苦役甦す莇
Episode10 God in the moon
窓鷲家
以前は威厳があった門の表札も随分と汚されてしまった。門や玄関には自分の父親を責める文言が殴り書きされていた。
「世間を惑わした罪を受けろ。」
家に入るとバカに静かだった。ゆっくりとリビングの引き戸を開けると、机に向かって沈んでいる父親と母親。私の顔を見ようともしない。
父親は少し前まで国内的に割と偉い役職についていた。しかし所謂不祥事が明るみに出て、この有様というわけである。
別になんとも思わなかった。常日頃から自分の娘を大事にしないような人の末路なんて。
私はその事件があってから、周りの人間の私に対する態度が変わったことを認識していた。
しかし、別にいじめに発展するわけでもなかった。そもそも他人との必要以上の接触は控えていたし、いい関係の距離を保っていたと思う。
それに、いじめの対象は別にあった。少し前に転校してきた少年がいた。その子を寄って集ってみんなでいじめているのである。
私は初め、傍観者の立場を取っていた。別に渦中に入っても何もありはしない。無駄なだけだと思っていた。
そして呆れてもいた。高校生にもなってこんな下らない事をしてるのかと。
しかしある日彼が発した言葉で私は突き動かされた。
「物事の本質を見抜けないような人間は三流だ。物事の表面だけを見て全てを知った気になる。」
その子は常日頃から浮世離れしたオーラを放っていて、私は彼の口から溢れる言葉の端々からそういった特別な感じが汲み取れた。
まぁ、それがいじめの原因に繋がったと思われるが。
彼が放った言葉。それはまるで私の心を見透かしてるようだった。
私は他人の本心なんて知らないという乾いた考えを持っていた、しかしそれを裏返してみると、私も他人からそう思われてるのである。
要は思いやりに欠けてるとかそういう事に肉薄する内容で、私は今まで心の底から信じ合える人間を持ったことが無かった。
彼が放った言葉に逆上した男子生徒はその子を殺さんばかりの勢いで殴りかかろうとしたが、私がすんでのところで止めた......というか結果的にカウンターパンチを食らわせた。
私がいきなり二人の間に割り込んで、拳を思いっきり握って前に突き出して固定した所にそいつが突っ込んできたのである。
私はその子の手を取って走り出した。
走ってる間、私は今までの自分からしたら考えられないような行動に出てる事に気がついた。
自分は初めて誰かの為に動いたのである。
家とは反対方向の川原まで走って逃げていた。
「助けてくれてありがとう......君の名前は?」
「私は窓鷲空音」
「僕は、真木渚」
まるでお互い初対面のようだった。
彼はまだクラスメイト全員の名前を覚えていなかったし、私もこの頃までは彼のことを特に意識した事はなかった。
それから少しお互いに身の上話をした。そして私は彼に家の事情なんかも話した。
すると彼はおもむろに「なぁ、この世界から抜け出したくは無いか?死ぬという意味ではなくて、違う世界に行きたくはないか?」と言ってきた。
私はその時の彼の言葉の意味を察しかねた。どこへ行こうとしてるのか分からなかった。
そこから彼はこの世界の住人ではないことや、自分が神であることなどを淡々と述べた。
そしてこちらの世界に来た理由は不義と背徳の世界から逃げ出したくなったそうなのだ。
向こうの世界では自分を信仰する者が最早存在しないかもしれないと。
そこまで聞いて、私はなんとなく思う節があった。民衆から見捨てられた父親の事を思い出した。
私は彼の誘いを1度は断った。しかし、1度家に帰ってまたあの暗い雰囲気に包まれると、私はここで朽ち果てたくないという自立心が芽生えた。
自分の机の上に遺書に近い書き置きをして、次の日また彼と話した。私はそれきり家に帰らなかった。
私は何故彼があっちの世界に戻る気になったのか尋ねた。
彼は私が救ってくれた光景を見て、自分も戦わなくてはいけないと思ったらしいのだ。
いつまで逃げても結局は先延ばしにするだけ。彼は私からそういった精神を学んだらしい。
彼は父親とは違った。彼には立ち上がろうとする不屈の意思があった。
私達はお互いにお互いが必要だと知った。そして彼は私に痣をくれた。
「僕の加護がクーネを守ってくれるよ。」
彼はただそう言っただけだった。
私たちはナギサが作ってくれた異世界への扉で渡ってきた。
しばらくは2人で身を潜めて生活した。そして事あるごとに彼は私に謝った。
それをされると私は辛くて仕方なかった。私はいつも彼が一通り謝って、自分のことを責めてしまわないように慰めてあげていた。
しかし、その時私は気づいていなかった。私は他人を救ってあげることは出来るけど、私を救う人はいてくれるのか? と。
その時はナギサと一緒にいた為にその感覚がマヒしていて何も感じなかったが、この事は早々に気づくべきであった。
ある日、彼はこの世界の皆の目の前に立って演説する事を覚悟した。
私は渚の思いを尊重するために、付いて行くことにした。
彼と私が並んで歩いていると数人の男が行く手を阻んだ。その中の1人は黄金の矢を片手に持っていた。
その男は黄金の矢を弓に番えて、弓を引き絞った。双眸には確実に殺すという気迫があった。
男が弦から手を離す瞬間、ナギサは私を庇った。私は渚の背中から飛び出た黄金の矢を目にして、狂いそうになった。
私はナギサの手を握って、彼が死ぬ瞬間まで離さないようにしようと思った。
彼は血でいっぱいになった口から何か伝えようとしたが、最早話すことすらままならない様であった。
「好きだ。」
そう聞こえた気がした。だから私は
「知ってる。」
ただそう答えただけだった。
彼は息を引き取ると、その骸はゆっくりと宙に浮かんでいった。
天に召されるという言葉がピッタリと当てはまるくらいの情景だった。
男達は嘲笑した。この世界に神なんて要らないと。その姿はとても醜く、男は弓を捨ててどこかへと消え去った。
その日から空には月が2つ見えるようになり、世界は私を「あの憎むべき神が愛した女」呼ばわりして、私は誰も信じられなくなった。
あの日から私はあの男が捨てて行った弓を使うようになった。ナギサを殺した矢を放った弓を。
その弓を使う事は自分にとって、戒めと復讐の意味を持っていた。
そして、ナギサが死んだ後も彼の加護は続いていた。
痣は一向に消える気配は無かった。そのかわりに変な力が目覚めた。
私は逃げた。ありとあらゆる人間の手から痣も力も隠して、逃げて逃げて逃げた。
どこに逃げていいか分からないけど、とにかく遠くへ、とにかくここではないどこかへ。
逃げてるうちに段々悲しくなってきた。この世界には誰も味方なんていないって。
そう考えて走ってるうちに、シナトラと出会った。最初はシナトラの事も敵意剥き出しで睨みつけた。
しかし、彼女は自分を受け入れてくれた。彼女のギルドに入って仲間が出来て嬉しかった。
だけど、痣と力の事は黙ったままにしておいた。この世界の住人では無いことも話さなかった。
どんなに仲良くなっても、彼らは所詮この世界の住人。いつか裏切られるかもしれないと思うと、恐ろしくて言い出せなかった。
ある日、星空に沢山の流れ星が流れ、私はその流れ星たちに願った。外の世界の人に会いたいと。
その次の日、アザムキが加わった。彼はどこか昔の自分に似ていた。そして彼もまた、外の世界から来た人だった。
以前は威厳があった門の表札も随分と汚されてしまった。門や玄関には自分の父親を責める文言が殴り書きされていた。
「世間を惑わした罪を受けろ。」
家に入るとバカに静かだった。ゆっくりとリビングの引き戸を開けると、机に向かって沈んでいる父親と母親。私の顔を見ようともしない。
父親は少し前まで国内的に割と偉い役職についていた。しかし所謂不祥事が明るみに出て、この有様というわけである。
別になんとも思わなかった。常日頃から自分の娘を大事にしないような人の末路なんて。
私はその事件があってから、周りの人間の私に対する態度が変わったことを認識していた。
しかし、別にいじめに発展するわけでもなかった。そもそも他人との必要以上の接触は控えていたし、いい関係の距離を保っていたと思う。
それに、いじめの対象は別にあった。少し前に転校してきた少年がいた。その子を寄って集ってみんなでいじめているのである。
私は初め、傍観者の立場を取っていた。別に渦中に入っても何もありはしない。無駄なだけだと思っていた。
そして呆れてもいた。高校生にもなってこんな下らない事をしてるのかと。
しかしある日彼が発した言葉で私は突き動かされた。
「物事の本質を見抜けないような人間は三流だ。物事の表面だけを見て全てを知った気になる。」
その子は常日頃から浮世離れしたオーラを放っていて、私は彼の口から溢れる言葉の端々からそういった特別な感じが汲み取れた。
まぁ、それがいじめの原因に繋がったと思われるが。
彼が放った言葉。それはまるで私の心を見透かしてるようだった。
私は他人の本心なんて知らないという乾いた考えを持っていた、しかしそれを裏返してみると、私も他人からそう思われてるのである。
要は思いやりに欠けてるとかそういう事に肉薄する内容で、私は今まで心の底から信じ合える人間を持ったことが無かった。
彼が放った言葉に逆上した男子生徒はその子を殺さんばかりの勢いで殴りかかろうとしたが、私がすんでのところで止めた......というか結果的にカウンターパンチを食らわせた。
私がいきなり二人の間に割り込んで、拳を思いっきり握って前に突き出して固定した所にそいつが突っ込んできたのである。
私はその子の手を取って走り出した。
走ってる間、私は今までの自分からしたら考えられないような行動に出てる事に気がついた。
自分は初めて誰かの為に動いたのである。
家とは反対方向の川原まで走って逃げていた。
「助けてくれてありがとう......君の名前は?」
「私は窓鷲空音」
「僕は、真木渚」
まるでお互い初対面のようだった。
彼はまだクラスメイト全員の名前を覚えていなかったし、私もこの頃までは彼のことを特に意識した事はなかった。
それから少しお互いに身の上話をした。そして私は彼に家の事情なんかも話した。
すると彼はおもむろに「なぁ、この世界から抜け出したくは無いか?死ぬという意味ではなくて、違う世界に行きたくはないか?」と言ってきた。
私はその時の彼の言葉の意味を察しかねた。どこへ行こうとしてるのか分からなかった。
そこから彼はこの世界の住人ではないことや、自分が神であることなどを淡々と述べた。
そしてこちらの世界に来た理由は不義と背徳の世界から逃げ出したくなったそうなのだ。
向こうの世界では自分を信仰する者が最早存在しないかもしれないと。
そこまで聞いて、私はなんとなく思う節があった。民衆から見捨てられた父親の事を思い出した。
私は彼の誘いを1度は断った。しかし、1度家に帰ってまたあの暗い雰囲気に包まれると、私はここで朽ち果てたくないという自立心が芽生えた。
自分の机の上に遺書に近い書き置きをして、次の日また彼と話した。私はそれきり家に帰らなかった。
私は何故彼があっちの世界に戻る気になったのか尋ねた。
彼は私が救ってくれた光景を見て、自分も戦わなくてはいけないと思ったらしいのだ。
いつまで逃げても結局は先延ばしにするだけ。彼は私からそういった精神を学んだらしい。
彼は父親とは違った。彼には立ち上がろうとする不屈の意思があった。
私達はお互いにお互いが必要だと知った。そして彼は私に痣をくれた。
「僕の加護がクーネを守ってくれるよ。」
彼はただそう言っただけだった。
私たちはナギサが作ってくれた異世界への扉で渡ってきた。
しばらくは2人で身を潜めて生活した。そして事あるごとに彼は私に謝った。
それをされると私は辛くて仕方なかった。私はいつも彼が一通り謝って、自分のことを責めてしまわないように慰めてあげていた。
しかし、その時私は気づいていなかった。私は他人を救ってあげることは出来るけど、私を救う人はいてくれるのか? と。
その時はナギサと一緒にいた為にその感覚がマヒしていて何も感じなかったが、この事は早々に気づくべきであった。
ある日、彼はこの世界の皆の目の前に立って演説する事を覚悟した。
私は渚の思いを尊重するために、付いて行くことにした。
彼と私が並んで歩いていると数人の男が行く手を阻んだ。その中の1人は黄金の矢を片手に持っていた。
その男は黄金の矢を弓に番えて、弓を引き絞った。双眸には確実に殺すという気迫があった。
男が弦から手を離す瞬間、ナギサは私を庇った。私は渚の背中から飛び出た黄金の矢を目にして、狂いそうになった。
私はナギサの手を握って、彼が死ぬ瞬間まで離さないようにしようと思った。
彼は血でいっぱいになった口から何か伝えようとしたが、最早話すことすらままならない様であった。
「好きだ。」
そう聞こえた気がした。だから私は
「知ってる。」
ただそう答えただけだった。
彼は息を引き取ると、その骸はゆっくりと宙に浮かんでいった。
天に召されるという言葉がピッタリと当てはまるくらいの情景だった。
男達は嘲笑した。この世界に神なんて要らないと。その姿はとても醜く、男は弓を捨ててどこかへと消え去った。
その日から空には月が2つ見えるようになり、世界は私を「あの憎むべき神が愛した女」呼ばわりして、私は誰も信じられなくなった。
あの日から私はあの男が捨てて行った弓を使うようになった。ナギサを殺した矢を放った弓を。
その弓を使う事は自分にとって、戒めと復讐の意味を持っていた。
そして、ナギサが死んだ後も彼の加護は続いていた。
痣は一向に消える気配は無かった。そのかわりに変な力が目覚めた。
私は逃げた。ありとあらゆる人間の手から痣も力も隠して、逃げて逃げて逃げた。
どこに逃げていいか分からないけど、とにかく遠くへ、とにかくここではないどこかへ。
逃げてるうちに段々悲しくなってきた。この世界には誰も味方なんていないって。
そう考えて走ってるうちに、シナトラと出会った。最初はシナトラの事も敵意剥き出しで睨みつけた。
しかし、彼女は自分を受け入れてくれた。彼女のギルドに入って仲間が出来て嬉しかった。
だけど、痣と力の事は黙ったままにしておいた。この世界の住人では無いことも話さなかった。
どんなに仲良くなっても、彼らは所詮この世界の住人。いつか裏切られるかもしれないと思うと、恐ろしくて言い出せなかった。
ある日、星空に沢山の流れ星が流れ、私はその流れ星たちに願った。外の世界の人に会いたいと。
その次の日、アザムキが加わった。彼はどこか昔の自分に似ていた。そして彼もまた、外の世界から来た人だった。
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