鮫島くんのおっぱい
ラトキア星にて②
ことん。
千鳥格子のボード上に、漆黒の駒が置かれた。
「……それは?」
「ラトキア騎士団長、鮫」
聞かれて、鯨は短く答えた。男がふきだす。
「なんだそれ。どういう動きをするんだい」
「一騎当千。ボード内のマスのどこにでも配置でき、ターンに関わらず好きなときに動かせる。仮に相手が『軍隊』で攻めてきたとしても、必ず返り討ちにできる」
男は天を仰いで笑った。
「そりゃでたらめだ。強すぎるよ」
「歴史上の武人ではなく、現代の軍人で駒をつくろうと言ったのはあなたでしょ」
「だからってコレは反則だ。ゲームにならんじゃないか」
「そう、ゲームにならない。無駄なことをさせないでほしいわ」
いいながら、鯨は『騎士団長』の駒をひょいと動かし、『獣人』を囲んだ『盗賊団』をハネ散らかした。
「わたしの勝ちよ。悪いけど、この駒がある限りわたしが負けることはないでしょう」
「そうだろうな。使いすぎてぼろぼろになり壊れるその日までは」
「……ゲームの話?」
「ゲームの話さ」
男は駒を片づけながら、薄ら笑いで話を続ける。
「一所懸命に徹すれば、まあ長生きできるだろう。だが便利に使いすぎるのはよくないね。駒は、個性に合わせた役割分担があってこそ生きる。なんでもさせようとしたらゲームが死ぬ」
「……。では、戦士にだけ専念させろと?」
「そうだねえ。あるいはすべてを捨てて、娼婦に落とすのも面白いかもね」
男の言葉は、悪趣味な冗談のようであり、しかし声音だけは真剣だった。水色の瞳を細めて囁く。
「この数年でびっくりするほど綺麗になった。あれだけ美しい戦兵というのは、ちょっとした歴史ものだよ」
「……それこそ、あれの強さでもある」
鯨は騎士団長の駒をもてあそぶ。
黒塗りの細長い駒。なめらかな曲線をもち、光を反射して艶を放つ。美しい駒であった。
「戦士が美しい、ということは、綺麗なバラが棘を持つのとはまったく違う。バラの棘など、どれだけ鋭かろうと毟ってしまえばそれで終わりだ。しかし強兵の美貌は人を惑わし、掴もうとした指を切り落とす。――美しいこともまた武器になる」
ははは、と、男は声を上げて笑った。
「うん、なかなかうまいことを言う。確かに。あれは棘つきの花ではなく、花のように綺麗な剣だね」
「……雌体化し、その戦力は落ちるだろうとわたしは思っていた。だがふたを開けてみれば、功績は男であったときと変わらん。それ以上だ。アホどもがホイホイと寄ってきて、そのすべてを返り討ち。結果、最短時間で費用節減、自軍の被害は最小だ」
「先週の、バルフレア村奪還戦ではほとんど一人で片づけたって? 新聞を見て、腹を抱えて笑ったよ」
鯨は頷く。
「乱戦になれば村が破壊されてしまう。だがその補償金も極小で済んだ。大勝利だよ。あの鮫がいる限りワルイコトは出来ないなぁなんて噂も立って、王都の治安も安泰だ」
「それは彼だけの功績じゃないと思うけどね。謙遜をするなよ鯨将軍。君の政治はなかなかのもんだ」
真正面から褒められて、鯨は目を丸くした。男にそう言われたのは心底意外であるように。口元をほころばせ、自嘲気味に笑った。
「……そうね。わたし、がんばったもの」
今度は男が眉を寄せた。
「だったらそのまま頑張り続けたまえ。……言っとくけど、貴様以上に、あの子は政治家に向いていないよ。人殺しが向いているとは言わないけど、それでも」
鯨は首を振った。
「確かに、あの戦闘力は惜しい。しかしそれ以上に、わたしはあの子が必要なんだ。……あの子以外に、この星を救えるものはいない。もう、誰も」
「そう? 別に、ただ帝国を維持するだけならば枢機院の適当な貴族を据えてもどうにでもなるだろう? あるいはいっそ、現人神の天皇家に政権を戻してみるかい」
「……冗談じゃない。それでは、ここまでやってきたことが水の泡だ」
「泡にしてしまえばいい。多くを望みすぎなんだ貴様は」
鯨は押し黙り、目を閉じる。しばし、静寂が訪れる。
「おまえになにがわかる……この政治は、夫のもの……星帝ハルフィンの遺志を継ぎ、このラトキアに実現する。それが、星帝皇后の最後の仕事なのよ」
吐き捨てるように告げられて、男は肩をすくめた。
「別に批判はしていない。ただ、あの子の人生は壊れるよ。わかっているね?」
「…………わかっている」
「なら私から言うことは何もない。さあ、約束だ。ゲームの賞品をどうぞ受け取りなさい」
そういって、男はポイと簡単にガラス瓶を放り投げた。あわてて掬う鯨。
手のひらに収まるそれをじっと見下ろして、自身の鞄にしまった。
「――礼を言うぞ、烏。終身刑では、刑期を短縮することもできないが、待遇向上は掛け合ってやる。何か食べたいものでもあるか?」
「クゥ。あの子の体液を床が濡れるほどたっぷりと。本人を連れてきてくれたらこちらで支度するぞ」
「変態め。今後はメッセージだけで話をすることにしよう。不快だ」
「ふむ、それはそうと、もう一局やらないか?」
「……よほど暇なのか?」
「まあ暇だけど。それより、次は私も禁じ手を使っちゃおうかなと思って」
烏は、にやりと笑った。薄い胸元からひとつ駒を持ち出し、テーブル上にことんと置く。
「今度は負けないよ。私が作った最強の駒さ」
言われて、許可を取り鯨はその駒を持ち上げた。壊れた家具の断片でも削りだしたのだろうか、素朴な細工に艶やかな栗色の、小さくて丸い木駒だ。
「? これは、だれ?」
「クリバヤシ・リタ」
鯨は視線をあげた。
「……能力は?」
「盤上にいる『騎士団長』を取り込み、奪うことができる」
鯨は高く笑った。
「それこそでたらめだわ。あの少年は、おっと、いまはもうとっくに成人しているか――育てようによっては、優れた『軍師』や『科学者』になりえるだろうけど、それでも聡いだけのふつうの男だ」
「そうかな? ならば先ほど渡した『薬』は要らないね。返してくれるかね」
「…………。ふん。いいだろう、このゲームはわたしの負けだ。しかし、リタ君はおまえの駒などではないからな」
「それを言うならば、クゥだって貴様の駒ではない」
「自分のものだ、なんて言うつもり?」
「いいや。クゥの人生はクゥのものさ、もちろん」
そういうと、烏は栗色の駒をぽいと投げてよこした。
「では、このゲームの賞品をもらおうかな。私の言うことをひとつ聞きなさい」
「心の底から嫌だけど。何?」
「この駒を受け取りなさい。それだけ」
「……わたしに、なにをさせたいの」
「貴様次第さ。私以外とゲームをするならば、実際に使って考えてみるといいよ。
……鯨よ。このボードゲームがもともと、戦や政治のシミュレーションロールプレイングとして作られたのを忘れないように」
鯨は牢獄を立ち去った。
自室に戻り、手荷物をベッドの上へばらまき散らす。
服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びて、水浸しの体のままベッドに倒れ込み、
「――はあ……もう、いや」
鯨はそう、呟いた。
あの男が苦手だった。
面会するたび、心身を啜られたような感覚がある。一番痛いところを的確に貫きながら、一番欲しいものを注がれる。あの濡れたように冷たい瞳が苦手だ。
(能力のことを考えれば、あいつこそ将軍になればいいのに。わたしなんかよりずっと上手く、このラトキアをいい国にしてくれるはず)
ただし、あの性格でなければと注釈がつくのだが。
烏――かつてラトキアの大脳と呼ばれた天才科学者。間違いなく、その力は強い。発電機、医療機器、養殖施設、宇宙船、兵器――。鮫騎士団長が一騎当千の戦士ならば、あの男は一騎当億。まぎれもなく、ラトキア軍事力増強の第一功労者である。
(軍の科学班の現場では、いまだ烏を信奉する者も多い。烏がいれば完成しただろうに、と嘆き、そこで手を止めている)
(……後継者として期待した鹿があんなことになって、その後釜はちっとも現れないし! もうっ! どいつもこいつも自分勝手で無責任! 全部わたしに回ってくるのよバカバカバカ!)
うーうー呻いて転がりながら、鯨は白い拳を枕にたたき込んだ。
「――しんどいよぅ。ハルフィン。助けてよぉ……」
揺れたマットのたわみに、散らかしていた荷物がバラバラと床へ落下する。
鯨は手だけを伸ばし、落ちたものを回収した。漆黒の駒を、ナイトテーブルへ。もうひとつ栗色の駒を拾って、その隣へ――
一度そこへ置いたものを、取りのける。しばらくその丸みのある小さな駒を見つめて、鯨はそれを、裸の胸の膨らみに埋めた。
千鳥格子のボード上に、漆黒の駒が置かれた。
「……それは?」
「ラトキア騎士団長、鮫」
聞かれて、鯨は短く答えた。男がふきだす。
「なんだそれ。どういう動きをするんだい」
「一騎当千。ボード内のマスのどこにでも配置でき、ターンに関わらず好きなときに動かせる。仮に相手が『軍隊』で攻めてきたとしても、必ず返り討ちにできる」
男は天を仰いで笑った。
「そりゃでたらめだ。強すぎるよ」
「歴史上の武人ではなく、現代の軍人で駒をつくろうと言ったのはあなたでしょ」
「だからってコレは反則だ。ゲームにならんじゃないか」
「そう、ゲームにならない。無駄なことをさせないでほしいわ」
いいながら、鯨は『騎士団長』の駒をひょいと動かし、『獣人』を囲んだ『盗賊団』をハネ散らかした。
「わたしの勝ちよ。悪いけど、この駒がある限りわたしが負けることはないでしょう」
「そうだろうな。使いすぎてぼろぼろになり壊れるその日までは」
「……ゲームの話?」
「ゲームの話さ」
男は駒を片づけながら、薄ら笑いで話を続ける。
「一所懸命に徹すれば、まあ長生きできるだろう。だが便利に使いすぎるのはよくないね。駒は、個性に合わせた役割分担があってこそ生きる。なんでもさせようとしたらゲームが死ぬ」
「……。では、戦士にだけ専念させろと?」
「そうだねえ。あるいはすべてを捨てて、娼婦に落とすのも面白いかもね」
男の言葉は、悪趣味な冗談のようであり、しかし声音だけは真剣だった。水色の瞳を細めて囁く。
「この数年でびっくりするほど綺麗になった。あれだけ美しい戦兵というのは、ちょっとした歴史ものだよ」
「……それこそ、あれの強さでもある」
鯨は騎士団長の駒をもてあそぶ。
黒塗りの細長い駒。なめらかな曲線をもち、光を反射して艶を放つ。美しい駒であった。
「戦士が美しい、ということは、綺麗なバラが棘を持つのとはまったく違う。バラの棘など、どれだけ鋭かろうと毟ってしまえばそれで終わりだ。しかし強兵の美貌は人を惑わし、掴もうとした指を切り落とす。――美しいこともまた武器になる」
ははは、と、男は声を上げて笑った。
「うん、なかなかうまいことを言う。確かに。あれは棘つきの花ではなく、花のように綺麗な剣だね」
「……雌体化し、その戦力は落ちるだろうとわたしは思っていた。だがふたを開けてみれば、功績は男であったときと変わらん。それ以上だ。アホどもがホイホイと寄ってきて、そのすべてを返り討ち。結果、最短時間で費用節減、自軍の被害は最小だ」
「先週の、バルフレア村奪還戦ではほとんど一人で片づけたって? 新聞を見て、腹を抱えて笑ったよ」
鯨は頷く。
「乱戦になれば村が破壊されてしまう。だがその補償金も極小で済んだ。大勝利だよ。あの鮫がいる限りワルイコトは出来ないなぁなんて噂も立って、王都の治安も安泰だ」
「それは彼だけの功績じゃないと思うけどね。謙遜をするなよ鯨将軍。君の政治はなかなかのもんだ」
真正面から褒められて、鯨は目を丸くした。男にそう言われたのは心底意外であるように。口元をほころばせ、自嘲気味に笑った。
「……そうね。わたし、がんばったもの」
今度は男が眉を寄せた。
「だったらそのまま頑張り続けたまえ。……言っとくけど、貴様以上に、あの子は政治家に向いていないよ。人殺しが向いているとは言わないけど、それでも」
鯨は首を振った。
「確かに、あの戦闘力は惜しい。しかしそれ以上に、わたしはあの子が必要なんだ。……あの子以外に、この星を救えるものはいない。もう、誰も」
「そう? 別に、ただ帝国を維持するだけならば枢機院の適当な貴族を据えてもどうにでもなるだろう? あるいはいっそ、現人神の天皇家に政権を戻してみるかい」
「……冗談じゃない。それでは、ここまでやってきたことが水の泡だ」
「泡にしてしまえばいい。多くを望みすぎなんだ貴様は」
鯨は押し黙り、目を閉じる。しばし、静寂が訪れる。
「おまえになにがわかる……この政治は、夫のもの……星帝ハルフィンの遺志を継ぎ、このラトキアに実現する。それが、星帝皇后の最後の仕事なのよ」
吐き捨てるように告げられて、男は肩をすくめた。
「別に批判はしていない。ただ、あの子の人生は壊れるよ。わかっているね?」
「…………わかっている」
「なら私から言うことは何もない。さあ、約束だ。ゲームの賞品をどうぞ受け取りなさい」
そういって、男はポイと簡単にガラス瓶を放り投げた。あわてて掬う鯨。
手のひらに収まるそれをじっと見下ろして、自身の鞄にしまった。
「――礼を言うぞ、烏。終身刑では、刑期を短縮することもできないが、待遇向上は掛け合ってやる。何か食べたいものでもあるか?」
「クゥ。あの子の体液を床が濡れるほどたっぷりと。本人を連れてきてくれたらこちらで支度するぞ」
「変態め。今後はメッセージだけで話をすることにしよう。不快だ」
「ふむ、それはそうと、もう一局やらないか?」
「……よほど暇なのか?」
「まあ暇だけど。それより、次は私も禁じ手を使っちゃおうかなと思って」
烏は、にやりと笑った。薄い胸元からひとつ駒を持ち出し、テーブル上にことんと置く。
「今度は負けないよ。私が作った最強の駒さ」
言われて、許可を取り鯨はその駒を持ち上げた。壊れた家具の断片でも削りだしたのだろうか、素朴な細工に艶やかな栗色の、小さくて丸い木駒だ。
「? これは、だれ?」
「クリバヤシ・リタ」
鯨は視線をあげた。
「……能力は?」
「盤上にいる『騎士団長』を取り込み、奪うことができる」
鯨は高く笑った。
「それこそでたらめだわ。あの少年は、おっと、いまはもうとっくに成人しているか――育てようによっては、優れた『軍師』や『科学者』になりえるだろうけど、それでも聡いだけのふつうの男だ」
「そうかな? ならば先ほど渡した『薬』は要らないね。返してくれるかね」
「…………。ふん。いいだろう、このゲームはわたしの負けだ。しかし、リタ君はおまえの駒などではないからな」
「それを言うならば、クゥだって貴様の駒ではない」
「自分のものだ、なんて言うつもり?」
「いいや。クゥの人生はクゥのものさ、もちろん」
そういうと、烏は栗色の駒をぽいと投げてよこした。
「では、このゲームの賞品をもらおうかな。私の言うことをひとつ聞きなさい」
「心の底から嫌だけど。何?」
「この駒を受け取りなさい。それだけ」
「……わたしに、なにをさせたいの」
「貴様次第さ。私以外とゲームをするならば、実際に使って考えてみるといいよ。
……鯨よ。このボードゲームがもともと、戦や政治のシミュレーションロールプレイングとして作られたのを忘れないように」
鯨は牢獄を立ち去った。
自室に戻り、手荷物をベッドの上へばらまき散らす。
服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びて、水浸しの体のままベッドに倒れ込み、
「――はあ……もう、いや」
鯨はそう、呟いた。
あの男が苦手だった。
面会するたび、心身を啜られたような感覚がある。一番痛いところを的確に貫きながら、一番欲しいものを注がれる。あの濡れたように冷たい瞳が苦手だ。
(能力のことを考えれば、あいつこそ将軍になればいいのに。わたしなんかよりずっと上手く、このラトキアをいい国にしてくれるはず)
ただし、あの性格でなければと注釈がつくのだが。
烏――かつてラトキアの大脳と呼ばれた天才科学者。間違いなく、その力は強い。発電機、医療機器、養殖施設、宇宙船、兵器――。鮫騎士団長が一騎当千の戦士ならば、あの男は一騎当億。まぎれもなく、ラトキア軍事力増強の第一功労者である。
(軍の科学班の現場では、いまだ烏を信奉する者も多い。烏がいれば完成しただろうに、と嘆き、そこで手を止めている)
(……後継者として期待した鹿があんなことになって、その後釜はちっとも現れないし! もうっ! どいつもこいつも自分勝手で無責任! 全部わたしに回ってくるのよバカバカバカ!)
うーうー呻いて転がりながら、鯨は白い拳を枕にたたき込んだ。
「――しんどいよぅ。ハルフィン。助けてよぉ……」
揺れたマットのたわみに、散らかしていた荷物がバラバラと床へ落下する。
鯨は手だけを伸ばし、落ちたものを回収した。漆黒の駒を、ナイトテーブルへ。もうひとつ栗色の駒を拾って、その隣へ――
一度そこへ置いたものを、取りのける。しばらくその丸みのある小さな駒を見つめて、鯨はそれを、裸の胸の膨らみに埋めた。
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