を包んでいた熱気とボルテージは、いよいよラストスパートに入っているようだった。



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