鮫島くんのおっぱい

とびらの

鹿さんと準備

 その翌日から、烏の巣へ乗り込む準備期間として三日間を定め、騎士らは各々で行動していた。

 鮫島の雌体化周期もあるが、ちょうどその日から週末で、梨太が休校となるのを見合わせたのもある。

 梨太は教師から紹介され、過去の学生寮の管理人をあたった。
 正式な書類はすでに廃棄されていたが、長年管理をつとめた男は簡略な見取り図は写真アルバムとともに保持しており、足りない部分を記憶で補完してくれた。
 鮫島や猪とも相談し、できる限り現場を再現。あらかじめ、毒の噴出口や電波の発生地をいくつか見当だけつけておく。特定は出来ないなりに参考にはできるだろう。

 翌日の放課後、梨太は犬居とともに郊外のショッピングセンターに居た。霞ヶ丘では手に入らない必要なものをいくつかと、まったくのオマケで、騎士団へのおみやげを買う。

 買い込んだ花とお菓子を見て、犬居が眉をひそめた。


「なんだ、おまえ、まさかそれを団長に贈る気じゃないだろうな」

「何いってんの、虎さんや猪さんへのお見舞いだよ。花は女性を口説くためだけにあるんじゃないでしょー。昨日は手ぶらだったけど、なんでオーリオウル経営の病院ってあんな殺風景なんだろ」

「……猪はともかく、虎は、もう起きないかもしれない」

「そういうものは考えないで、明日にでも回復するだろうから食べてねっていう気持ちで持っていくの。ま、やっぱり日持ちがするものにはしておくんだけどね」

 梨太は先ほど本屋で購入したものの紙袋を振った。そしてふと思いついて、

「犬居さん、ちょっとくじらくん貸して? 鮫島くんに連絡。僕のやつからは発信できないんだよね」

 犬居は小首を傾げながら、自分の深紅のくじらくんを操作し、梨太に渡してくれた。しばしあって、モニターに鮫島の顔が映る。彼はいま蝶とともに、アジトのすぐそばで見張りをしているはずだ。

「ねえねえ鮫島くん、猪さんに差し入れでエロ本持っていこうと思うんだけどさあ、どんなのが好みかって知らない? とりあえず鮫島くんに似た感じの黒髪美人を取ってみたけど、あの人もラトキアのひとだから、案外、鮫島くんに似た感じの黒髪ハンサム男子のほうがよかったかな」

 彼は梨太の口上をとりあえずすべて黙って聞いて、返事はせず、犬居に代わるようにと言った。くじらくんを受け取る犬居。

「はい、犬居……はい。わ、わかりました。はい。すみませんもう二度と」

 通信を切ってすぐ、返す刀で梨太の頭に拳骨をおとす。

「俺が怒られたじゃねーか!」

「えー、なにも変なこと言ってないのになあ」

「真面目に頭おかしいんじゃねえか!?」

 鮫島と違いポカポカぶん殴ってくる犬居であるが、別の意味で、梨太にはぜんぜん効果がないのだった。

「うーん、鮫島くんは何かほしいものがあるかって聞き損ねた」

 つぶやき、梨太は手元の花束を見下ろした。バラのミニブーケも買っておけばよかっただろうか。犬居が後ろ頭をかく。

「ったく、お前ってほんと、第一印象とちがうっつーか、意外な性格してるよな」

 梨太はぎょっとして振り返った。口をパクパクさせ、震える指で犬居を指さし、信じられないものをみたように口元を抑えて。

「犬居さん、僕のこと、優しい男だと思ってた時期があったの? 馬鹿なのっ!?」

「見た目との話だ、初対面五分でお前のことは大嫌いだ!」

「そうなんだ、僕は犬居さんのこと初対面五分でからかうとおもしろそうだと思ってたよ」

「騎士団で遊ぶなボケっ!」

 ぐりぐりこめかみを拳骨で圧してくるのをタップで止めて、梨太は息を吐きだした。


 帰りの電車内で、ポッキーを分けながら犬居と話す。

「ていうか、僕って別に女子っぽい要素ぜんぜんないよ。料理だの掃除だの、僕の知る限り女子のほうがズボラなの多いし」

 梨太がそんなことをいうと、犬居はなんだか複雑な顔をした。

「そうかあ?」

「そうだよ。男の人はダラシナイんだからぁなんて共依存の主婦が言いたいだけでしょ。それに付き合ってやる優しさもないし。そもそも僕は顔面の形がなんとなく丸くて小柄ってだけで、女性ホルモン多かないよきっと。父親似だしさ」

「お前がオッサンになって父親やってるって、想像したら気持ち悪いぜ。どこをどうしたらそうなるんだよ」

「だから二次性徴がちょっと遅いだけなんだよ、僕は。来月十七歳になったら身長だって伸びる予定。父親百八十あったもん、ひげもじゃだし」

「……お前がひげもじゃって、吐血するほど気持ち悪いんだが」

「そう? 実はなにげに毛深いよ僕。まあ男としては普通にね。猫っ毛で色が明るいからわかりにくいんだよな、ほらほら」

 梨太が差し出した上腕を、犬居は一度反射的に覗き見、産毛をつまもうと手を伸ばして――

「気持ち悪っ」

 と、途中で手を引っ込めた。


 翌日、下校した梨太を出迎えたのは鹿だった。
 前日に彼に乞われ、梨太は合い鍵を渡して自宅本棚を開放していた。とはいえ専門書のたぐいは電子書籍化しているから、半分以上はタブレットをみていたようだが。

 鹿は胸ほどまである青い髪を縛り、さらにヘアバンドでたくしあげ、おまけに分厚いめがねを鼻の上に乗せている。美男子がまるで台無しになるのを意にも介さずに、最新の成果を梨太へ報告した。

「いままで毒ガスそのものから既成の毒を特定はできなかったけど、団長が耐性を持つ二十種から組み合わせて同じものを『作ってみる』作業のほう、やってみたんです。こっちのほうが早いと思って。ガス状にし室内に充満させるとか、継続性などで完全再現はなりませんでしたが、虎ちゃんの症状にあう新毒薬を調合するには至りました」

「やるぅ。おつかれさま」

 梨太はそういって、昨日ショッピングモールで買っておいた、バンビのキャラクターがついたヘアクリップで、その前髪をとめてやる。鹿は苦笑いして少年を見上げた。

「液体での経皮毒です。これを上腕にポタリと垂らしたとして、一時間ほどで上腕までの神経が麻痺。回避としてはただちにその箇所をえぐりとるのが最適。止血して瀉血するのが次に有効。ただしそれは直後に限る」

「神経毒か。猛毒っていうかんじじゃないよね?」

「そうですね。毒そのものの威力というより、持続性がないんです。だから一度だけ吹き付けただけでは全身までは届かない。皮膚、血管は頑丈ですから。腕に塗布して昏倒、死亡させるのは無理でしょう。飲用しても無害。殺傷能力を持たせるには血中に直接注入するか、断続的に全身に塗ることが必要です」

「はあ、なるほど。んー、ヘビ毒に似てるなあ」

「そう、調合される前の四種はすべて動物毒、それも医療麻酔用に製品化されているものですよ。それを、烏は皮膚に浸透させる改良と、同時に超微粒子の霧状化させた――ということでしょう。……この改良は、厄介ですよ。騎士団には、つまり軍のガスマスクと軍服を通す無色無臭の毒ガスなんて存在しないとされてましたからね。……私は、その糸口もわからない。烏は、天才です」

「いやいや、ご謙遜。鹿さんはこの毒の分析はじめて二週間でしょ」

 梨太は鹿の背中をたたいてねぎらうと、彼とともにキッチンにこもった。犬居とともに買い込んできた薬品等、手に入った精製機材をありったけ使用する。

「厄介は厄介……だけど、リキッドから霧、ガス状になれば、その威力は格段に弱まるんじゃないかなあ。毒液の風呂に沈められるのとは比べようもないわけで。……となると、昏倒させるにはかなりの時間がかかる。侵入者をなるべく長く毒に浸したくて、入口から最奥まで噴出孔がひとつしかないとしたら、フロアの真ん中だよね」

 ガラス鍋を火にかけながら、梨太はひとり言のようにつぶやいた。鹿は黙ってそれを聞く。

「飲めるってことはマムシと同じたんぱく質性なのかなー? だったらなぜに皮膚に浸透するんだろう。そこも気になるけども、とりあえずそれは置いておいて……毒風呂。注入、注射。……注射か……」
 ――そんなことを呟きながら、梨太は沸き立つビーカーに向き直っていた。

 青い髪の美しい軍人は、梨太の様子をじっと見つめていた。
 梨太が視線をあげると、慌てて目をそらす。

「す、すみません」

 その挙動不審っぷりが面白くて、梨太がニヤニヤと見つめていると、彼は追いこまれた子犬のようにびくびくと体を縮めた。いじめてくださいと全身からにおい立つようなその所作に、梨太は思わずつつきたくなった。

 己の特性は自覚しているらしい。鹿は諦めたように、自嘲気味に笑った。

「あの……リ、リタさんって、すごい、ですね」

「うん? なにが?」

「その……い、いろいろ、と……だ、だって。団長にあんな……こ、怖くないのですか」

「鮫島くん? 怖くはないよ。鹿さんは鮫島くんのこと怖いんだ」

「え! や、あの、こわ、いって言うか」

「というか?」

「怖いっていうか……」

「というか?」

「…………お…………おそろしいです……」

 梨太は腹を抱えて笑った。

 鹿は慌ててなにか弁解しようと言葉を模索していた。嫌いじゃないんですと聞いてもないのに宣言し、首を振って、

「あの……私が、騎士になる前には軍の化学班にいたことは聞きましたか?」

 頷く梨太。

「だから、戦士出身じゃないし、この年で騎士団入りしたので、力が弱くて、どんくさくって。……イジメみたいなのもあって……。もう辞めたくて。それを団長に相談したら」

「うん」

「蹴られました」

「ふえ?」

 梨太が素っ頓狂な声を上げると、鹿は困ったように眉を垂れさせ、苦笑いした。

「ふふ。私の護身術の先生になってくれたんです。俺の蹴りが受けられるようになったらもう誰にも負けないって。それから毎日ボコボコですよ。……それで、半年くらい。団長の身体につま先を当てられるようになったときには、なんだかすごく自信がついて、イジメなんて怖くなくなりました」

「……鮫島くんらしいや」

 梨太は鮫島の不器用な優しさにほだされたが、鹿のほうはそれほど柔軟には受け止められていないようだった。複雑な顔をしているので、よっぽど鍛練が痛烈だったのかと窺ってみる。彼は首を振った。

「……それで……私が感謝の言葉を言いに行ったら、いきなり、お腹を摘まんで、『良し、だいぶ贅肉が減ったな』って。こ、公衆の面前で。『無意味に肥ってたからな、脂肪が取れたぶん動きが良くなってきているぞ。これからも頑張ってもう少し痩せろ』ってっ。こ、こ、こ、公衆の、面前でっ。自分がちょっとスマートだからって、自分は必要なとこまでスマートなくせに……!」

 ぶるぶる震えはじめた鹿に、梨太は軽く頭を抱えた。

「悪気はないんだろうけど……まあ、騎士さんも人間ですからねえ」

 梨太の呟きに、鹿は勢いよく顔を上げて、

「そう! そうなんです。私、あの人は、そういう人間として当たり前の感覚が無いのかと思ってました! だって耐久訓練でもいつも最後までいるし、行軍で弱音ひとつこぼしたこともないし。痛いとか辛いとか、でも、リタさんと、いたら、すごくよく笑うし。あんなに話すのも初めて見たので……」

 彼は初めはハイテンションにしゃべっていたが、やがてトーンダウンさせていく。言葉を失くし、しばらくモゴモゴと唇を動かしていたが、ふと、その表情を暗く落としていった。

「……私は……団長に謝らなくてはいけません」
「…………?」

 彼は青い目を伏せた。

「私は……ラトキアで、当時少年だった団長に毒を飲ませた人間の一人です」

 梨太は返事をしあぐね、ただ黙って彼を見つめた。

「……本人がいいといったから。上司である烏が作ったものだったから。私はそれを悪いとは感じていませんでした。ただ彼が毒液を飲みやすいよう味を調えたりとか。嘔吐したものを片づけたりだとか。つまらない雑用だと思っていました。まだ十にもならない少年が、何ミリリットル吐血をしたと記録しながら、もっと……責任のある仕事がしたいと、それだけ……。それだけしか……」

 鹿の青い瞳が閉ざされる。

「……毒って――人が死ぬもの、なんですよね……」

  梨太は指先で頬を掻いた。

「……虎ちゃん、元気になるといいね」

 そんなことを言ってみる。鹿は無言で唇をかんだ。

「鮫島くんのおっぱい」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く