ななめ

tazukuriosamudayo

3月な冬生まれ



色々な説明を聞いたあと、社内に足を踏み入れるとまるで異世界に来たかのように社員がせかせかと脇目も振らずに働いている。
他にもインターン生は何人かいたが、この部には私と弥生ちゃんの2人だけだった。

部署まで連れてきてくれた女の人は大人っぽくて、髪は黒くてツヤツヤしている。
きっと社内での信頼も厚いことだろう。

「じゃあ、ここから業務内容は担当の水島さんに教わりながらやってね。」

と言われて入れ替わるように話しかけてきてくれたのは高身長で優しそうな眼鏡の男性だった。

「こんにちは。今日から君たちの補助を担当する水島です。よろしくお願いします。」

水島さんがお辞儀から顔を上げ、私たちの顔を見ると、一瞬口を開いて閉じた。

「よろしくお願いします。水島さん。私は須賀 弥生です。」
弥生ちゃんは笑顔で挨拶をする。
「 橘 モナミです。 よろしくお願いします。」
私も習って笑顔でお辞儀をする。


作り笑顔は得意な方だ。
そんな自分を可愛げのない人間だと言ってきたが、実際に初対面の人を目の前に心から笑顔を見せる人なんてこの世で何割いるだろうか。 むしろ誰でもかれでも心からの笑顔を向ける人なんて私からしたら気味の悪い生き物である。
しかし弥生ちゃんは終始3月の日向のような笑顔で立っている。
この数十分だけで判断するのは気がひけるが、おそらく弥生ちゃんは気味の悪い生き物にカテゴライズされる。
いや、もはや生き物というよりは人形のようだ。3月の雛人形だ。


「あー、と… 君たちには今から編集補佐の仕事を軽く覚えてもらいます。一度しか説明はしないけど、わからないことや質問があれば何度でも答えるから僕に聞いてください。」


なんだか優しそうだけど生真面目なタイプでもなさそうだ。


ふと見ると隣で雛人形な弥生ちゃんは真剣に水島さんの話をメモしている。

私もきちんと仕事しよう。
ボールペンを3回ノックして私もメモを取り始めた。


水島さんはたまに私たちの方を見ながら話してくれるが、目が合うこともない。





一通りの説明を聞いた後、わからなかったことはありますか、と水島さんは聞いたが私たちは口を揃えて大丈夫です、と答えた。


「それじゃあ、僕は向こうのデスクにいるので何かあったら呼んでください。」

少しだけ口角を上げて微笑み、水島さんは弥生ちゃんの横を通ろうとした。

私は聞き逃さなかった。


「ごめんね。」


横を見ると弥生ちゃんは水島さんと目も合わせずそう呟いていた。

水島さんは一瞬止まったように見えたが何も聞かなかったかのように自分のデスクに戻っていった。

これは話を聞く価値がありそうだ。

私は無駄にボールペンを5回ノックして弥生ちゃんと向かいのデスクで仕事を始めた。


やはり、3月の雛人形というのは取り消しだ。
直感というものだが、多分この子は冬生まれだ。

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