鮫島くんのおっぱい
梨太君の研究③
結局、食品工場の男とはいくつかの質疑応答、名刺交換を行って、その場を終えた。
その後、二十人ほどの『客』のうち、何名かは彼の紹介だったらしい。
彼らは皆、面白そうなゲームソフトを探しに来たのではない。自分の仕事に使えるツールを求め、リサーチに来ているのだ。エンドユーザーは彼らの向こうにいる上司である。梨太は会議室でプレゼンしやすいよう、その商品がどんなものであるかより、おたくの会社で何が出来るかを、キーワードで売り込んでいく。
名札を伏せた青年が、矢次早に質問する。
「――たとえば、一軒家で、要介護の老人のベッドに取り付けておいて、キッチンのお嫁さんが要介護者の体調を管理することが可能?」
「体調管理、までの信頼度はありません。せいぜい発熱と血圧と心拍以上、呼吸の乱れと空腹と便意、快・不快くらいでしょうか」
「……それは医療検査レベルだと思うのだけど……」
「責任はとれませんので、利用者には気構えとして必ず伝えてください。でもまあ、介護人が夜も要介護者と同室で寝なくちゃいけないっていうことはなくなりますかね。アラーム設定をしておいて、枕元にスマホを置いて置けばナースコール代わりにはなりますから。お風呂ものんびりと」
「受信範囲は?」
「電話やネット機能といっしょですよ。電波のあるところなら国際間でも。――だから、住宅メーカーさんは、要介護者のいる家庭でも、二世帯住宅や豪邸を提案することができますね」
梨太の言葉に、青年は苦笑して、素直に名刺を渡してくれた。
続いてベビーシッター業界、スポーツクラブ経営、ペットショップ経営者が次々に現れては、自分たちの仕事に置いての使い道を聞いていく。梨太はその都度、彼らが欲しがる情報をピックアップして提案していった。
彼らはそれぞれ、ビジネスとしては要検討、まったく個人的に使ってみたいと、サンプルをダウンロードして去って行った。
漫画出版社の編集が、『病欠』癖のある担当作家に使いたいというのには思わず笑ってしまった。きわめて有効であることを理解するなり、即決で購入すると言うのだ。一応、ありがとうございますと礼を言いつつも、
「……ほどほどにしてあげてくださいね。僕も好きな作家さんなので、ホントに倒れちゃったらちょっと。……今の連載が終わるまでは」
「何を言ってるの。今の連載が終わったらもう、寝込もうが海外に隠居しようが知ったこっちゃないわよ」
胸を張って、その女性編集者は言い切った。
そうして、時間はあっという間に経っていく。
会場の壁掛け時計を見やると、午後の三時過ぎ。初日は四時で閉場になる。ブースから出て会場を見渡すと、全体的に人は捌けて、まばらになっていた。
行列が途切れていないところもあるが、ほとんどのブースでは、暇そうに終了時間を待っているばかりである。
梨太は友人に頼み、パンフレット配布に出かけてもらった。今日は一般客ではなくビジネスデー、とはいえ、ビジネスマンにしか営業をかけてはいけないというわけではない。
ほとんどの発表者は素人学生で、チームでここに来ている。来客に備えた留守番だけを置いて、何人かが暇つぶしに覗きにやってきた。
単純なゲームアプリとして遊ばせてやる。内容が重なってなければ彼らは単純にイチ客になる。
あちらの発表内容も聞き出して、情報とメールアドレスを交換した。
そうして、ついに閉場のアナウンスが鳴った。
梨太の手には百に届く名刺やメモが集まっていた。それ以上に、梨太の名刺つきでアプリ『ドロップス』のパンフレットを配布している。
その成果を見下ろして、梨太は小さく息をつく。
「……まあまあかな」
「お疲れ」
なにかとサポートしてくれた友人がねぎらう。空腹を覚えたのはその瞬間だった。営業スマイルで強張った頬を叩き、体を伸ばして、弛緩させる。
喋り続ける営業方法では無かったが、すっかり口まで疲れていた。少なからず、緊張もしていたらしい。こわばりを解くと、不意に、笑いの衝動が湧いてきた。
ついこの間まで高校生だった彼らは顔を見合わせ、ぎゃははと笑い声を上げた。
「あーっ、腹減ったぁ。昼メシずっと忘れてた」
そう言ったのは梨太だった。
五年来の友人は同じように体を伸ばしながら、ネクタイを取り、親の仇のように荒々しく丸めた。
「っだはー、もー、なんだこれ。こんなもん二度と付けるかっ」
「馬鹿、リーマンになったら毎日つけるんだぞ。そういやお前、高校のときもずっとユルユルだったな」
「勘弁してほしいよ。栗坊よく平気だな」
「僕は小学校からずっとだもん、慣れだべ慣れ」
電源をつぎつぎ落としながら、梨太。その言葉に友人は一瞬不思議そうな顔をし、そして、手を打った。
「あ、そうか。お前、中二で転校してきたんだっけ。前のガッコはネクタイだったんだ? 小中学でネクタイって珍しいな」
「私学だったからね」
後姿のまま、梨太。
ブースの設備は、明日の一般公開日にも使用するのでそのままでいい。少年たちは機密書類と各々の手荷物だけを手早くまとめていく。
荷物の前で、梨太は座り込んだままフウと大きく息をつく。
実際、梨太はくたびれていた。
さっさと撤収して、静かなところで一息つきたい。荷物の中に昼食用のコンビニおにぎりが入っていたが、それは夜食にしようと考える。
「溝口、ジブンも昼メシまだだろ? なんか僕、がっつりしたの食べたいや。食堂いかない?」
いいね、と応じる友人。
梨太は笑って立ち上がる。
その肩を、大きな手のひらがギュッと掴んだ。
じわり。やけに熱く、湿った体温が、スーツを通して梨太の皮膚に触れる。
ぞくりと首筋が震えた。
その後、二十人ほどの『客』のうち、何名かは彼の紹介だったらしい。
彼らは皆、面白そうなゲームソフトを探しに来たのではない。自分の仕事に使えるツールを求め、リサーチに来ているのだ。エンドユーザーは彼らの向こうにいる上司である。梨太は会議室でプレゼンしやすいよう、その商品がどんなものであるかより、おたくの会社で何が出来るかを、キーワードで売り込んでいく。
名札を伏せた青年が、矢次早に質問する。
「――たとえば、一軒家で、要介護の老人のベッドに取り付けておいて、キッチンのお嫁さんが要介護者の体調を管理することが可能?」
「体調管理、までの信頼度はありません。せいぜい発熱と血圧と心拍以上、呼吸の乱れと空腹と便意、快・不快くらいでしょうか」
「……それは医療検査レベルだと思うのだけど……」
「責任はとれませんので、利用者には気構えとして必ず伝えてください。でもまあ、介護人が夜も要介護者と同室で寝なくちゃいけないっていうことはなくなりますかね。アラーム設定をしておいて、枕元にスマホを置いて置けばナースコール代わりにはなりますから。お風呂ものんびりと」
「受信範囲は?」
「電話やネット機能といっしょですよ。電波のあるところなら国際間でも。――だから、住宅メーカーさんは、要介護者のいる家庭でも、二世帯住宅や豪邸を提案することができますね」
梨太の言葉に、青年は苦笑して、素直に名刺を渡してくれた。
続いてベビーシッター業界、スポーツクラブ経営、ペットショップ経営者が次々に現れては、自分たちの仕事に置いての使い道を聞いていく。梨太はその都度、彼らが欲しがる情報をピックアップして提案していった。
彼らはそれぞれ、ビジネスとしては要検討、まったく個人的に使ってみたいと、サンプルをダウンロードして去って行った。
漫画出版社の編集が、『病欠』癖のある担当作家に使いたいというのには思わず笑ってしまった。きわめて有効であることを理解するなり、即決で購入すると言うのだ。一応、ありがとうございますと礼を言いつつも、
「……ほどほどにしてあげてくださいね。僕も好きな作家さんなので、ホントに倒れちゃったらちょっと。……今の連載が終わるまでは」
「何を言ってるの。今の連載が終わったらもう、寝込もうが海外に隠居しようが知ったこっちゃないわよ」
胸を張って、その女性編集者は言い切った。
そうして、時間はあっという間に経っていく。
会場の壁掛け時計を見やると、午後の三時過ぎ。初日は四時で閉場になる。ブースから出て会場を見渡すと、全体的に人は捌けて、まばらになっていた。
行列が途切れていないところもあるが、ほとんどのブースでは、暇そうに終了時間を待っているばかりである。
梨太は友人に頼み、パンフレット配布に出かけてもらった。今日は一般客ではなくビジネスデー、とはいえ、ビジネスマンにしか営業をかけてはいけないというわけではない。
ほとんどの発表者は素人学生で、チームでここに来ている。来客に備えた留守番だけを置いて、何人かが暇つぶしに覗きにやってきた。
単純なゲームアプリとして遊ばせてやる。内容が重なってなければ彼らは単純にイチ客になる。
あちらの発表内容も聞き出して、情報とメールアドレスを交換した。
そうして、ついに閉場のアナウンスが鳴った。
梨太の手には百に届く名刺やメモが集まっていた。それ以上に、梨太の名刺つきでアプリ『ドロップス』のパンフレットを配布している。
その成果を見下ろして、梨太は小さく息をつく。
「……まあまあかな」
「お疲れ」
なにかとサポートしてくれた友人がねぎらう。空腹を覚えたのはその瞬間だった。営業スマイルで強張った頬を叩き、体を伸ばして、弛緩させる。
喋り続ける営業方法では無かったが、すっかり口まで疲れていた。少なからず、緊張もしていたらしい。こわばりを解くと、不意に、笑いの衝動が湧いてきた。
ついこの間まで高校生だった彼らは顔を見合わせ、ぎゃははと笑い声を上げた。
「あーっ、腹減ったぁ。昼メシずっと忘れてた」
そう言ったのは梨太だった。
五年来の友人は同じように体を伸ばしながら、ネクタイを取り、親の仇のように荒々しく丸めた。
「っだはー、もー、なんだこれ。こんなもん二度と付けるかっ」
「馬鹿、リーマンになったら毎日つけるんだぞ。そういやお前、高校のときもずっとユルユルだったな」
「勘弁してほしいよ。栗坊よく平気だな」
「僕は小学校からずっとだもん、慣れだべ慣れ」
電源をつぎつぎ落としながら、梨太。その言葉に友人は一瞬不思議そうな顔をし、そして、手を打った。
「あ、そうか。お前、中二で転校してきたんだっけ。前のガッコはネクタイだったんだ? 小中学でネクタイって珍しいな」
「私学だったからね」
後姿のまま、梨太。
ブースの設備は、明日の一般公開日にも使用するのでそのままでいい。少年たちは機密書類と各々の手荷物だけを手早くまとめていく。
荷物の前で、梨太は座り込んだままフウと大きく息をつく。
実際、梨太はくたびれていた。
さっさと撤収して、静かなところで一息つきたい。荷物の中に昼食用のコンビニおにぎりが入っていたが、それは夜食にしようと考える。
「溝口、ジブンも昼メシまだだろ? なんか僕、がっつりしたの食べたいや。食堂いかない?」
いいね、と応じる友人。
梨太は笑って立ち上がる。
その肩を、大きな手のひらがギュッと掴んだ。
じわり。やけに熱く、湿った体温が、スーツを通して梨太の皮膚に触れる。
ぞくりと首筋が震えた。
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