鮫島くんのおっぱい
鮫島くん、本気の勝負②
鮫島の身長、半分以上はやたらと長い脚が占めている。その手足を折りたたみ、うずくまると彼は途端に小さくなった。その姿形で、もぞりもぞりと這うように、身をよじらせる。
バルフレアの笛が鳴る。彼の動きは音楽に重ねられてはいたが、ただのダンスでないことは明白だった。
(この動きは……赤ん坊?)
とたん、鮫島は体をもたげ、両膝をついた。どこかあどけない、朴訥とした動作から、幼児の真似だと理解できる。
やがて背を伸ばし、小さな歩幅で跳ねて見せる。少女が遊んでいる仕草――
梨太は理解した。
これは、演劇だ。
一本の物語、ある者の人生を、時系列順に語っている。
「――ラトキアン音頭と呼ばれる、この踊りは、我らにはなじみ深いものでしてな」
バルフレアの男が囁いた。
「……我らバルフレアと、ラトキア民族とが出会ったとき、同じ言葉を話してはおりませんでした。会話が成り立たず、困った両者は、踊りました。己の半生を脚本仕立てにし、自己紹介をすることで、仲良くなろうと呼びかけ合ったのです」
鮫島の所作は、楽しそうだった。表情も、見たことが無いほどに明るく、可愛らしく、朗らかに笑う。
そして彼は、歌を歌った。
幼い女のような声だった。
今の私が持っているもの。
家族、歌、踊り。それから花を描いた大きな絵。
「――うわ。上手っ」
という呟きは少し離れたところから、虎である。彼だけでない、バルフレアたちも皆が息を飲む。
一瞬で引き込まれ、続きを待ったが、歌はひどく短く終わったらしい。
鮫島は口をつぐみ、踊りを続ける。
しかし雰囲気が変わっていた。ひらひらと楽しげな舞から、鋭く激しい運動に。
表情も険しい。
また、歌う。
今の私が持っているもの。
仲間、勉強、運動と、大きすぎる重い服。
声が、少し低くなっている。少年の声。
演舞はさらにキレを増し、運動ではなく、格闘のそれになる。
さっきまで花びらを数えていた幼い指が、自分より大きな者をぶん殴る。蝶を追って駆けていたのが、空を裂いて蹴り飛ばす。
青年が歌う。
今の私が持っているもの。
冷たい鉄で出来た、大きな刃。
格闘(スポーツ)の時期は終わり、彼は両手には剣があった。ぐるり、ぐるりとその場で回り、巨大な鞭が獣を切り裂く。銃を炎を操って、自らもまた傷を負う。
彼はもう、なにも歌わなかった。
背後で賑やかに演奏していた、バルフレアの笛も止んでいた。
誰もそばにいなかった。
なにも無かった。
音も、色も、味もにおいも、何もない。
――何一つない静かな世界で、彼はただ黙々と、剣を振り回し続けていた。
梨太は不快になった。
こんなものを……何故、自分に踊って見せる?
鮫島は、梨太が戦場に来るのを嫌がっていた。梨太がそれを嫌うから。
梨太は、鮫島が戦うことが嫌だった。傷つくのも傷つけるのも、彼が望んでいないのを知っていたから。
演舞はたいした見ものであった。だが悲しくてたまらない。
この踊りが自己紹介? 鮫島の半生は、直視できないほどに悲しく痛い。
梨太は俯いた。もう見たくなんかない――
と。
ふわりと、甘い匂いがした。思わず顔を上げると、すぐ近くに、鮫島がいた。踊りをやめて、ただ、たたずんでいる。滲んだ汗が、熱で蒸気のように漂う。甘く感じたのは彼の体臭だ。
強烈に惹きつけられて、梨太は目を剥き、彼を見た。
(――きれいだ)
白く華のある衣装に、それよりなお艶やかな白い肌。どの国の夜よりも暗く黒い髪。深く冷たい――深海色の瞳で、じっとこちらを見つめている。
(――きれいだ。……これまで出会った、世界中の誰よりも)
(僕の知る、すべての人間――その誰よりもきれい)
綺麗な――女の人だった。
梨太が頬を染めたのを見て、鮫島は微笑む。そして至近距離で、再び踊り始めた。
あえて、歌いはしなかった。激しい踊りでもなかった。それほど意味のある所作にも見えない。
ただ、楽しそうに、踊る。
ただ幸せそうに、彼女は笑って、踊っていた。
この踊りは、踊り子の人生の自己紹介だ。
これが私と言う人間。これが私の想い。
言葉を紡ぐのが苦手な軍人は、一挙手一投足の肉体言語で、己のすべてを伝えようとしてした――
「……鮫島くん」
彼の名を呼ぶ。
彼女は黙って、ただ踊る。
踊ることで、梨太に語る。
鮫島くん――
そう、おまえに呼ばれる私の本当の名前は、鮫(クーガ)。海に住む大きく穏やかな生物の名前だ。
ラトキアの王都、たくさん家族がいる家に生まれ落ちた。
父の名は白熊。母の名は燕(ツバメ)。
鯨、鴎(カモメ)、隼(ハヤブサ)という三人の姉と、双子の鰐(ワニ)を兄に持ち、末っ子として可愛がられていた。
少し引っ込み思案で大人しかったけど、明るくて、子供らしい子供だった。
歌と踊りと、絵が好きだった。
六歳から、兵隊学校の幼年部に通っていた。
戦闘力(チカラ)を見初められたのはすぐのこと。
次の年から、親兄弟のもとを離れ、寮で暮らした。
初めのうちは、仲間がいた。同じ年の子供たちで、友達もいて楽しかった。
だがそれも、一年も続かなかった。
あっという間に飛び級し、いくつも年上の組に入れられた。勉強も運動も、ついていくのにやっとだった。落第したら居場所がなくなる。永遠にココに馴染めなくなる。みんなに認められたくて、仲間になりたくて――必死になって頑張った。
笑っている余裕がなかった。
――感情がないんじゃないかと、と言われだしたのは、八歳の頃。
笑いかけても、気づいてもらえなくなったのが九歳の頃。
誰も話しかけてこなくなったのが十の年。
話しかけると、嫌な顔をされるようになったのが十二の時。
――会話、というものが、よくわからなくなってしまったのが、十五の年――
そうして二十歳になった時――
私は、お前と出会った。
遠く、あの青い星の暖かな街で。
……最初から好きだったわけじゃない。疑ったこともあるし、腹が立つことも何度もあった。それは今だってそう。理想通りのひとには程遠い、期待通りのことはしてくれない。
三百六十五日二十四時間、ずっと楽しいわけじゃない。
それでも――それを、ずっと続けていきたいと思う。そばにいてほしいと願う。
家族になりたいと思う。お前のいちばん大切な人間でいたいと願う。
――これから私が、どのように生きるか。
それは私にとって、大きな問題ではない。
どちらでもいい。私の生き方などはなんだって。
だけど、お前のいちばんになりたい。唯一でありたい。譲りたくない。もう、譲ることが出来ない。
……もしもお前の心の中に、「私」とは別の者がいて……
「そいつ」のせいで、私を抱けないというのなら。
私が、そいつを殺してやる。
たとえそれが、「俺」自身であったとしても――
美女は舞う。柔らかく色っぽく、男を誘う目はそのままに、確かな殺意を爪先に込めて。
彼女は戦っているのだ。
梨太の中の、彼という存在と。
彼女の指が、宙をくすぐる。
――どんっ。
内臓を震わす大きな音は、太鼓でも彼女の踏み込みでもない。梨太の心臓の音だった。
胸の内で、惑星最強の男が悲鳴を上げていた。
美女の眼差しに鼓動をうつたび、軍人がうたれ、壊れていく。
美女が囁く。
「リタ」
――リタ。
青年が呼ぶ。
――最初に、出会ったのは、鮫島くんという男性だった。
一最初に、綺麗だと思ったのも。好感を持ち、友達になりたいと願ったのも、鮫島くんだった。
――恋をしたのは、彼女だった。
触れたいと思った。そばにいたいと願った。大事にしたいと考えたのも、彼女だった。
――一緒にいて、たくさん笑ったのは鮫島くんだった。あのクールな鉄面皮で、妙に可愛く素直な言動が可笑しくて、一緒にいて本当に面白かった。
――キスをして、体温が上がったのは彼女だった。彼女のために成長し、背伸びをして、大人になりたいと動き出せたのは彼女のためだった。
大好きなのが鮫島くん。
愛しているのが彼女。
永遠に、旅をしていたいのが鮫島くん。
死ぬまでともに生きていたいのが彼女。
「リタ」
リタ。
鼓動が止まらない。当然だ、梨太は彼女に恋をしているのだから。
そして涙が止まらない。当然だ、鮫島くんが、いなくなってしまうのだから。
「リタ」
――リタ。
梨太は叫んだ。
「――選べないよ!!」
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