甘い話には裏があるのが常識だ
甘い話には裏があるのが常識だ
僕は至って普通の人間である。RPGなどに出てくる村人Fぐらいの人間なのだ。
もっと分かりやすく言うとするならば、僕が居なくても居たとしても世界は別に何の影響も無いというわけだ。もし影響があったとしてもそれは誰もが経験する様な本当に日常的な変化みたいなもので多くの人間に影響を与えることはできない。海に向かって石を投げてみるも影響があるのは落ちた周辺だけみたいなそんな感じ。だけどさ、やはりそんな一般人の僕でもどこかで主人公になりたいとか有名になりたいとか非日常を味わいたいとか思うわけで、だけどそんなことは現実的に考えても有り得ないことなんだけど。意外とそんな非現実的な世界は自分のすぐ近くに、手がすぐ届くぐらい近くにあるのであった。でもそこに辿り着けるのは少ない者で、そこに辿り着けたとしても非現実を受け入れないという者もいるのも事実だ。
そして僕はそこに辿り着けたのは良かったものの非現実を認められない者であった。
「あの……要するにそれってどういうわけなんですか?」
僕の目の前の椅子に腰掛けている20代前半のスーツ姿の男性に尋ねる。彼の名前は佐藤さんというらしい。首から掛けている名札ですぐに分かるし、自己紹介と共に名刺を渡されたから覚えている。
「要するに私達が貴方にオススメしているのは寿命を売りませんか? って話です」
どこかのまとめスレで同じ様な話を聞いたことがある。
「それって最近の流行りなんですか? 寿命売るのって」
「いやいや、違いますよ。鈴木さん」
鈴木さんーーつまり、僕。
19歳。県内有数の私立高校に入学するもすぐに落ちこぼれになり、努力をしなかった結果第3志望の大学に入学。
しかし第3志望という中途半端な大学に進んだ結果、サボリがちになり、中退。その後、親に本気で頑張るからという理由をつけ1年間の浪人生活を貰い、勉強中。
でも最近は勉強もサボりがちになって、殆どゲームや漫画をしたりで時間を潰しているただのニート。
それが今のスペック。本当に情けない。
「話、しっかりと聞いてますか?」
佐藤さんはイケメンである。
お世辞でも何でもなく、本当にかっこいい。
髪は茶髪で、何か清潔感があるし。
それにいい匂いがする。
香水でもつけているのだろうか。
「あ、はい。聞いてますよ。あの……寿命を売るってことですよね?」
あまりにもオカルト宗教なのだろうか。
そんなことを思ってしまったがそれは無い。
最近ニュースでも話題になっている商売なのらしい。話によれば、その人の才能や学歴、ましてやその人の戸籍までの目に見えないものまでも売ることができるということだ。
「そうですそうです。寿命以外に売れるものは無いでしょ? 流石に」
寿命を売るという行為の方が流石にという言葉を使いたい。そんなにも僕は無価値なんですかね。
「そうですね。寿命以外に高く売れるものってありますかね……?」
「寿命以外に高いものですかぁー。少し待ってくださいね。あ、えぇっと……。お!? これは高いですよ!」
そう言って、佐藤さんが指差してくれたのは高卒資格というものだった。
「これが売れるんですか……? 高値で」
「はい! 勿論ですよ。だって、鈴木さんの通っていた学校は有名進学校じゃないですか。意外と学歴は高いんですよ。高校だったとしても。学歴コンプって言葉を知ってますか? それになる人が最近は多くてですねぇ〜。高値で買い取りしてるんですよ」
意気揚々と佐藤さんは話始めた。
高卒資格か。別に要らないか。
いや、でもどうだろう。
ここで高卒資格が無くなると実質中卒ニートになっちまうよな。
「あの……例えばなんですけど。売ったら……この学歴ってどれくらいで売れますか?」
「軽く一千万円は軽く越すでしょうね」
「い、一千万円!?」
「はい。そうですよ。さっきも言ったとおり、学歴コンプになる人。例えば、有名人や政治界で活躍する人にとっては高校や中学、ましてや小学校までもがステータスになるんです。だから学歴は高いんですよ」
さっきまでの説明と合わせてとても分かりやすかった。それにしても一千万円というのは高いな。
「あの……じゃあ、査定をお願いします!」
「はい、かしこまりました。少し、調べてきますのでここでお待ち下さい」
そう言われ、待つこと数十分。
佐藤さんがニコニコしながら戻ってきた。
「1億です」
「い、1億!? さっきの10倍じゃ無いですか! どうしてですか?」
「あのですね。実はこの高校、名前が変わったんですよ」
「名前が変わった? えっ? どういうことですか?」
「近くにあった私立の高校と合併したんです。それで名前が変わってしまい……この学歴にプレミアが付いたというわけです」
ぷ、プレミアが付いた?
学歴にプレミアが付くというのは変な感じがするが本の絶版とかそんなものと同じなのだろう。
「あの。じゃあ、売ります!」
そう、1億だ。1億。
生涯賃金の約半分だ。
それがたったのあの高校を卒業しただけで貰えるのなら誰もが売るだろう。それにいざとなったら、何か他のモノを売ればいい。
「はい。かしこまりました。しばらく、お待ちください」
佐藤さんはそう言って、どこかに行ってしまった。書類とかを取りに行っているのだろう。
それにしても目に見えないものが売れるというのは面白い商売だ。そう言えば、記憶を売る人の話があった気がする。その話では色々なことを体験した記憶を売るという話だったはずだ。
どういう終わり方をしたのかはもう覚えていない。
「お待たせしました。キャリーバッグとかはお持ちでは無いみたいなので今回はサービスとさせて頂きます」
佐藤さんの手には大きな黒のキャリーバッグがあった。その中身に1億があるのだろう。
ドン!
と音を立て、キャリーバッグをテーブルに置く。別段、お金でテーブルが軋むことは無かったけど、僕の口からは感嘆が上がっていた。
「ぜひ、中身を見てください」
「は、はい」
少しオドオドしながらもキャリーバッグを開くとそこには札束がこれでもかと入っていた。
わざわざ1億を数えるのは面倒くさいので数えることはしなかった。そこまで僕はケチではない。それにそんな大金を前にして驚いていたのだろうと思う。僕は村人Fだから。
「はははっ、あまりの金額に声も出ないみたいですね」
佐藤さんは笑っていた。
笑う姿もイケメンだった。
その顔を売ってもらいたいものだ。
まぁ、売ることはできないと思うが。
「あの……こんな金額を持っていたとしたら、襲われる可能性とかあるんじゃないですか?」
「はははっ。それは有り得るかもしれません。ですが大丈夫ですよ。こんな大金を持っている人は少なからず今の世の中には沢山います。それに襲われるのが貴方という可能性は極めて少ないと思います」
今の世の中。
つまりこの商売が始まって以来、経済は著しく良くなった。それもそうだ。
日本の中で最難関と言われる大学の学歴もお金を払えばすぐに手に入るし、戸籍も手に入る。それに友人関係ってのも手に入るらしい。世の中金。
そんな言葉が正しいくらいに。
本当に怖いものだ。
「あの、前から思ってたんですけど。学歴を手に入れたとしてもその人が有能じゃ無ければ全く使えないと思うんですけど」
「それもそうですね。ですが学歴を手に入れる程のお金を持っている人っていうのは限られてきますよね。つまりはそういうことですよ」
確かにそうだ。普通の人間がそんな大金を持っているとは限らないしな。
「それにもしも高卒資格を持っていなければ、大卒資格を手に入れることはできない決まりなんですよ」
要するにそれは法に乗っ取るわけか。
「なるほど。そういう仕組みなんですね。というか、学歴を売ったはまだしも才能を売ったとか健康を売ったとか病気を売ったとかそういう類ってどうなっているんですか?」
「ははぁー。それは企業秘密ですと言いたい所ですが、話しておきましょう。あの貴方って『もしもボックス』って知ってますか?」
「はい。分かりますよ。あの猫型ロボットの話ですよね?」
「はい。そうです。それと同じ原理ですよ、要は」
「そう言われましても……。もっと詳しく説明を」
「はい。そうですね。要するに私達の仕事は『もしもボックス』的なものを使って、貴方達を今の世界とは少し違った。つまり今回の場合では『鈴木さんの学歴が中卒だったら』という別世界に飛ばしているわけですよ」
「でもそれだったら別に買い取りをする必要は無いんじゃないですか? 相手の願望を叶える為だけに使えばいいじゃないですか? わざわざ人の何かを買い取るというのは商売として成り立たないというか利益が少ないと思うんですけど」
「鈴木さん、ナイス質問です。確かに貴方の言う通り、私達が相手に何かを与えるという商売の方がやりやすいですし、利益が出るのも事実です。ですが、そうしてしまうと世界のバランスが崩れるんですよ」
「世界のバランス?」
「はい。そうです。世界のバランスです。もしも、誰もが同じ学歴や才能を持っていたとしたら世界は成り立ちません。そうなってしまうと世界には矛盾が発生します。簡単に説明するならば、こちらの世界では貴方の学級には30人しか居なかったと仮定します。ですが、向こうの世界では31人となってしまった。そうなると世界のバランスがおかしくなります。それを防ぐ為にこの買い取りをさせて頂いているのですよ」
なるほど。つまり、誰かが抜けた穴に誰かを入れることはできたとしても自分達で勝手に穴を作るという行為はしてはいけないということなのだろう。
「ならばここに来た人は違う世界。つまり別世界に行ってしまうということなんですか?」
「簡単に説明するとそうなりますね。パラレルワールドというやつですよ。そうなれば貴方の周りは少し違った環境になるかもしれません。でも大丈夫ですよ。すぐに慣れますから」
「そういう問題なんですかね……。あの、どこからその環境は変わるんですか?」
「この店を出た瞬間から環境は一変します」
「そうですか……。あの、大丈夫ですかね? 外に出ても仕事とかってありますかね?」
「意外と将来のことをしっかりと考えているんですね。少し安心しました。ではお仕事を探しているんですね。少しだけお時間を頂ければ、お探ししますけどどうします?」
仕事か……。
確かに仕事というのはいいかもしれない。
僕はこの建物を出た瞬間から『中卒』になってしまう。そうなると仕事が見つからない可能性もある。それならここで探してもらうのがいいかもしれない。
「見つかりました。この中からお探しください」
慌てて入ってきた佐藤さんは大量のファイルを持ってきた。この中から選べというわけか。
中々多いな。
「この中で一番給料が高くて、楽な仕事ってなんかありますか?」
「これなんかどうですかね?」
「あっ、これ良いかもしれませんね。僕、これにします!」
僕が選んだ仕事は家庭教師だった。
それも中学生の家庭教師。
家庭教師先は中学三年生の女の子。
どうやら僕と同じく受験勉強らしい。
「見つかって良かったですね。ではっ、こちらへ」
佐藤さんに促されるままに変な個室に入れられた。
「ここで十分程お待ち下さい。手続きを開始いたしますので」
「あ、はい。分かりました」
佐藤さんはそのまま部屋を出ていった。
部屋には僕しかいなかった。あるのはテーブルとソファー、そしてテレビだけだった。
ソファーに座り、佐藤さんが来るまで待とう。
スマートフォンを取り出し、ブラウザを開く。
「あれ……? おかしいな。電波入ってない」
「建物の中だからなのかもしれないな」
佐藤さんが戻ってきた。
僕が思っていたよりも早かった。でも時計の針は十分も過ぎていた。
「お待たせしました。すいませんね、貴重なお時間を取らせてしまって」
「いえいえ、別に大丈夫ですよ。で、鈴木さん。
この扉をお開け下さい。この扉を開けばそこには貴方が待ち望んでいる世界があります。
但しそこへ行くためには白い霧を通り過ぎて行かなければなりません。でも絶対に後ろを振り返っては行けませんよ。振り返ってしまえば、貴方はこの世界から消滅してしまいますので」
「あ、はい。分かりました。では短い時間でしたが、どうもありがとうございました。佐藤さん。
もしかしたらまた会えるかもしれませんね」
「こちらこそです。鈴木さん。
ではっ、また……」
僕が扉を開けると白い霧がボワッと顔に掛かった。
眠気を誘うようなそれに僕は一歩一歩足を踏み出した。
この先に広がる新たな世界へと向かって。
✢✢✢
「よしっ、100匹目。これで今月のノルマ達成ですね」
佐藤は顔を綻ばせた。
「あ、佐藤さん。今回もノルマ達成したんですか?
凄いですねぇ〜。僕なんて、まだまだですよ」
佐藤に喋りかけてきたのは後輩の吉野宮。
まだまだ新人の彼はまだ仕事に慣れてはいないが、今後一番期待ができる人だと佐藤は思っている。
佐藤が勤めているこの会社は表向きは『何でも買い取り可能な商売』としてニュースにでも取り上げられているが実際の所はただの食肉センターである。当初はハローワークとして成り立っていたが次第に客が枯渇した為、『買い取り屋』として売り出したのが成功の鍵であった。
インターネットなどの口コミでは職員達がサクラをして、客を集めている。その甲斐あってか、あっという間に人気に火がついた。
「佐藤さん。一つ聞いてもいいですか?」
「何ですか? 吉野宮さん」
「あの……佐藤さんはこの仕事をどう思っていますか?」
「どうって……」
「あ、あの……。別に変な意味じゃなくて、この仕事ってその食肉センターじゃないですか。それも人を騙して、そのまま出荷するって言うのは」
「あぁーそのことですか。吉野宮さん。
別に大丈夫ですよ。というか寧ろ安心してください。
貴方がまだ新人なのでその気持ちになるのは当然かと思いますが、次第に慣れていきます。それにですね、今の人の人口は多過ぎます。だからこそ削って行かなければならないのですよ。そうしないと人類全体が食糧難になりますからね」
「は、はぁー。そうですか。でも騙すのは……」
「私達もですね。そんなに悪ではないのですよ。
この世界に本当に不必要と思った人だけを排除しているんです。だから安心して下さい。
ほらっ、仕事に戻って下さい。
私はこちらの肉の出荷先を確認しますので」
「わ、分かりました……」
吉野宮は佐藤の前から立ち去りながら思う。
この世界に不必要な人間は居るのだろうか、と。
もっと分かりやすく言うとするならば、僕が居なくても居たとしても世界は別に何の影響も無いというわけだ。もし影響があったとしてもそれは誰もが経験する様な本当に日常的な変化みたいなもので多くの人間に影響を与えることはできない。海に向かって石を投げてみるも影響があるのは落ちた周辺だけみたいなそんな感じ。だけどさ、やはりそんな一般人の僕でもどこかで主人公になりたいとか有名になりたいとか非日常を味わいたいとか思うわけで、だけどそんなことは現実的に考えても有り得ないことなんだけど。意外とそんな非現実的な世界は自分のすぐ近くに、手がすぐ届くぐらい近くにあるのであった。でもそこに辿り着けるのは少ない者で、そこに辿り着けたとしても非現実を受け入れないという者もいるのも事実だ。
そして僕はそこに辿り着けたのは良かったものの非現実を認められない者であった。
「あの……要するにそれってどういうわけなんですか?」
僕の目の前の椅子に腰掛けている20代前半のスーツ姿の男性に尋ねる。彼の名前は佐藤さんというらしい。首から掛けている名札ですぐに分かるし、自己紹介と共に名刺を渡されたから覚えている。
「要するに私達が貴方にオススメしているのは寿命を売りませんか? って話です」
どこかのまとめスレで同じ様な話を聞いたことがある。
「それって最近の流行りなんですか? 寿命売るのって」
「いやいや、違いますよ。鈴木さん」
鈴木さんーーつまり、僕。
19歳。県内有数の私立高校に入学するもすぐに落ちこぼれになり、努力をしなかった結果第3志望の大学に入学。
しかし第3志望という中途半端な大学に進んだ結果、サボリがちになり、中退。その後、親に本気で頑張るからという理由をつけ1年間の浪人生活を貰い、勉強中。
でも最近は勉強もサボりがちになって、殆どゲームや漫画をしたりで時間を潰しているただのニート。
それが今のスペック。本当に情けない。
「話、しっかりと聞いてますか?」
佐藤さんはイケメンである。
お世辞でも何でもなく、本当にかっこいい。
髪は茶髪で、何か清潔感があるし。
それにいい匂いがする。
香水でもつけているのだろうか。
「あ、はい。聞いてますよ。あの……寿命を売るってことですよね?」
あまりにもオカルト宗教なのだろうか。
そんなことを思ってしまったがそれは無い。
最近ニュースでも話題になっている商売なのらしい。話によれば、その人の才能や学歴、ましてやその人の戸籍までの目に見えないものまでも売ることができるということだ。
「そうですそうです。寿命以外に売れるものは無いでしょ? 流石に」
寿命を売るという行為の方が流石にという言葉を使いたい。そんなにも僕は無価値なんですかね。
「そうですね。寿命以外に高く売れるものってありますかね……?」
「寿命以外に高いものですかぁー。少し待ってくださいね。あ、えぇっと……。お!? これは高いですよ!」
そう言って、佐藤さんが指差してくれたのは高卒資格というものだった。
「これが売れるんですか……? 高値で」
「はい! 勿論ですよ。だって、鈴木さんの通っていた学校は有名進学校じゃないですか。意外と学歴は高いんですよ。高校だったとしても。学歴コンプって言葉を知ってますか? それになる人が最近は多くてですねぇ〜。高値で買い取りしてるんですよ」
意気揚々と佐藤さんは話始めた。
高卒資格か。別に要らないか。
いや、でもどうだろう。
ここで高卒資格が無くなると実質中卒ニートになっちまうよな。
「あの……例えばなんですけど。売ったら……この学歴ってどれくらいで売れますか?」
「軽く一千万円は軽く越すでしょうね」
「い、一千万円!?」
「はい。そうですよ。さっきも言ったとおり、学歴コンプになる人。例えば、有名人や政治界で活躍する人にとっては高校や中学、ましてや小学校までもがステータスになるんです。だから学歴は高いんですよ」
さっきまでの説明と合わせてとても分かりやすかった。それにしても一千万円というのは高いな。
「あの……じゃあ、査定をお願いします!」
「はい、かしこまりました。少し、調べてきますのでここでお待ち下さい」
そう言われ、待つこと数十分。
佐藤さんがニコニコしながら戻ってきた。
「1億です」
「い、1億!? さっきの10倍じゃ無いですか! どうしてですか?」
「あのですね。実はこの高校、名前が変わったんですよ」
「名前が変わった? えっ? どういうことですか?」
「近くにあった私立の高校と合併したんです。それで名前が変わってしまい……この学歴にプレミアが付いたというわけです」
ぷ、プレミアが付いた?
学歴にプレミアが付くというのは変な感じがするが本の絶版とかそんなものと同じなのだろう。
「あの。じゃあ、売ります!」
そう、1億だ。1億。
生涯賃金の約半分だ。
それがたったのあの高校を卒業しただけで貰えるのなら誰もが売るだろう。それにいざとなったら、何か他のモノを売ればいい。
「はい。かしこまりました。しばらく、お待ちください」
佐藤さんはそう言って、どこかに行ってしまった。書類とかを取りに行っているのだろう。
それにしても目に見えないものが売れるというのは面白い商売だ。そう言えば、記憶を売る人の話があった気がする。その話では色々なことを体験した記憶を売るという話だったはずだ。
どういう終わり方をしたのかはもう覚えていない。
「お待たせしました。キャリーバッグとかはお持ちでは無いみたいなので今回はサービスとさせて頂きます」
佐藤さんの手には大きな黒のキャリーバッグがあった。その中身に1億があるのだろう。
ドン!
と音を立て、キャリーバッグをテーブルに置く。別段、お金でテーブルが軋むことは無かったけど、僕の口からは感嘆が上がっていた。
「ぜひ、中身を見てください」
「は、はい」
少しオドオドしながらもキャリーバッグを開くとそこには札束がこれでもかと入っていた。
わざわざ1億を数えるのは面倒くさいので数えることはしなかった。そこまで僕はケチではない。それにそんな大金を前にして驚いていたのだろうと思う。僕は村人Fだから。
「はははっ、あまりの金額に声も出ないみたいですね」
佐藤さんは笑っていた。
笑う姿もイケメンだった。
その顔を売ってもらいたいものだ。
まぁ、売ることはできないと思うが。
「あの……こんな金額を持っていたとしたら、襲われる可能性とかあるんじゃないですか?」
「はははっ。それは有り得るかもしれません。ですが大丈夫ですよ。こんな大金を持っている人は少なからず今の世の中には沢山います。それに襲われるのが貴方という可能性は極めて少ないと思います」
今の世の中。
つまりこの商売が始まって以来、経済は著しく良くなった。それもそうだ。
日本の中で最難関と言われる大学の学歴もお金を払えばすぐに手に入るし、戸籍も手に入る。それに友人関係ってのも手に入るらしい。世の中金。
そんな言葉が正しいくらいに。
本当に怖いものだ。
「あの、前から思ってたんですけど。学歴を手に入れたとしてもその人が有能じゃ無ければ全く使えないと思うんですけど」
「それもそうですね。ですが学歴を手に入れる程のお金を持っている人っていうのは限られてきますよね。つまりはそういうことですよ」
確かにそうだ。普通の人間がそんな大金を持っているとは限らないしな。
「それにもしも高卒資格を持っていなければ、大卒資格を手に入れることはできない決まりなんですよ」
要するにそれは法に乗っ取るわけか。
「なるほど。そういう仕組みなんですね。というか、学歴を売ったはまだしも才能を売ったとか健康を売ったとか病気を売ったとかそういう類ってどうなっているんですか?」
「ははぁー。それは企業秘密ですと言いたい所ですが、話しておきましょう。あの貴方って『もしもボックス』って知ってますか?」
「はい。分かりますよ。あの猫型ロボットの話ですよね?」
「はい。そうです。それと同じ原理ですよ、要は」
「そう言われましても……。もっと詳しく説明を」
「はい。そうですね。要するに私達の仕事は『もしもボックス』的なものを使って、貴方達を今の世界とは少し違った。つまり今回の場合では『鈴木さんの学歴が中卒だったら』という別世界に飛ばしているわけですよ」
「でもそれだったら別に買い取りをする必要は無いんじゃないですか? 相手の願望を叶える為だけに使えばいいじゃないですか? わざわざ人の何かを買い取るというのは商売として成り立たないというか利益が少ないと思うんですけど」
「鈴木さん、ナイス質問です。確かに貴方の言う通り、私達が相手に何かを与えるという商売の方がやりやすいですし、利益が出るのも事実です。ですが、そうしてしまうと世界のバランスが崩れるんですよ」
「世界のバランス?」
「はい。そうです。世界のバランスです。もしも、誰もが同じ学歴や才能を持っていたとしたら世界は成り立ちません。そうなってしまうと世界には矛盾が発生します。簡単に説明するならば、こちらの世界では貴方の学級には30人しか居なかったと仮定します。ですが、向こうの世界では31人となってしまった。そうなると世界のバランスがおかしくなります。それを防ぐ為にこの買い取りをさせて頂いているのですよ」
なるほど。つまり、誰かが抜けた穴に誰かを入れることはできたとしても自分達で勝手に穴を作るという行為はしてはいけないということなのだろう。
「ならばここに来た人は違う世界。つまり別世界に行ってしまうということなんですか?」
「簡単に説明するとそうなりますね。パラレルワールドというやつですよ。そうなれば貴方の周りは少し違った環境になるかもしれません。でも大丈夫ですよ。すぐに慣れますから」
「そういう問題なんですかね……。あの、どこからその環境は変わるんですか?」
「この店を出た瞬間から環境は一変します」
「そうですか……。あの、大丈夫ですかね? 外に出ても仕事とかってありますかね?」
「意外と将来のことをしっかりと考えているんですね。少し安心しました。ではお仕事を探しているんですね。少しだけお時間を頂ければ、お探ししますけどどうします?」
仕事か……。
確かに仕事というのはいいかもしれない。
僕はこの建物を出た瞬間から『中卒』になってしまう。そうなると仕事が見つからない可能性もある。それならここで探してもらうのがいいかもしれない。
「見つかりました。この中からお探しください」
慌てて入ってきた佐藤さんは大量のファイルを持ってきた。この中から選べというわけか。
中々多いな。
「この中で一番給料が高くて、楽な仕事ってなんかありますか?」
「これなんかどうですかね?」
「あっ、これ良いかもしれませんね。僕、これにします!」
僕が選んだ仕事は家庭教師だった。
それも中学生の家庭教師。
家庭教師先は中学三年生の女の子。
どうやら僕と同じく受験勉強らしい。
「見つかって良かったですね。ではっ、こちらへ」
佐藤さんに促されるままに変な個室に入れられた。
「ここで十分程お待ち下さい。手続きを開始いたしますので」
「あ、はい。分かりました」
佐藤さんはそのまま部屋を出ていった。
部屋には僕しかいなかった。あるのはテーブルとソファー、そしてテレビだけだった。
ソファーに座り、佐藤さんが来るまで待とう。
スマートフォンを取り出し、ブラウザを開く。
「あれ……? おかしいな。電波入ってない」
「建物の中だからなのかもしれないな」
佐藤さんが戻ってきた。
僕が思っていたよりも早かった。でも時計の針は十分も過ぎていた。
「お待たせしました。すいませんね、貴重なお時間を取らせてしまって」
「いえいえ、別に大丈夫ですよ。で、鈴木さん。
この扉をお開け下さい。この扉を開けばそこには貴方が待ち望んでいる世界があります。
但しそこへ行くためには白い霧を通り過ぎて行かなければなりません。でも絶対に後ろを振り返っては行けませんよ。振り返ってしまえば、貴方はこの世界から消滅してしまいますので」
「あ、はい。分かりました。では短い時間でしたが、どうもありがとうございました。佐藤さん。
もしかしたらまた会えるかもしれませんね」
「こちらこそです。鈴木さん。
ではっ、また……」
僕が扉を開けると白い霧がボワッと顔に掛かった。
眠気を誘うようなそれに僕は一歩一歩足を踏み出した。
この先に広がる新たな世界へと向かって。
✢✢✢
「よしっ、100匹目。これで今月のノルマ達成ですね」
佐藤は顔を綻ばせた。
「あ、佐藤さん。今回もノルマ達成したんですか?
凄いですねぇ〜。僕なんて、まだまだですよ」
佐藤に喋りかけてきたのは後輩の吉野宮。
まだまだ新人の彼はまだ仕事に慣れてはいないが、今後一番期待ができる人だと佐藤は思っている。
佐藤が勤めているこの会社は表向きは『何でも買い取り可能な商売』としてニュースにでも取り上げられているが実際の所はただの食肉センターである。当初はハローワークとして成り立っていたが次第に客が枯渇した為、『買い取り屋』として売り出したのが成功の鍵であった。
インターネットなどの口コミでは職員達がサクラをして、客を集めている。その甲斐あってか、あっという間に人気に火がついた。
「佐藤さん。一つ聞いてもいいですか?」
「何ですか? 吉野宮さん」
「あの……佐藤さんはこの仕事をどう思っていますか?」
「どうって……」
「あ、あの……。別に変な意味じゃなくて、この仕事ってその食肉センターじゃないですか。それも人を騙して、そのまま出荷するって言うのは」
「あぁーそのことですか。吉野宮さん。
別に大丈夫ですよ。というか寧ろ安心してください。
貴方がまだ新人なのでその気持ちになるのは当然かと思いますが、次第に慣れていきます。それにですね、今の人の人口は多過ぎます。だからこそ削って行かなければならないのですよ。そうしないと人類全体が食糧難になりますからね」
「は、はぁー。そうですか。でも騙すのは……」
「私達もですね。そんなに悪ではないのですよ。
この世界に本当に不必要と思った人だけを排除しているんです。だから安心して下さい。
ほらっ、仕事に戻って下さい。
私はこちらの肉の出荷先を確認しますので」
「わ、分かりました……」
吉野宮は佐藤の前から立ち去りながら思う。
この世界に不必要な人間は居るのだろうか、と。
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