少年と武士と、気になるあの子。

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君と武士と、夏の終わり(五)


 瀬名川の隣に立つ女の子は、自信満々にこちらを指差しながら満面の笑みを浮かべている。一体何のことなのかと、疑問符を浮かべながら先生は瀬名川の方を見つめていた。
「ちょ、ちょっとミーコ」
 思い出したと指指す美樹子に、瀬名川は焦って声のボリュームを下げるように言った。そして、指差された当の本人は、なんのことかと思い出そうとしているところだった。けれど、それは僕が経験したことであって、先生の意識下の時の話ではない。
「あっと、ごめんごめん。前に竹之内くんとユーリが一緒に電車で座ってるの見ちゃったんだよ。そっか、あれって君だったんだねぇ」
「おお、あの時のことか。思い出したわ」
 先生は美樹子に指摘されて、それが何か思い出し合点がいったのか両手を叩いた。何を考えたのか赤面した瀬名川はさらに慌てて唐突に話を終わらせる。
「べ、別にあれはたまたま電車が一緒になっただけなんだから気にしないでよ! そ、それよりも何かあたしに何か用事?」
「そうであったわ。悠里よ、おぬしあの崩落の時のことを覚えておらんか?」
「へ?」
 瀬名川は豆鉄砲でも食らったような顔になり、そこからの瀬名川は一気に熱が冷めたように、落ち着きを取り戻した様子だった。けれど彼女はそれが不満なのか、口を尖らせている。
「どうした、変な顔だぞ」
「あはははは。ユーリ、変な顔ー」
 あまりに慌てふためく瀬名川の様子から、一気に表情が変化した様子に先生と美樹子は思わず笑ってしまった。僕らに笑われてしまい、瀬名川は何とか釈明しようとしても、それ以上の言葉が出るはずもなく、ついには黙り込んでしまった。
「な、何よ二人して。そこまで笑わなくたっていいじゃん……」
「ごめんー許してよー。ユーリがそんなに慌てるなんて思わなくってさ。ほんとおかしかったんだもん」
「むぅ……た、竹之内ももう笑わない!」
 我に返った瀬名川の、顔を赤らめたまま言う姿になんともいえない新鮮味を感じて、僕は思わずドキリとさせられた。
(なんだ、こんな表情もできるんじゃないか)
 それが素直な善貴の感想だった。普段はいつもつんけんして、クラスメイト同士でもここまで慌てる様子がないのに、素に戻ってしまったような……。その姿に善貴は初めて彼女のことを対等に感じられた気がした。
「大体、いきなり現われて変なこと聞くほうがおかしいわよ。ちょっと期待しちゃうじゃん」
「む? 期待するとはどういう意味だ」
「あーもー! それよりもあの時のことが聞きたいんでしょ!」
「おお、そうだった。何でも良い、何か覚えてることはないか?」
「何でも良いって言われても……そういう竹之内は何も覚えてないの?」
 そう反問してきた瀬名川だったけれど再び小さく焦って、今のなし、と前言撤回した。何か失言したと思ったらしい。一つの体に、二人分の意識が同居しているこの状態に慣れてしまった僕は気にする必要はないと思ったのだけれど、考えてみればそれを許容しているのは自分だけで、実際に周りからはその時のせいで記憶が混乱してしまっているという認識だったのを今更ながら思い出した。
「気にしないで良い。むしろ、お主だからこそ聞いておるのだ」
「そこまで言うなら……。でも、特に何か覚えてることってないよ。あの時、崩落に巻き込まれようとしたとき、竹之内が突き飛ばして助けてくれたことは良く覚えてるんだけど……うーん」
 瀬名川は必死にあの時のことを思い出してくれようとしてくれているが、特に何か目ぼしいことはなかったらしく、結局手がかりになりそうなことは特に覚えていないという。人づてに聞き伝えられたことばかりで、やはり向こうも必死でその瞬間のことなんて覚えてはいなかった。
「ねぇねぇ、なんの話? 崩落って何ヶ月か前に起こった地震の時のこと? 確かちょっとニュースになってたよね」
「”にゅうす”?」
「うん。ユーリたちが合宿で行ったところ、その後も何度か余震あったって言ってたよ。話は聞いてたから、すぐにユーリたちが行った場所だって分かったけど」
 美樹子の発言は、僕らに思わぬ情報を与えてくれた。余震があったなんていうのは初耳だった。巨大な地震があった前後には大きな揺れが数時間から数日おき、あるいは数週間から数ヶ月という長い時間を置いて起こることは知っている。けれど、何度も余震があったというのは初耳だった。
 しかもそれがニュースになっていたなんて、完全に盲点だった。普段、他人事だと思ってまともにテレビを見ない自分の習慣を、こんなにも恨むことになる日がくるとは思いもしなかった。
「そういえばあの日の夜だったかなー? 月食とかもあったんじゃなかったっけ?」
「蝕?」
 美樹子の何気ない一言に、先生は何か気付いたらしく、内で何かが沸き起こる感覚があった。それがなんなのか僕には理解できないけれど、どうしたのだろう。
「そうか、蝕が起こっておったのか……」
「うん。ニュースで言ってたよ」
 そう呟いたきり、突然静かになってしまった僕の様子に、瀬名川と美樹子はクエスチョンを顔に貼り付けて互いの顔を見合い、こちらの方に向ける。
「何か気になることがあんの?」
「……思い過ごしかも知れん。突然呼び止めてすまなんだ」
「え? それは構わないけど、ちょっと……」
 強引に話を切り出したかと思えば、去り際も強引だ。突然背を向けて歩き出した僕に、瀬名川は困惑して呼び止めようとしたが、先生はそれを一瞥するだけだった。僕も僕で何を思ったのか全く理解できず、瀬名川と同様に混乱してしまっていた。
『先生、どうしたんですか突然』
「うむ。蝕というのがな……もしかしたらそれに何か理由があるのかもしれん」
『蝕? 蝕って月食とかそういう奴ですよね?』
「ああ。日蝕や月蝕と呼ばれるものを総じて、蝕と呼ぶ。蝕は何かと不吉なことが起こる前触れ。あるいは、陽炎そのものと言われる摩利支天の力が、最も発揮される時だとも聞く。それが起こる時、上古、中古の頃はこれを奉り、強力に猛威を振るうのを慰め、なお溢れる力を自らの力へと変えたとな。我ら武士が摩利支天を崇めるのはそれが理由よ。
 しかし、それが故に、その摩利支天の力を図り間違えば、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。多くの民に災いが降りかかることになる。よって、これを祀るのはよほどの血族や、あるいは武を持つ者に限られたとも」
『つまり先生は、その月食がこうなった引き金になった、と言いたいんですか?』
「かもしれん。事実、我が一族は代々摩利支天を崇めてきた。その時、何かが起こったのもこれが原因かも知れん」
 もっとも……、と言いかけて先生は言葉を終えた。そこから先はまだ何かあるのか、今は口にするのを躊躇っているようだった。現代人の感覚から言わせてもらえば、さすがにそんな話は迷信だというところなのだけど、内で沸き起こる躊躇いのようなものを感じていた僕も、漠然とそれを否定する気にはなれずにいた。
 通常起こりえないことが起きた時、人間はどんな些細なことであっても、何かしらの理由付けにしてしまうものだ。その辺りの感覚は理解できないわけでもないので、善貴としてもそう信じる人間を断ずる気にはなれなかったのだ。
 そうしてすぐに歩き出した僕らの頭に、ぽつっと冷たいものを感じて思わず上を見上げると、どんよりとした雲が降りてきていて雨を降らし始めていた。アーケードを抜けて、雨よけの天井がちょうど終わったところだった。
「あー雨降ってきてる」
 後ろから、今しがた別れた少女の甲高い声。振り向くと瀬名川と美樹子の二人が善貴と同様に、手の平を前にかざして雨が振ってきていることを肌で感じていた。
「もう、勝手に行かないでよね」
 眉をへの字にした悠里は、その矛先を善貴たちに向けていた。善貴たちは、これでは仕方ない、と肩をすくめて再びアーケードの中に引っ込んだ。すでに着ている制服の肩や裾の白い布地が幾重になって雨染みを作っていた。
「どーしよっか」
「雨宿りするしかないでしょ」
「だねー」
 二人の少女のやり取りを傍らに聞きながら、善貴たちはじっと猛烈な勢いで降りだしてきた雨を見つめていた。予報では今後数時間は猛烈な雨が降るということらしいので、暫くの間、この雨をやり過ごすしかなさそうだった。




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