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花贈りのコウノトリ

しのはら捺樹

1

 大きなくしゃみと共に今日の仕事は始まった。

 4月初めのある平日。
 切り花を入れるキーパーの奥の鏡に映った自分の顔は、マスクと眼鏡で殆ど覆われていた。
 花粉症の自分が花屋で働いているとは、これ如何に。お客さんにもよく言われてしまうが、仕方が無いことではある。
 
 開店までには時間があった。

 店の中で慌ただしく動き回る沙苗ママを尻目に、僕は鏡を凝視していた。
 鏡の中の反転した僕の前には色とりどりの花が背を向けている。幾つかは鏡の方を向いていたが、殆どは此方を向いているので背中しか見えない。
 そして反転した僕の胸には反転した僕の名前がぶら下がっていた。

 水嶋 航

 よく「ミズシマコウ」と呼ばれるが「コウ」ではなく「ワタル」である。航海を意味し、いろんな場所を渡り歩いていろんなことを知ってほしい。母さんがつけた名前だ。実際にそうなったかどうかはともかく、割と気に入ってるから、「コウ」と呼ばれたらいちいち訂正するようにしている。

 「航ゥ!」

 沙苗ママの怒号が店内に響いた。

 「え!は、はい!」

 「昨日入った文化会館の注文、午前中早めの配達だからすぐ持っていって!」

 早足で歩み寄って来た沙苗ママは伝票と可愛い包装のアレンジメントを此方へ押し付けた。

 「今日は思ってる以上に注文あるからね」

 「は、はぁ…」

 そう言った後、うだうだと店長への愚痴を僕にぶちまけながら沙苗ママは開店準備を慣れた手つきでこなしていく。

 ここで働き出して、早2年目。オープニングスタッフとして短期で働くつもりが、いつの間にかそんなに経ってしまっていた。

 そして、この春から僕の名札に書かれた名前の横に小さく「R」の文字がある。これはreaderのR…つまり僕はこの店のリーダーで、従業員をまとめ仕切る立場にいる。

 たった1年働いただけでここまで昇進出来たのは、僕がこの店のオープンメンバーであったのと、仕事に対する姿勢が良かったのと…自分で言うのもなんだけども、あとは見た目によらず結構人に好かれるタイプだからであるからではないだろうか。

 配達の準備をすべく、キーパーを離れて店の奥へと入っていった。八つ当たりはされない分、愚痴は殆ど僕の方へ回ってくる。嫌ではないが、厄介だとは思っていた。

 店の奥…スタッフルームの扉を開けると、更衣室から早乙女さんがエプロンの紐を後ろで結びながら飛び出して来た。はた、と目が合うとその場で一瞬固まって、

 「お、おはようございます!」

 声をひっくり返しながらからくり人形の如く頭を下げた。急いでまとめたのか後ろで長い黒髪ポニーテールはボサボサで、頭を下げた勢いで跳ねると早乙女さんの頭を覆う。

 「おはよう…どうしたん、そんなに焦って?」

 早乙女さんの緊張を解すべく、笑顔を浮かべて声を掛けた。勿論、嘘の笑顔。営業スマイル。

 頭を恐る恐る起こして、僕を上目遣いで見る早乙女さん。あざと可愛いとは思う。ただ未成年の女の子に手を出すような趣味は残念ながら無い。

 「あの…その…」

  蚊の鳴くような声で言い訳をする早乙女さん。時折此方を見てはまた目を泳がせ、落ち着きなく指を絡ませては解き…

 そのとき

 「ちょっと!何やってんの!」

  早乙女さんの小さな声を掻き消すが如く怒号と扉が乱雑に開く音がして、僕らは思わず首を竦めた。早乙女さんに至ってはすっかり怯え切って涙目で声の主の方を見ている。

 「もうすぐ開店なのにまだ苗が並んで無いから!ボサッとしてないで手伝ってよ!」

 「ご、ごめんなさ…」

 「それが終わったらキーパーの窓拭き!それから注文のアレンジメント作って!…あちこちで入学式があるから忙しいのよ」

 頭ごなしに怒鳴ると、沙苗ママはまた乱雑に扉を閉めた。

 「…うぅ…」

  早乙女さんは今にも泣きそうな顔で閉まった扉を見つめていた。何か声をかけるべきなんだろうと思い、頭をフル回転させるが何も言えない。

 そもそも女性経験の少ない僕に女の子を慰めるなんて無理難題の極みであり、一生出来ないことだろうと思っている。それでも年上として、先輩として、一言声をかけるべきではないだろうか。

 暫し迷って、漸く僕は重い口を開いた。

 「今日…ママ、機嫌悪いね…あとでケンさんに例のもの持って来るように頼んどくからさ…」

 例のものとは、沙苗ママが好きな店のシュークリームのことだ。これをケンさんが持って行くと、たちまち機嫌が直ってしまう。

 僕の言葉にも早乙女さんは此方を見ようともせず、しょんぼりと肩を落としてさっさと部屋を出て行ってしまった。

 その背中をやるせない気持ちで見送ると、残り少ない煙草を一本取り出して火をつけた。

 沙苗ママは仕事に対して真面目なのはいいけど、すぐに人を叱る。その殆どは教育の為ではなく、自分自身の感情。八つ当たりにも似たその当たり方は、僕でも疑問を持つ程。

 それでも断固として僕を怒ろうとしないのは何故だろうか。オープンからのメンバーでも店長やケンさんだって物凄い剣幕で怒られる。

 ため息と共に煙を吐き出し、事務椅子を引っ張り寄せた。本当は喫煙室があるが、そこまで行く元気もなかった。

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