鮫島くんのおっぱい

とびらの

最後のお願い

 こつこつ、ノックの音。

「はぁい」

 梨太が返事をすると、音もなくドアが開かれる。梨太はベッドに寝転がったまま、見舞い客が鮫島であることを理解した。

 ラトキア軍が手配をした、オーリオウル経営の病院である。世話になるのは二度目だが、その医療技術は地球よりもはるかに高く、かつ、看護はこれ以上なく手厚い。
 無駄に巨大なベッドの上で、左手にわけのわからないチューブを山ほど通されている。仰向けのまま、梨太はこれ以上ない仏頂面で、鮫島を迎えた。
 姿の見えない位置から、予想通りの声が掛けられる。

「調子はどうだ、リタ」

「最悪」

 即答する彼に、鮫島は小さく笑い声を漏らした。

「またこの顛末かってかんじ」

 事件から二日。

 肋骨はきれいな折れ方をしており、傷も浅く、大事には至らなかった。包帯で固定すれば日常生活も送れる程度で、それでも入院までさせられたのはほとんどただの療養である。

 テレビもない病室で退屈を持て余す。怪我の治りを早めるという点滴も、効果が実感しづらくひたすらに煩わしい。
 そばで鮫島が囁く。

「自業自得だ。俺はあれだけ言ったのに戦場に首を突っ込んで……無茶をするから」

「……悪かったよ。結果、騎士団のみんなにも迷惑かけた。虎ちゃんも大けがしたし」

「あれはいいんだ」

「いいんだ?」

 梨太は吹き出した。チューブに触れないよう、腹筋を駆使してなんとか起き上がる。顔を巡らせると、ベッドのそばに佇む鮫島の姿を見ることが出来た。

 そして、歓声を上げた。

 彼はまた、地球の女性服を着ていたのだ。水色がかった明るいグレーのワンピース。長袖にマキシ丈ロングスカートだが、生地が薄くて涼しげだ。地味と言えば地味だが、高級感のある素材がボディラインの曲線を映し出し、嬉しくなるほどよく似合う。
 裾まで続くボタンの列は上三つが開かれて、白い鎖骨の上に、サメの歯のペンダントが揺れている。

「可愛い。いいね、それ」

 率直な褒め言葉に、鮫島も微笑む。

「着心地が、ラトキアの布にとても近い。地球には、いろんなものがあるな」

「言葉さえ覚えれば不便はないよ。いつでもラトキア人が移住できる」

 さらりと言ってみる。鮫島は目をそむけた。
 手に持った紙袋を持ち上げ、顔を隠す。

「これ、さっき、下で。リタのともだちに会った」

「ああ、ネバギバくんか。オモチャを頼んだんだ。この病院、ほんとなんにもなくて退屈だから。ケータイゲームってあまり好きじゃないし」

 礼を言ったが、受け取れる体勢ではない。鮫島は紙袋を床に置き、少しだけ、息を吐く。

 不自然な沈黙。
 そして、彼は唐突にまじめな話を始めた。

「リタ。犬居のことだが。ラトキア政府、市井しせいの保健記録を出してもらった」

「相変わらず雑談が苦手だねえ」

 軽口で相槌をうつ。

「鯨から、結果を聞いた。……リタの言うとおりだった。犬居は、ある事情からうちで保護をし、騎士見習い生として訓練を始めた十四歳当時、雌体優位の雌雄同体だった。しかしそれ以降すぐに雄体優位になり、現在まで一度も、一日も雌体化していない。これはラトキア星人の生態からして明らかに異常だ。生殖機能障害とでもいうのか――プライベートなことだから、家族にも明かされていない。地球人の、犬居と親しくもなかったお前がどうしてわかったのかを聞きたい」

「いやあ。もともと女性――雌体優位なんじゃないかなっていうのは、三年前からなんとなく思ってたんだよ」

「……なぜ?」

「うーん。オトコのカン? 言動がいちいち女性的というか。なんだろう……下ネタに対しての反応が、まじめな男というよりは、男嫌いをこじらせた女子ってかんじで。まあそのときは、雌雄同体のラトキア人ってそういうものかなと適当に考えてたんだけどね。
 でも、ふと思ったんだ。
 ラトキア星人の雌雄の優位性が交代する、その一番の要因が異性への恋。ざっくりした言い方すれば、男に恋をすれば雌体化する。だったら、逆もまたしかりなんじゃないかと」

「……犬居は、女性に恋を?」

「いや、真逆。断固として男になんか惚れたくない、触られたくない――そう強く願い続けたら、女性じゃなくなってしまうんじゃないかって」

 鮫島は息をのんだ。なにかしら思い当るのかもしれない。

 ラトキア人の文化として、その理論は存在しなかったのだろう。しかし事例がなかったわけではないはずだと、梨太は確信を込めて話す。

「普通は、ヒトは異性を愛する――でも、異性だからこそ大嫌いっていうひとはそんなに珍しくはないよ。じゃあ彼らは同性愛者かって言うとそうでもなくてね。うーん、思うまま性別を変えられるっていうラトキアでは、理解されにくいのかな」

 鮫島がつぶやく。

「俺が雌体化して、リタに会いに行くといったとき、何日も口をきいてくれなかった。聞いた話、鯨に直訴までしたらしい。犬居は……俺のことを、心配していたのだな」

 梨太は眉を寄せた。しばらく思案して、言葉を選ぶ。ずいぶん迷ったがやはり伝えることにした。

「それはもちろんだろうけど。それだけじゃなくて――もっと単純に、あのひとは、鮫島くんのことが好きだったんだと思う」

「……それはない。犬居は俺が雌体化することを酷く嫌っていた。女のようになった俺の体は、みっともないと」

「ちゃうちゃう、雄体のほうにだよ。彼は、女性として、男性の鮫島くんのことが好きだったんだ」

「……。でも、さっき」

「そりゃあ人間だもの、またひとを好きになっちゃうことはあるよ。だけど鮫島くんのために雌体化するってことは、社会的にも、他の誰からみても女になってしまう。女として生きることになる。彼はきっとそれが――とても嫌だったようだから」

 こともなげに話す梨太に、鮫島は声を失った。

 唇をふるわせ、目を伏せる。眉根を寄せ、やがて口元だけで笑って見せた。

「リタ。おまえは、すごいな」

「……大したことじゃないよ。ただ、そばにいる人の変化を見逃さないようにしているだけだ」

 そう言ってから、不意に梨太は目を見開き、大きな声を上げた。

「って、なに? 犬居さん、鮫島くんのことをみっともないって? そんなこと言ったの。信じらんない!」

 突然喚かれ、鮫島が目を丸くする。梨太はさらにまくし立てた。

「どこからどうみても女性じゃないか! こんなに綺麗でかわいいのに。あの人何言ってんの? 目がオカシイんじゃない」

「……でも、自分で言うのもなんだけども、胸が」

「そんなの平らでいいよ平らで。ていうか僕が揉んで大きくするし問題なし。あとは何、背丈? 肩幅? それとも腕力? 大は小を兼ねる。僕が平均より不足してるんだから、あってくれたほうがいいの。電球は鮫島くんが換えてね、僕が床を拭くからさ」

 身振り手振り、なんだかやけくそ気味である。鮫島は笑った。心から楽しそうに――ではない。さみしげに、かなしげに、唇をゆがめた。

 ゆっくり、手をおさめ、梨太はそれを見つめる。ベッドのそばのパイプいすに、ちんまりと腰かける長身の美女。


「鮫島くん。大好き」


 まっすぐに射し込む梨太の言葉。


「一緒に暮らそう」


 鮫島の胸元で、ペンダントが揺れている。サメの牙を革紐で縛った、シンプルなアクセサリ。航海の無事を祈るお守りに、彼は指先で触れた。梨太もそこを見つめた。

「そのペンダントはもう要らない。宇宙航海になんか出かけないで。退院したら、そのままいっしょにうちに帰ろう。お願い――」

 梨太は縋った。喉を震わせ、懇願する。

「もう危ないことはしないで、戦わないでほしい。僕は鮫島くんが殺されるのも、生き物を殺すのももう嫌だよ……」

「リタ……」

 鮫島が目を伏せる。

「……嬉しい」

 心のうちを明かす。

 そしてそのまま、沈黙した。長い逡巡だった。
 無言のまま時が刻まれて、そして彼は、首の後ろで結ばれた、ペンダントのホックを取り外した。
 白い手のひらに、なおも白いサメの牙。

 彼はそれを見下ろして、静かな口調で告げてくる。穏やかに、決意を込めて、彼は言葉をつむいだ。


「リタ……リタ。嬉しい。とても。
 俺も、リタのことが好きだ。
 それにこの町も、この星も……きっと、ラトキア人の俺が住みやすく不便なく暮らせる。そう思う。なんの不満もなく、俺はこの町で、これまでとは比べ物にならないほど幸福に暮らしていけるのだと――きっとそう、本当にそう思う……」


 そう言って、彼は梨太の手を取った。血の気の引いた冷たい手。しなやかな指が、梨太の手を開かせる。そして、手のひらにペンダントを置いた。

 だけども、と、彼は続けた。


「俺は、ラトキアに帰るよ」


 鮫島の手が冷たい。梨太はペンダントごと彼の手を握った。彼は抗いこそしなかった。だが、握り返してはくれなかった。

「俺にはまだ、ラトキアでやらなくてはいけないことがある」

「……なに?」

「犬居の裁判。俺の証言が必要になる。そうしないと、最悪彼は極刑になるかもしれない」

「代わりの人はいないの? どうしていつも、なにもかも騎士団長ひとりが背負うんだよ。そんなのおかしい、鮫島くん、戦死より先に過労死するんじゃないの」

 つい、語気が荒くなる。彼は首を振った。

「仕事だとか、義務感で言っているんじゃない。俺自身がそうしたいと思っている。……犬居の件だけじゃない。ラトキアには、生まれ育ってきた分いろんなものがあるんだ。それをそのまま置いてはいけない」

「そんなものが、僕と暮らすより大事かよっ」

 梨太は叫んだ。

 そしてすぐに息をのみ、俯いた。

「……ごめん、今のは無し――」

「大事だよ」

 鮫島は言った。

 栗色の髪に、鮫島の手が伸びる。やはり冷たく白んだ指先が、梨太の髪を、耳を、うなじを撫でる。それは幼児を慰める撫で方とは違うように思えた。だが、言葉はまさに、駄々っ子に言い含めるようであった。

「リタが、この町を好きであるのと同じように。俺だってラトキアが好きだ。リタがこの国で頑張ってきたのと同じだけ、俺も俺なりに努力をして、今の俺になっている。
 ろくに甘えもしなかったが、生まれた家には家族がある。……友達、と呼べるほど、そばに沿うてはくれないが、俺が信頼をして背中を預け、俺を信用して送り出してくれるひとがたくさんいる。
 ずっと勉強をしてきた。毎日訓練をした。少しずつ上達し、積み重ねて、ようやく完成が見えてきた。それを、簡単になげうてるほどには、俺は強くないんだよ、リタ」

 彼の手のひらに熱が宿る。梨太の体温を奪って、少しずつ、鮫島の手がぬくもりを持ち始めた。触れる。動かす。そうやって生まれた熱を、大切に握りこむ。

 折り曲げた肘の分、鮫島との距離は近づく。間近で向かい合った彼は、息をのむほどに美しかった。
 女の髪。女の瞳。女の唇。女の装いをして、女にしか見えない体を梨太に突き出し、彼は冷たい男の声で梨太を責める。


「リタはずるい。お前は、自分が出来ないことを、俺にばかりしろというんだ」


 絶句するほか無かった。

 無言のまま、少年は頭を垂れる。
 自分の罪に気が付いて、懺悔の気持ちでいっぱいだ。それでもまだ、あきらめることができないでいる。
 震える手でシーツを握りしめ、きつく目をつぶる。ともすれば泣き出してしまいそうな寒気が喉元でくすぶっていた。

 奥歯を噛んで、噤んだ唇――その強張りに、ふんわり柔らかいものが触れた。
 開いた視界に、漆黒の睫毛。

 押し当てるだけの口づけは、思いのほか、長く続けられた。やがて静かに離されて、呼吸が出来るだけの距離で、鮫島が優しく囁く。


「……お別れの挨拶。地球では、そうしたっていいんだろう?」


 彼は悲しげに笑って見せた。

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