Milk Puzzle

巫夏希

03: Doppelganger

「……先生、わたしの話を聞いていましたか」

 信楽くんの言葉を聞いてわたしは我に返る。

「ああ、聞いているよ。それで、君は何がしたい」

 ソファに背中を預けて、わたしは質問した。

「だから、何度も言いましたが、わたしは……ミルクパズル症候群に罹患しています。これは絶対に治療出来ない病です。発症が確認されたら、早急に記憶のバックアップを取って、記憶が完全に消える前にバックアップを使用して元の状態に戻す。その場合、バックアップしてからの記憶が完全に消失することになりますが、これが現在唯一の治療法になる。それは、先生もご存知ですよね」

 わたしは彼女の言葉に頷いた。

「ミルクパズル症候群は治療法がそれしか無い。だから、わたしも家族からそれを進言されました。だから、BMI端子を埋め込む手術を受けて、バックアップを取りました。大学で勉強をしている間にもわたしの記憶は消えていく。いつやってくるか分からないタイムリミットを、わたしはおびえて待つことしか出来ないのです」
「……それは、ミルクパズル症候群の患者が言っていることだ。確か、そのような研究データも残されている」
「ミルクパズル症候群は治療出来ない」

 彼女はたった一言で、結論を言い放った。

「脳が一枚のミルクパズルになる前に、バックアップで塗り潰さないといけない。けれど、わたしはあるとき思ったんです。……それって、ほんとうにわたしなのか、って」
「……どういうことかね。自己同一性は認められているはずだが」
「そういうことでは無いんです。問題は、わたしがわたしであることは、記憶を上書きされても問題ないのか……ということなんです」

 記憶のバックアップ。それは確かに一つの問題として提起されていることもある。
 とどのつまり、記憶のバックアップを取ると、そこで自分が二人に分かれるのではないか――そう考えている人間も多いということだ。

「わたしの考えを言わせてもらうと」

 ここは彼女の気持ちを落ち着ける必要があるだろう。そう思ってわたしは話を始める。

「君の記憶は、流動性だと考えられる。とどのつまり、記憶は不変では無いということだ。常に記憶は変化を遂げていき、脳の保存容量は無限大とも言われている。ということは記憶は変わらない、なんてことは誰だって有り得ないということになる」
「でも、それは一つの記憶に限った話ですよね。わたしが言っていることは、ある時点で二つの記憶が存在すること……。それは、ほんとうに『わたし』だと証明出来るのか。それが、わたしの考えている問題なんです」
「問題、ですか」

 わたしがわたしであることの証明。
 彼女はそう言ったが、そう簡単に解決出来る疑問では無いだろう。
 現に、記憶を同じ時間軸に二つ保有している場合、お互いにそれは『わたし』と言えるだろうし、言えないかもしれない。例えば仮にバックアップしていた記憶を間違えて別人にインストールしてしまった場合、それは『わたし』と言えるのだろうか、ということだ。肉体では違う人間だが、記憶――或いは精神では同じ人間と言える。

「確かに難しい話だ。けれど、それを補ういくつかの知識が必要になると思う」

 わたしは立ち上がると、積み上がった本の塔の天辺にあった書物を取り出した。

「ドッペルゲンガーって聞いたことはあるかい」

 彼女はその言葉にしっかりと頷いて、

「自分自身の姿を自分で見ることですよね」
「その通り。けれど、それは幻影の一種とも言われているし、霊体が肉体から飛び出ている状態とも言われている」
「バイロケーションとは違うんですか」
「あれも同じだが、ドッペルゲンガーは当人の意識外に行われることに対して、バイロケーションは当人が意識的に、恣意的に行うことのイメージが強い。意味としてはどちらも正しい」
「では、使い分けている、ということですね」
「そういうことだ」

 わたしは頷いて、書物を開く。
 そしてあるページで捲る手を止めて、その部分を読み始めた。

「ドッペルゲンガーは本人ではなく別人ではないか、という研究を進めたことがある。しかしながら、記憶も肉体も同一化している状況は、紛れもなく本人であるということを証明する結果となり、わたしの考えていた結果とは真逆の結果を生み出してしまった――書物にはこう記載されている。つまり、君の考えていることは、紛れもなく本人であるということだ。記憶のバックアップを実施して、バックアップを使用して、バックアップした以後の記憶が失われたとしても、それは君であることに変わりないということだ」
「ほんとうに、そうなのでしょうか……」
「科学的に証明されている。バックアップ使用後の人間と、バックアップ使用前の人間は人権条約的にも同一人物であると証明されている」
「それは、そうしなければ面倒だからということなのでは無いでしょうか」
「それは……。確かに、それも考えられるな」

 確かに彼女の言う通りだった。法律上、或いは手続きの関係上、バックアップ使用前後の人間を別人と捉えてしまうと、戸籍の変更からクレジットカードの変更手続きなど様々なことをしなければならない。しかし、同一人物としてしまえばそれらの手続きは一切不要となる。

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