鮫島くんのおっぱい
梨太君の告白
にこにこと機嫌をよくした梨太を、しばらく観察して。
鮫島は、おそらくその中身を理解しないまま、話題を終えることにしたらしい。バトンからチュロスを摘み、ぱくりとくわえる。
「リタ、これは何だ? すごくおいしい。それに食べやすい。よくできているな」
そう言って、ウサギが人参スティックを食むように、楽しそうに食べ進めていた。齧ったところが星形になっているのにまた目を丸くする。
鮫島の反応は、常に、薄い。彼の表情の変化は、これほどすぐ隣でなければ見て取れない。同じ年の女の子のように、キャアキャアと声を上げることは全くない。
だが感受性はむしろ高く、好奇心も旺盛な人だと、ずいぶん前から梨太は知っていた。
頭もいい。梨太が小難しい話をしても、共感は出来ずとも内容は理解している。興味がないと言って遮ったこともない。
十六歳で、騎士団長。心身ともに未熟な少年の大抜擢は、もしかしたらその幼さこそを買われたのかもしれない。
知らないことを知らないと言い、わからないことをわからないと言う。自分の欠点を他人にさらすことが出来る。そのせいで一見、無知で無教養な面が目につくが、それを隠していては前に進むことが出来ないのだ。学ぶためにはなにより大切なこと。それを、彼は素直に出来ている。
それは梨太が常に心がけながらも、なかなか実行の難しいことだった。
鮫島が出来ず、自分は簡単にできることがいくつもある。だが自分にできないことを、鮫島はいくつもできる。
可愛らしく、そして、尊敬できるひとだった。
梨太は、思う。
このひとと仲良くなりたい。
そう思えたのはいつからだろう。
自分が心身ともに成長し、外見年齢だけは追いついて、対等みたいになれたからか。
ともに戦い死地を乗り越えたからか。この数日でさらに親密になれたせいか。
たぶんそうではない。きっと最初からだ。
赤いはちまきを揺らし、騎馬隊の大将に据わりヒト離れした豪腕を発揮していたときから、綺麗だと思っていた。テロリストと間違われ、踏みつけられたときから、もっと触れてみたいと思っていた。最終決戦が迫り、別れの日が近づくたびにもう帰したくないと思っていた。三年ぶりに再会した瞬間から、ずっといっしょにいたいと思っていた。
仲良くなりたい。
近くにいてほしい。
かなわないなら、彼の腕を強く引いてこちらへ引きずり込む。
たとえそれが、彼を束縛することになったとしても。
梨太は喉を湿らせた。
「鮫島くん。今日、楽しかった?」
そう尋ねると、彼はチュロスから口をはなし、こくこく頷いた。まずはそこに大きな喜びを覚える。
「じゃあ、また一緒に」
続けようとした言葉を、一度、やめた。
「あのさ……」
もうひとつ浮かんだ言い回しをやはり却下する。なんどかそれを繰り返すうち、妙な間があいてしまった。鮫島が不思議そうな顔をしている。
夏の風が、背後の楠の枝を揺らす。その音に消されてしまわない音量を出せるようにだけ努力して、梨太は言った。
「僕は鮫島くんが好きだ」
聞こえた鮫島が、チュロスをくわえたまま固まった。口元だけでもぐもぐ噛みながら視線を落とす。楠の葉が一枚落ちて、鮫島の膝に乗り、彼は払いもせず、じっとそれを見る。
再び風が葉を遠くへとばしても、そのまま、自分の膝を見つめていた。
「……でさ……色々考えてしまったら、色々あるよね。まず超遠距離だとか、それで文化の違いとか、仕事とか。よくわからないけど、身分とか、もちろん将来とか、なにより性別だとか――色々あるよ。それはもちろんなんだけども」
身振り手振りしながら、自分にも言い含めるように並べ立てる。
「でもいったん全部置いておいて。そういうの全部抜きにして考えてみてくれないかな」
「……」
「僕と、付き合ってほしいんだ」
口に出してしまえば、どうということはない。むしろ今まで一度も言ってなかったことが不思議なくらい、梨太は自然に、伝えることができた。
肘をじぶんの腿に立て、頬杖をついて、横でうつむく鮫島をのぞき込むようにして彼の答えを待つ。
沈黙はぜんぜん怖くなかった。それが何より意外だった。のんびりと木陰で夏の風を楽しむ。
そんな、妙に開き直った心境の梨太の横で――告白を受けた鮫島は、可哀想なくらい体を小さく畳んでいた。
前髪が垂直に落ちるほど頭を垂れて肩をすぼめ、両手を堅く握って膝に置き、揃えたつま先をベンチの内側にしまっている。その踝までが、真っ赤に紅潮していた。
ラトキア星人は目に見える場所に汗をかきにくいという。その彼の手の甲に汗の玉が浮かんでいる。
よもや日本語が伝わらなかったらどうしようという懸念は無事にそれたようで、安堵し、全身が茹であがったように紅潮し汗だくでガチガチに硬直してしまった愛しい人の横顔を、梨太は楽しく鑑賞した。
鮫島は、五分たっても、無言のままだった。それは従来の彼の心地よい静寂とは違うものである。ときどきなにか話そうとしたらしい、喉が動くのが見えたが、やはり言葉は出てこない。
そのまま十分、二十分がたつ。
鮫島が固まってしまったぶん、梨太はバトンのファーストフードをぜんぶ平らげることになった。
三十分。オレンジジュースまですっかり飲み終えて、改めて彼を見る。三十分前と寸分変わらぬ姿勢で、汗の玉だけが増えていた。いい加減、脱水で萎んでしまうんじゃないかと心配になるころ。
「り……た、リタ」
ようやく、彼は言葉を発した。
「うん」
「リタ。……暑い!」
「ですよね」
「あれが食べたい!」
叫びながら指さしたのは、先ほどのファーストフードショップである。店先にソフトクリームのオブジェがあった。
はいはい、と腰を上げて、梨太は財布を手にショップへ向かう。途中、振り返ってみると、また先ほどまでと同じ姿勢で体を固め、鮫島が大きく嘆息しているのが見えた。
(今日の返事がどうあれ、全くの脈ナシではないな)
胸中で確信し、梨太は上機嫌で買い出しに出かけた。寂れていた店先はちょうど家族連れの先客があり、きゃっきゃと楽しそうに相談しながら選んでいる。すこし時間がかかりそうだなと、鮫島のほうを横目に見ながら、のんびりと行列を待った。
ベンチに座った鮫島は、ずっと同じ姿勢のまま微動だにしなかった。遠目だとそのまま置物のようである。
堅く握りこんだ拳もそのまま。麗しい横顔が、何度目かの嘆息に揺れる。
唇が何かを呟く。
それで一度、緊張をほぐそうとしたらしい。深呼吸しながら肩を回す。もしかして結論が出たのだろうか。
そちらに目を向けていた梨太に、店員が順番がきたことを告げる。
「ええと、ミックスを……いや、バニラとチョコを一つずつ」
かしこまりました、と、奥の厨房へ引っ込む店員。どうやら一人で回しているらしい。
もう少し待たされそうなので、梨太は再び、視線を鮫島のほうへ向けた。
と――
「おおっ?」
思わず一人、声が出る。
十メートルむこうのベンチで自分を待つ、赤面した絶世の美女。そのいとしい人が、ナンパされていた。
鮫島は、おそらくその中身を理解しないまま、話題を終えることにしたらしい。バトンからチュロスを摘み、ぱくりとくわえる。
「リタ、これは何だ? すごくおいしい。それに食べやすい。よくできているな」
そう言って、ウサギが人参スティックを食むように、楽しそうに食べ進めていた。齧ったところが星形になっているのにまた目を丸くする。
鮫島の反応は、常に、薄い。彼の表情の変化は、これほどすぐ隣でなければ見て取れない。同じ年の女の子のように、キャアキャアと声を上げることは全くない。
だが感受性はむしろ高く、好奇心も旺盛な人だと、ずいぶん前から梨太は知っていた。
頭もいい。梨太が小難しい話をしても、共感は出来ずとも内容は理解している。興味がないと言って遮ったこともない。
十六歳で、騎士団長。心身ともに未熟な少年の大抜擢は、もしかしたらその幼さこそを買われたのかもしれない。
知らないことを知らないと言い、わからないことをわからないと言う。自分の欠点を他人にさらすことが出来る。そのせいで一見、無知で無教養な面が目につくが、それを隠していては前に進むことが出来ないのだ。学ぶためにはなにより大切なこと。それを、彼は素直に出来ている。
それは梨太が常に心がけながらも、なかなか実行の難しいことだった。
鮫島が出来ず、自分は簡単にできることがいくつもある。だが自分にできないことを、鮫島はいくつもできる。
可愛らしく、そして、尊敬できるひとだった。
梨太は、思う。
このひとと仲良くなりたい。
そう思えたのはいつからだろう。
自分が心身ともに成長し、外見年齢だけは追いついて、対等みたいになれたからか。
ともに戦い死地を乗り越えたからか。この数日でさらに親密になれたせいか。
たぶんそうではない。きっと最初からだ。
赤いはちまきを揺らし、騎馬隊の大将に据わりヒト離れした豪腕を発揮していたときから、綺麗だと思っていた。テロリストと間違われ、踏みつけられたときから、もっと触れてみたいと思っていた。最終決戦が迫り、別れの日が近づくたびにもう帰したくないと思っていた。三年ぶりに再会した瞬間から、ずっといっしょにいたいと思っていた。
仲良くなりたい。
近くにいてほしい。
かなわないなら、彼の腕を強く引いてこちらへ引きずり込む。
たとえそれが、彼を束縛することになったとしても。
梨太は喉を湿らせた。
「鮫島くん。今日、楽しかった?」
そう尋ねると、彼はチュロスから口をはなし、こくこく頷いた。まずはそこに大きな喜びを覚える。
「じゃあ、また一緒に」
続けようとした言葉を、一度、やめた。
「あのさ……」
もうひとつ浮かんだ言い回しをやはり却下する。なんどかそれを繰り返すうち、妙な間があいてしまった。鮫島が不思議そうな顔をしている。
夏の風が、背後の楠の枝を揺らす。その音に消されてしまわない音量を出せるようにだけ努力して、梨太は言った。
「僕は鮫島くんが好きだ」
聞こえた鮫島が、チュロスをくわえたまま固まった。口元だけでもぐもぐ噛みながら視線を落とす。楠の葉が一枚落ちて、鮫島の膝に乗り、彼は払いもせず、じっとそれを見る。
再び風が葉を遠くへとばしても、そのまま、自分の膝を見つめていた。
「……でさ……色々考えてしまったら、色々あるよね。まず超遠距離だとか、それで文化の違いとか、仕事とか。よくわからないけど、身分とか、もちろん将来とか、なにより性別だとか――色々あるよ。それはもちろんなんだけども」
身振り手振りしながら、自分にも言い含めるように並べ立てる。
「でもいったん全部置いておいて。そういうの全部抜きにして考えてみてくれないかな」
「……」
「僕と、付き合ってほしいんだ」
口に出してしまえば、どうということはない。むしろ今まで一度も言ってなかったことが不思議なくらい、梨太は自然に、伝えることができた。
肘をじぶんの腿に立て、頬杖をついて、横でうつむく鮫島をのぞき込むようにして彼の答えを待つ。
沈黙はぜんぜん怖くなかった。それが何より意外だった。のんびりと木陰で夏の風を楽しむ。
そんな、妙に開き直った心境の梨太の横で――告白を受けた鮫島は、可哀想なくらい体を小さく畳んでいた。
前髪が垂直に落ちるほど頭を垂れて肩をすぼめ、両手を堅く握って膝に置き、揃えたつま先をベンチの内側にしまっている。その踝までが、真っ赤に紅潮していた。
ラトキア星人は目に見える場所に汗をかきにくいという。その彼の手の甲に汗の玉が浮かんでいる。
よもや日本語が伝わらなかったらどうしようという懸念は無事にそれたようで、安堵し、全身が茹であがったように紅潮し汗だくでガチガチに硬直してしまった愛しい人の横顔を、梨太は楽しく鑑賞した。
鮫島は、五分たっても、無言のままだった。それは従来の彼の心地よい静寂とは違うものである。ときどきなにか話そうとしたらしい、喉が動くのが見えたが、やはり言葉は出てこない。
そのまま十分、二十分がたつ。
鮫島が固まってしまったぶん、梨太はバトンのファーストフードをぜんぶ平らげることになった。
三十分。オレンジジュースまですっかり飲み終えて、改めて彼を見る。三十分前と寸分変わらぬ姿勢で、汗の玉だけが増えていた。いい加減、脱水で萎んでしまうんじゃないかと心配になるころ。
「り……た、リタ」
ようやく、彼は言葉を発した。
「うん」
「リタ。……暑い!」
「ですよね」
「あれが食べたい!」
叫びながら指さしたのは、先ほどのファーストフードショップである。店先にソフトクリームのオブジェがあった。
はいはい、と腰を上げて、梨太は財布を手にショップへ向かう。途中、振り返ってみると、また先ほどまでと同じ姿勢で体を固め、鮫島が大きく嘆息しているのが見えた。
(今日の返事がどうあれ、全くの脈ナシではないな)
胸中で確信し、梨太は上機嫌で買い出しに出かけた。寂れていた店先はちょうど家族連れの先客があり、きゃっきゃと楽しそうに相談しながら選んでいる。すこし時間がかかりそうだなと、鮫島のほうを横目に見ながら、のんびりと行列を待った。
ベンチに座った鮫島は、ずっと同じ姿勢のまま微動だにしなかった。遠目だとそのまま置物のようである。
堅く握りこんだ拳もそのまま。麗しい横顔が、何度目かの嘆息に揺れる。
唇が何かを呟く。
それで一度、緊張をほぐそうとしたらしい。深呼吸しながら肩を回す。もしかして結論が出たのだろうか。
そちらに目を向けていた梨太に、店員が順番がきたことを告げる。
「ええと、ミックスを……いや、バニラとチョコを一つずつ」
かしこまりました、と、奥の厨房へ引っ込む店員。どうやら一人で回しているらしい。
もう少し待たされそうなので、梨太は再び、視線を鮫島のほうへ向けた。
と――
「おおっ?」
思わず一人、声が出る。
十メートルむこうのベンチで自分を待つ、赤面した絶世の美女。そのいとしい人が、ナンパされていた。
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