少年と武士と、気になるあの子。
二人をつなぐ距離(四)
食事を終えて、友達の所に行ってくると言って家を出た私は、逸る気持ちを抑えながら駅をへと向かった。あいつの最寄り駅までは私の定期区間外だ。なので、後で料金を精算しなくてはいけない。
家を出る前に担任の村上先生に電話して、適当な理由をつけて竹之内の住所を聞き出しておいた私は、それをメモして財布とスマホ片手に半ば勢いでやってきた電車に乗り込み、再びあいつの使う最寄り駅のホームに降り立った。
理由は、先週借りた電車賃を返しに、だ。これが他の子ならそれこそ学校で渡しても良いのだけど、相手はあの偏屈そうな竹之内のことだ。教室で話しかけたこともない人間から突然教室で話しかけて借りていたお金を返そうものなら、明らかに嫌な態度を取るに違いない。
ただでさえ心象が悪いようだから、ここは学校とはあまり係わり合いのない所の方が、まだあいつも気難しく考えないだろう。仮にもし返すのも鬱陶しく思われたとしても、家まで押しかければ流石のあいつも受け取らないなんてことはないだろう。
そんな訳で、担任から聞いた住所のメモとスマホに表示されたマップを頼りに、あいつの家近くまでやってきたわけだけど、近付くにつれ、だんだん不安が押し寄せてくる。やっぱりやめておけば良かったかな……そう思った矢先、マップに目的の住所付近に来たことを示すピンが色濃くなった。
私はそれを確かめるために周囲の住宅にある表札を見て回ると、程なくして「竹之内」とかかった表札を見つけた。広めの庭に、やはり広めの建坪を持った大きな家だった。
あいつ、こんな家に住んでるのか……。それが最初の印象だ。もっともそのお金を稼いでいるのは、あいつではなくお父さんなのだろうけど、この家で暮らしてるんだと思うと、普段学校では見せないあいつの一面を見たような気がした。
二台分の車が駐車できる駐車スペースは、二台分がドアを開けていてもまだ余裕を持って停めることができるだけの、十分のスペースが確保されている。もしかしたら、小さい車くらいなら三台分は入るかもしれない。
自分の家はマンションだから駐車スペースも一台分しかなく、おまけにそのスペースもこんなに広くは無いから、それだけでもなんというか豪邸というイメージがある。
けれど、今はその広い駐車スペースに停まっている車はなく、おかげで家の様子も良く分かる。もしかして誰もいないんだろうか。表からの様子では、今、家は留守であるように思われたのだ。
休日だから留守でもおかしくはないのだけど、残念のような、安堵感のような……良くも悪くも肩透かしを食らったような気分になった。いないのであれば仕方ないけれど、来た以上は一度声くらいかけておくべきだろう。
「ごめんください」
インターホンを鳴らすも一向に反応が無い。休日に家の車もなく家は留守であるとすると、これはかなりの確立であいつもいないのでは……勢い良く出てきはしたけれど、向こうに予定があっていないのであれば結局同じことか……。
そう思って諦めようとしたとき、やってきた道の方から一台のセダンが駐車スペースの辺りで停まる。助手席の窓が開いた。
「うちに何か御用?」
運転席の方から顔を覗かせた四〇代くらいの女の人が、私を見据えながら言った。竹之内のお母さんだろうか。うちというくらいには、そうだろう。見た目よりも若い印象も受けるけれど、声の感じや話し方が明らかに歳若い自分や二〇代のそれとは違っている。
ちょっと待ってね、という合図と共にお母さんはあっという間に車を駐車スペースに入れて、車から降りる。助手席に買い物袋があるから、今まで買い物に出かけていたようだ。
「あら? あなた」
「あ、お邪魔してます。ヨシ……竹之内君いますでしょうか?」
「あら、いない? 私が出かける前はいたんだけど。ちょっと待ってね、ヨシキー」
そういってお母さんは大きな声であいつを呼んだ。あいつ、ヨシキって名前なのか。何となく下の名前は知っていたんだけれど、読み方までは分からなかった。てっきりヨシタカって呼びそうになって止めたのだが、ちょうど良かった。
「大声で呼ばなくても聞こえるよ」
すると家の裏庭の方へと続く壁から、あいつが顔を覗かせる。何をやっていたのか、着ているTシャツは汗まみれで、水分を吸収して白い生地が透けて重々しくなっている。
「あんた、いたんなら声かけなさいよ」
「そっちが勝手に大声出しただけだろ……って、瀬名川?」
あいつはようやく私の存在に気付いたらしく、ギョッとした様子で私とお母さんとを交互に見つめている。あの時もそうだったけど、こいつは本当に私のことなど、どうでも良く思っているらしい。
送るから待っててという竹之内の言葉の通り、玄関でぼうっと突っ立ったまま彼が来るのを待っていた。
汗だくになった彼を見て、シャワーくらい浴びてこいというお母さんの言葉に従って、汗を流しにいった彼を待つ間、玄関に通された私はなんとなく居心地の悪さを感じてスマホをいじっていると、お母さんがやってきてお茶を差し出してくれた。
「上がってくれて良かったのに」
「いえ、ヨシキ君に借りてたお金返しにきただけですから」
「そう、あの子がねぇ……」
私がそういうと、お母さんは何だか不思議そうに首をひねった。別に、電車賃くらい貸すくらいならそう珍しいことではないと思うのだけど、よほどのことなのだろうか。
「……後、この節はお世話になりました」
「ん? 何のこと?」
「えと……その、ヨシキ君の怪我のことです」
そういうと、お母さんはまた複雑そうな表情で笑った。
「そういえば、あなた一度病院に来たことあったわよね。善貴を見舞ってくれたんでしょう? こちらこそありがとう」
「い、いえ、ヨシキ君には助けていただきましたから……。きちんとお礼すべきとは思ってたのですが、今度はその時のお礼も」
慌てて矢継ぎ早に焦って言う私に、お母さんは少し緊張が解けたように笑って首を振った。
「いいわよ、気にしなくて。あの子がまた自分で勝手に巻き込まれに行ったってところでしょう? 昔からああなのよ、あの子」
そうなんだ……。なんであの時助けにきたんだろうととは思っていたけれど、昔からああいう厄介ごとに首を突っ込むタイプとは少し驚いた。そういうのとは明らかに無縁そうなタイプなのに。
「でも、あの時ヨシキ君が来てくれなかったら私、どうなっていたか……」
そうだ。本当はあいつにもきちんと謝らなきゃいけないのだ。今あいつに記憶の混乱があるとすれば、それは間違いなく私のせいなのだ。それを笑って済ませてくれようとしているお母さんには、すごく申し訳ない気分になる。
「ね、それよりもあの子、学校じゃ大丈夫なのかしら」
「というと?」
「こんなことあなたに聞くべきじゃないかもしれないんだけどね、少し記憶が混乱してるというか……」
なるほど。子の障害は親として由々しき事態だ。それを心配するのは当然だろう。学校ではほとんど話したことがない私だけれど、普段のあいつの学校生活ぶりを思い出しながら言った。
「いえ、なんとか上手くやってると思います。お友達もカバーしてくれてますし」
永井君や内田君とは上手くやってるみたいだし……そうだよね? 正直あまり彼の交友状況を詳しくない私が、これ以上あれこれといえる立場ではないからそれくらいしか言えない。
それとは別に、あの事故からの復帰以来、ちょっと性格が変わったような気がしないでもないことを告げるかべきか思ったのだけれど、私の話を聞いて安堵の表情を浮かべたお母さんを見て、それ以上は言わないほうが良いように思えて口をつぐんだ。
復帰初日のあいつは、これまであいつのことを良く知らなかった私の目から……いいや、それどころか、恐らくクラス全員の目から見てもなんだかおかしい感じがした。けれど、それもすぐ普段通りになったような感じがしたので、余計なことは喋らないでおくほうが賢明だろう。
「そう、なら良かったわ。先生にもお電話して話は聞いてるんだけど、やっぱりお友達から見てどうなのか気になっちゃって……ごめんなさいね」
そんな会話をしている内に、あいつは早くもシャワーを浴び終えて着替えてきた。私は差し出されたまま、まだ一口も飲んでいないお茶を全部飲みきると、お母さんにお礼を言って、送ってくれるというあいつに従って駅まで送ってもらった。
その間、この前しつこいナンパから助けてくれたこと、借りたお金を返したりと何とか場を繋ごうとしたけれど、あいつの受け答えは微妙で、やっぱり二言三言のやり取りですぐに会話が途切れてしまう。駅まで歩いた一五分程度のうち、ほとんどの時間は無言のままだった。
駅のロータリーまで送ってもらったけれど、それ以上の会話が続かなかったことがなんだか悔しく思えて仕方なかった。本当は合宿の時のことや、その後の入院生活のこととか、もっと話をしたかったのに、あまり会話が盛り上がらなかったからか、なんだかそこまで突っ込んだことを聞くのが憚られたのだ。
勢いでここまで来たけれど、不完全燃焼であることは否めなかった。お母さんからはお友達認定してもらえたようだけど、実際、あいつと私との間に友情と呼べるようなものが芽生えているかといえばそうでもない。知り合い以上、友達未満? そんな感じだ。
結局、竹之内と別れた後、気乗りしないしないまま電車に乗り込み、家に帰ってきてしまった。幸い姉も出かけたようで、今自宅には私一人だけだ。
あいつの家にいる時から、一度も取ることなくずっとポケットに入れっぱなしになったままのスマホに気付いて、ベッドの上に放った。
「……あ」
放り出したスマホを見て、今更ながら気付いた。折角の機会だったのになんで連絡先を聞かなかったのだ、あたしは。またとないチャンスだったはずなのに、今になって気付くなんてありえない……。
(またやっちゃった……)
今更ながら自分のやらかしてしまった失態に気付いて、もううんざりと頭を垂れた。ほんと、竹之内といるとペースを乱されてしまう。普段のあたしなら、即連絡先の交換をするはずなのに、あいつと一緒にいたってだけで、なんでかそんな当たり前のことすら忘れてしまっていた。
「もーやんなっちゃう」
ベッドの上に座り込み、立てた両膝を抱え込んで額をつけた。勢い良くいきすぎたのか、おでこに膝小僧に当たって少し痛い。
悠里はスマホを取り上げて、担任から聞き出した善貴の住所を眺める。思わぬ形であいつの住所をゲットしてしまったことに、いくらかの嬉しさがこみ上げてくるのを感じていた。
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