鮫島くんのおっぱい
鮫島くんのお酒
黙り込んでしまった梨太に、鮫島は首をかしげる。
自分の発言の、なにがマズかったのかがわからないらしい。
「貯金と言えば」
そんなことを言い出す。
「リタ、三年前、烏討伐の報酬にラトキアから大金を受け取っただろう。何か、使った?」
問われて梨太が顔を上げる。ちょうど口の中が食べものでいっぱいで、頬が丸く膨らんでいた。
そのハムスターそのままの様子に、鮫島が噴き出して笑った。
「それ、おいしそうだな。なに?」
もぐもぐごくん、してから、答える。
「うなぎの混ぜ炊き込みご飯。鮫島くんはお酒だから頼んでないよね。食べる?」
茶碗を手渡してやろうとして――彼が、口をあけたので、箸でつまんだものを食べさせてあげた。
梨太の箸を咥えて幸せそうな顔をする彼に、今度は梨太が噴き出す。
この人の、時に見せる異様なまでの幼さはなんなのだろう。
とりあえず、先に問われたことに回答する。
「うん。最初はどうしようかと思ったけどね。十六歳の高校生じゃ使い道がなくて」
「親御さんは……何か言わなかった?」
梨太は少しだけ眉を動かした。
ウーロン茶でのどを潤す。
「別に。……ああ、ほら、僕の入院を交通事故ってことにしてただろ。あれが幸いしたよね。治療費と示談金ってことで、すんなり理解してもらえた。そうでなければ、どうしたのこのお金っどこから盗んで来たのってなっただろうね」
「まさか」
鮫島が笑った。梨太も、笑った。
「……だからもともと、捜査協力の報酬で現金を受け取るつもりはなかったんだよ。まあお小遣い程度ならともかく。初日に自分から挙手したのだって、僕は君の――」
「お待たせしましたぁ」
店員が、軟骨から揚げをテーブルへ置いた。口を噤み、ついでに追加注文をする。
注文確認を適当にあしらって、梨太は再び、鮫島のほうへ視線をやった。
彼は――紅潮していた。
「…………」
無言で俯いて、じっとしている。口の中に揚げ出し豆腐が入ったままらしく、右の頬がわずかに膨らんでいた。それを咀嚼すらせず、ただ硬直していた。
梨太は腕を伸ばし、彼と同じものをつまんで食べた。
「いやあ、失敗したなあ。もし鮫島くんたちがまたこうして来てくれるってわかってたら、一銭も使わずに待ってたのにね。全額返すから当初の約束通りの報酬をくださいって言えなくなっちゃった」
「…………」
「だって、まさかだよ。しかもこんな、ちゃんと女の子の姿で来るなんて。想像以上に美人だしさあ」
「………………」
「びっくりした。まあこんだけ可愛い人と食事ができる機会なんてこの先ないだろうね。
そうそう、前にここに来たとき、友達は彼女連れてきててさ、さんざん惚気たあげく、昔は女の子にしか見えなかった僕が、それでもホモとショタコンにはモテたのに背が伸びたせいでそれすらもなくなってああかわいそうかわいそう、ってうるさかったんだよなあ。
そいつはここの常連だから、ばったり出くわしたら面白いね。鮫島くんを見たら、きっと地団太踏んで悔しがるよ。なんで梨太なんかがこんないい女と――って」
「……………………」
鮫島は無言のまま、ようやく、口の中のものをかみ始めた。
なんとなく気落ちしたような様子に、梨太は小首を傾げ、
「どうかした?急に黙っちゃって」
「聞きたいことが、多すぎて。聞く前に話が進んで、困っている」
なるほど、とうなずく。梨太は意図的に、口の中に食べ物を大量に詰め込んだ。これが入っている限りは黙ってますよ、と意思表示をして、手のひらで鮫島のほうに発言を促す。
質問を許されたものの、彼はまたしばらく無言で、言葉を模索していた。
深海色の瞳をじっと梨太に向け、真っ白な細い顎に、バラ色の唇をかすかに開く。
大きくはないが、よく通る女声で、言った。
「俺って、いい女、なのか?」
ごとん。梨太は机に突っ伏した。
答えを待たず、さらに重ねる。
「そもそも女性に見えているのか? そのあたりがよくわからなくて、自信がなかった。地球人で俺よりも背の高い女性を見かけないし、みんな、小さくて、可愛らしい。成人女性で髪が茶色いひとが多いのは、既婚者の証か? ラトキアでは、既婚女性は髪を伸ばし目元に朱を引くのだが、それと同じ?」
「えー、えーと。じゃあ上から順番に。ハイ、ハイ、イイエ、イイエ」
「ホモトショタコン、って、なんだ?」
「……犬居さんに聞いて」
「わかった。覚えておかないと」
彼は素直にうなずいた。
「……お金、使った? 全部?」
毛色を変えた質問に、梨太は視線を上げる。そして苦笑した。
「うん。まるっきり全部じゃないけど。大体ほとんど」
「リタは、あまり贅沢を楽しむほうでないと思う。何に使った?」
「学費と、留学準備費用」
「それって、そんなにかかるもの? 鯨の話だと、家一軒分くらい渡したって」
「そうだね、学費云々は、もらったうちの四分の一くらいかな。生活費は国からの幇助とかアルバイトでぼちぼちとやってるし」
「残りは、何に?」
意外と追及がしつこい。梨太はそれを不思議に思い、鮫島の表情をうかがった。
(……こんなに、お金の話をしたがるようなひとじゃなかった、よな)
三年前の様子を思い出す。
金銭欲がない、どころか、金銭感覚という概念すらないような青年だった。
相変わらずの端正な顔立ちに、喜怒哀楽の変化が極端に薄い面。その眉がわずかにしかめられている。下世話な興味本位、ではなく、なにかしら意図があって追及してきている。
それは分かったが、彼が、どんな答えを求めているかまでは読み切れなかった。十二の齢から己の命を賭して稼いできた騎士団長殿は、他人の金の使い方に思うところがあるのかもしれない。何と答えたところで、嫌われることはないだろうし、叱られるいわれもないけども――
梨太はしばらく悩んでから、ちょっとした決心を込めて、明かすことにした。
「実は、家を買ったんだ」
鮫島が目を丸くした。
なんとなく照れくさく、小声になってしまった。早口で述べていく。
「あの家ね。もともとあれは、実は親戚の持ち物なんだ。ちょうど空き家になってたのを無料で借りてたような状態で、やっぱり人の家だったんだよ。それを僕が買い取った。今まで済ませてもらった分も、家賃に換算して清算した」
「……ど……どうして?」
「だって、借金みたいなもんだもの。請求されたわけじゃないけど、ずっと、そうしなきゃいけないと思ってた。いつかこの家を買い取ろうっていうのは僕の悲願だったんだ。ほんとにそれだけ。ばかばかしいようだけど、後悔とかはしてないよ」
梨太は、それで回答を打ち切った。
誤魔化すように、逆に鮫島へと質問を返す。
「鮫島くんは?」
彼は不思議そうな顔をした。
「だから、お金の使い道。鮫島くん、高給取りなんでしょ。それでいて生活の保障はされてるんだから、何に使ってるのかなって。まだ実家に丸投げ?」
「……いや……口座は、自分で管理できるように取り寄せた。暗証番号も教えてもらった」
今まで知らんかったんかい、と突っ込みたくなるのを抑える。
この、どこか箱入り息子の気配が抜けない青年は、不意に何か悪戯っぽい微笑みを浮かべた。くすくすと嬉しそうな声を漏らす。
とくに笑うような話題でもなかったはずで、梨太が首をかしげると、ますます楽しそうに笑った。
「じつは、つい最近、それを一気に全部使った」
「全部? え、騎士の給料十年分!? すごっ。何買ったの。まさか鮫島くんも家を?」
ふふっ、と笑う。
「ないしょ」
これ以上なく上機嫌にそういった。
鮫島の酒は、穏やかかつ陽気だった。いつもより少し饒舌になり、笑顔が増える。
酒瓶が空いて、彼はグラスに残った酒をぐいとあおると、すぐ後ろにいた女性店員を呼んだ。
機嫌よく、二種類の酒を同時に頼み――その声が少しだけ揺れた。
冷酒をひと瓶あけて酔ったのかと、梨太は顔を上げた。鮫島の顔色に赤みはみられなかった。彼の視線を追いかけて、注文を受けた女性店員を視界に入れる。
妙齢の女だ。小学生の子供がいておかしくない年の頃。制服である甚平の胸元のバッジには、店長とある。
てきぱきと心地のいい接客をして、厨房の方へ戻っていく彼女。
白晰の美貌を持つ騎士は、まぶしそうに目を細め、その背中を視線で追いかけていた。
自分の発言の、なにがマズかったのかがわからないらしい。
「貯金と言えば」
そんなことを言い出す。
「リタ、三年前、烏討伐の報酬にラトキアから大金を受け取っただろう。何か、使った?」
問われて梨太が顔を上げる。ちょうど口の中が食べものでいっぱいで、頬が丸く膨らんでいた。
そのハムスターそのままの様子に、鮫島が噴き出して笑った。
「それ、おいしそうだな。なに?」
もぐもぐごくん、してから、答える。
「うなぎの混ぜ炊き込みご飯。鮫島くんはお酒だから頼んでないよね。食べる?」
茶碗を手渡してやろうとして――彼が、口をあけたので、箸でつまんだものを食べさせてあげた。
梨太の箸を咥えて幸せそうな顔をする彼に、今度は梨太が噴き出す。
この人の、時に見せる異様なまでの幼さはなんなのだろう。
とりあえず、先に問われたことに回答する。
「うん。最初はどうしようかと思ったけどね。十六歳の高校生じゃ使い道がなくて」
「親御さんは……何か言わなかった?」
梨太は少しだけ眉を動かした。
ウーロン茶でのどを潤す。
「別に。……ああ、ほら、僕の入院を交通事故ってことにしてただろ。あれが幸いしたよね。治療費と示談金ってことで、すんなり理解してもらえた。そうでなければ、どうしたのこのお金っどこから盗んで来たのってなっただろうね」
「まさか」
鮫島が笑った。梨太も、笑った。
「……だからもともと、捜査協力の報酬で現金を受け取るつもりはなかったんだよ。まあお小遣い程度ならともかく。初日に自分から挙手したのだって、僕は君の――」
「お待たせしましたぁ」
店員が、軟骨から揚げをテーブルへ置いた。口を噤み、ついでに追加注文をする。
注文確認を適当にあしらって、梨太は再び、鮫島のほうへ視線をやった。
彼は――紅潮していた。
「…………」
無言で俯いて、じっとしている。口の中に揚げ出し豆腐が入ったままらしく、右の頬がわずかに膨らんでいた。それを咀嚼すらせず、ただ硬直していた。
梨太は腕を伸ばし、彼と同じものをつまんで食べた。
「いやあ、失敗したなあ。もし鮫島くんたちがまたこうして来てくれるってわかってたら、一銭も使わずに待ってたのにね。全額返すから当初の約束通りの報酬をくださいって言えなくなっちゃった」
「…………」
「だって、まさかだよ。しかもこんな、ちゃんと女の子の姿で来るなんて。想像以上に美人だしさあ」
「………………」
「びっくりした。まあこんだけ可愛い人と食事ができる機会なんてこの先ないだろうね。
そうそう、前にここに来たとき、友達は彼女連れてきててさ、さんざん惚気たあげく、昔は女の子にしか見えなかった僕が、それでもホモとショタコンにはモテたのに背が伸びたせいでそれすらもなくなってああかわいそうかわいそう、ってうるさかったんだよなあ。
そいつはここの常連だから、ばったり出くわしたら面白いね。鮫島くんを見たら、きっと地団太踏んで悔しがるよ。なんで梨太なんかがこんないい女と――って」
「……………………」
鮫島は無言のまま、ようやく、口の中のものをかみ始めた。
なんとなく気落ちしたような様子に、梨太は小首を傾げ、
「どうかした?急に黙っちゃって」
「聞きたいことが、多すぎて。聞く前に話が進んで、困っている」
なるほど、とうなずく。梨太は意図的に、口の中に食べ物を大量に詰め込んだ。これが入っている限りは黙ってますよ、と意思表示をして、手のひらで鮫島のほうに発言を促す。
質問を許されたものの、彼はまたしばらく無言で、言葉を模索していた。
深海色の瞳をじっと梨太に向け、真っ白な細い顎に、バラ色の唇をかすかに開く。
大きくはないが、よく通る女声で、言った。
「俺って、いい女、なのか?」
ごとん。梨太は机に突っ伏した。
答えを待たず、さらに重ねる。
「そもそも女性に見えているのか? そのあたりがよくわからなくて、自信がなかった。地球人で俺よりも背の高い女性を見かけないし、みんな、小さくて、可愛らしい。成人女性で髪が茶色いひとが多いのは、既婚者の証か? ラトキアでは、既婚女性は髪を伸ばし目元に朱を引くのだが、それと同じ?」
「えー、えーと。じゃあ上から順番に。ハイ、ハイ、イイエ、イイエ」
「ホモトショタコン、って、なんだ?」
「……犬居さんに聞いて」
「わかった。覚えておかないと」
彼は素直にうなずいた。
「……お金、使った? 全部?」
毛色を変えた質問に、梨太は視線を上げる。そして苦笑した。
「うん。まるっきり全部じゃないけど。大体ほとんど」
「リタは、あまり贅沢を楽しむほうでないと思う。何に使った?」
「学費と、留学準備費用」
「それって、そんなにかかるもの? 鯨の話だと、家一軒分くらい渡したって」
「そうだね、学費云々は、もらったうちの四分の一くらいかな。生活費は国からの幇助とかアルバイトでぼちぼちとやってるし」
「残りは、何に?」
意外と追及がしつこい。梨太はそれを不思議に思い、鮫島の表情をうかがった。
(……こんなに、お金の話をしたがるようなひとじゃなかった、よな)
三年前の様子を思い出す。
金銭欲がない、どころか、金銭感覚という概念すらないような青年だった。
相変わらずの端正な顔立ちに、喜怒哀楽の変化が極端に薄い面。その眉がわずかにしかめられている。下世話な興味本位、ではなく、なにかしら意図があって追及してきている。
それは分かったが、彼が、どんな答えを求めているかまでは読み切れなかった。十二の齢から己の命を賭して稼いできた騎士団長殿は、他人の金の使い方に思うところがあるのかもしれない。何と答えたところで、嫌われることはないだろうし、叱られるいわれもないけども――
梨太はしばらく悩んでから、ちょっとした決心を込めて、明かすことにした。
「実は、家を買ったんだ」
鮫島が目を丸くした。
なんとなく照れくさく、小声になってしまった。早口で述べていく。
「あの家ね。もともとあれは、実は親戚の持ち物なんだ。ちょうど空き家になってたのを無料で借りてたような状態で、やっぱり人の家だったんだよ。それを僕が買い取った。今まで済ませてもらった分も、家賃に換算して清算した」
「……ど……どうして?」
「だって、借金みたいなもんだもの。請求されたわけじゃないけど、ずっと、そうしなきゃいけないと思ってた。いつかこの家を買い取ろうっていうのは僕の悲願だったんだ。ほんとにそれだけ。ばかばかしいようだけど、後悔とかはしてないよ」
梨太は、それで回答を打ち切った。
誤魔化すように、逆に鮫島へと質問を返す。
「鮫島くんは?」
彼は不思議そうな顔をした。
「だから、お金の使い道。鮫島くん、高給取りなんでしょ。それでいて生活の保障はされてるんだから、何に使ってるのかなって。まだ実家に丸投げ?」
「……いや……口座は、自分で管理できるように取り寄せた。暗証番号も教えてもらった」
今まで知らんかったんかい、と突っ込みたくなるのを抑える。
この、どこか箱入り息子の気配が抜けない青年は、不意に何か悪戯っぽい微笑みを浮かべた。くすくすと嬉しそうな声を漏らす。
とくに笑うような話題でもなかったはずで、梨太が首をかしげると、ますます楽しそうに笑った。
「じつは、つい最近、それを一気に全部使った」
「全部? え、騎士の給料十年分!? すごっ。何買ったの。まさか鮫島くんも家を?」
ふふっ、と笑う。
「ないしょ」
これ以上なく上機嫌にそういった。
鮫島の酒は、穏やかかつ陽気だった。いつもより少し饒舌になり、笑顔が増える。
酒瓶が空いて、彼はグラスに残った酒をぐいとあおると、すぐ後ろにいた女性店員を呼んだ。
機嫌よく、二種類の酒を同時に頼み――その声が少しだけ揺れた。
冷酒をひと瓶あけて酔ったのかと、梨太は顔を上げた。鮫島の顔色に赤みはみられなかった。彼の視線を追いかけて、注文を受けた女性店員を視界に入れる。
妙齢の女だ。小学生の子供がいておかしくない年の頃。制服である甚平の胸元のバッジには、店長とある。
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