鮫島くんのおっぱい

とびらの

梨太君の仲間たち

 携帯電話が奏でるアラームで、梨太は目を覚ました。寝ぼけ眼で、しばらく呆ける。

「案の定、いやらしい夢を見ました……」

 呟いて、彼はベッドマットから身を起こした。

 隣に、鮫島の姿はない。安普請の一軒家は、真夏の朝日をうけて早くも室温をあげている。それでもどこか寒々しいのは、梨太の心境からくる錯覚か。
 パジャマから着替えて、階段を下りていく。
 二十二畳のLDKには誰もいない。

 梨太は髪をかきむしった。

 裸足でフローリングをどすどす進行する。ダイニングテーブルに一枚、紙切れが置かれていた。ペンギン型の砂時計を重石にされている。
 梨太はメモを拾い上げた。A4サイズ一面に、でかでかと書かれた下手な文字。もちろん日本語で。

『 で た 』

「……見ればわかるわっ!」

 梨太はメモを床にたたきつけた。

「つか『出た』ってなんだよ! これ過去形! 家の中に過去形のメモがあるのおかしいからな!? 文法間違ってるよ鮫島くん! それをいうなら『もう出る』もしくは『行く』! てかそういう台詞は僕が昨夜言いたかったんですよおおぉぁああ、出したりいったりしたかったあぁあ!」

 地団太を踏み、床にはいつくばってじたばた悶絶。頭を抱えて泣き叫ぶ。
 少年のフラストレーションをフローリングにしこたまぶち込んで、悲しみに暮れ――

 ――やがてゆっくりと、梨太は身を起こした。 

 癖のある前髪をかき上げ、隠されていた精悍な眉を引き締める。少女じみた温和な目元が強い光を帯びていた。
 顔を洗い、飲み物を作って、ノートパソコンを起動する。ウェブカメラとマイクを着け、位置を調節。
 デスクトップにあるアイコンから開くと、ページに、二十人ほど人間の名前が並んでいた。そのすべてのタグと、コールと書かれたアイコンをクリック。紅茶を飲みながら気楽に待機する。

 やがて、四つに割れた画面が一つ明るくなり、縮れた黒髪の女が映り込んだ。彼女は真っ白の歯を剥いて。

「やあ、リタ。ちょっと久々?」

 日本語ではない言葉でそう言う。

「やあサンドレッド、昨夜はコールくれてたのにごめんね。来客があってさ」

 日本語で返す梨太。彼女はそれをなんら支障なく聞き取り、また自国の言葉でおおらかに笑った。

「かまわないわよ、もう家についたのかなってワンコールしただけ。いまそっちは朝?」

「うん、今起きたとこ。朝から暑いや」

「こっちは毎日暑いのよ、贅沢言わないの」

 二人の会話はひと単語たりとも同じ言語を共有しない。それでもなんら滞ることなく日常会話が続いた。

 梨太は残り三つの画面が埋まらないことを見て取って、通信の本題を切り出す。

「ところでサンドラ、くだんの学生コンテスト、プロモーションで流す動画の試作品が出来たんだ。ちょっと見てくれるかな」

 サイト画面はじにある枠に、解像度の低い動画が映し出された。サンドレッドがワォとわかりやすい声を上げる。

「完成してるじゃない」

「いや、枠組みだけ作ってみたけども、ディティールは手つかず。ここから飾り付けが必要だね」

「リタがするの?」

「まっさか。僕にそのセンスがないのは知ってるでしょ」

 梨太は動画を消すと、再度別の物を表示させた。先ほどの動画を場面だけ切り取ったスクリーンショットに、ペンタブで手書きしたと思しき文字やエフェクトが付いた一枚画だ。それを数枚並べて見せる。

「これ、シーモアが書いてくれた構想兼指示書。エフェクトはヒナに頼んでるよ」

「へえ。うん、なかなかいいんじゃない。音楽は版権モノ買ったの?」

「いやー、だからそれをだねサンドラさん、お願いできないかなーっと」

「はい? タダで? あたしこのあいだ最終選考通ったの。ノベルゲームの下請けに採用決定、もうセミプロよ」

「本当? おめでとう! どうしてすぐ教えてくれなかったのさ。飛行機上ででもお祝いの歌を歌ったのに」

 歯を剥いて笑うサンドレッド。

「墜落するからやめなさいよ。いいわ、貸しにしとく。確か四分間よね? あたしの名前をどこかに入れさせてくれるならタダでも」

「ありがとう! でも六分に増えたんだ。サンドレッド・イルバートン、君の誉れある名前をみんなに紹介できて僕はとてもうれしいよ」

「あなたなんて大嫌いよ、もうっ」

「愛してるよサンドラ、今までたくさん助けてくれてありがとう」

「お互い様でしょ」

 そうして笑いあった直後、残り画面が二つほぼ同時に開かれた。短い金髪をたてた青年と、黒髪を長く垂らした痩せた男。金髪の青年は、右腕が無かった。

「ようリタ、おはようさん。先に声だけ聞いてたよ」

 サンドレッドとはまた違う言語だ。梨太は変わらず日本語で通す。

「こんばんはシーモア、ちょうどニュースで見たよ、地震があったって?」

「中央のほうはな。俺の家はブルブルっと来ただけさ。おかげで嫁さんの反応がいつもより良かった」

 黒髪の男が笑った。

「サンドラがいるのになんて話するんだよシーモア」

 また違う言語。サンドラが不機嫌な顔をして、シーモアが謝る。

「ごめんごめん、リタと話してるとすぐこのノリになっちまう」

「僕のせいにしないでくれる? こっちはついさっき自己催眠で、賢者タイム状態に落とし込んだばかりだってのに」

「ん? どうした。そういや昨夜はアクセス無かったけど、彼女と痴話喧嘩でもしてたかね」

「当たらずとも遠からず……いや、遠くはずれてるか。彼女でもないしケンカもしてないし」

 女性じゃないかもしれないし、という言葉はとりあえず伏せておく。

 さきほど叱られたばかりのシーモアがすぐに身を乗り出した。

「ほうほう、つまり、据え膳食い逃したってことだな? リタともあろうものが」

「おい、またか。そういうところだけ食いつきがいいな、シーモア博士。その熱意を研究の方へ回してほしいものだ。君は俺の首をどれだけ長くさせたいんだね」

「義足のほうはあれで完成型なんだよ。パラリンピック予選を見てないのか? もはや選手の個性に合わせる調整師の領域。義肢開発研究の場において、アッというような革新はしばらくはないよ。いまの研究最先端はコストの節減と、生体そっくりのリアルな外観かな。神経とのリンクは意外と伸び悩んでるんだ。現実問題、高すぎてエンドユーザーが動かない」

「俺としては、見かけを良くして四肢欠損を隠す方向にいってる風潮はいただけない。むしろ義肢だって不便はないと広くしらしめるべきなんだ。そのほうが障害者への偏見をなくし、雇用や結婚、実生活を豊かにすると思うけどな」

「それはキレイゴトだよアイク。まあ、どれも大事さ。答えは一つじゃない」

 梨太が言うと、サンドラはうなずいた。

「『ありのままでいい』と言う言葉は、われわれ研究開発者にとっては呪いの呪文。口にも耳にもしてはいけない言葉よ。どの分野においてもそうでしょう」

 アイクが苦笑いした。

「そういうつもりじゃなかったんだけどね……俺だって、リタの研究には期待しているよ。あのアプリが実用化、商品化されれば医療の現場にすぐにでも取り入れたい。介護現場の革命足りえる商品だ」

「でも人体に悪影響はない、っていう結論はまだ出てないんだろう?」

 シーモアが眉をひそめてそう言った。剽軽な言動がなくなると、青い瞳は急速にその温度を下げたようだった。友人を強くにらむようにして。

「悪いけどそれが確立されるまで、ゲームアプリの枠から出ることはないだろう。俺の仲間たちに届けることは出来ないね」

「もちろんだよ」

 梨太はほほえんでいった。

「だからこそ僕はこの夏、この町へ帰ってきたんだ。三週間後のイベントでは必ず企業スポンサーを獲得してやる」

「でもまだ販売できる状態じゃないんだろ」

「というか、値段が付けられない。というか、一般庶民が買えない価格に」

「きた! ここでもエンドユーザーのお財布事情か!」

 三人で苦笑い。
 それでも梨太は胸を張って見せた。

「ま、そのへんは目処がついてないこともない……ライト版を作ったから、とりあえずそれを売り込む。ってことで、さっきサンドラにプレゼン用のサウンドを頼んだとこだよ」

「それで、俺たちにはなにをさせたい?」

「シーモアにはサンドラと相談しながら再編集を。それと、これはアイクにも、『人体に悪影響がないと結論が出たら、ぜひ現場で取り入れたい』という、コメントを書いてほしい。臨床データ取りはお金がかかる。大学に予算出してもらうにはニードがいるんだよ」

「そんなの頼まれなくったってスピーチするよ」

「おなじく」

 梨太は破顔した。明るい笑い声をあげ、画面に向かってキスを飛ばすと、両手を広げた。声高に叫ぶ。

「ありがとう。二人とも愛してるよ!」

「あら、あたしは?」

「サンドラにはさっき言ったよ。もう一回欲しいの?」

 梨太の返事に、彼女はわかりやすく肩をすくめ、オーバーアクションで嘆いて見せた。

 シーモアがげらげら笑う。
 笑い上戸の隻腕の男は、梨太のこうした言動をえらく気に入っているらしい。かならず笑って、拾ってくるのだ。

「罪作りな男だよ、リタ。おまえは何人フィアンセがいるんだ?」

「残念ながら、絶賛独り身を謳歌中。一か所にじっとしてないしねえ。この日本も、ひと月くらいしかいられないし――」

「ほう。昨夜の彼女は、日本人か」

 どうしてもそこにつなげたいらしい。
 梨太が返事に困っていると、意外な伏兵が現れる。

「あたしも聞きたいわね。リタ、シゴトの代金として、昨夜の顛末を話しなさいよ」

「えー」

 梨太は頬を膨れさせ、不機嫌な声を上げた。

 研究の話をしているときよりはるかに目をきらきらさせて、画面に乗り出してくる三人に嘆息する。仏頂面のまま、早口で、

「話すほどのもんでもないよ。遠方の、まあなんというか、女友達がうちに泊まりにきたの。こっちは期待したけどあっちはそうでなかったみたいで、何にも出来ずに帰られてしまいましたとさ、おしまい」

 三人が大笑い。梨太はますます頬を膨らませ、そっぽを向いた。そうしたところで、子供が拗ねているようにしか見えない。年上の友人たちはみな、ますます腹を抱えて笑った。

「そりゃあ女が残酷だ! よほどの鈍感か悪女か、サバサバ気取りのお姫様か? 変なのに引っかかったな。ごくろーさん」

「そう簡単に言い切れない諸事情もあるんだよ」

「それは、最初はあちらもその気で、しかし途中で気が変わってしまうような失礼をリタがしたんじゃないのか?」

「なあにアイク、あんたもなんだかんだいってしっかり噛んでくるじゃないの」

「いや俺は――」

 梨太は机に突っ伏した。カメラに梨太のつむじだけが写される。

「……複雑な事情があるんだよ。でなきゃ剥いてるって」

「それってさあ」

 シーモアが口元をゆがませて言ってくる。

「結局、おまえさんが相手をそれほどスキスキじゃなかったってだけだろ。自宅で一晩、惚れた女がそばにいて、押し倒さずにいられる男がいるもんか。それが本気の恋ならな。リタのその賢い頭から理性も作戦もぶっ飛んじまえば、今頃となりにその子がいたはずさ」

「もしくはリタが檻の中ね」

 サンドラが言って、楽しそうに白い歯を剥いた。

 梨太は机に顔を伏せたまま、三ヶ国語の笑い声を聞く。
 カメラもマイクも及ばない位置で、唇をとがらせ、言い訳じみた独り言をぼやいていった。

「……理性までぶっ飛ぶ、本気の恋? そんなの、まず肌を合わせて、長いこと付き合って、ちょっとずつ積み重ねてできあがって行くものじゃないか。
 僕は――鮫島くんのことは、大好きだけど――見た目とか人柄とか、そんなものだけで、いきなり全身全霊注ぐなんてできないよ」


 一発やりたい、という情熱だけは本気なのだけど。


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