鮫島くんのおっぱい

とびらの

鮫島くんの責任

 目を見開き、硬直した梨太。その様子に鯨は鼻を鳴らして高笑いする。

「どこにいるかだけ聞いたら、ほかのことは答えなくていいと言ったな? ほほほ。さっそく後悔したようだな。前言撤回するか? 手をついて謝るまで教えてやらないぞ」

 梨太は即座に地面にはいつくばり、額を床にぶつけた。

「前言撤回、どうもすみませんでしたっ! ――で、どういうことだよ!」

「ううむ、そんなに気持ちよく言うことを聞かれると、こちらとしてはむしろやりにくいのだけど」

「なんだよさっきから、思わせぶりなことばかりして! 何か用事があって来たんでしょ、鮫島くんに関係することなんじゃないの。僕の様子見なんかいくらしたって変わらないよ。さっさと本題を言え!」

 とうとう梨太は怒鳴りつけた。鯨は、それで機嫌を損ねた様子もない。優雅な仕草で着席すると、まだ少し残っていたらしい、ラーメンのスープを啜りながら。

「……やはり、通信先は、君だったか」

「なに?」

「わたしはそれを確かめにきたのだよ。確かに、そのくじらくんを鳴らしたのは我が弟だ。そして、その咎を受けている。まあ当たり前だな。星帝の宮殿にある惑星間通信室に不法侵入、異星人との私的交信をしていたのだ。徹頭徹尾、違法行為。本来ならば重刑だぞ。拘留で済んでいるのは、業務上ならいくらでもそこに出入りができる、騎士団長であったからだ」

 こともなげに述べられた内容は、すべて梨太の心臓を強く揺さぶるものだった。
 とりあえず、鮫島の状況はわかった。彼はやはりラトキア星にいて、拘留を受けてはいるものの、命に別状はない。
 だが、そこにいたる展開は梨太の理解を越えていた。

「……罪を犯してまで……僕に、私的な通信を?」

 鯨はフムと唸って足を組んだ。しなやか、かつ肉感的な腿を重ねて、頬杖をついてのぞき込んでくる。

「そういうことだな。捕えたのはわたし自身だが、正直言ってこれが困っている。奴が、通信の内容を一切話そうとしないのだ。わたしらだって、本気で騎士団長がスパイだのテロ誘発者だのと思っているわけではない。なんなら『もちろん仕事だ、使用申請書を出すのをうっかり忘れていた』と言い訳がもらえればそれでいい。だが『誰ともつながってない、なにひとつ話していない』の一点張りではどうにもならん。こうなっては、通信の内容を聞き出すまで解放するわけにはいかないんだ」

 梨太はきょとん、とした。素っ頓狂な声を漏らす。

「えっ? それほんとだよ。僕は鮫島くんと、何も話せなかった」

「嘘をつくな」

 ぴしゃりと鯨。

「なんだって二人して、そんな嘘を……通信履歴はバッチリ残ってるんだぞ。何時何分、どの通信機器につなぎ、何秒間維持した、と。君らは確かにあのとき、数秒間の通信を行ったはずだ。
 あー、もう、別にもう、それを責めているんじゃないんだよ。内容もだいたい想像がついてる。どうせ会いたいとか辛いとか、そういう睦言を」

「ちょっと待って!」

 梨太は大声と共に挙手をした。

「鮫島くん、なにか辛い状況なんですか!?」

「ほうあっ」

 鯨がのけぞって奇声を上げた。梨太は逃がさない。

「なんだよそれ、そっちのほうが重要じゃないですか! 投獄される前、彼はどんな状態だったんだよ。鮫島くんは、どうして僕に連絡なんてしたんだ!」

「……な、なんだ? おまえたち、本当になにもしゃべっていないのか」

「しゃべってない! 声も聞けていないよ!」

「あ、そ、そうなのか……うんわかった。そりゃごめんなさいね、じゃあわたしはこれで」

「ちゃんと教えてくださいよっ!」

 梨太は彼女の肩を揺さぶりながら懇願する。
 鯨は何かしら返答をしようとしたものの、梨太に激しく揺さぶられ、話すことができなかった。梨太はしばらく意味なく彼女を振り回して、不意に手を離した。ひっくり返る鯨。そちらに見向きもせず呟く。

「……待てよ。騎士団長? さっき、鮫島くんのこと騎士団長って言ったよね」

 あいたたた、と呟きながら身を起こし、鯨へ、再び向き直る。

「どうして? ……彼は……将軍になるって言ってた。女の身で、騎士団長は続けていられないと。……アレは……あのあと、彼は雄体に戻ったの?」

「……いや……。……地球を出てから、五年間。奴はずっと、雌体だった。しかしその戦闘力は、まだまだ十分だったからな」

 梨太は思い切り眉を寄せた。

「女の子を、戦場に出し続けたのか。あんたたちは」

 鯨の眼差しが、肯定する。梨太は大きく嘆息した。不機嫌を隠しもせずに女を見下ろして。

「もう、なんなんだよ。どうして鮫島くんにばっかり押しつけるんだ。どいつもこいつも。あの人をなんだと思ってるのか……」

 頭を抱えてうめく青年に、女は笑みを崩しはしなかった。長い足を組み替えて、言う。

「――昔々、あるところに、この地球と同じ大きさの、よく似た惑星がありました」

「……うん?」

 梨太が顔を上げる。構わずに、鯨は続けた。


「とても豊かな自然に囲まれて、その星の住人はみな、平和に、おろかに暮らしておりました。
 だけどある日のことです。
ある民族の王国に、遠い宇宙からの侵略者が降りたちました。
 ……彼らはその民族を虐げて、凌辱し、土地を支配しました。ちょうど遠方へ狩りに出ていたとある集団だけが、その災を逃れておりました。
我らはあっという間に砦を築き、王国の民を、侵略者たちの奴隷にして弄びました――」


「……それが、ラトキア人?」

 鯨は無言でほほ笑む。
 おとぎ話を語る、優しい母の声音のままで。


「『たまたま逃れたある一族』は、百年間もの間、同胞が虐げられているのをよしとし逃げておりました。そして遠い地で、ひそかに子孫を作り繁栄しました。……百年後、子孫のうちから三人の英雄が立ち上がり、一族を率い、解放戦争を起こしました。そうしてようやっと、ラトキア王都を取り返したけれど――王都の民たちの傷が癒えたわけではなかったのです」


 そこで、鯨は表情を変えた。穏やかな母親の顔から、政治家の顔つきになる。

「その、逃げた一族こそ我ら『黒髪』の祖先。我らはその責任を取らなくてはいけない。青と赤の彼らではダメなんだ。青が支配すれば赤を虐げるだろうし、赤が支配してもまだ誰も従わない。今はまだ、そのどちらもがふさわしくないのだ。だから我らが――」

 黒髪を細い指先が摘む。

「この、『ケガレなき黒』と呼ばれる、我らラトキアの原種が、星帝にならねばならないんだ。ラトキアの選民差別問題を解決し、すべての人が、等しくヒトとなるために。
 ……奴も、そこはちゃんと理解している。あれが十二の若さで騎士となったのは、アルタカが生まれる前――星帝候補となる第一条件、貴族の称号を得るためだった」

 梨太は目を見開き、鯨を凝視した。数秒間、それを理解することが出来なかった。数秒後に理解して、低い声で確認する。

「……鮫島くんは、ラトキアの星帝になるの?」

「そうだ。あれも了承した」

 鯨の瞳は揺れない。

「亀の病が発覚するまでは、一度白紙になった話だがな。
 ……あいつの人生を振り回して、申し訳なかったと思っているよ」

 そこまで言って、鯨はふと、目を細めた。

「星帝は、宮殿から出られない。君への通信はきっと、お別れのせりふだったのでしょうね。二度と会えなくなったけど、どうかお元気で――と」

「ばかな」

 梨太は一笑に付する。

「そんなこと、それこそ正式に星帝になってから、堂々と通信機を使って言えばいい。逮捕される危険をおかしてまですることじゃないよ。騎士に伝言を頼んだっていいじゃないか」

「……君は、女の心がわかっていない」

「わかるか! 僕は男だ!」

 梨太は怒鳴った。なにもかも、理解することが出来なかった。鯨の言うことはなにもかも腑に落ちない。

 あの鮫島が星帝? 政治家の王様だと。
 長の立場でありながら二百人の騎士に命令することが出来ず、自ら前線に立つことを選んだようなひとが、国民の生活すべてを背負えるというのか。
 彼の人生を振り回した? まったくだ。彼なりに騎士団に馴染み、実力で団長にまでなった。不器用ながら信頼関係を積み上げて、少しずつ、彼の人となりそのものを慕う騎士を増やしていた。
 それをすべて台無しにしようとしている。彼の努力を、これまでに築き上げてきたものを――梨太との暮らしを拒絶してまで、護ろうとしたものを――なにもかも無かったことにしようと。

 ――そういっているのだ、この女は。

 誰よりも長く、弟のそばにいた実姉なのに。
 梨太は鯨を睨みつけ、拳を握った。女を殴りたいと思ったのは初めてだった。

「……なんで鮫島くんなんだよ。『黒髪』は、鮫島くんだけじゃないでしょう」

「そうね。全国民で二十人くらいか。老人と赤ん坊を含めて」

「あなたがやればいいじゃないか。どう考えても鯨さんのほうが向いてる。実際今までも、代行でやってきたんでしょ? それとも鯨さん、あなたまで余命数ヶ月だったりするわけ?」

「いいや。ただ単に、女は星帝になれないというだけだ」

 端的すぎる返答に、梨太が息をのむ。

「……鮫島くんは……じゃあ……」

「君に通信をしようとした、あの時はまだ、雌体だった。 ……そうであるうちに、君と会話がしたかったのだろう。女の声でしか言えないこともある。
 女の姿である限り、あれは女になっている。ラトキア人とはそう言う風に出来ている」

「鮫島くんは、僕に何も言わなかった」

 低い声で吐き出す。

「鮫島くんは、僕に何も言わなかった」

 そう繰り返す梨太に、鯨は嘆息した。相変わらず弟の不器用さにあきれたのだろか、不思議と優しげな笑みまで浮かべる。

「……今度は手紙でも書くよう、伝えておくよ。時間はかかるが、かならず騎士から君に渡す。もしリタ君のほうから何かあれば、わたしがあちらへ――」

「いや、結構です」

 彼女の言葉を遮って、梨太はきっぱりと言い切った。


「会いに行くから」


 それだけ言い捨てて、梨太はラトキアの女に背を向けた。

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