少年と武士と、気になるあの子。

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君と武士と、夏の終わり(四)


 欲しかった参考書などの書籍を買い終えた僕らは、雲行きの怪しくなってきた空を心配しつつ、駅に直結した複合商業施設を抜けて、隣接するアーケード街を歩いていた。
 往来を行き来する人々の合間を縫うように歩き、瞬く間に幾人も通りこしていく。夏休みも終盤になり、心なしか遊ぶ学生の姿も少なく感じる街の雰囲気も、最後の週末ということもあってか最後の盛り返しを見せているようだった。
 ここ数年で新しくできた商業施設と、古かったアーケード街の再整備で地区全体が新しく再開発されたため、アーケード街の様子も随分と目新しくなっていた。特別に古いから新しいからと、そういったものに拘りのない僕だけれど、やはり新しいスポットというのは目新しいものも多く嫌いではなかった。
 僕の体を使ってすいすいと進む先生も、心なしか意気揚々としている様子で、物珍しい商店街の街並みを興味深げに見歩いていた。こんなあちこちを見回しているというのに、これまでのところ、人とのすれ違い様にぶつかることがないのが凄いと感心する。本人曰く、こんなのはできて当然とのことだけど……。
『だけど、そんなに面白いものですか?』
「ああ。こんなに人の往来があるのは、よほどの城下町でもない限りそう滅多とお目にはかかれるものではないでな。見ているだけでも気分が良い」
 思えば、これまであまり人通りの多い場所には行ったことがないことを思い出し、善貴は一種のお祭り気分なのかもしれないと自分を納得させた。今は一億二千万もの人が住まう日本だけれど、中学の歴史を教えていた先生が言うには、江戸時代などは千万から千五百万人程度の人口しかなかったという。
 当然、それは比較的安定期だった江戸時代の話で、それよりも前、混乱した戦国時代というさらに人口が減っていた時期を過ごしていた人間にとってみれば、これだけの往来があること自体が一つの物珍しさがあるのだろう。やっていることは完全にウィンドウショッピングなわけだけど……。
「ところで、ヨシタカよ」
『はい』
「所々に見かけるああいう店は飯処か?」
 そういって視界を寄せた先には、小じゃれた感じのカフェやレストランがあった。スタンド式のポップに手書きされたメニューを乗せて、客の目を引けるように店先にちょこんと据えられている。それを見て、何となくそう感じたのだろう。
『ああ、あれは多分レストランですね』
「”れすとらん”?」
『まあ所謂、飯処ってやつです。見た感じ、イタリアンかな?』
「”いたりあん”? なんだそれは」
『えーと……』
 かいつまんで説明すると、何となく理解できたのか大きく頷いた。
「つまり、その地方の飯全般のことをそう差すわけだな」
『ああ、まあ大体そんなとこです』
 細かく言うと違うところもあるのだけど、それをどれだけ説明できるかはそれだけでちょっと時間がかかってしまいそうなので、その程度の理解で十分だろう。概ね他の人たちも似たような印象を持っているに違いないからだ。
「だが、団子屋なんかもあるの」
 そういって目を移した先は、和風の佇まいを残した和風モダンのカフェだ。店先に出ているポップも店の雰囲気に合わせて風流なデザインで、学生である善貴には少しばかり敷居が高く感じられるも、彼にはむしろ自然な感じがするようだった。
(まぁ当然か。日本人だもんな)
 本来はそれがごく自然に感じられて当然なのだ。洋風のものにちょっとした小じゃれた感を持ってしまうのは、そもそも日本人がそういった文化を持っていなかったからに過ぎない。事実、海外ではこうした西洋から端を発するものより、日本の和風なデザインが受けているのと同じ理屈だ。
『あ、でも団子屋さんには行きませんよ。そこまでお金ないんですから』
「む……」
 先生のいた時代と違い、軽い気持ちで食べられるほど今のカフェ、即ち茶屋の提供するものは安くない。一応釘を刺しておかないと、勝手に店に入られてしまおうものならこちらの財政がとんでもないことになってしまう。
 よほど後ろ髪引かれるのか、団子屋を通り過ぎる際は二回も振り向いては足を止めようとしているので、その都度駄目だと窘めた。流石に三度目はなかったけれど、そこまで団子が好きなのかと、善貴は意外な一面を垣間見た。武士といえば、食になんてなんの興味もないかと思っていたけれど、そうでもないらしい。
『よっぽどお団子が好きなんですね』
「団子というよりも、餅と餡子だな」
 戦国時代、いくら武士といえども食糧事情というのは大きな関心事であるようで、時に握り飯一個で争いが起きることもあったというから、慢性的な食糧不足に陥っていたことは善貴の想像に難くはない。戦国時代が終わって安定期に入った江戸時代ですら天候不順に悩まされ、時には大飢饉にすらなっている。
 そんな時代には、今自分たちが何気なく口にできる団子なんて、最上の贅沢品として考えられていてもおかしくはない。だからこそ、先生も食にだけは大きな関心があるのだろう。それは現代いまを生きる善貴には知識はあっても、人を殺してまで生きようとする先人達の苦労の底は知る由もなく、また想像を絶することでもある。
 ともかく、こちらの懐事情を考えれば、高校生の身分である自分に簡単にカフェやレストランに入れないけれど、家に帰ればお茶請けの一つや二つはある。今はそれで満足してもらおう。善貴はそう思って、帰宅を促した。
『そろそろ帰りましょう』
「うむ。そろそろ腹も減ってきた」
 多分、今家に帰って一番母親の料理を楽しみにしているのは先生だろうな、などと思いながら最寄の駅に向かう僕らの視界の脇に、一瞬見知った女の子を見つけてそちらを見返した。それは先生も同様で、二人して同じ方を見つめると、見間違えることはない、確かにあの子の姿がそこにあった。
「竹之内?」
「うむ、久しぶりだの悠里」
 向こうもこちらに気付いて、目を丸くして驚いている。どちらからというわけでもなく近付いていき、先生と瀬名川は挨拶にもならないような挨拶を交わした。
「うん、久しぶりだね。ってなんで制服なの?」
「学校へ行っておった。ちと寄りたいところがあったんでな」
 なんとも武士らしい、というべきなのか、手短な受け答えだ。けれど、そんな短いやり取りにも瀬名川は食いついてくる。
「もしかして竹之内……先生から連絡先聞いた?」
「おお。それで、うぬの家に電話をかけたら姉上殿に折り返してもらうよう伝言を頼んだのだがな。ちょうど良かったわ」
「そ、そうなんだ……ってかさ、竹之内、今日ちょっと雰囲気違う?」
「そうか?」
「うん。そんな感じがする」
 瀬名川はいつもの僕と雰囲気が違うことに違和感を覚えているようだ。実際、体は竹之内善貴となんら変わりはないのだからそうなのだけど、その中身、意識というか人格というべきなのか、それは全くの別人なのだから違って感じられるのも当然だ。
 その二人のやり取りも気にはなるけれど、僕個人としてはなぜこんな所に瀬名川がいるのかの方が遥かに気がかりで、その辺りを聞いて欲しかったのだけど、先生は全く動じている様子がなく続けた。
「まあ気にするな、大したことじゃない。それよりも……」
 今の僕らにとって、一番の問題を解決するための手がかりとして、瀬名川にはどうしても聞かなくてはならないことがある。そう続けようとしたはずの言葉は、そこで途切れ、見慣れない人物の登場によって遮られた。
「ごめんユーリ、お手洗いちょっと混んでて……ん? この子誰?」
 それはこちらの台詞だと思いながら、僕は視界を通じて瀬名川の横についた女の子を眺めていた。大きな瞳に、どことなく猫を思わせるような唇に小鼻と、耳まで出しているボブカットが魅力的な女の子だ。レストランから出てきたところを見ると、今まで瀬名川と二人で遅めの食事をしていたらしい。
「えっと……あたしのクラスメイトの竹之内」
「そーなんだ。初めまして、私ユーリの小学校時代からの友達で、高島美樹子っていいます。よろしくね竹之内くん、あ、私のことはミーコって呼んで良いよ!」
「うむ。竹之内善貴だ」
 一六〇センチ近くある瀬名川と比べて、十センチは小柄な美樹子を完全に見下ろす形で、先生はそう言った。ともするとぶっきら棒な返しだけれど、そこには厭味だとか興味のかけらもない事務的なものは感じられない。堂々とした簡潔な返しに、思わず善貴もこれから見習いたいと思ってしまったほどだった。
「あれ? 君ってさー……んー?」
 美樹子は軽く頭一つ分は違うため、しっかりと見下されている形であるにも関わらず全く臆することなく、むしろこちらを覗き込むように人差し指を顎にやりながら何か思い出そうとしている様子だ。
「あ! 思い出しだ! あの時の電車の子だ!」
 女の子は何を思い出したのか、びしっと人差し指をこちらに向けて言った。僕は何のことか分からずに、隣で呆気に取られた瀬名川の方を見た。彼女はそれが恥ずかしいのか、それとも気づいてほしくなかったとも言えるような曖昧な表情で、半ば諦め混じりに彼女を見つめていた。




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