花贈りのコウノトリ
1
「そろそろ母の日かぁ」
とある休憩時間、スタッフルームの事務椅子に背もたれを前にして座り、クルクルと回りながら篠崎さんが言った。
篠崎さんは僕の次に長くここで働いている。働き出した時は沙苗ママの娘さんや早乙女さんと同じI大学付属高校に通っていたけど、この春からI短大にエスカレーター式で進学し晴れて大学生となった。
年上の僕のことすら呼び捨てにする程気が強くて正直苦手だけど、なんやかんやで結局仲の良い従業員のうちの一人だ。
「母の日やだなー、こないだ入学式のラッシュ終わったばっかりじゃんねー」
篠崎さんの文句を背中に受けながら外に顔を出して煙草を吸っていた僕は、小さくなった煙草を揉み消して窓を閉めた。
「このご時世やに。花屋が働かんで、何処が花を届けるんや?」
「花屋に限る必要無くない?」
当然限る必要がある。
母の日といえばカーネーション…つまり、花だ。店長もすっかり張り切って母の日を控えた一週間はカーネーションをたくさん入れるなんて言ってるけど、当然作ったり運んだりするのは僕らなわけで。
忙しくなることは十分に見えている。特にアレンジメントや花束が多いだろう。だから彼女はこうして嘆いているのだ。気持ちはわからなくもない。
「母の日ねぇ…」
カレンダーを一瞥して僕は呟いた。
今年の母の日も実家に帰るなんてことは当然できない…そういえば何かしようとも考えていなかった。
「篠崎さんは、母の日に何かするん?」
回転する椅子を止めて机に広げられたお菓子に手を伸ばした篠崎さんに問うと、細い指先でチョコプレッツェルをつまんだ篠崎さんはこちらを見ることもなく一言、
「する」
珍しい。というか、意外。
早乙女さんとは全く正反対な容姿と性格なだけに、母の日も普通の日曜日だと言って遊んでそうだと勝手に思っていただけに。
椅子を回して此方を向いた篠崎さんは嬉しそうにプレッツェルを指先で振り回しながら言った。
「今、お姉と準備してんの。花をあげて、ケーキ焼くんだ。花は私が、ケーキはお姉が用意すんの」
「そうなんや」
えらく家族想いの良い子じゃないか。
その時、少しだけ篠崎さんの印象が僕の中で良くなっていた。
また机の方へ向き直り、片手でスマホを弄りながらぽりぽりとプレッツェルを食す篠崎さん。カフェオレを飲み干した僕はしばらく彼女を眺めていたが、頭の片隅では母の日のことを考えていた。
何かするべきなのだろうか。
しないといけないのだろうか。
ぼんやりと考えていると、がちゃり、とスタッフルームの扉が開いて配達から帰ったらしい店長がひょっこりと顔を出した。
「あ、店長だ」
スマホから顔を上げて篠崎さんが間抜けな声を出す。
「うっす、お疲れ」
真顔なのに爽やかな表情で軽く篠崎さんに手を上げる店長。
この人は何なんだ。三十路をとっくに過ぎたオッサンのはずなのに若い。そして妻子持ちなのに黙ってても店に来た女の子のハートをガッチリ掴む程のイケメン。おまけに仕事も出来る。僕が店長に勝てるのは身長だけかも知れない。
店長はスタッフルームをぐるっと見回すと、僕の方に目を向けた。
「航しかいないか…ごめん、航」
店長は申し訳なさそうに両手をぱん、と合わせるとそれを顔の前に持って来て頭を下げた。店長は人に物を頼む時、いつもこうして下手に出る。見習いたい反面、店長らしくないような気もする。
「休憩中のところ悪いんだけどさ、急ぎの注文入ったんだわ、手伝ってくんね?」
「いいっすよ」
空いた缶をゴミ箱に捨てて返事をすると、店長は「サンキュー!」と残して扉の向こうへ消えて行った。
うんと背伸びをして大きく欠伸をしながら店に戻ろうとしたときに、
「ねぇ」
篠崎さんに呼び止められた。どうせ休憩減らして働くことに文句を言うのか、何でもかんでも言うこと聞くなってガミガミ言うのかと思っていたが。
「航は、母の日に何かしないの?…どうせ帰れないんでしょ?」
帰れない、という言葉が背中に突き刺さり、心臓を抉るように射抜いた。扉のドアノブに手を掛けたまま思わず立ちすくみ固まる。
確かに帰れないだろう。
でもそれは、言い訳だ。
帰らないんだ。
「…まだ、考えてへん」
「あっそ」
精一杯の僕の返事が在り来たりでつまらなかったのか篠崎さんはそう返すと、再びチョコプレッツェルをぽりっ、と囓った。
重い気持ちのまま、僕は配達に出た。出際に店長が何かあったのかを尋ねてきたけど、体調が優れないとだけ答えておいた。
母の日…
僕の頭の中にはその単語がぐるぐると回る。
別に母親と仲違いをしただとか、家族と仲が悪いだとか、決してそんな訳ではない。むしろ仲はいい方だと思う。隠し事をしてるだとか、やましいことがある訳でもない。話したいことは山程ある。
ただ、帰る時間がないだけなのだ。
五月晴れの道をスクーターで走る。爽やかな風も、今日はなんだか嬉しくない。
帰るにしたって方法がないのだから仕方がないだろうと自分に言い聞かせても気分は決して良くならなかった。
でもわかっていたのかも知れない。
帰ることが出来なくても、何か出来るということを。
とある休憩時間、スタッフルームの事務椅子に背もたれを前にして座り、クルクルと回りながら篠崎さんが言った。
篠崎さんは僕の次に長くここで働いている。働き出した時は沙苗ママの娘さんや早乙女さんと同じI大学付属高校に通っていたけど、この春からI短大にエスカレーター式で進学し晴れて大学生となった。
年上の僕のことすら呼び捨てにする程気が強くて正直苦手だけど、なんやかんやで結局仲の良い従業員のうちの一人だ。
「母の日やだなー、こないだ入学式のラッシュ終わったばっかりじゃんねー」
篠崎さんの文句を背中に受けながら外に顔を出して煙草を吸っていた僕は、小さくなった煙草を揉み消して窓を閉めた。
「このご時世やに。花屋が働かんで、何処が花を届けるんや?」
「花屋に限る必要無くない?」
当然限る必要がある。
母の日といえばカーネーション…つまり、花だ。店長もすっかり張り切って母の日を控えた一週間はカーネーションをたくさん入れるなんて言ってるけど、当然作ったり運んだりするのは僕らなわけで。
忙しくなることは十分に見えている。特にアレンジメントや花束が多いだろう。だから彼女はこうして嘆いているのだ。気持ちはわからなくもない。
「母の日ねぇ…」
カレンダーを一瞥して僕は呟いた。
今年の母の日も実家に帰るなんてことは当然できない…そういえば何かしようとも考えていなかった。
「篠崎さんは、母の日に何かするん?」
回転する椅子を止めて机に広げられたお菓子に手を伸ばした篠崎さんに問うと、細い指先でチョコプレッツェルをつまんだ篠崎さんはこちらを見ることもなく一言、
「する」
珍しい。というか、意外。
早乙女さんとは全く正反対な容姿と性格なだけに、母の日も普通の日曜日だと言って遊んでそうだと勝手に思っていただけに。
椅子を回して此方を向いた篠崎さんは嬉しそうにプレッツェルを指先で振り回しながら言った。
「今、お姉と準備してんの。花をあげて、ケーキ焼くんだ。花は私が、ケーキはお姉が用意すんの」
「そうなんや」
えらく家族想いの良い子じゃないか。
その時、少しだけ篠崎さんの印象が僕の中で良くなっていた。
また机の方へ向き直り、片手でスマホを弄りながらぽりぽりとプレッツェルを食す篠崎さん。カフェオレを飲み干した僕はしばらく彼女を眺めていたが、頭の片隅では母の日のことを考えていた。
何かするべきなのだろうか。
しないといけないのだろうか。
ぼんやりと考えていると、がちゃり、とスタッフルームの扉が開いて配達から帰ったらしい店長がひょっこりと顔を出した。
「あ、店長だ」
スマホから顔を上げて篠崎さんが間抜けな声を出す。
「うっす、お疲れ」
真顔なのに爽やかな表情で軽く篠崎さんに手を上げる店長。
この人は何なんだ。三十路をとっくに過ぎたオッサンのはずなのに若い。そして妻子持ちなのに黙ってても店に来た女の子のハートをガッチリ掴む程のイケメン。おまけに仕事も出来る。僕が店長に勝てるのは身長だけかも知れない。
店長はスタッフルームをぐるっと見回すと、僕の方に目を向けた。
「航しかいないか…ごめん、航」
店長は申し訳なさそうに両手をぱん、と合わせるとそれを顔の前に持って来て頭を下げた。店長は人に物を頼む時、いつもこうして下手に出る。見習いたい反面、店長らしくないような気もする。
「休憩中のところ悪いんだけどさ、急ぎの注文入ったんだわ、手伝ってくんね?」
「いいっすよ」
空いた缶をゴミ箱に捨てて返事をすると、店長は「サンキュー!」と残して扉の向こうへ消えて行った。
うんと背伸びをして大きく欠伸をしながら店に戻ろうとしたときに、
「ねぇ」
篠崎さんに呼び止められた。どうせ休憩減らして働くことに文句を言うのか、何でもかんでも言うこと聞くなってガミガミ言うのかと思っていたが。
「航は、母の日に何かしないの?…どうせ帰れないんでしょ?」
帰れない、という言葉が背中に突き刺さり、心臓を抉るように射抜いた。扉のドアノブに手を掛けたまま思わず立ちすくみ固まる。
確かに帰れないだろう。
でもそれは、言い訳だ。
帰らないんだ。
「…まだ、考えてへん」
「あっそ」
精一杯の僕の返事が在り来たりでつまらなかったのか篠崎さんはそう返すと、再びチョコプレッツェルをぽりっ、と囓った。
重い気持ちのまま、僕は配達に出た。出際に店長が何かあったのかを尋ねてきたけど、体調が優れないとだけ答えておいた。
母の日…
僕の頭の中にはその単語がぐるぐると回る。
別に母親と仲違いをしただとか、家族と仲が悪いだとか、決してそんな訳ではない。むしろ仲はいい方だと思う。隠し事をしてるだとか、やましいことがある訳でもない。話したいことは山程ある。
ただ、帰る時間がないだけなのだ。
五月晴れの道をスクーターで走る。爽やかな風も、今日はなんだか嬉しくない。
帰るにしたって方法がないのだから仕方がないだろうと自分に言い聞かせても気分は決して良くならなかった。
でもわかっていたのかも知れない。
帰ることが出来なくても、何か出来るということを。
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