花贈りのコウノトリ

しのはら捺樹

7

 次の配達は街を離れた郊外の方だった。ここは街の方はとことん都会だがちょっと離れると田園風景の広がる田舎になる。

 田んぼの広がる道を後引く気持ちを風に靡かせて走った。あの出来事は多分しばらくは忘れられないと思う。2年働いて一番花を贈る仕事をやってて良かったと思った気がする。正に花贈りの醍醐味といったところか。

 あの後女性はしつこく頭を下げ、曲がり角で曲がるまでずっと僕を見送っていた。よっぽど嬉しかったんだろう。

 暮れかかった空は赤と青のグラデーションを見せていた。西の空は燃えるように赤く、東の空は深い群青。

 何となく、仕事で少しは自分の悩みをかき消せている気がした。沈んでいた気持ちは、さっきの一件のおかげで多少は忘れられた。悩みが侵食していた部分が少し無くなった分、空いたところにスクーターで受ける風が少しずつ癒してくれている気がしないでもない。

 今は考えないでおこう、仕事が終わってからでいい…あれ程まで僕を締め付けて苦しめていたのがまるで嘘のようだった。

 それから数分して、2件目の配達先に着いた。なかなか立派な旧家で、ここら辺では1,2を争う程の大きさだろう。いつも前を通るだけだったから、こうして尋ねるのは初めてのことだ。

 けれどいくら探してもインターホンが無かった。扉の前できょろきょろとあちこちを探してみるが、それらしきものは見当たらない。刹那迷って、躊躇しながらもその扉に手をかけた。

 ガラリと、扉は開く。そっと玄関に首を入れて、ガラス戸で締め切られた部屋の奥へと声をかけた。

 「すみませーん、Flower shop Cigogneですー!」

 「はぁーい、ちょっとお待ちくださいねぇ」

 在宅だったようで奥から小さくゆったりとした返事があり、これまたゆったりとした足音が聞こえてきた。

 しかし足音が聞こえるのに家主がなかなか出てこないので、失礼ながらも玄関に入ると周りを見回した。よく古い家にある木の置物やら書道の作品に加えて、お孫さんが描いたのであろう絵や家族写真も飾られていた。

 旧家って何だか独特の匂いがする。なんというか、木の匂いと、台所の匂いと…とにかく、人間がここに暮らしているんだっていう、いい意味でも悪い意味でも生々しい匂い。父方の祖母の家がこんな感じだけど、子供の頃はその匂いが嫌いで家に行くのが嫌だった。

 欠伸を噛み殺しながら待っていると、やがて70代くらいのお婆さんが姿を現した。足腰はまだしっかりとしていて、料理中だったのか割烹着を身につけていた。

 お婆さんは僕を一目見て「あらぁ」と言葉を漏らすと玄関マットの上に正座した。僕は笑顔を見せて、

 「こんにちは、Flower shop Cigogneです。お花をお届けに参りました」

 「お花屋さんですか、えーっと」

 「Flower shop Cigogneです」

 ゆっくりと店名を言うが、お婆さんは言いにくそうに眉間にシワを寄せた。何故店名を復唱しようとしたのかわからなかったが、僕は思わず

 「じゃあ、コウノトリでいいです。コウノトリギフトサービス」

 「はいはい、コウノトリさんね」

 納得したのかお婆さんはうんうんと頷いて、律儀に三つ指をついてお辞儀をした。

 「わざわざありがとうございます」

 「あ、いえ、此方こそ」

 変に改まって僕も帽子を取って頭を下げた。

 いかんいかん、お婆さんに翻弄されていないか…僕ははっとして伝票を見た。

 「それでですね…嶋村哲郎様より嶋村トミ様へお花をお持ちしましたよ」

 膝をついてお婆さん…嶋村さん渡すと、「あらあら、まあまあ」と可愛らしく口元に手を当てながら花束を受け取った。

 「…哲郎ねぇ…わざわざ有難いことねぇ」

 花束を大切そうに抱き抱えて、嶋村さんは目を細めて呟く。

 「息子さんですか」

 問うと、シワだらけの顔をくしゃっと緩めると何度も何度も頷いた。

 「ずうっと前に東京に出て行ってねぇ…その頃から毎年毎年送って来てくれるのよぉ」

 「親孝行な息子さんですね」

 「ええ…本当に」

 嶋村さんはよほど嬉しかったのか、旦那さんが先立ってから一人でずっと住んでいるとか、一人息子がたまに孫を連れて帰って来てくれることが嬉しいとか、そんな話を始めた。

 うん、うん、と頷きながら話を聞きながら頭の隅でまた自分のことを考えてしまう。

 もし僕がこの人の息子のように、出て来てからも母親を気遣うことが出来ていたら…きっと、こうして花を贈ってやったり帰って来たりできるんだろうか。

 僕の知らぬ間に、表情は曇っていたのか、

 「コウノトリさん」

 嶋村さんは笑顔のままで僕に尋ねた。

 「あなたは、親御さんとは離れて暮らしているの?」

 「ええ、そうです」

 「出身は?」

 「三重県です」

 「ご兄弟はおられるのかしら?」

 「兄が一人…」

 そう…と小さく呟いた嶋村さんは、遠い目をした。その視線の先には、家族の写真。

 「…子はいつか…親を離れて立ってしまうものね」

 僕の心を、ちくちくとその言葉がいじめる。

 「…悪くないのよ、コウノトリさん。子供が何処かで活躍していることを、母親は毎日祈っているんだから」

 まるで心を見透かされているようだった。そして、その言葉には母親の子供への愛、優しさ、それから不安…多くの感情が感じ取られる。

 帽子を深く被った僕は徐に立ち上がった。

 「僕も…」

 それは本心なのか、建前なのか。

 自分に問う気力は無かった。

 「息子さんのような…大人になりたいですよ」

 「…なれるわよ」

 それは建前じゃない、お世辞でもなんでもない…裏のない確信に満ちた口調だった。




 「だってあなた…いい男じゃないの。お母様はあなたのような息子がいて、きっと幸せなんじゃないかしらね…」

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