鮫島くんのおっぱい

とびらの

虎ちゃんに聞きたい


「ほ、ホントにいいんですか? こんなにたくさん」
「かまわん、かまわん。もともと客用だ」
「そんな……でも高価なものですよね?」
「これから『光の塔』までいくんだろ? あそこはそのへんの貴族連中とは別格だ、最低でもこのくらいの衣裳は着けていかんと門前払いを食らうぞ」

 困り果てる梨太に対し、鈴虫はきわめて上機嫌だった。出発の直前になって、土産を持って行けと衣裳を贈ってくれたのである。若草色の生地に焦げ茶色の帯、色味こそ地味だが、とびきりの上等品であることはすぐにわかった。

(……僕一人なら、ありがとーでもらっちゃうんだけど……)

 と、隣の鮫島を見やる。いつもの無表情だが、夫である梨太からは不機嫌なのが見て取れる。さすがに分別はついているものの、心から快い言動ができるわけではない。それでも無言で居てくれるだけ改善されたのだが。また鈴虫の機嫌を損ねる前に、梨太は自分が盾になることにした。

「それじゃあ、頂きます。本当にありがとうございます鈴虫さん」
「ああ。そうだこの毛皮のマントも持って行きなさい。そろそろ秋も暮れてきたし、山のほうは冷えるからな」

 鈴虫の好意はとどまるところをしらない。鮫島はその荷物を、いますぐ投げ捨てそうなほど嫌々担いでいた。梨太はもう考えるのをやめた。

 見送りと称し延々ついてきて、もう町の外である。車が見えたところで、鈴虫は名残惜しそうに呟いた。

「……長年の独身生活に終止符をうつ、覚悟をしたのにな……」

 なにも聞こえなかったふりをして、梨太は深々と頭を下げた。

「色々お世話になりました。また機会を作って、お伺いしますね」
「ああそうだ、リタ。最後にちょっと頼みがある」
「へ? はい、どうぞ」
「さっき渡した昼飯……ひとつ、食べてくれないか」

 奇妙な頼みである。もちろん飯時にいただくつもり――と、言いかけて、鈴虫の眼差しから、いますぐここで食えと言われているのに気がついた。
 何故とは聞かない。梨太はもう、考えないことにしている。
 ただ黙って、荷物からサンドイッチを取り出した。
 手が小さいので両手で持ち、口が小さいので三口かけて、ふくよかな頬をいっぱいに膨らませ、モグモグと咀嚼する。

 鈴虫は頭を抱えて嘆息した。

「くそっ、可愛い。……ありがとう、もう行っていいぞ」
「はい、行ってきます」

 梨太は何も考えないまま、食べものをしまった。
 そのまま立ち去ろうとしたとき、鮫島が前に出た。自身のバングルを操作し、鈴虫になにやら耳打ちする。彼らは視線を合わせて頷くと、黙ってバングルを重ねた。鈴虫はやはり、無言で操作。そして歓声を上げた。

「――うおおっ!? え、英雄、お前ってやつは!」
「……貴殿には、色々と申し訳ないとは思っている、俺の気持ち……」
「と、尊い……いやありがとう、ありがとう英雄。お前はいいやつだ。ありがとう!」
「どういたしまして」

 そして別れを告げて、歩き出す。
 全力で思考停止していた梨太は、軍用車に乗り込んでからことの真相を尋ねた。問われて鮫島は素直に答える。

「リタの写真。出会った頃の画像データを贈った」
「待って。なんで?」
「欲しそうだったから。喜んでた」
「待って。いやていうかなんでそんなのあるのかがまず不思議なんだけどなんで?」
「当時の捜査に協力者として迎え入れたさい、本局にデータを送る必要があったから」
「なんでそれが八年も経ったいま、君の私用バングルに入ってるの」
「帰還後に移した。それからずっと持ち歩いてる」
「だからなんでだよ!」
「雌体化に優位性を傾けるため」

 喚く梨太に、鮫島は真顔で普通に言った。

「俺は雄体優位だったからな。女の身体になるためには、恋人がそばにいるかのように感じ続ける必要があるんだ」
「……。そ、それは……五年前、の……会いに来てくれたときの話?」
「そう」

 気の抜けた声に、鮫島は簡単に頷くと、運転に集中した。
 後部シートでは虎が寝ている。寝ている虎はもちろん、運転中の鮫島はいつもよりいっそう無口で、ラジオもBGMもない車内は静まり返っていた。

「気持ちのいい人物だったな、あの御仁は。あれほど好感の持てる貴族は珍しい」

 唐突に鮫島が言った。独り言のようなセリフを梨太は否定も肯定もしなかった。 
 何も考えていなかった間、しっかり休息をした脳みそが急速に思考疾走をはじめる。そこでふと思いついた。

「鮫島くん、もしかして、もしかするとだけども。……鈴虫さんにアタリが強かったのって、嫉妬だったりしますか」
「そういうわけじゃないけど」

 鮫島は答えた。

「彼の言うことは、至極まっとうだと思ったから。だから早くあそこを出たかった。嫌いではない。だが二度と会いたくない」
「ん? なにそれ何の話」
「彼は再三、言っただろう。俺がリタにふさわしくないと。……俺もそう思うから」

 何もない平原、果てしなく続く大自然を、エンジン音だけ響かせて車が走る。フロントガラスの向こう、遠くへ視線をやったまま、梨太はたっぷり五分間絶句していた。
 微動だにしないまま、呟く。

「何言ってんの?」

 鮫島は答えなかった。前を向いたまま、ただ口元に苦笑いのようなものを浮かべていた。


 日が暮れるまでひたすら走り、夜になるまでさらに走る。
 そしてキャンプを張り、食事をこしらえて摂る。

 鮫島がテントを作っている間、梨太と虎は、ともに焚き火を起こしていた。
 昼間の顛末を話ながら。

「――ってなわけでさ。ただ推薦状一枚もらうつもりだったのに、色々とひどい目にあってたんだよ」
「あはは、そりゃ有意義なイベントでよかったじゃねーか」

 小枝を折りながら、虎は笑う。梨太は小声になった。

「……鮫島くん、なんだかラシクなかった。ああいう自虐みたいなこと言うひとと思わなかった……」 
「そりゃーしょうがねえよ。性別が変動する時期はどうしたって不安定になるんだから」

 梨太の愚痴を、虎は思いのほか簡単に流す。

「俺はリタと同じ、百パーセント男だからよくわかんねえけどな。なんかこの時期は、男を見れば自分よりたくましく、女を見れば自分より可愛く見えて、異常に不安になるんだと」
「……そうなんだ。……そうなのかなあ」
「そうなんじゃね? 鹿が、自分でそう言ってたんだから」

 さらりと、虎はその名を口にした。梨太のほうがギクリとして、心地が悪くなる。
 虎の口調は、穏やかだった。

「自覚があるならちったぁ八つ当たりもセーブしろって話だけどな。大変だったんだぜ? さっきすれ違った女の子のこと見てたでしょ、どうせ私は今は男ですよ、見目麗しくなくってごめんくださいねぇつって、一人でスネて落ち込んでるんだ。もうウルセエったらよぉ」
「……そ、そんなだったんだ。鹿さんって……」
「なにかっちゅうとぴぃぴぃ泣くし、ホントめんどくせえ女だったぜ。……でも、だんちょーだって内心はどうだかな。ホルモンバランスうんぬんってどうしようもないもんもあるらしいし、大事にしてやれや」

 だから俺と雑談してないで、なるべく妻のそばにいてやれと、虎は梨太の背中をどやした。
 どのみち夜の番に付き合い続けるつもりはない。
 テントを組み立て終えた鮫島に呼ばれ、梨太は立ち上がった。虎にオヤスミと告げ、鮫島の隣、梨太用の寝袋に入る。
だが、すぐに身を起こした。
 王都を出てからずっと疑問に思い続け、聞き損ね続けてきた。今夜どうしても確かめたくて仕方がない。
 テントを飛び出すと、数分前と変わらぬ位置に虎がいる。
 梨太は声を上げた。

「ねえ虎ちゃん! 鹿さんの実家って――彼女はいま、どこにいるの!?」

 虎は振り返った。その表情に、特に大きな感情はない。右半分だけの眼をぱちくりさせて、小首をかしげる。
 今更、知らなかったのかというふうに。

「『光の塔』だよ」

 ――やっぱり。
 梨太は眉を垂らす。これから梨太たちの行く先、そして虎が入ることの許されていない地。それを知ったなら、今度こそ、確かめなくてはいけないことがある。
 五年前から、ずっと聞きたかった。
 それを、ようやく梨太は口にした。

「鹿さんと、復縁したいって、思ってる?」

 虎の眉が小さく跳ねた。

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