苦役甦す莇

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Episode21 Marin devil

 俺は何度か夢と現実を往復してる内に、段々と夢と現実の境目が分からなくなって来ていた。


 恐らく現実の方では、俺は今海の上にいる。いや、厳密には『俺ら』は海の上にいる。


 先日のアジト襲撃を受けて、アジトを放棄するという話になったらしい。

 『らしい』というのは、俺はその話に参加出来ず、後でサクリに伝えてもらったからだ。

 話に参加出来なかった理由は簡単だ。傷が未だに完全に癒えきらないから。

 どうにも身体中に刻まれた傷跡が痛くて仕方ない。今のところほとんど身動きがとれず、寝たきりの状態である。


 話が少々脱線してしまった。とにかく俺らは今までのアジトを放棄して、海を越えて別の大陸にある場所に向かっている。

 なんでも、そこには昔使っていたアジトがあるらしい。

 そんなこんなで船を調達し、船員を雇い、海を渡っているわけなんだが......どうにも潮の匂いを感じないためか、海を実感出来ずにいる。


 前から感じている事だが、やはり俺の五感は穏やかに死につつある。潮の匂いを感じないのもそのせいだ。

 そして海を実感出来ないために現実感というのが薄れ、現実と夢の間を彷徨しているという有様なのである。


 俺は船の中の一室で出航からずーっと横になっているので外の様子がどんなもんかさっぱり分からない。

 そんな状況の中、俺はこんなヒマな船旅は生まれて初めてだな〜とぼんやり考えていた。

 俺が人生の中で船に乗った事があるのは今回を含めないで3回だ。

 1回目は小学生の頃。家族(この頃はもう環菜の家に引き取られていて、俺にとってはそれが家族だった。)でハワイに旅行に行った際に乗った事がある。
小学生の頃の記憶なのでイマイチ記憶が定かでは無いが、船の上で食ったハワイのパインが馬鹿みたいに美味かったのを今でも覚えている。


 2回目は中学生の頃。知り合いの船に乗せてもらった事がある。大学の研究だかの手伝いで、海に予め仕込んでおいた網を引き揚げる作業を延々と手伝わされたのを今でも覚えている。


 3回目は高校一年生の夏。この時は元々船に乗る予定は無かった。海で環菜達と遊んでたら、ボートが沖に流されてしまい、結果救助艇に助けて貰うハメになった。
俺の中のかなり恥ずかしい思い出の内の一つだ。


「具合はどうですか?アザムキさん。」
 換えの包帯を片手にサクリが部屋に入ってきた。

「特にこれと言って変わりないかな。外の様子はどうだい?」
 ココ最近、俺が気になるのは外のことばかりである。

 直接肌で感じて見る事が叶わないので、サクリに伝えてもらう事が唯一の暇つぶしであった。

「外は少し天候が荒れ始めて来ました。あと、なんか今から『魔の海域』とかいう場所に差し掛かるみたいで、サギさんが結界を張る準備をしてました。」

 魔の海域......バーミューダトライアングル的な何かかな?


「そうか。ありがとう。

サクリ、すまないがそこにある装甲服を着させてくれ。」

「ん?良いですけど......なんでこれを?」

「そろそろ自分で歩きたくなってきてな。」

 俺の装甲服......カエデには人口補助筋肉が内蔵されている。

 今体が全然動かせない俺でも、カエデを着れば動けるんじゃないかと思った次第だ。



 サクリに手伝ってもらい、なんとか着ることが出来た。

「手伝ってくれてありがとうサクリ。

カエデ。人口補助筋肉の数値を補正してくれ。補正の目安は自分で動くことが出来ない人間が日常生活を送れるレベル。」

『了解しましたマスター。補正致します。』

 装甲板の内側にあるアンダースーツが収縮したり膨らんだりしながら調整がなされた。

 ゆっくりと寝台から足を下ろし、地に足をつける。両足に力を込めて、脚を真っ直ぐに伸ばす。

「なんとか、立てるようだな。」

 俺はカエデに袖を通した瞬間、そう言えばあの時、カエデを着ていればこんな事にならなかったのではという思いがよぎった。ミラを拷問する際、俺はカエデを着ていなかった。

 理由は、拷問する為に対峙するのに必要ないと思ったからであったのと、カエデを着た状態で感情的になったら、聞きたいことを聞く前に殺してしまいかねないと思ったからだった。

 結果、奴の罠にまんまとハマってしまった訳だが。


 恐らく奴は1度目の襲撃後、1匹2匹の魔獣では俺を殺すことは出来ないと改めて実感したのであろう。

 俺を逃がしたのは、手持ちの魔獣を補充するためとも考えられた。


 いつでも殺せる。奴は俺にそう言った。

 そしてそれは事実だった。俺はホントに死にかけた。


 俺はゆっくりとサクリを見つめた。

「ん?アザムキさん。どうかしましたか?」

 サクリはあの事を何も覚えていない。

 俺を救った事も、ワイズマンが中に憑依した事も。

「いや、何でもないさ。」

 俺はそう言って目を逸らしたが、チラリとサクリの瞳を見やった。

 サクリの瞳の奥底には、夢の中で見たあの泉のような気が漂っている。


 俺は心を許した相手とは目を合わせて話すように努めている。

 そして、目を合わせて話すと『目は口ほどに物を言う』という諺にもあるように相手の心情がある程度読めるようになる。

 俺はサクリに心を許している......というよりサクリとの出会いの1件でサクリは俺に無条件で慕ってくれているのだから、当然といえば当然である。

 俺が死にかけた瞬間に見た光景は幻などでは無いと信じている。



 俺は部屋の外に出た。木造でかなり立派な造りの船である。

 今までずっと横になっていたので、俺にとってこの船の全てはあの部屋だけだった。

 こうして実際に歩いてみると、思ってたよりも広いんだなと感じた。


 内部をひと通り見て回ると、中央部にある階段から甲板に出た。甲板に頭を出すと、海風が俺の髪の毛をかきあげた。

 甲板には何人かの船員とサギがいた。サギが何やらブツブツ独り言を言ってるようなので、そっと後ろから近づいた。何を言ってるのか気になったからである。

 俺はゆっくりと近づきながら、耳に全集中力を込めた。

「......臨兵闘者皆陣烈在前......」

 九字護身法?

「......乾坎艮震巽離坤兌......」

 更にそれをサギなりに独自に発展させた結界か......

 九字護身法と言えば…...ホロウから教えて貰ったと推察するのが妥当だな。

 なおも結界の詠唱が続いてるあたり、かなり強力な結界を展開するつもりらしい。

 俺には九字護身法と八卦炉の詠唱の部分しか理解出来なかったが、未だブツブツとサギは唱え続けている。

 俺はサギの顔を見ようと、彼女の前に出た。

 彼女は詠唱に全集中力を注ぎ込んでいるらしく、俺の事など気にも留めていない。完全にアウトオブ眼中されていた。


 俺はなんとなく船首の方に向かって歩いた。進行方向に何があるか見てみたかった気持ちが少なからずあったからかもしれない。

 船首に立ってジーッと水平線の先を睨んでみた。

 視力はあまり良くない方だが、海と空が交わる一線に何やら怪しげな雲を見る事が出来た。
 あそこが『魔の海域』とやらなのかな?

 俺はそのまま視線をやや斜め上方向に移した。

 よーく目を凝らして見ると、灰色の雲の中に黒い点みたいなものがポツポツと点在しているのが見えた。そしてそれらは動いていた。

「出た出た…...『監視者』ども......」
 俺はうんざりするような気持ちでぼやいた。

「この辺はかなり危険な地帯だからな。監視も厳しいさ。水棲魔獣のレベルもアホみたいに高いぞ。」
 俺のボヤきを拾ったのはシナトラの声だった。

「まぁ......そうですよね......って、え?」
 俺は確かにシナトラの声がした方を振り向いた。

 しかし、そこに居たのはにこやかな笑みを浮かべたフランだった。

「驚いた?」
 そこに居るのは確かにフランである。口を動かしているのもフランである。

 しかし、聞こえてくる声はどこをどう切り取ってもシナトラのそれだった。

「え? え? え?」
 俺は目から入ってくる情報と耳から入ってくる情報の差異に混乱し始めた。

 混乱している俺を見て楽しむかのようにフランはにこやかな笑みを崩さない。

「どういうこと?」

 俺は訳が分からず、フランに何が起きてるのか説明して欲しかった。

 フランは黙ったまま、自身の首元を指さした。

 俺は促されるがままに、フランの首元を注視した。

「チョーカー?」

 そこには見慣れないチョーカーのような物があった。

 フランはそのまま首元に付けたそれを外した。

「これはね、変声機能付きのチョーカーなんだ! どう? 驚いた?」

 変声機を外した後のフランはいつもの声に戻っていた。

「あー、そーゆーことね。」

「えー!なんか反応うすーい!
もっと驚いてくれるかと思ったのにー!」
 フランは俺に顔をグイと近づけて俺のリアクション不足を咎めた。

「ウワースゴクオドロイター」
 俺はすごーく面倒くさそうに棒読みの乾いたオーバーリアクションをしてみた。

 するとその瞬間、俺の視界の端には二本の大きな大きな『触腕』が見えた。

「え? でかくね?」

 その二本の触腕があげた水飛沫は俺らをびちゃびちゃに濡らした。

 二本の触腕は天を貫く勢いで伸びていったかと思うと、ぐにょわんと伸びる方向を変え、この船に向かって伸びてきた。

 その触腕は大きいだけでなく、当然長い。元々明るくない天候だが、その二本の触腕のせいで船の上はより光が差さないようになってしまった。

 船に向かって伸びてきた二本の触腕は、突然見えない壁に阻まれたかのように、止まってしまった。

「なんとか、間に合ったね。」

 そう言ってこっちに近づいてきたのは、さっきまでずーっと詠唱し続けていたサギだった。

「これが結界ってやつ?」

「そう。かなり時間かけて練り上げた結界だから、ちょっとやそっとじゃ破られないから大丈夫。」

 サギは自信ありげな表情で語った。俺は注意深く船の上や船の周りを見回してみた。

「確かに、触腕は何も無い空間で止まってるように見える。

実際は触腕でこの船を潰すつもりだったんだろう。

しかし、さっき水中から触腕が出てくる瞬間にあがった水飛沫は結界をすり抜けてきたぜ?」

「この結界は特殊な結界なの。

魔獣とか魔力の高い物だけを受け付けない無いようになってて、水とか空気とか魔力の低い普ものは通り抜けられるようになってるの。」

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