少年と武士と、気になるあの子。

B&B

目覚めた少年(二)


 結局、先ほどの室間に強制的に連れ戻された俺は、また台の上の布団に寝かされることになった。とはいっても今は布団の上で胡坐をかいて、この現状について本気で考えているといった状況だった。
 あの年増に罵声を浴びせられた俺は、訳が分からずに振り切るようにあの場から立ち去ろうとしたが、連中は年増を含めた、連れ戻そうとする同じ恰好をした女や男たち数人によって、もみくちゃにされながらここに連れ戻されることになってしまったのだ。
 男四人に女二人と、連中に胴と四肢を掴まれてもその場を離れようと粘ったが、この女のように細い体ではそう長く持つものではなく、いつものようになんとかなると高を括っていた俺の思惑も見事に当てが外れてしまった。
 抑えていた男たち四人も、この体よりは太い体躯をしていたが、細めの連中だからと甘く見たのが良くなかった。もみくちゃにされたことで顔に引っかき傷をつけられたため、俺はひりひりする傷を摩りながらこの状況を整理してみた。
 まずは、この体だ。どんな理由か俺は若返ってしまっているということ。なぜかは分からない。ただ気付けばこんな貧弱な体になっていた。じっくりと手足を動かして見ると貧弱ではあるが悪くはない体で、今は体力が落ちているために不良という具合だが、屈強な肉体から若返ってこんな貧弱な体を与えられたところで嬉しくもない。
 次にこの場所だ。連れ戻される時に俺も必死に抵抗したが、その際に、あの男女が口走ったことを掻い摘んだ断片的なことであるが、まず間違いないのは、ここの連中全員が同じ言葉を喋っていることから日の本であること、ここが病人の集う治療所であるらしいことである。
 先ほど俺を取り押さえた男女六人は、この治療所で働く者たちで、病に苦しむ民衆らを救う手立てのために従事しているようだから、まず敵ではないことも明らかだ。最も、すぐにも裏切らないとも言えないから完全に安心できるものとも言えない。敵勢力と通じていないという保証もないのだ。
 ただこの点についてはいくらか信用できないわけでもない。ここにいる連中民衆はいずれも武器等を所持しておらず、もしかするとここでは、あらゆる武器が取り上げられる取り決めになっているのかもしれない。もしそうだとすれば割と納得のいく話ではある。つまり、ここなら今すぐに自分が取り押さえられ処刑されるようなこともないというわけである。
 それに医者といえば、大変に数が少なく知識の必要な職業につく者だ。下手に出て、その治療も受けずにここを抜け出すというのは良策ではない。まずは必要な治療を受け、脱出するのはその後だ。どこかに隠されたはずの太刀の場所も知らなければならないだろう。
 ここでふと、俺は重要なことを見落としていることに気がついた。なぜ今までそれに気付かなかったのか。
「確か俺は最後の夜……」
 記憶が途切れるまでのことを思い出した。野盗となった落ち武者どもに狩り立てられて、山間の奥の森に逃げ込んだはずだ。その途中、落ち武者どもに斬られ、矢に射られて深手を負ったはずだ。なのに……。
 寝巻きの上から肩や背中、左肩から右の下っ腹の辺りにかけて袈裟懸けに斬られたはずの刀傷がないかを必死に探した。しかし、いくら探ろうとも寝着の上からはもちろん、直に肌に触れてみてもそれらの傷痕は見当たらなかったのだ。
 ここの連中は何やら不思議な医術を使っているから、もしかしたら何か特殊な医術を施したというのか。
 思えばここの患い人の中には、自分と同じ針のある管を取り付けて歩く者の姿もあった。あれは何かの治療の一環であるらしいことが分かったが、あんな治療法など同じ天下において見た事もない。京の都でもあんな治療法を行っている者はいなかった。
 同じ天下、日の本でありながらこんなにも違いがあるものだろうか。あるいは、あんなにも深かった傷をも簡単に治療できるほどの医術が、ここにはあるのではないか。そうとしか思えない。だとすれば、ここでは完全な武装解除を求められるのも頷けるかもしれない。
 そう考えついて、喉が乾いた俺は戸棚に手を伸ばして、中の湯呑みを取り出そうとした時だった。そこに上向いた小さな額縁に隔てられた鏡を見つけた。手鏡とは違うようだが、何気なしにその鏡を見つめた時、そこに映った自分の顔を見て俺は言葉を失った。
「……これは、誰だ」
 その鏡に映った自分の顔を目の当たりにして、声が震える。声や体の具合から若いと思っていたが、鏡に映る自分の顔は全く見覚えのない男のものだったのだ。
(全く違う別人に生まれ変わったとでもいうのか)
 鏡に映る自分の顔を見つめたまま、ごくんと息を呑み込んだ。あまりの驚愕に、思考が追いつかない。ただもう一度自分が今、本当にこの体なのかを手探りにまさぐってはみても結果は同じだった。
 俺は間違いなく全く違う、別の誰の体になってしまっていたのである。まだ歳の頃は一五、六といった所だろうか。とにかく若い。シミやシワ一つなく小奇麗にした肌に、奥二重の瞼から覗く瞳が困惑と悲壮さを持って見つめている。
 布団の上で胡座をかいていた俺は、よろよろと力なく下を向いてしまった。思考がうまく定まらない。俺は今、全く違う別人になってしまっていて、全く違う環境に生きているということだけが間違いない事実であることを理解した。
 この状況が何なのか俺は頭を抱えたところ、一人の白衣を着た男が室間に入ってきた。
「失礼するよ」
 瞬時に胡坐から中腰へと膝を立てて姿勢を変えると、男の方を向き直った。いくら室間の戸が開けられているとはいえ、無用心に入ってくるとはこの男、よほどの阿呆なのか。普通なら、敵がいないかどうかくらいの確認くらいはするはずだろうに。
 俺は白衣の男を品定めするように、じろりと睨みつけながら言った。
「お主は」
「私は君の主治医の川原です。一週間以上も寝ていたというのに思ってるよりも元気そうだね」
 俺の主治医を名乗った白衣の男、川原は、陽気な笑顔を向けながらそういった。白髪交じりの髪は灰色がかっているが、髷は結っておらず、あまり身分の高い者ではないらしい。しかし恰幅は良く、物腰は柔らかそうな男だった。
「ここは治療所だと聞いたが……それに今一週間以上と言ったか」
「ああ、そうだここは”病院”だよ。君は事故に巻き込まれて、ここに運ばれてきたんだ。覚えてないかね? あの事故からもう一週間以上経ってるんだ」
 川原は、覚えてないかね?と再び問いかけてくる。ところが、当の本人である俺にはなんのことだかさっぱりだった。”病院”とはなんだ。治療所の名称なのか。事故とは? それに一週間というのは……。
「どうやら記憶の混乱が見られるね。一週間前に、”学校”の勉強合宿に行ったことは覚えてるかな? そこで肝試しをしていたところに起きた地震で、山崩れを起こした斜面の土砂に巻き込まれたんだよ」
 川原の口から、次から次へと良く分からない言葉が飛び出してきて、俺はますます混乱した。”学校”とは何か。合宿というのは。山崩れをしたというから、相当な揺れの地震であったことが窺えるが、この一週間どころか数年の間にだって、そんな揺れの大きな地震など体験した覚えはない。
 それよりも一週間という言葉の方が気にかかる。俺の最後の記憶は、敵に斬られて森の奥に追いやられたところまでだ。それまでの間ここで眠っていたわけだから、それから一週間ほどが経過したということは理解できた。しかし、たったその一週間であの深い傷が癒えたというのか。
「どうやって一週間で傷を癒したのだ。あれほどの深い刀傷、ちょっとやそっとじゃ癒えんはずだぞ」
「刀傷……? そんな傷はないし、そもそもほとんど怪我らしい怪我もないんだ。打撲やなんかはあったがね。いや、君は土砂に巻き込まれはしたが不幸中の幸いというやつで、大きな岩や石の直撃は免れていたらしい。あれほどの大きな崩れだったから森の木も薙ぎ倒されていたはずなのに、本当に君は幸運だよ」
 川原の説明を聞いて、俺はしかめっ面になっていたに違いない。どう考えてもあの傷を見て何も思わなかったはずがない。何も覚えていないということなど在り得るものか。
「先生、医者としてお主の見立てが正しいとしてもだ、流石に刀傷を何の疑問に思わなかったのは医者としてどうかと思うぞ」
「……失礼だね、君は。刀傷なんてあるわけがないだろう。ないものをどう治療しようというのかね。第一、今の時代、刀傷なんてものがあったらそちらのほうがよほど大きな問題になるぞ」
「大きな問題? 刀傷程度でか」
 この医者を信用できなくなってきた俺は、いよいよ持って早急にこの場を離れるべきだと思った。とにかく話にならない。刀傷と地震、どう考えたって後者の方が大きな問題だろう。刀傷など戦場を生きる武士にとっては勲章のようなものだ。それをなぜ大きな問題などというのか。
「どうやらお主は目暗らしい。こんな傷をどう見て……」
 俺はそういって寝着の下の肌を晒して袈裟切に刀傷を見せようとしたが、そもそもそれらしい傷自体がないことを今更ながら思い出した。
 そうだった。俺は今別人の体になっているんだった。あまりの混乱具合に、それすら忘れてしまっていた。や、そもそもこの状況自体おかしなことなのだが、とにかく色々な事情が交錯していてまともに言葉が紡げない。
「君がいくら若くてそれなりの男前でも、わし男には興味ないんだがね」
 こちらの行動を黙って見ていた川原は、怪訝に動きが止まったままの俺を見ながらそう言って、まるで何事もなかったように話題を変えた。
「ともかく君が記憶に混乱が見られることは分かった。崩落に巻き込まれたことによる一時的な記憶障害かもしれん。専門家ではないから詳しいことは言えんが。それよりも、お母さんがきとる」
「母だと」
 言うが早いか川原は、そうだよと言いながら室間の外に顔を出して呼んだ。
「どうぞ、お母さん」
「善貴」
 川原に呼ばれて室間に入ってきたのは、妙齢の女だった。やはり、この国の女は皆一風変わった衣服を身に纏っているようだ。俺のことを”善貴”などと呼ぶ母親らしき女は、心配そうにしながら、嬉しそうに瞳に熱いものを溜めて今にも泣き出しかねない表情だ。
「あんた、どれだけ心配かけさせるの。先生のいうこと聞きなさいって言ったでしょ。だから、だから……」
 善貴の母という女は、俺のところにまで歩み寄るとぼろぼろと、ついに嗚咽を堪えながら泣き出した。
「む……」
 さすがに女の涙というのには幾ばくかの弱みがあるというもので、俺はバツが悪くなってしまった。いや、顔も名前も知らない女に突然泣かれたところで、こちらも迷惑なだけなのだが状況的にそうさせざるを得なかったのだ。この母親も色々と勘違いしているようだが……。
「俺は善貴ではないぞ」
 泣く女を慰めようといった言葉だったが、それを聞いた途端、女の嗚咽は号泣へと変わった。何が何だか分からなかったが、とりあえず失言だったことだけは間違いない。俺はちょっとした後悔としかめっ面に、白い天井を見上げた。
 川原なども、ふむ、と顎に指をやって何やら考え込む始末で、これは何かまずい予感がしてならなかった。何かとんでもないことになりそうな予感は、どういうわけか嫌な時に限ってよく当たる。これはその時と同じ感覚だった。



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