ななめ

tazukuriosamudayo

ズレに対する憂鬱



この名も知れぬような小さい塾でバイトし始めたのはつい3ヶ月くらい前の話である。

当初は、そこそこ名の知れた大学にはいるものの、かの有名なW大学だとかK大学だとかはたまたT大だとかいう、履歴書に書けば書面上のスワロフスキー的な役割を果たすような大学ではないため、人に勉強を教えるなどといったご立派なバイトをすることには少々躊躇いがあったが、始めてしまえばそこそこ楽しい。


授業中の私の脳内には、先程のようなまどろっこしい「私的哲学」は展開されない。
それが展開されるのは自分だけの世界を勝手に繰り広げているときで、対人というシュチュエーションではむしろ社会の条理に則って生きるということに神経を張り巡らせている。


自分が公立に通っていた中学生の頃、多数派と違う立場に立つことによって若干のイジメにあっていた。
詳しい話はくだらなすぎてする由も無いが、とりあえず当時の私にしては図太く耐え抜いていた。
それからというもの、遠くで笑い声が聞こえると自分のことを笑われている気分になるし、大学生になった今でも、人と違うことをする、ということに対しての抵抗は拭いきれない。

だいたい、日本の教育というのが、そもそもは周りとの協調性だとかそういうものであって、目立てば「しゃしゃる」だのなんだのと散々な言われようである。


とまあ、日本の教育にも脳内一喝いれたところで、とにかくそれからというもの、自分の考えや理論は極力口に出さないようにしている。


人に先程の四季の話をしてどれだけの人が心から共感するだろうか。
少なくとも、マトモでないと思われるに違いない。

そんな「マトモでない先生」に今日も勉強を教わる中学生たちよ。
お願いだから宿題はやってきてくれたまえ。
そしてマトモに育て。

「文学」の人気作品

コメント

コメントを書く